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ル・マン24時間レース 回顧録⑤

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新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
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【序章-5】
この物語の主人公Y氏。今回は少し視点を変えて、Y氏を傍で支え続けてきたF氏と共に、2013年の参戦当初から一人の先輩レーサーとしてアドバイザーを務め、かつ、現役のドライバーとしてY氏と共にタッグを組んで耐久レースに出場したM氏について触れておこうと思う。

M氏もまた、F氏と同じトヨタワークスで日本のレーシング黎明湖から活躍してこられたレーサーである。F氏からすれば後輩にあたるらしいが、我々世代からすればどちらも「伝説」のドライバーと言うことになる。
F氏の場合はイギリス時代のボスなので主従の関係性にあたるが、M氏の場合は自分が担当したドライバーという関係性であるため、同じ時間軸のレースを「共に戦った」という、誠に貴重な経験をさせて頂いた。

お気付きの方も居るかもしれないが、トヨタワークスで走っていた、というトコロからも、2013年から時点でのM氏は既に世に言う高齢ドライバーにあたる。
当時は60代後半という年齢のハズなので、高齢と言う言葉が適当かどうかは判断に欠くのだが、もうすぐ70代に手が届くレーサーであったことは確かだ。

だからと言って、その辺は流石プロレーサーである。
ひとたびレーシングスーツを着てマシンに乗れば、闘争心やドライビングの勘どころは、そんじょそこらのレーサーよりも格が上なのである。
「海千山千」とはよく言ったもので、レーサーとしての運転センスは、間違いなく現役そのものだった。

これは、真横で直接担当してきたからこそ、の率直な感想である。
ただしレーサーとしては、高齢ゆえの面白いエピソードもある。

「歳をとると堪え性が無くなっちゃうんだよ、コーナーで競り合ってても、昔はコノヤローって負けん気だったけど、なんか面倒臭くなってくる時があるのよ」

笑ってそう言い放つM氏に、正直だなぁ・・と、ウケながらも人間としての器の大きさを感じた。
そんなM氏は、ル・マン24時間レースの日本人初クラス優勝ドライバーでもある。
このことからもY氏がル・マン24時間レースへ出場するには最高最適なサポーターの一人であったことが分かる。
日本人として初のル・マン24時間レース出場ドライバーでありながら、数々のル・マン車輌を手掛けてきたF氏に、日本人として初のクラス優勝ドライバーのM氏。
ル・マン24時間レースの厳しさと表裏一体の甘美を知る心強いバックアップ。
こんな布陣、なかなかそう実現するものではない。

ところで先回の記述に、Y氏の出場した耐久レースで、重量のハンディについて露呈したという事を書いたのだが、実はそのコンビドライバーこそM氏に他ならない。
年齢がどうかは別として、体格的に背はそこそこあるが体重が無い・・・。
たしか、その辺でダイエットに勤しむ女性よりも軽い体重だったと記憶している。

これがどういう事か。

せっかく「超」がつくほどの軽量化に成功したものの、規則上、車輛の最低重量は<どのドライバー乗車時であっても>保てなければならない。
つまり、女の子より軽いM氏の体重に合わせて最低重量を合わせなければならず、この時の耐久レースでは約20キロ弱のウエイトを積むハメになった。血眼になって軽量化に成功した車輛にウエイトなんて!!
かと言って、ドライバー交代の度にその邪魔なウエイトを外す訳にはいかないから、Y氏乗車時にはことさら足枷にしかならないのである。

しかしながら、耐久に有りがちなドタバタ劇もそこそこに、この耐久レースでは見事優勝を飾り、今となっては苦しくも楽しい思い出である。
そしてその後の雑誌取材で、この時のレースをM氏自らが「一番楽しかったレース」と称してくれたことが、パートナーとして携わった者としては最高の名誉でもあるのだ。

<つづく>
#ルマン24時間レース

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ポーランドのお菓子

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ポーランドのお菓子
正直言って、自分の人生にポーランドって…
それほど関わりは無いよなぁ。

ところがル・マン24時間レースでコースへ行くと、ポーランドのチームとホスピタリティーブースがご一緒(笑)

ケータリングとかもポーランドからのシェフが、レースウィークの間ずっと世話してくれていたっすよ。
それが、実はこのフランス滞在中で一番美味しいシェフだった(笑)

ポーランドの味付けなのか、チームの好みなのか?それは分からないけど、ポーランド料理からアジア風、ヨーロッパ風各国料理を出してくれたけど、どれも最高に舌に合ったすよ!

