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もの言う牧師のエッセー 第113話 再投稿

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もの言う牧師のエッセー 第113話 再投稿
「 闘将マンデラ 」
 
   近年まれに見る最大級の国葬、世界中からの要人の出席。その中には、海外王室関係者 以外の葬儀には出席することはない日本の皇太子や、“兄よりも強硬派”で知られるキューバのラウル・カストロ議長の姿もあった。英エリザベス女王は出席を希望するも高齢のために叶わず、代わりにウェストミンスター寺院にて追悼行事が行われたが、同寺院で国外の人物のための追悼行事は初めてで、まさに巨星墜つとはこのことである。おかげで昨年の暮れは“マンデラじいちゃん”の優しいにこやかな写真がテレビや紙面を賑わした。が、それは彼の一面に過ぎない。

子供の頃はトラブルメーカーと呼ばれ、反アパルトヘイトの道を突き進む大学時代は学生ストを主導したとして退学処分、弁護士事務所開業後はANC(アフリカ民族会議)副議長で辣腕をふるう一方でシャープビル虐殺事件を引き起こし、ANCは非合法となり地下に潜ることになった。それでも懲りずに今度は軍事組織「民族の槍」を立ち上げ、剛勇でなるイスラエル特務機関モサドから破壊工作の訓練まで受けていたほどだ。そしてついに収監され28年後に出所した後も、彼の“やんちゃ”ぶりは全く衰えなかった。

実は彼が弁護士になる費用を工面したり、警察に追われる彼をかくまったのはユダヤ人たちであった。だが出所後の彼はいきなり元PLO議長で当時テロリストと名指しされていた故アラファト氏と抱擁し「同士!」とまで呼んだのだ。怒り狂う米ユダヤ人社会。
アメリカでは政治家らは選挙や世論に絶大な影響力を持つユダヤ人たちに気を遣うが、その後の彼の訪米でもテレビ生中継の場で、「ユダヤ人の犯す間違いは、ユダヤ人の敵が我々ANCの敵と同じであらねばならないと考えていることだ」と一蹴。

さらに「我々もPLOも自治権を求めて戦っており、私が過去にユダヤ人から受けた恩義やイスラエル国家の正当性を云々するものではない」と明言、「その付き合う相手によって自分の原則を変えるような人は、一民族を率いる人物ではありえないのだ!」と言い放ち、アメリカは度肝を抜かれ、世界中の貧困層は狂喜した。とにかく全くブレない、世論なんぞどこ吹く風の、もの言う信念の人だった。そのせいで彼は 2008年までアメリカのテロリスト監視リストに名を連ねていたほどである。

彼は熱心なクリスチャンだが、実は聖書には彼のような人が大勢出て来る。キリストもそうだったし、中でも最後にイエスの弟子となったパウロはマンデラにそっくりだ。

「いま私は人に取り入ろうとしているのでしょうか。いや。神に、でしょう。或いはまた、人の歓心を買おうと努めているのでしょうか。もし私が今なお人の歓心を買おうとするなら、私はキリストのしもべとは言えません。」ガラテヤ人への手紙1章10節 

と、目上の弟子たちを含む多数の人々に、正面きって叱りつけている。キリストの死により人類へ与えられたはずの「自由・死からの救い」に対し彼らが横槍を入れて来たからだった。マンデラもまた、人間が享受すべき自由を脅かすいかなる勢力に対しても徹底して戦った人だった。クリスチャンとは、イエスが下さった真の自由のために、キリストと同じように戦う人々なのである。                          2014-1-3 

PS:写真は1937年、19歳のマンデラ

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