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キャンベル / 行進曲「花のほほえみ」

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キャンベル / 行進曲「花のほ...
●ブログの方針
ネット上の情報は、近年のものであれば一次情報であることもおかしくはありませんが、昔のものとなると二次情報以降のものばかりになります。ブログのエントリとして残す...というかインターネット上に情報を残そうと考えると、なるべく一次情報に近い文献をあたり情報の精度を上げることが重要です。しかし、この新型コロナウイルス蔓延の状況下においては、神田の古書街や国会図書館等に遠征して文献を購入・探し調べるというのは大変難しくなっております。ネット上の情報を丁寧に精査して、間違いの可能性を減らした情報エントリをupするように心がけるようにします。

●このエントリの概要
行進曲「花のほほえみ」という曲について調べ、まとめました。

●表記について
日本で出版された当時と表記を下記のように変えております。

キャムベル→キャンベル
三戶知章→三戸知章
花のほゝえみ→花のほほえみ
(参考: 共同音楽出版社 楽譜, トップ画像参照)
女聲唱歌→女声唱歌

●ページの読み方
ページ内リンクは使っておりません。順番に読んでいってもらうことを前提にしております。
外部リンクはすべて新しいウインドウ・タブで開かれるようにしております。
「#」で始まる行はちょっとしたコメントの行としています。ハッシュタグではありません。
参考文献の巻数やページなど、正規な論文のような書式にはしておりません。

●楽曲の概要
"Her Bright Smile Haunts Me Still" というバラードの旋律をトリオに採用した吹奏楽のための行進曲です。作曲は Campbell (キャンベル)。
行進曲が先に作曲された可能性は0ではありませんが、作曲者 キャンベルの項で記述しますが、バラードの方が先です。

昭和31年度(1956年) 第4回全日本吹奏楽コンクール 高校の部の課題曲として採用されました。
戦前に3回行われていた全日本吹奏楽コンクールの戦後1回目の大会です。関東・関西地区ではこれに先駆けコンクールが再開されておりましたが、全国大会はこの年からです。
課題曲は、各部門に1曲ずつ決められました。中学校、高等学校、職場、大学・一般の4部門です。2021年現在は、職場と一般の部が1つの部門となっていますが(2009年度から)、この当時は大学と一般が同じでした。昭和36年度(1961年)から大学の部と職場の部は分離され、全5部門となりました。
また、2021年現在の課題曲は新たな曲を公募もしくは委嘱をし採用しておりますが、再開後しばらくは既存の楽曲を使用しておりました。

●作曲者 キャンベル
作曲者のキャンベルについては、この曲が収録されている「吹奏楽大全集 Vol. 4」のCDのライナーノーツ(解説: 赤松文治)に「1876年から1897年までイギリスのコーンウォール公歩兵連隊軍楽隊長をしていた」との記述があります。また、「ライトンの作曲した同名の曲をとり入れて作曲したものである」との記述もあります。作曲年はわかりませんが、原曲の "Her Bright Smile Haunts Me Still" が作曲された後ということになります。
コーンウォール公歩兵連隊は英語版のWikipedia Duke of Cornwall's Light Infantry - Wikipedia によると1881年7月設立となっています。32nd (Cornwall) Regiment of Foot と 46th (South Devonshire) Regiment of Foot の合併でできた連隊のようですので、1876年から1881年6月までは第32コーンウォール歩兵連隊の軍楽隊長だったと思われます。
フルネーム・生年・没年等は調べましたが、見つかりませんでしたが、軍楽隊の定年がもし60歳で、その歳まで隊長をされてたとしたら、1837年生まれと推察はできます。
Duke of Cornwall's Light Infantry 所属の Campbell 氏の死亡情報という記事がありますが、ご本人かどうかは不明です。1918/11/17死去となっています。

●吹奏楽版楽譜
花のほゝえみ 行進曲 (共同音楽出版社): 1956|書誌詳細|国立国会図書館サーチ
日本国内で流通している楽譜は、この三戸知章監修の共同音楽出版社のものと思われます。出版は1956年5月(おそらく絶版)。