で、ポーランドチームの入り口に、「良ければどうぞ」的な振る舞い菓子が置いてあったので、食べてみたら、これが美味い!

キャラメルのような見た目と味なんだけど、食感がジャリジャリというか、カリカリというか、そしてトローン…

新食感!!

今日、改めてアレがどういうお菓子だったのかを調べてみたところ、どうやらポーランドの伝統菓子だったらしい。

酪農大国のポーランドが誇る、乳製品を使ったお菓子。
「クルフカ」
これ、なんか郷愁を誘う風味なんすよ。
紙で包まれてる辺りなんかも。

どっかで買えないか?
#ルマン24時間レース

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ル・マン24時間レース 回顧録④

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新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
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【序章-4】
この物語の主人公Y氏。初めてのピュアレーシングマシンに何とか喰らい付こうと、四苦八苦されていたとは思うが、それでも車輛側から楽にタイムアップを稼げるよう、この時期から車輛重量をかなりシビアに削り込んでいった。
一般の乗用車を軽量化するなら、不要な物を全て剥ぎ取っていく事になるのだが、そもそも競技車両として製作された車輛を、そこからの軽量化と言うヤツは、まあまあ頭や金の使いどころになってくる。

ちなみに、軽量化と言うと「穴開ければ?」とか「軽い材料にしたら?」とか、多少知っている方は軽く言ってくれるのだが、話はそう短絡的ではない。勿論、最終的には「穴を開けたり、切除したり」だったり「材料変更」だったりが落ち処になるワケだが、レースには規則書が存在している以上、寸法に不備が出たり、いくら効果が見込まれる材料であっても使えない。

だからこそ、古今東西のレース屋は<軽量化>という作業を血が滲む想いで取り組むのである。

そのなかで、外装・・・いわゆるカウルに関しては自身がそうしたコンポジット技術を得意としていた事もあり、比較的短時間で効果的な代替カウルを製作し得た。それまでのズッシリ重量感のあるものから、必要な強度以外全てを取り去った新規カウルへの換装は技術的にもチャレンジングだったし、とにかく物理的に目に見える効果的な軽量化となった。

ただし、軽くはなったがこれでやっと、その他の競技者と重量的にバランスしてきたようなだけで、もしもあの車輌に並みの体格のドライバーが乗れば、たちまち最低重量をクリアするために重いバラストを積む羽目になる。
後の耐久レースで、この事が露呈するのだが・・・。

また時を少しさかのぼって、軽量化とは別のアプローチでもドライバビリティの改善を模索していた。
規則書上、グレーゾーンとも言えたエアロダイナミクスについてである。

当時の規則書には、ボディー上面のスポイラーや空力的付加物についての文言は確かに有ったのだが、ボディー下面に関しては細かく記述が無い状態だった。
そうなれば考える事はひとつ。アンダーパネルをいじるしかない。
以前在籍していた会社で風洞実験などにも関わっていた経験上、下面効果はレーシングマシンにとって絶大な効果を発揮することは自明の理であったからだ。
幸いなことに、当時の車輛は簡単に言えばオーバーステアリング傾向の性格であったため、これからいじり倒そうと画策していたリヤのアンダーパネルが相当ポジティブな影響に寄与するであろうことは容易に想像がつく。

ただしレーシングマシンの奥が深いところは、ただモノを付けただけでは期待する性能を発揮しない点にある。
例えば、単純にリヤのアンダーパネルで効果を期待するなら、当然のようにアップスイープを用いたいと考える所だが、しっかりと空気が取り入れられている事が前提であるし、いつの時代でも、後ろだけでダウンフォースを得たところで車輛の運動性能には上手く働きかけてくれない。むしろ、曲がらなくなる方向性なのだから、レーシングマシンとしてはネガティブな要素でもある。

この点において、リヤの新しいアンダーパネル製作には相当前後のバランスを意識した。当時のGTなどでも採用された、一見空力の素人目には地味な手法を取り入れて、他競技者からの追及を逃れるような細工をしたり、周囲からの余計な邪念がY氏に降り掛からぬよう、地味でいながらにして効果的な部品製作に相当尽力した。
例えば、フロントアクスルよりも前端の下面に設けた「ポルシェハンプ」などもその一例である。

