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STV動画/「敢闘必勝」沖縄戦から78年 「兄が帰ってきてうれしい」札幌の遺族に日章旗を返還(78 years after the Battle of Okinawa: "I'm glad my brother is home.")

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「敢闘必勝」沖縄戦から78年 「兄が帰ってきてうれしい」札幌の遺族に日章旗を返還
「敢闘必勝」沖縄戦から78年 「兄が帰ってきてうれしい」札幌の遺族に日章旗を返還
 
戦争中出征する兵士に贈られた「日章旗」。
 
兵士たちは日章旗に書かれた「寄せ書き」を、お守りとして片時も離さず身に着けていたといいます。
 
太平洋戦争の沖縄戦から78年。
 
札幌の男性の遺族のもとに日章旗がもどってきました。
 
(アメリカ兵の息子 グレッグ・マッコラムさん)「お会いできるのを心から楽しみにしていました」
 
(吉原さんの妹 児玉陽子さん)「兄の大事な旗を大事に保管して頂いて本当にうれしく思っています」
 
3日に札幌市内で日本とアメリカの遺族が初めて対面しました。
アメリカ兵が持ち帰った「日章旗」が札幌の遺族に返還。
実に78年ぶりのことです。
 
『祝・入営、吉原一徳君』そして『敢・闘・必・勝』。
この旗の持ち主は旧日本軍の兵士、1945年の沖縄戦で21歳の若さで戦死した、札幌出身の吉原一徳さんでした。
 
78年前「ありったけの地獄を詰め込んだ」といわれた沖縄の戦いでは、わずか3か月あまりで24万人以上が亡くなりました。
 
旧日本軍の兵士が身につけていた「日章旗」は「戦利品」としてアメリカ兵の多くが持ち帰っていました。
 
日章旗に書かれた寄せ書きから78年ぶりに、兄の遺品は何一つなかったという妹の陽子さんのもとへ。
 
(吉原さんの妹 児玉陽子さん)「さみしいよりも兄が帰ってきて本当にうれしくてね。グレッグさん、感謝しています」
 
(アメリカ兵の息子 グレッグ・マッコラムさん)「吉原さんの遺品を遺族に返すことができ、私たちも心の区切りとなった」
 
戦地に向かう兵士に無事を祈って贈られた「日章旗」。
 
歳月が流れ記憶が薄れる中、受け継がれた「遺品」が戦争の悲惨さを伝えています。
 
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HTB動画/「奇跡中の奇跡」日章旗が78年の時を経て返還 旗の寄せ書きから身元判明 元海兵隊遺族が来日し直接返還(Miracle of Miracles" Japanese flag returned after 78 years)

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HTB動画/「奇跡中の奇跡」日...
「奇跡中の奇跡」日章旗が78年の時を経て返還 旗の寄せ書きから身元判明 元海兵隊遺族が来日し直接返還
太平洋戦争で死亡した札幌出身の旧日本軍兵士。遺品だった「日章旗」が78年の時を経てアメリカから遺族の元に帰ってきました。

児玉陽子さん:「まさか兄の肌身離さず持っていた日章旗が戻ってくるなんて思いもしなかった。私にとって奇跡中の奇跡」。

吉原一徳さん。札幌で7人兄弟の長男として生まれ、1944年、20歳のとき旧陸軍兵士として戦地に送られました。一徳さんはその翌年、沖縄戦の最後の激戦地と言われた糸満市国吉で亡くなりました。

一徳さんと9つ違いの妹・陽子さんは今も一徳さんとの思い出を覚えているといいます。
児玉陽子さん:「家族思いで、両親思いで、兄弟思いで、そしてハンサムでしょう。
今でいえばイケメン。兄が月曜日休みで、私が学校から帰るとそり遊びとかスキーに一緒に行って」。

日本兵がお守りとして持っていたとされる「日章旗」。一方でアメリカ兵にとって、敵国の旗は戦利品の一つでした。

一徳さんの日章旗はアメリカの元海兵隊員ウォーレン・マッコラムさんがアメリカに持ち帰っていました。ウォーレンさんは1994年に亡くなりましたが、戦地から持ち帰った品々は箱に入れクローゼットで保管していました。

2日、新千歳空港に降り立ったのはウォーレンさんの息子・グレッグさんです。

グレッグ・マッコラムさん:「父は従軍したときのことを決して話そうとしませんでした。壮絶な激しい戦闘を経験したので、そのことについて固く口を閉ざしていました」。
父が持つ日章旗の存在を以前から知っていたというグレッグさん。日章旗返還のために活動するアメリカ・オレゴン州のNPO団体「OBONソサエティ」を通じて日章旗の意味を知り、旗の持ち主を見つけてほしいと依頼しました。

出征前、今井商店、現在の丸井今井に務めていた一徳さん。旗には上司や同僚から寄せられたメッセージが書かれていました。当時の社長だった今井道雄さんの名前があったことなどが決め手となり、一徳さんの家族が判明。日章旗を妹・陽子さんのもとへ返還することになりました。

グレッグ・マッコラムさん:「吉原さんには3人の兄弟がまだ健在でした。熟考を重ねて、私たちにとっても、旗を遺族に手渡すのがふさわしいことだと思い来日しました」。
Q.遺品や戻ってきたものは?