当時の課題曲の楽譜がどのように演奏団体に渡っていたかは不明です。この年のコンクールの全国大会は12月に開催されたようなので、5月刊行でも問題なかったと思われます。
なお、民音音楽博物館 音楽ライブラリーには収蔵されていないようです。

楽譜での英語表記はトップ画像にあるように
Her Bright Smile Haunts Me Still
Quick March
となってます。

●三戸知章
三戸知章(1900-1987)先生の偉大な功績に関してまとめたページが見つからないということに関しては、苦言を呈したい気持ちがありますが、このエントリの本来のことから外れます。

氏の功績に関して一番有名なのは吹奏楽編曲者としてでしょうか? 共同音楽出版社から多くの編曲譜・監修譜が出版されました。フルトンの海兵隊の楽譜は演奏された方多いのではないでしょうか? このエントリで紹介する「花のほほえみ」も氏の監修譜の1つです。
また、吹奏楽団体への指導、月間吹奏楽研究という雑誌の編集長としてもご活躍され、全日本吹奏楽連盟理事・千葉県吹奏楽連盟理事を歴任されました。

吹奏楽の指導は、コンクールへの出場記録がわかっているだけで下記の13団体(14年間)あります。
東京都 北区立紅葉中学校、台東区立今戸中学校、北区吹奏楽団
神奈川県 法政大学第二高等学校、日立製作所戸塚吹奏楽団
千葉県 県立千葉商業高等学校、県立銚子商業高等学校、昭和学院高等学校、県立佐倉高等学校、県立清水高等学校、県立多古高等学校、京成電鉄吹奏楽団、川崎製鉄所千葉製鉄所音楽部吹奏楽団
戦後初の全日本吹奏楽コンクール(昭和31年 1956年)では紅葉中学校にて全国大会に進んでおられました。
また、東京大学運動会応援部のFacebookの書き込みによると、全国大会が始まる前の年(昭和30年 1955年)に開催された関東吹奏楽コンクールに東京大学吹奏楽団の指揮者として参加されたということでした。

●行進曲「花のほほえみ」
トリオで使われた Her Bright Smile Haunts Me Still は日本語に訳されて、「暗路」や「ほととぎす」といった唱歌として音楽の教科書に載っていたようなので(後述)、なぜ「花のほほえみ」というタイトルになったのかは不明です。監修された三戸氏がこのタイトルを付けたのではないかと推察します。唱歌のタイトルと行進曲の印象とは異なるものだったので、明るいイメージを付加させようとしたのかもしれません。
1976年刊行の西部吹奏楽連盟(現 九州吹奏楽連盟)20年史によりますと、この曲のタイトルは「微笑みたる花の面影」となっていました。違う楽譜が存在したのでしょうか?
ちなみに「微笑みたる花の面影」でGoogleで検索しても一致はありません。

●行進曲「花のほほえみ」 - 音源
Her bright smile haunts me still march - Alexandria Digital Research Library | Alexandria Digital Research Library
1909年の蝋管シリンダー録音がデジタル化されインターネット上に公開されておりました。
演奏は National Military Band (London, England) とありますので、イギリス陸軍軍楽隊と訳せますでしょうか。
繰り返しが三戸知章監修版とは異なっているのですが、これは当時の蝋管シリンダー1本に録音できるのが2分ほどだったことによるものと推察します。また、第1マーチ繰り返し時のオブリガードなどオーケストレーションの違いも見られますが、20世紀初頭の軍楽隊と半ば頃の日本の部活の吹奏楽の編成の違いによるものではないかと思います(要検証)。当時は楽器の数が少なかったのでは?とも考えられますが、吹込み録音の場合、大編成だと音が割れてしまいますので、セレクションメンバーでの録音だった可能性は高いと思われます。調性は一緒ですし、原曲もしくはそれに近いものであることは間違いないと思われます。
演奏: イギリス陸軍軍楽隊
録音: 1909年

