むかし、若松の修多羅(すたら)や島郷のあたりには、いろんな親分を中心とするカッパたちが群れをなして住んでいました。
カッパの世界にもなわばり争いが絶え間なき続いており、そのたびにいつも困るのは、田畑や作物を荒らされる人間たちでした。
人々はどうすることもできず、カッパたちの戦争が始まると、ただ空を見上げて嘆くばかりでした。
ある年のことでした。
ひとしずくの雨も降らず、照り続く毎日に水を失ったカッパたちは、高塔山にある池の水を奪おうと、空中で戦い始めました。
朝になると、お百姓さんたちが一生懸命に作った田畑の中に、くさくて青い液体がいっぱい流れていました。これは、戦いに負けて死んだカッパのとけたものでした。
そのため田畑は、それこそ全部荒らされ、作物は枯れてしまい、お百姓さんたちはほとほと困り果てていました。
そうした様子を見ていた山伏の堂丸総学(どうまるそうがく)は、カッパ退治を考えました。
総学はまず、村の鍛冶屋・かんべえのところに行って、1尺(約33?)あまりの大釘を作ってもらうよう、頼みました。そしてその足で高塔山に登り、石地蔵の前で、毎日毎夜、カッパを閉じ込めるお祈りを続けました。
このありさまに驚いたカッパたちは、何とかしてお祈りのじゃまをする方法はないものかと知恵をしぼりましたが、これといって別によい方法はありません。
総学の周りでカッパ踊りを踊ってみたり、美しい娘に化けてだましたりしようとしますが、総学は祈り続けます。お金に化けても、お祈りをやめませんでした。
そんな苦しいお祈りの何日かが過ぎ去った、ある日のこと。総学の気合いの入ったお祈りによって、とうとうカッパたちは、地蔵の中に閉じ込められてしまいました。
そこですばやく、総学は1尺あまりの大釘を、地蔵の背中に深く深く打ち込み、二度とカッパたちがこの世に出られないようにと、固く閉じこめてしまいました。
村人たちは山伏・堂丸総学のおかげで、その後幸せに暮らしましたとさ。 (リビング北九州 より)
ニコニコ動画の日本昔話にも、このかっぱのおはなしがありました。
高塔山の展望台にかっぱ地蔵尊が建っています。
<水琴窟〜すいきんくつ>
お茶室の蹲踞や神社にある手水鉢などの排水部分に造られるもので、地中には甕が埋められています。
手を洗うと、その水滴が甕に反響し、美しい音色を奏でます。
「ポロン、ピロン・・・」
この水琴窟は、水に演奏させる自然の楽器。
水琴窟の透明な音の中に人を思い遣る、さりげない心遣いが感じられます。
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Posted at 2009-06-23 23:04
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Posted at 2009-06-24 13:50
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