「持たない暮らし」と「丁寧な暮らし」には、共通点が!
Nov
9
ミニマリスト(持たない暮らし)のサイトが(752)あることは、新鮮な驚きでした。戦後数年経って生まれたボンビー父さんは、戦争中を過ごした人と比べ物になりませんが、物のない時代を生きました。ですから、物を持つことが「快感」で、お金は、物を集めることと、飲み代に消えて行きました。
シンプルライフのサイトは(4376)と圧倒的な多さに、さらに驚きました。「持たない暮らし」と「シンプルライフ」から、「心地よい暮らし」(1738)への相互関連は理解できます。
が、このごろよく聞くようになった「持たない暮らし」と「丁寧な暮らし」(795)は、関連があるのに今気がつきました。
生活に「丁寧さ」をとりもどすには、余裕のある時間を作る必要がある。物や物に関する欲望に付き合ってると、人は疲労する。
本当に大切にできるものだけに囲まれているシンプルライフでは、精神的にも落ち着き、生活にも余裕が生まれる。
そこに、丁寧に生きるための余裕が生まれるってことかな。
そして、日常の様々なことを手間と暇をかけ、自分のこの手で作り上げていくことこそ、「持たない暮らし」から「丁寧に暮らす」へのルートが生まれるといえるでしょう。
セルフビルドも、ナチュラルアンティークも、自己実現の最高の形かもしれません。
雨の日も晴れの日も楽しい日も辛い日も全てが人生においてかけがいのない日々
そう、臨済宗のサイトから引用させてもらうと以下のことのようです。
毎日いい日が続いてけっこうなことだ、などといった浅い意味ではありません。一般に私達が、今日はよい日だ悪い日だという場合、天気だけでなく、お金が儲かった・損をした、よいことがあった・嫌なことがあったなど、そんなものさしで判断します。しかし、これは優劣・損得・是非にとらわれた考え方です。それではたとえ、ある日幸運が訪ずれても、その後に来る不運に脅えなければなりません。日々是好日とは、そんなこだわり、とらわれをさっぱり捨て切って、その日一日をただありのままに生きる、清々しい境地です。たとえば、嵐の日であろうと、何か大切なものを失った日であろうと、ただひたすら、ありのままに生きれば、全てが好日【こうにち】なのです。