78年前、最後に見た兄が持っていた寄せ書き入りの「日の丸」沖縄で戦死した旧日本兵の遺品が元アメリカ海兵の息子から家族の元へ
「兄が帰ってきた」。太平洋戦争末期の沖縄戦で戦死した北海道出身の旧日本兵。
その遺品が78年ぶりに遺族の元に戻りました。
札幌市に住む児玉陽子さん91歳。78年前の沖縄戦で兄を亡くしました。
児玉陽子さん(91)
「家族思いで、両親思いで、兄弟思いで…そしてハンサムでしょ?」
日米合わせておよそ20万人が亡くなった沖縄戦。
北海道内出身の戦没者は1万人を超えました。
陽子さんの9つ上の兄で、7人兄弟の長男だった吉原一徳さん。
野戦病院で治療中でしたが自ら志願。
上官に「長男だから」と止められたものの、激戦地だった現在の糸満市に赴き、21歳で戦死しました。
児玉陽子さん(91)
「護国神社に遺骨をいただきに行ったんです。こんな木箱わたされたんですよね。母がね、陽子持ってみるかいって、渡されたら『からんころん』って…。家帰って見てみたら、こんな石ころひとつ入って…それだけです」
沖縄を何度訪れても見つからなかった遺骨や遺品。
しかし、78年が経った今年、出征の日に一徳さんが持っていた「寄せ書き日章旗」が戻ってくることになったのです。
日章旗は、元アメリカ海兵隊員のウォーレン・マッコラムさんが、沖縄からアメリカに持ち帰っていました。
ウォーレンさんの死後、息子のグレッグさんが今年3月、旧日本兵の遺品返還活動を行うアメリカのNPO、「OBONソサエティ」に返還を依頼。
旗に書かれた名前などから、陽子さんたちにたどり着きました。
「直接返還したい」。グレッグさん家族は、3日、札幌を訪れ、陽子さんら遺族と初めて対面しました。
児玉陽子さん(91)
「旗を大事に保管していただいて本当に嬉しく思っています。ありがとうございました」
最後に見た兄が持っていた日章旗が78年ぶりに戻りました。
児玉陽子さん(91)
「何か兄が帰ってきたという気持ちでほんと嬉しくてね、グレッグさんに感謝の気持ちでいっぱいです。母がいま生きていたらよろこんだと思います…」
アメリカ兵の息子 グレッグ・マッコラムさん
「吉原さんの遺品を遺族に返還することができ、区切りを付けることができた」
78年ぶりに戻った日章旗。
無念の死を遂げた一徳さんの思いとともに「戦争をしてはならない」と私たちに語りかけています。