OECDの基準では「所得順に並べて中間地点(224万円)の家庭の収入の半分(112万円)以下」が貧困となるといいます。ここの所得順というのは「可処分所得」のことのようです。 ボンビー父さんは、これにあてはまらず、「貧困」ではないということに。(中央値の半分の112万円に満たない世帯が、人口の16%!なんと6分の1が、0~112万円という現実。月0~10万円未満はきついね) 「貧困世帯」に決定!堂々と「ボンビー父さん」を名乗る http://jp.bloguru.com/hitparadeclub/248091/2015-09-02 上の記事は間違っていました。OECDの基準では、「貧困」では、ありませんでした。 しかし、 いろんな統計があり、厚生労働省などによると、日本の平均「年収」は414万円とか。違う統計では、日本の全世帯の平均所得金額は582万9000円だとか、いろいろ載っています。 が、とにかく私はそれらの平均より半分以下なので「ボンビー」を名乗っていくことにします。半分どころか6分の一以下です。 平均所得(582万円)の6分の一のボンビー父さん http://jp.bloguru.com/hitparadeclub/248346/2015-09-05 私は、税制上の所得は91万3326円で、日本の全世帯の平均のわずか6分の一 です。 生活費は月3万―5万円 自作の小屋で暮らす若者たち http://jp.bloguru.com/hitparadeclub/244724/2015-07-20 やっと、ここから本題に入ります。「貧困」と「貧乏」の違いは、いろんなブログに書かれていますが、湯浅氏の考えに共感した方が多いようです。 貧困は低所得であるとともに、家族や地域、友人などあらゆる人間関係を失い、もう一歩も踏み出せないほど精神的に困窮している状態。貧困で幸せな人は定義上いないということに。 貧乏とは「生活はできるけど贅沢はできない。親や知人の助けや繋がりもあってなんとかやっていける状況」をいう。だから貧乏でも幸せな人はいる。でも、貧困で幸せな人はいない。 だいたい、こんな論調のようです。貧乏でも充実していて愛に包まれた暮らしがあれば十分です。 問題は貧困で命を削りながら生きて行かざるをえない方々のことです。貧困に真摯に取り組む人たちに敬意を表します。