CD 吹奏楽大全集 Vol. 4 〜海の誇りブリタニア〜イギリス・マーチ集
初出: 日本クラウン ZY-1009 1987/08/01発売
再販: 日本クラウン CRCI-20352, 1998/09/23発売
演奏: 海上自衛隊東京音楽隊
指揮: 山田哲朗
録音: 1986/09/16-17&25, 入間市市民会館 (CD内3団体の表示順から推定)

行進曲「花のほゝえみ」(Her bright smile haunts me still) - 日大二高OB・OG吹奏楽団 2018 - YouTube
Wrighton 作曲、Campbell 編曲としていますが、あくまでトリオ部分に拍子を変えて引用しているのに過ぎないので、正確ではないと思います。
演奏: 日大二高OB・OG吹奏楽団
録音: 2018/04/29, 杉並公会堂大ホール, 日大二高吹奏楽部創部80周年記念演奏会

●イギリス王立陸軍衛生隊軍楽隊
Royal Army Medical Corps - Wikipedia
Slow March (スロー・マーチ)に、Her Bright Smile haunts me still (J Campbell arr. Brown) との記述があります。
スロー・マーチとは、国賓を迎える式典などで行われる行進曲なので、そういう場面では前項の音源のようなテンポでの演奏ではなかったと推察されます。

The Royal Army Medical Corps Association
こちらのページによると、1914-1923年と1950年代に Regimental March (公式行進曲)として採用されていたようです。

●オーストラリア陸軍衛生隊
Royal Australian Army Medical Corps
オーストラリアの Royal Australian Army Medical Corps (オーストラリア陸軍衛生隊) 軍楽隊のスロー・マーチとして採用されていたとの記述があり、当時の楽譜と思われる画像がありました。楽譜上のタイトルは「HER BRIGHT SMILE」。
作曲者と思われる部分は Campbell と読めます。Arr. 以降はよく読めませんが、イギリス王立陸軍衛生隊のページの情報から Brown で間違いないと思われます。
楽譜画像はBbコルネット譜なので主部はin Bb、トリオはin Ebで、イギリス陸軍軍楽隊、海上自衛隊東京音楽隊、日大二高OB・OGバンドとは異なってます。違いは調以外に、主部が2/2拍子になっていることと音源にある前奏部分がカットされていることも挙げられます。

●楽譜に関する仮説
楽譜にまつわる年表を作ると以下の通りになります。

1???年 キャンベル作曲
1909年 イギリス陸軍軍楽隊の録音で使用された楽譜
1914年 イギリス陸軍衛生隊軍楽隊のスロー・マーチとして採用された楽譜 (Brownによる編曲)
1956年 三戸知章監修 共同音楽出版社版が「花のほほえみ」として発行

イギリス陸軍軍楽隊が録音しているのはスロー・マーチではありません。スロー・マーチとして採用されたとされる最古の情報が1914年であることから、当初クイック・マーチで作曲されたものをスロー・マーチ化する際に、Brown氏が主部の拍子を2/4から2/2に変更し、移調と前奏のカットを施した...と考えるのが自然ですので、この流れを仮説としたいと思います。
三戸知章監修譜に Quick March とあることから、共同音楽出版社が出版のために輸入した原譜に同じ文言が書かれていたことは間違いないと思います。
しかしながら、シリンダー録音が紹介されているページには Campbell の文字がクレジットされていないので、この録音が原曲でない可能性、またBrown版にはない前奏は最初からなく別の人の手で追加された可能性も考えられます。新たな情報を発見したら再検討します。

●終わりに
以上、作曲者キャンベルの情報を見つけられないことに画竜点睛を欠く感を持ちますが、思っていた以上に情報をまとめられたなと感じております。
以降は付録的な関連文をまとめました。原曲"Her Bright Smile Haunts Me Still"の情報、訳詞、音源、そして1956年当時の吹奏楽シーン等です。
# 付録の文章量の方が多くなってしまいました...