空力部品上は、かつてのGr.Cマシン・ポルシェ956シリーズで採用された、非常に古典的な技術ではあるのだが、都合の良いことに車輛を下から覗き込まない限り他者の目に触れる事も無く、尚且つ効果を期待できるのだから、競技車両にとってこれほどうってつけの技法は無い。勿論、当時の規則上も問題は無かった。

これらの一つ一つは、考えれば大した事でもないのだが、いざ実行に移すとなれば技術力や知識、時間といった制約が壁となって立ちはだかり、たいていは面倒臭くなるものである。

ル・マン24時間レースへの序章が引っ張り過ぎる感もあるのだが、Y氏のレースに対する取り組みや姿勢が功を奏し、大きく歯車が動き始め、ドライバーの努力がようやく報われる兆しが見え始めたのが実はこの時期なのである。
当初の金ばかり掛かる苦闘の時代から希望の時代への転換期となった、傍で携わったパートナーとしては、とても印象に残る、しかも大きな記憶の1ページである。

<つづく>
#ルマン24時間レース

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ル・マン24時間レース 回顧録③

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新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
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【序章-3】
興味を持ったモノには飽くなき探求と情熱を捧げる、この話の主人公Y氏。
その情熱は、半端じゃない。
コレ!と決めたら、とにかく喰らい付くその貪欲さも然る事ながら、反面どんな時であっても冷静沈着、紳士的な対応で過ごされている。(誰しもが初見から、いつも穏やかな紳士の印象を受けるに違いないが、アンガーマネジメントが素晴らしくて、実は心の内は熱くメラメラと燃え盛っている事を、後から知る)

レーサーなんていう人種と関わると、たいてい自分勝手で個性が強く、我が一番というスタンスである事に気付く。
いや、これは決してネガティブな意味ではない。なにしろ、そうでもなきゃ極限までスピードを追及し、あまつさえ他人と競争しようなどとは思うまい。
根っからの負けん気と、自分を取り巻く全てを自分の思い通りにするようなガッツ、知恵・・などが無ければ、およそレーサーには向かない。

2020年現在、改めてY氏の事を考察した時、ここまで記してきてハッとした。

今しがた「根っからの負けん気と、自分を取り巻く全てを自分の思い通りにするようなガッツ、知恵・・などが無ければ、およそレーサーには向かない」等と書いたばかりだが、これはまさにY氏そのものではないか!
ただし旧知のレーサー像とは大きくかけ離れる点が一つある。
それは、自己の目的のために廻りを巻き込む方法論が、メリットが一方通行ではないという大きな違いだ。

例えば「部品」「値段」「情報」といった、誰もが欲しがるモノを自分の有利になるためだけに欲しがるのは、一般的であり、そのメリットは享受した者に対して一方通行である。誰よりもマージンを得たいのだから、それは道理とも言える。

Y氏の場合、そういった局部的なマージンは必ず双方向にメリットが発生するように思考されているように思う。仮に「自分が良い部品を使うとするなら、どうぞ貴方も自由にお使いなさい」そんな感じだ。むしろ、そんな小さな所を独占しようとはしない。
ではY氏が何を一番優先されているのか、を考えると、それは端的に言えば「ヒト」に他ならない。

味方になる「ヒト」が多ければ、自分の目的を達成させるプロセスにも「ヒト」のチカラが大きな波のように拡がっていく。
よく「金持ちはケンカはしない」と言われるが、この言い方は下品だけれど、まさにその通りである。些細な事に無駄なエネルギーを費やすのは、何一つ生産性が無い。

Y氏は「ヒト」を大切にし、メリットを双方向にするから周囲もその恩恵に預かりながら、自然とメリットが大きな輪になっている。
実際、ひとつのシステムとも呼べるこの大きな循環が無ければ、世界3大レース、ル・マン24時間にアマチュア最高峰の車輛での挑戦は出来ないだろうと思う。

閑話休題

さて、時は2013年に戻る。
大クラッシュを経験し、それでも矢継ぎ早に走行への復帰を果たしたY氏。
この年、本当によくサーキットへ通われたと思う。
・・・・。
では、速くなったか?という問いには、なかなかそうもいかなかった。
現実は厳しい。
50代を過ぎてレーシングマシンの運転を1から覚える訳だから、頭では分かっていても目や体がついて来ない、ということもあるだろうし、長年持っている運転のクセの様なモノを矯正したりもしなければならない。

