◇◇◇桜物語◇◇◇ ◆桜の章◆ 6
Sep
25
夏の陽射しが和らいで涼やかなそよ風が吹き抜ける頃になると、桜川の清流が秋空を映して青く澄み渡り、川原は一面薄紅色の秋桜で覆われる。
祐里は、桜の季節の次にこの秋桜の頃が好きだった。ただ、光祐さまが都に行かれてからは少々淋しい秋桜の頃ではあった。光祐さまが小学生の頃は、毎年秋になると、桜川の川原で秋桜の冠を作って祐里の頭に載せてくださった。
土曜日の午後に祐里は、澄み切った青空の下、お屋敷に飾る秋桜を桜川の川原に摘みに出た。可憐な秋桜がそよ風に靡くように揺れていた。和かな陽射しの中、祐里の周りには小鳥たちが飛び交って可愛い声で囀り、川のせせらぎでは小魚が集まって呟きかけるかのようにのどかに泳いでいた。
「姫。何をしているの」
祐里が見上げた川沿いの土手の道には、柾彦が笑顔で立っていた。
「こんにちは、柾彦さま。とても綺麗でございますので、お屋敷に飾る秋桜を摘んでおりますの。柾彦さまは、お出かけでございますの」
祐里は、摘んだ秋桜を柾彦に掲げて見せた。柾彦は、薄紅色の秋桜に囲まれた祐里を御伽噺に出てくる姫のように感じて見惚れていた。まるで祐里を取り囲んでいる秋桜が天女の羽衣のようであった。
「あまりに天気がよかったから、姫に会えるような気がして散歩に出てきたのだけれど、やっぱり会えたね」
柾彦は、川原の坂を一気に駆け下りた。
「私も、あまりにお天気がよろしゅうございましたので、川原に来ましたの。秋桜がちょうど見頃でございます」
祐里は、一人で見る秋桜よりも柾彦と一緒に見る秋桜を一層美しく感じていた。必ず、柾彦は、祐里が困った時や淋しい時に姿を見せてくれた。
「姫には、秋桜も似合うね。風に靡く秋桜の可憐な花のようでありながら、実はこの根のようにしっかりとした強さを兼ね備えている」
柾彦は、可憐な花を抓んでから腰を屈めると秋桜の太い根元を指差した。
「まぁ、柾彦さま。私は、そのように強うはございません」
祐里は、頬を赤らめた。柾彦は、儚げでありながら毅然とした祐里の真の強さを感じていた。自分は、祐里の守り人でありながら、それでいて祐里から守られ力を得ているように思われた。
「はい。姫は、か弱き姫でございます。姫には、小さな花束を贈りましょう」
柾彦は、秋桜の花の細い茎を手折り、丸い小さな束にして祐里の前に差し出した。
「柾彦さま、可愛い花束でございますね。ありがとうございます」
祐里は、満面の笑みで小さな花束を受け取った。力強く愛してくださる光祐さまを一途に慕いながらも、祐里は、優しく側で守ってくれる柾彦と一緒に過ごす時間を楽しく感じていた。
「お屋敷の花は、ぼくが持つよ。姫には、ぼくの作った花束がお似合いだから」
柾彦は、祐里の摘んだ秋桜と鋏を受け取り、一抱えになるくらいの秋桜を摘み取った。祐里は、小さな花束を抱えて柾彦の仕事ぶりを微笑んで見つめていた。
「柾彦さま、お屋敷にお寄りくださいませ。奥さまはお留守でございますが紫乃さんの美味しいおやつをご一緒にいかがでございますか」
祐里は、一所懸命に秋桜を摘む柾彦にお礼がしたくて、お屋敷に誘った。
「紫乃さんのおやつは、最高だものね。それでは、姫、お手をどうぞ」
柾彦は、躊躇う祐里の手を取ってしあわせな気分で歩き出した。
川原を上って桜橋を渡ったところで、祐里は、柾彦から手を離した。
「柾彦さま、どうぞ、お先にお歩きくださいませ」
祐里は、男子より一歩下がって歩くようにと躾を受けていた。
「姫、遠慮せずに並んで歩こうよ。姫は、桜河家の姫なのだから」
柾彦は、立ち止まって祐里を振り返って促した。家並みの続く道で、柾彦は、元気よく「こんにちは。秋桜をどうぞ」と衆に挨拶をして秋桜を配った。祐里は、頬を赤らめて柾彦の横で衆に挨拶をした。
衆は、柾彦の堂々とした明るい振る舞いに好感を持ち、祐里とお似合いだと語り合った。