---
●Her Bright Smile Haunts Me Still について
作曲: William Thomas Wrighton (1816-1880)
作詞: Joseph Edwards Carpenter (1813-1885)

作曲はウィリアム・トーマス・ライトン、作詞はジョセフ・エドワーズ・カーペンター。
遅くても1856年11月には作曲されていたバラード(3/4拍子)です。

検索をして一番古いと思われた情報は、Goodwood Research: Her Bright Smile Haunts Me Stillの記事にある1856年12月でした。

しかし、JSTORで検索するもこの広告は見つかりません。
そこで、上記ブログ記事にある広告文章でGoogle検索をすると別の誌面がヒットしました。


LATEST SONGS, by W. T. WRIGH- TON.-" Her bright smile haunts me still." Poetry by J. E. CARPENTER, Esq. With an elegantly ornamented title, 2 . 6d. " Mr. Wrighton, who has won the suffrages of the million by his ' Postman's Knock,' is equally a favourite in the drawing-room-witness his 'Smiles and Tears," and these two beautiful songs."

Australian And New Zealand Gazette 1856/11/08 p. 15
このWebサービスの会員にならなかったため誌面画像はチェックできず、OCRデータの確認のみなので、細かい単語や引用範囲が本誌と同じではないかもしれませんが、1856年11月の時点で Her bright smile haunts me still が最新曲であると紹介されていることは間違いないと思われます。

●William Thomas Wrighton
ウィリアム・トーマス・ライトン (1818/??/?? - 1860/??/??)
氏に関して、Wikipedia等情報のまとめが見つかりませんでした。
Fenwick Martin and Isabella Thompson GenoPro report
作曲者のウィリム・トーマス・ライトンは、イギリス ロンドン ミドルセックス ブラックフライアーズの生まれ。ブラックフライアーズは、セント・ポール大聖堂の近く。
The Bulletin Vol. 3 No.38 (16 Oct 1880)の記事によると、ロンドン南東のタンブリッジウェルズで亡くなられたとのこと。

●Joseph Edwards Carpenter
ジョセフ・エドワーズ・カーペンター (1813/11/02 - 1885/05/06)
イギリスの劇作家・作曲家・作詞家。
Broadside Ballads Onlineによると、Her Bright Smile Haunts Me Still の詞の出版は 1840-1866年の間というところまでは特定できています。ライトンは1856年までにこの詞に曲を付けているので、出版年の特定を狭めることはできませんが、遅くともこの年までには作詞されていたことはわかります。

●Her Bright Smile Haunts Me Still - 原詞
作詞: Joseph Edwards Carpenter
# 各2ブロック目は曲中では2度歌われます


1
'Tis years since last we met,
And we may not meet again.
I have struggled to forget
But the struggle was in vain.

For her voice lives on the breeze,
And her spirit comes at will,
In the midnight on the seas,
Her bright smile haunts me still.

2
At the first sweet dawn of light,
When I gaze upon the deep,
Her form still greets my sight
While the stars their vigils keep.

When I close mine aching eyes,
Sweet dreams my senses fill,
And from sleep when I arise
Her bright smile haunts me still.

3
I have sailed 'neath alien skies,
I have trod the desert path,
I have seen the storm arise
Like a giant in his wrath.

Every danger I have known
That a reckless life can fill,
Yet her presence is not flown,
Her bright smile haunts me still.


