初めのうちは「そんなことはあり得ない。」などと文句を言いながら観ていたテレビドラマの「受験の神様」ですが、いつの間にか土曜日の夜9時になると、年甲斐もなくテレビの前に“地ばく霊”のように釘付けになってしまい、「他にやらなくてはならない大事なことがあるのに。」などと真剣にぼやきながらもやめられませんでした。それも先週最終回を迎え、はずかしながら他人力でようやくこの呪ばくから開放されました。暗い事件の多いこのご時世ですから、あまり教訓めいたものは入れずにオールハッピーエンドにして欲しいとの願いも叶い、心底ほっとする最終回でした。ドラマでは実際に中学受験でも役立ちそうな勉強法も多く取り入れられていましたので、これは次回紹介したいと思います。
主人公の菅原道子が、最終回の1つ前の回で言った「長い人生の中で、人に裏切られることは何度もあるけれど、学問には裏切られないのよ。」という言葉がとても印象深く残っています。“受験の神様”の「菅原道子」の名前は“学問の神様”の「菅原道真」からきており、歴史を学んだことのある人であればすぐに気付くはずですね。そして、わが家の家紋がこの菅原道真公を神様とまつる“梅ばち”で、子供の頃から天神様として慣れ親しんでいたのが、こんなにこのドラマにのめり込んだ理由の一つだと思います。
道真公が学問の神様と呼ばれるのは、朝廷の行った役人の登用試験の初の合格者で、その後右大臣にまで登りつめたことが大きな要因のようです。後に藤原氏の策略で九州の大宰府に移されましたが神の地位を得、死後天満宮が建てられ、そこにまつられて「天神様」になりました。梅の花をこよなく愛し『東風(こち)吹かば においおこせよ梅の花 あるじなしとて 春な忘れそ』という歌を詠みました。飛梅伝説のもとにもなったこの歌は、私の好きな歌の一つです。
子供の頃、雷などがおこると『くわばら、くわばら。』と言って、家の中に逃げ込んだものです。この『くわばら』は、道真公が追放された後の京の都では大きな天変地異が度々おこったのですが、道真公の住んでいた桑原という梅の木がたくさんある地域だけはこ災害からのがれられたのだそうです。このことから、京の都の人達は、この天変地異は道真公のうらみからおこされているものと信じ、これをさけるためのおまじないとして『くわばら、くわばら。』が言われるようになったそうです。とても多くの人々に尊敬されていたのですね。
学問も自分のためだけじゃなくて、人のためにまで生かせるようになれば最高ですね。
(カーネル笠井)
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