パニック障害はパニック障害のままでいい
Aug
10
私は20代初めの頃(いや、小学生の時にもそういうことはあった)から、ストレスが溜まると心臓がドキドキして呼吸が苦しくなるような、よって「死んでしまうのではないか」という不安に襲われることが度々ありました。
会社務めを始めた時に、実家(当時、母は埼玉の田舎に家を建てて引っ越していた)が遠かったため、都内にアパートを借りた時には、一人の不安からパニックになり、自ら救急車を呼んでしまったほど(苦笑)。でも、病院に運ばれてお医者さんと泣きながら話していたら安定剤を打たれてグッスリ眠りこけ、次の日の朝はスッキリ目覚めて、何事もなかったようにてくてくと歩いてアパートに戻ることができました(苦笑)。
アメリカに来た当時も、運転中にパニックに襲われたりすることがあったため、カウンセリングに行ったこともありました。私の場合、ストレスの原因となるものは大体わかっています。その時はまだ結婚していなかったので、結婚できなかったらどうしよう、という今後に対する不安。長男がキンダーに入学する前の新しい環境に対する不安。そして最近では、すぐにイライラをぶつけてくる夫とのぶつかり合いの中で、自分の気持ちを理解してもらえないという絶望的な不安。
その後、友人に自分の気持ちを吐露することでだいぶ気持ちは楽になりました。しかし、2か月ほど前に、かなり深刻なパニックに陥ったため(心臓がドキドキしてきて、死んでしまうのではないかというよりも、こんなに辛いなら死にたい、そういうふうに思えることが怖い、という状態)、病院に電話し、急遽次の日に電話でのカウンセリングの予約を入れました。
カウンセラーに夫との悩みを打ち明け、どういうふうに接したら良いでしょう、と問いました。カウンセラーに言われてなるほどと思ったことは、「話が通じると思わない方が良い」「自分はここまでだったら対応できますよ、という境界線を作りなさい」ということでした。
そして、また私が救いを求めたのはいろいろなYouTube動画でした(本当に便利な世の中です)。今回私の気持ちをとてもラクにしてくれたのは、『バカの壁』で知られる解剖学者の養老孟子先生の動画でした。私はずっと(今でも少し)死ぬのが怖いと思っていました。それは、自分の意識がなくなることへの恐怖です。でも養老先生はおっしゃっています。「死とは自分の死ではなく、親しい人にとっての死である」と。だって、死んだら自分が死んだってわかりませんものね。そう言われると、なんだか少し安心しました。
多くの亡くなった方たちを解剖してきた養老先生が言うには、死とは自然なものである、ということ。人間は自分が自然の一部であることを忘れてしまいがち。だから死ぬことを恐れてしまう。もう一つ、養老先生の動画でハッとなったのが、「人間は概念で生きている」ということです。だから、「○○であるべきだ」という考えに縛られ、苦しむ。
私が苦しめられてきたもの、それはまさにそういうものだったのです。「家族とは仲良くあるべき」「お父さんはもっと子供と遊ぶべき」「家族は一緒に夕飯を食べるべき」「1年に何回かは家族旅行に行くべき」等々…。世間一般の仲睦ましい家族と比べ、自分の現実はそうならないため、自分は不幸だと思い込んでいたのです。
養老先生はまた、「人に頼ると危険」とも言っています(苦笑)。私たちは、家族や友人に囲まれてるから幸せ、と感じることが多いけれど、それは逆を言えば家族や友人がいなくなったら不幸になるということ。そうじゃなくて、人間以外のもの、自然とか動物とか虫とか、もっとそういうものに目を向けるべきだ、と。人は死ぬと土にかえる、と言いますが、私たちは結局は自然の一部であり、大きな流れの中で生まれたり、死んだりしているんですよね。
もう一つ、私がとてもためになったのは脳科学者の中野信子先生と内田也哉子さんの対談本『なんで家族を続けるの?』の出版を記念したお二人のトーク動画です(あとで本もKindleで読みました)。お二人とも、いわゆる世間一般で言われている「円満な家庭」で育っていません。内田也哉子さんのご両親、女優の樹木希林さんと歌手の内田裕也さんは結婚後すぐに別居、いろいろと問題行動が多かったお父さんの内田さんとは生涯で会った回数は数えるほどしかなくて、そんな自分は間違っているのではないか、という気持ちをずっと抱えていたそうです。一方で脳科学者で活躍されている中野信子さんは一言も口を利かない両親のもとで育ち、友人の家で両親が会話をしている様子に驚かれたとか。中野さん曰く、実は生物学的に見ると、どちらの家庭も「ノーマル」なのだそう。詳しい話はぜひこの本を読んでもらいたいです。
