60メートルの急斜面を登るスバル車■ダントツの機動力に絶句
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この研究所は後の中島飛行機となり、日本の航空機産業の中心を担いました。
第二次世界大戦中は戦闘機の製造を行いましたが、
戦後の軍需産業解体により1945年に解散。
その後、1946年に「富士産業」として民生品の製造に転換しました。
しかし、GHQ(連合国軍総司令部)の指導でさらに分割され、
1950年に「富士重工業」として再統合されます。
ここから本格的な自動車産業への参入が始まりました。