●Her Bright Smile Haunts Me Still の訳詞の邦題
暗路(やみじ), ほととぎす
秋夜懐友
消えぬおもかげ

代表的と思われるものが以上3編です。暗路とほととぎすは同じ訳詞でタイトルが変わっただけのようです(要検証)。

●Her Bright Smile Haunts Me Still の訳詞 - 暗路・ほととぎす
訳題: 暗路 or ほととぎす
訳者: 近藤朔風 (こんどうさくふう)
発表: 1911年(明治44年) 6月 音楽会6月号 (要検証)
# 音楽界(もしくは音樂界)の誤記ではないかと思われる


おぐらき夜半を 独りゆけば
雲よりしばし 月はもれて
ひと声いずこ 鳴くほととぎす
見かえる瞬間(ひま)に 姿消えぬ
夢かとばかり なおもゆけば
またも行手に 暗(やみ)はおりぬ

別れし友よ 今はいずこ
今宵の月に 君を想えば
心は虚ろ 思い出消えず
悩める胸に 返るは彼(か)の日
星影たより ともに語りし
昔の言葉 今ぞ偲ぶ


発表された時期に関して、資料・ネット上に1901年、1909年、1911年とバラバラな情報がありましたが、1911年としました。
1901年と書かれていたところは、対応する明治の年が合っておらず、また出典もなかったので、信頼に値しないと判断しました。
野ばら社発行の「唱歌(改版)」には、1909年(明治42年) 女声唱歌 にほととぎすとして初出とありましたが、女声唱歌 (水野商店): 1910|書誌詳細|国立国会図書館サーチの目次に暗路もほととぎすもありませんでした。
坂本麻実子 - 近藤朔風とその訳詞曲再考, 富山大学教育学部紀要A (文科系) No.50 11-22 (平成9年)には1911年発行の記載があります。そして、この文献の訳詞曲リストの1909年に女声唱歌の欄に暗路またはほととぎすの記述はありません。
以上から、1911年発行を採用ということとしました。
1911年時の詞は、ロベルト・シューマン作曲の「ロマンスとバラード 第4集 作品146」の第3曲 Der Traum に付けたものでした。作詞は Johann Ludwig Uhland (ヨハン・ルートヴィヒ・ウーラント, 1787/04/26 - 1862/11/13)。上記坂本の文献には、「現在歌われるライトン Wrighton の旋律でいつ発表されたのかは不明」とあり、またライトン楽曲は1970年代までは音楽の教科書に載っていたことも記述されています。
「花のほほえみ」が課題曲とされた1956年には中学の音楽教科書に掲載されていたようなので、拍子は変わっておりますが馴染みのトリオ旋律だったと思われます。


明治34年11月に東京音楽学校同窓生によって結成された同人の楽友社が、雑誌『音楽之友』を創刊する。この雑誌は明治38年4月発行の第7巻第6号(以降明治の音楽雑誌については「38年4月の7巻6号」のように略記する)から『音楽』と改題され、37年2月に創刊された『音楽新報』とともに二つの雑誌が刊行される状態が四年近く続いたあと、41年1月から両誌が合併して『音楽界』となり、これが大正12年12月まで続いている。

近藤朔風と明治末音楽雑誌のイデオロギー, 松田直行, 駒澤日本文化 (1) 37 - 66 2007年12月 [pdfファイル]
こちらに「音楽界」という雑誌が発行されていたという記述がありました。1911年(明治44年)には発行中であり、この誌面にて暗路は発表されたと思われます。上記発表のところにも書きましたが、現物の確認ができておりませんので、要検証としております。

「女声唱歌」の出版が、国立国会図書館では水野商店となっていますが、坂本の文献では共益商社書店となっています。どちらも当時唱歌の出版を行っていたようではあるようなので、OPACで図書館の所蔵をチェックしたところ、複数の図書館にて水野商店ではなく水野書店の記述を発見しました。また、坂本以外にネット上に共益商社書店を記載しているものも見つかりました。まとめると以下の通りです。

女声唱歌 出版社の違い
水野商店: 国立国会図書館ほか
水野書店: 国立教育政策研究所 教育図書館, 広島大学 図書館 中央図書館
共益商社書店: 坂本麻実子, 日本男声合唱史研究室(https://ameblo.jp/tonotono-57-oboegaki/entry-12402370632.html)

新版が出版された際に変わったのかと考えましたが、どれも1909年発行になっているので詳細はわかりませんでした。(要検証)