タイトルを「パニック障害はパニック障害のままでいい」としたのは、私が養老先生や中野先生のお話を聞いていて学んだことに、「脳の中の不安を感じる部分はとてもプリミティブ(原始的)な場所で、不安に感じるのは正常な動き」であることがわかり、さらに「不安であること自体に不安になるともっと不安になるので、不安は受け入れて良い」ということを学んだからです。先日、夜寝る前にまたものすごく動揺したときに、この考え方はとてもよく役立ちました。「あ、私の脳のプリミティブな部分が活性化されているんだ。別に異常なことではない。脳の正常な働きなんだ」そう思ったら、不思議なことに不安がやわらいでいったのです。中野先生曰く、身近にいる個体(母親)に愛着を感じるようになる生後6ヶ月くらいの赤ちゃんを対象に行った実験で、母親からしばらく引き離して再会させると、赤ちゃんは「回避型」(離されても泣かず、再会しても母親に無関心)、「安定型」(離されると泣き、再会すると抱きつく)、そして「不安型」(離されると泣き、再会してもなお激しく泣く)という3タイプに分かれ、この最後のタイプが最もストレスを強く感じやすく、常に誰かがそばにいないと不安になってしまうようです(私はおそらくこのタイプ?)。
もう亡くなられていますが、私の大好きな精神科医の河合隼雄先生がおっしゃっていたエピソードがとても印象に残っています。ある立派な会社の社長さんが先生のところに来られて、「仕事をしていると“あいつを殺せ”という声か聞こえてきて仕事にならない、どうしたらよいですか」という相談をされた時に、先生は「その声を無くそうとすると、命がかかるかもしれません。それより、声ぐらい聞こえとっていいんじゃないですか。その声と付き合いながら仕事もしておられたらいいんじゃないですか」と答えたのです。私はなるほど――と思いました。一見、とても深刻に思える悩みでも、こういうふうに考えることもできるのか…と。また先生は、「自分は河合隼雄という人間と一生付き合っている」とおっしゃっています。それは自分の悩みと共に生きるということですね。多くの人が悩みさえ無くなればどんなに良いかと考えるけれど、実際にはそう大して変わらないそうです(苦笑)。それならば、悩みを解消しようとするより、悩みと共に生きたらいいじゃないか。
河合先生は、「呼吸とは魂である」ともおっしゃっています。今でも不安で胸がドキドキすることはしょっちゅうです。でも、それはまさに自分が生きている「あかし」であり、大げさだけど魂の輝きであると思うとそれもまた自分の一部である、と思えてきますね。
ご参考までに私をラクにしてくれた動画:
養老孟子先生:
『死とはなにか?』~死とは自分のものではない~https://www.youtube.com/watch?v=RJoWJ0kkKwU
『人が生きる理由とは?』① https://www.youtube.com/watch?v=3JHB1iCtn60
‐物事にすべて理由があるとはかぎらない
‐自然を見よ、なんで存在するかわからないものなんて山ほどある
『人が生きる理由とは?』② https://www.youtube.com/watch?v=J3ThQegQvIM
‐生きてるからしょうがない
‐叱られたら空気の振動だと思ってればよい
‐生きる理由を考える状態になったら、その状況を変えなきゃいけない。考えないような
状況に変えなきゃいけない。一生懸命に何かする、夢中になることを探す。自分が満足し
て、そういうことを考えないで済む状態を作ることは大事なこと。
『不安から逃げていませんか?』https://www.youtube.com/watch?v=FmSsOb88uzk
文春新書『なんで家族を続けるの?』刊行記念 内田也哉子x中野信子トークイベントアーカイブ https://www.youtube.com/watch?v=l1BQoGQ0yqc
河合隼雄先生:『悩みとは?これが究極の解消法!その先にあるもの!』
https://youtu.be/Nwz3XIjpULg
‐悩みと共に生きたらいい