「ただいま帰りました」
祐里が玄関の扉を開けると菊代が迎えた。
「祐里さま、お帰りなさいませ。柾彦さま、いらっしゃいませ。応接間にご案内いたします」
「菊代さん、こんにちは。どうぞぼくにお構いなく」
柾彦は、台所に進んで、紫乃に元気よく挨拶をした。祐里は、菊代に微笑んで、柾彦の後ろから台所に向かった。
「紫乃さん、こんにちは。ご褒美のおやつをいただきに、姫を川原から送って来ました。これは、おみやげの秋桜です」
柾彦は、台所の紫乃に秋桜を手渡すと椅子に腰掛けた。
「柾彦さま、いらっしゃいませ。綺麗な秋桜でございますね。ありがとうございます。柾彦さまは、お客さまでございますので応接間へどうぞお越しくださいませ。すぐにおやつをお持ちいたします」
紫乃は、秋桜を受け取ると、慌てて柾彦に返事をした。
「ぼくは、ここでいただきます。奥さまは留守のようですし、ここで紫乃さんと一緒のほうが気楽ですので」
柾彦は、屈託のない笑顔を紫乃に向けた。
「紫乃さんもご一緒にいただきましょう」
祐里は、困った顔の紫乃に微笑みかけた。紫乃は、諦めて秋桜を桶に入れると、蒸かしたての栗甘露入りの蒸しパンと抹茶の膳を柾彦の前に置いた。
「柾彦さまは、坊ちゃまの弟さまのようでございますね。何時も、祐里さまに優しくしてくださいまして、紫乃からもお礼を申し上げます。ありがとうございます。お代わりもございますので沢山お召し上がりくださいませ」
紫乃は、柾彦に深々とお辞儀をした。
「お礼なんて恥ずかしいです。秋桜を運ぶのを口実にして、紫乃さんのおやつをいただきたくてついて来ただけですよ。では、いただきます」
柾彦は、立ち上がって恐縮した顔を見せ、目前の膳に手を合わせた。紫乃は、にっこり微笑んで祐里と自分の膳を並べると、柾彦と祐里の楽しい会話に耳を傾けた。
夕方になり、祐里は、桜橋まで柾彦を送って出た。ちょうど、夕日が傾きかけて、桜川に沿った秋桜の帯を茜色に染め始めていた。
「柾彦さま、夕日に染まる秋桜が綺麗でございますね」
祐里は、茜色に染まる柾彦の顔を見上げた。
「本当に楽しい午後だったね。締めくくりにこのように綺麗な夕日を姫と一緒に見られたし、最高の日でしたよ」
柾彦は、秋桜を背景に茜色に染まる祐里の美しさに見惚れていた。祐里を愛したい衝動に駆られながらも、守り人として祐里と共に過ごせる喜びを噛み締めていた。一途に光祐さまを慕っている祐里に横恋慕して、このしあわせな時間を崩してしまいたくはなかった。そして、何よりも祐里を悲しませることだけは謹みたかった。
「私もこのように綺麗な景色を柾彦さまとご一緒に拝見できまして、嬉しゅうございます。柾彦さま、本日は楽しいひとときをありがとうございました」
しばらくの間、柾彦と祐里は、言葉を忘れて茜色に染まる秋桜を寄り添うように並んで見つめていた。茜色の和らかな時間が祐里のこころを柾彦に傾かせていた。
Posted at 2008-09-25 22:40
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Posted at 2008-09-26 08:24
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Posted at 2008-09-25 23:54
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Posted at 2008-09-26 04:16
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Posted at 2008-09-26 14:08
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