坂本の文献、朔風没後の出版物から確認した訳詞曲の項に Wrighton 作曲暗路の記載がありますが、作詞が Uhland になっており、これは間違いだと思われます。

●近藤朔風
近藤朔風 - Wikipedia
近藤朔風 (1880/02/14 - 1915/01/14)
作詞家ではなく訳詞家とある。
「野ばら」の訳詞(童は見たり 野なかの薔薇...)はあまりにも有名です。この詞はヴェルナー作曲の野ばらの訳詞として発表されました(1909年)。同じゲーテの詞を使ったシューベルトの野ばらには当初尾上八郎の訳詞が採用されていたそうですが、朔風の訳詞がいつから使われるようになったかは調べた範囲特定できませんでした。 (要検証)
参考文献: 村松恵子, 《野ばら》に関する一考察, 洗足論叢, 47, 69-82, 2019
野ばらの詞で思い浮かぶのは、個人的にはヴェルナーよりシューベルトです。さらに言うと、思い浮かぶ画はガラスの仮面の北島マヤ。若草物語のベス役の時です。

●Her Bright Smile Haunts Me Still の邦題 - 秋夜懐友
訳題: 秋夜懐友 (しゅうやかいゆう)
訳者: 犬童球渓 (いんどうきゅうけい)
発表: 1914年(大正3年) 初出不明


手慣(たな)れの小筝(おごと) 共にかき撫(な)で
澄みゆく月を めでしも今は
夢と過ぎつつ 友また遠く
吾れのみひとり 淋しき窓に
変らぬ月を 眺めぞあかす
とわたる雁(かり)よ 思いを運べ

端居(はしい)の夕べ 手をとりかわし
行く末までも 今宵のままと
誓いしものを その友今は
海山遠き かなたの里に
なきゆく雁を いかにか聞ける
み空の月よ 俤(おもかげ)うつせ


多くのページで、初出は「尋常小学唱歌(6)」となっていますが、尋常小学唱歌 - Wikipediaに秋夜懐友の名前はありません。(6)は第六学年という意味と思われます。
「秋夜懐友」で検索すると、結果のページに唱歌「児島高徳」という曲が載っている例が多くあります。野ばら社の「唱歌(改版)」も見開きの「秋夜懐友」の1ページの下方に次ページ掲載の児島高徳の歌詞が掲載されておりました。「児島高徳」は尋常小学唱歌第六学年に掲載されておりますので、この2曲に何らかの関係があるため混乱を引き起こしているのかもしれません。新たな情報を発見したら再検討します。
以上により、その他に初出情報が見つからないので、不明ということとしました。

●犬童球渓
犬童球渓 - Wikipedia
犬童球渓 (1879-1943)
彼の訳詞では「旅愁」が一番有名でしょうか(作曲: ジョン・ポンド・オードウェイ)。
♪更け行く秋の夜 旅の空の わびしき思いに ひとりなやむ...
旅愁_(唱歌)

●Her Bright Smile Haunts Me Still の邦題 - 消えぬおもかげ
訳題: 消えぬおもかげ
訳詞: 志村建世 (しむらたけよ)
発表: 1966年(昭和41年)4月 世界名歌集 (野ばら社)

志村氏は存命中で著作権が切れていないため、詞は引用しません。近藤朔風、犬童球渓の詞に比べると原詞に近い印象を受けます。

●志村建世
志村建世 - Wikipedia
志村建世 (1933/05/18-)
唱歌の楽譜の出版もしている野ばら社は彼の父文蔵が創設。建世氏も入社していた時期がありました。

志村建世のブログ : 唱歌「暗路(やみじ)」と「消えぬおもかげ」
消えぬおもかげの初出情報を氏のこのブログエントリで得ました。引用しなかった訳詞はこのエントリで確認できます。ご本人によるものですので誤字・誤変換はないはずですし、初出情報も間違っていないと思います。

