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ボランティアの葛藤――「ごめんね」

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https://animalf... https://animalfoundation.com/volunteer/foster-pet-search
ラスベガスでフォスターボランティアをしたい方はこちらから。緊急保護が必要なこの犬猫のリストから、希望の子を選んで申請してください。       



アニマルシェルターに収容され、順応できないでいる犬を自宅に一時避難させる、いわゆるフォスターボランティアをしていますが、私みたいなくよくよした性格の人間は、ボランティア一つするのにも葛藤ばかりです。

「ごめんね」――そんな気持ちが、心の中に散らばっているのです。

一つは、飼ってあげられない「ごめんね」。昨年、愛犬を亡くしてから、もう私には無理だと悟りました。

二つ目は、家族のように愛してあげられない「ごめんね」。道端に放置された雨さん(先月まで預かっていたフォスター犬)は、前のオーナーに愛されていたでしょうか。愛していたら、道端に置いて逃げたりしませんよね。それなのに、次に出会ったのが、飼わないと決めた「私」ですか。

そして三つ目は、うまくしつけられない「ごめんね」。雨さんが家に来たその日に、「こりゃ、とんでもないお荷物を背負ってしまった」と思ったのは、恥ずかしながら正直な気持ちです。とにかく雨さんは、何も、できなかった。家の床でおしっこ、テーブルに飛び乗って人間の食べ物を食べる、クッションを噛みちぎる、庭に出せば丹精込めた育てた植物を(針だらけのサボテンまで)食べ散らかす、外を歩けば重たい馬車でも引かせたいほど引っ張る――一つ一つ教え、雨さんは最後にはかなりの成長を見せました、でも、、まだまだでした。「これじゃ、また捨てられる…私の力が足りないせいだ」。

そんな中、私がボランティアをしている市営シェルターの、さっ処分率を目にしました。昨年は1年で約4000匹(犬猫)。何の罪もない動物が毎日10匹以上の速度で殺されています。でも市営シェルターだけを責められません。1年で持ち込まれた動物の数は驚きの約2万2000匹(その背後に約2万2000人もの無責任な人間あり)。犬の檻は50ほどしかないのに…。必然、彼らの命はフォスターボランティアの献身にかかっています。

私がぐずぐず悩んでいる間にも、犬猫はどんどん殺されていっています。ぐずぐずはもうやめよ! そんな時、私の背中を後押しするように、ちょうど読んでいた小説『パンドラの匣』(太宰治)にこんな文章が現れました。

献身には、何の身支度も要らない。今日ただいま、このままの姿で、いっさいを捧げたてまつるべきである。鍬(くわ)とる者は、鍬とった野良姿のままで、献身すべきだ。自分の姿を、いつわってはいけない。献身には猶予がゆるされない。人間の時々刻々が、献身でなければならぬ。いかにして見事に献身すべきやなど、工夫をこらすのは、最も無意味なことである」。
#パンドラの匣

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