児玉陽子さん:「護国神社にお骨をもらいにいったんですよね。たくさん人が集まってこんな木箱渡されたんですよね。母から『陽子もってみるかい』って渡されたら、『カランコロン』って。そして家帰ってきてみたらこんな石っころ一つ入ってて、それだけです。
その石ころのままお墓におさめたけど、あのカランコロンの音は悲しかったですね。今でも覚えてます」。

3日、道内出身の沖縄戦戦没者が祀られている札幌護国神社に両家が集い、返還式が行われました。78年の時を経て、旗がようやく家族のもとに帰ってきました。

グレッグさんの娘・アメリアさん:「旗は今後どうするつもりですか?」。
児玉陽子さん:「もう飾る場所を用意しています」。
グレッグ・マッコラムさん:「お兄様の写真を持たせてもらってもいいですか?」。
児玉陽子さん:「どうぞ」。
グレッグ・マッコラムさん:「私にとってこの返還は、区切りになりました。吉原さんが家族の元へかえることへの役割を果たせてうれしく思います」。
児玉陽子さん「うれしい気持ちです。寂しいよりも兄が帰ってきたという気持ち。母が一番いま生きていたら喜んだと思います」。
 
 
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HBC動画/78年前、最後に見た兄が持っていた寄せ書き入りの「日の丸」沖縄で戦死した旧日本兵の遺品が元アメリカ海兵の息子から家族の元へ(Remains and artifacts that could not be found no matter how many times I visited )

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HBC動画/78年前、最後に見...
78年前、最後に見た兄が持っていた寄せ書き入りの「日の丸」沖縄で戦死した旧日本兵の遺品が元アメリカ海兵の息子から家族の元へ

「兄が帰ってきた」。太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死した北海道出身の旧日本兵。
 その遺品が78年ぶりに遺族の元に戻りました。

 札幌市に住む児玉陽子さん91歳。78年前の沖縄戦で兄を亡くしました。
児玉陽子さん(91)
「家族思いで、両親思いで、兄弟思いで…そしてハンサムでしょ?」
 日米合わせておよそ20万人が亡くなった沖縄戦。

 北海道内出身の戦没者は1万人を超えました。

 陽子さんの9つ上の兄で、7人兄弟の長男だった吉原一徳さん。
 野戦病院で治療中でしたが自ら志願。

 上官に「長男だから」と止められたものの、激戦地だった現在の糸満市に赴き、21歳で戦死しました。

児玉陽子さん(91)
「護国神社に遺骨をいただきに行ったんです。こんな木箱わたされたんですよね。母がね、陽子持ってみるかいって、渡されたら『からんころん』って…。家帰って見てみたら、こんな石ころひとつ入って…それだけです」

 沖縄を何度訪れても見つからなかった遺骨や遺品。
 しかし、78年が経った今年、出征の日に一徳さんが持っていた「寄せ書き日章旗」が戻ってくることになったのです。

 日章旗は、元アメリカ海兵隊員のウォーレン・マッコラムさんが、沖縄からアメリカに持ち帰っていました。

 ウォーレンさんの死後、息子のグレッグさんが今年3月、旧日本兵の遺品返還活動を行うアメリカのNPO、「OBONソサエティ」に返還を依頼。

 旗に書かれた名前などから、陽子さんたちにたどり着きました。
 「直接返還したい」。グレッグさん家族は、3日、札幌を訪れ、陽子さんら遺族と初めて対面しました。

児玉陽子さん(91)
「旗を大事に保管していただいて本当に嬉しく思っています。ありがとうございました」
 最後に見た兄が持っていた日章旗が78年ぶりに戻りました。
児玉陽子さん(91)
「何か兄が帰ってきたという気持ちでほんと嬉しくてね、グレッグさんに感謝の気持ちでいっぱいです。母がいま生きていたらよろこんだと思います…」
アメリカ兵の息子 グレッグ・マッコラムさん
「吉原さんの遺品を遺族に返還することができ、区切りを付けることができた」

 78年ぶりに戻った日章旗。

 無念の死を遂げた一徳さんの思いとともに「戦争をしてはならない」と私たちに語りかけています。
 
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