ご本人の各種SNSへのリンクを貼っておきます。
志村 建世 | Facebook
志村建世のブログ
志村建世 (@shimuratakeyo) / Twitter

●Her Bright Smile Haunts Me Still 訳詞による音源
CD: ローレライ・ヨーロッパ愛唱歌集
歌手: 鮫島有美子
メーカー: 日本コロムビア
# 多く再販されている盤ですのでCD番号は記載しません
曲名: 暗路
鮫島有美子 暗路 配信へのリンク(Apple Music)
鮫島有美子 暗路 配信へのリンク(Amazon Music)
その他のサブスクリプション・サービス、音楽配信サービスでも配信されています。

歌詞は近藤朔風と志村建世のものから下記のように使っています。この情報も上記志村氏のブログ・エントリより知りました。
1番 近藤朔風 暗路 ほととぎす の1番の詞
2番 志村建世 消えぬおもかげ の1番の詞

●天理ハイスクールバンド
天理高等学校吹奏楽部史4
昭和31年(1956年)の項

6月は京都での演奏会。これは京都教区子供大会。30日には天王寺商業と合同でテレビ初出演。午後6時から30分まで「子供の時間~僕らのブラスバンド」に出演。テレビには初めてとあっていろいろ大変だった。最初は合同で「花のほほえみ」。そして天王寺商業が「ペルシアの市場にて」を演奏。天理高校は「ガラスの靴」を演奏。スライドを使いながら物語の説明がされた後演奏。演奏とスライドが上手くミックスされながら進行していく。そして最後には「アンフィオン」を合同で演奏。

「花のほほえみ」は吹奏楽コンクールの高校の部の課題曲であったので、合同演奏が可能だったのだろう。


秋には文化祭、運動会などがあって11月18日が全関西吹奏楽コンクール。会場は尼崎文化会館であった。課題曲は「花のほほえみ」、自由曲は「ルーマニア民族舞曲」。持ち時間は1団体10分以内と決められていた。今より短い。それに地方大会では編成人数の制限はなかったが、全国大会は指揮者を除いて30人以内と決められていた。

全関西吹奏楽コンクールの成績は天理が1位代表、天王寺商業が2位でした。全国大会には各支部1位団体のみが進めることになってました。関西吹奏楽コンクールは1977年(昭和52年)までは順位制で、翌1978年(昭和53年)からは金銀銅のグループ表彰制となりました。全日本吹奏楽コンクールは1970年(昭和45年)からグループ表彰制に移行していました。

●既に知られている曲を使った行進曲
「花のほほえみ」のように既に知られている曲を使った行進曲を思いついたものだけまとめてみました。

ジョン・フィリップ・スーザ/行進曲「由緒ある名誉砲兵中隊」 (Ancient and Honorable Artillery Company)
トリオ: スコットランド民謡 蛍の光

吉本光蔵/君が代行進曲
主部: 君が代 (詞: 古今和歌集 収蔵 古歌, 作曲: 林廣守, 奥好義)
トリオ: 皇国の守り (作詞: 外山正一, 作曲: 伊沢修二)

岩河三郎/行進曲「虹と雪」
トリオ: 虹と雪のバラード (作詞: 河邨文一郎(かわむらぶんいちろう), 作曲: 村井邦彦)
虹と雪のバラードは1972年札幌オリンピックのテーマ・ソング

小長谷宗一/スター・パズル・マーチ
ちょっと意味合いは違いますが、きらきら星をはじめ、色々な星(ホシ)にまつわる楽曲がパズルのように散りばめられています。
きらきら星, スターウォーズ, ムーン・リバー, 星に願いを, 組曲「惑星」より火星など
1993年(平成5年) 全日本吹奏楽コンクール 課題曲 II

春の選抜高校野球大会 開会式 入場行進曲
毎年、前年のヒット曲のメロディを使って編曲した行進曲を使っています。この形式になったのは1962年(昭和37年)からです。

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2021/04/20 初稿
#吹奏楽 #吹奏楽コンクール

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