いや。
そもそもが例え30代であったとしても、初めてレーシングマシンを手にしたとしたら、ソレを手懐けるまでには大抵、年単位の訓練が必要になる。
パッと乗って、多少練習したからと言ってレースで勝てるような状況にはならない。それで普通なのだ。

走っても、走っても、目覚ましく突然アップグレードなど出来ない。
その間にはやはりクラッシュも度々経験するし、タイヤの使用本数など、それこそ消しゴムのように使った。

さて、ここからは車輛をメンテする立場からの目線である。

クラッシュする、タイヤも使う。走れば走るほどに消耗品は必要だ。
ガソリンスタンドでガスだけ給油すれば良い、とはいかない。

レーシングマシンの場合、可動部分・駆動部分の定期的なメンテナンスが必須になる。それは一般乗用車よりも当然シビアで、数百キロ単位、数千キロ単位で管理する。
その距離感を理解してもらうために、例えば鈴鹿サーキットの練習走行は1セッション大抵30分。それが1日4~5セッションある。
1セッションでフルコースの周回数は13~14LAPくらいだろうか。
フルコースの周長は約5.8キロ。つまり30分で約80キロを走行することになる。
勿論これはピットインなどしない前提だが。

1日5セッションを走れば、それだけで400キロ近い走行距離になる。
だから数千キロ毎のメンテサイクルなど、意外とあっという間にやってくるのだ。

これは、走れば走るほど金を喰うという表現も出来る。
走ったら走っただけ、目標とする得られる「何か」が如実に得られればコストも払い甲斐があるのだけど、なかなかそう易々とお持ち帰りできる土産は貰えない。
貰えるのは拾ってくる砂利ばかり、なんて笑えない冗談みたいな本当の現実。

走れば走るほど請求金額が増える。
クラッシュでもしようものなら、尚更。
なのにドライバーが一番欲しい、目覚ましいラップタイムが手に入らない。
当然、何とか速く走れるように記録されたデータを解析したり、動画を利用して助言もするのだけど、最終的にハンドルを握るのはドライバー本人だ。
ある程度の反復練習と、慣熟をしつこく繰り返し、ドライビング技術の引き出しをたくさん持って貰えなければ、前進しない。

これはどの種類のレーサーであっても同じである。
どんなに1日練習をしても、家に帰って次コースに来た時はまた前回と同じ立ち位置から練習が始まる・・
本来なら、練習の度に階段を一つづつ定期的に昇れれば理想的なのだけど、なかなかそうはいかない。練習には壁も訪れるし、なによりやはり時間は必要になる。

だから、Y氏の担当をしていてこの期間が最も心の内が苦しかった。
まるで金ばかりを使わせているようで、辛かったのだ。
かと言って突然速くなれる妙薬があれば良いのだが、そんな物は無い。
走っているのはご本人だから、とにかくレーサーとしての進捗を見守るしか出来ない。

外装など、ヒットやクラッシュが頻発したから修理に修理が重なり、外注の修理に任せていたらFRPがパテ盛りになってきて、これではいかん、とコンポジットに精通する自分が修理に乗り出す始末。(料金的な問題で、社内よりも外注の方が安く修理できたのだけど、レーススペックで作業しないFRP屋さんは、見栄えは治るが重くなる傾向がある)

長身の筋肉質ゆえに体重もソコソコ、ある。
ただでさえ重量的にハンデがあるのに、むざむざカウルのパテなんかで重量増など、考えただけでも悪寒がした。もともと重いのだから100グラムだって削りたいのだ。
この当時から、なんとか車輛側から0.1秒でも貢献できないか、と画策を始めていた。

〈つづく〉
#ルマン24時間レース

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ル・マン24時間レース 回顧録②

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新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
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【序章-2】
趣味的なバイクや乗用車ではなく、晴れてピュアレーシングマシンでのサーキット走行デビューした、この話の主人公Y氏。
長身の大柄な体格をドライビングポジションの改修で克服して、ようやくサーキットをアクセル全開で走れる訳だが、だからと言ってすぐにレース出場とはいかない。仮に、腕に自信のあるような、それまで公道をどんなに飛ばすヤンチャなドライバーであったとしても、タイムを競うコースは初心者にとって非情である。

タイムが正義の世界。
しかも、公道チューニングカーのように規則が無い自由競争ではない。
ピュアレーシングマシンを運転すると、自分自身の運転力が丸裸にさせられるのだ。ただアクセルを開けていれば良いわけじゃ無い。ブレーキをどう使うのか、ステアリングをどのように切り込むのか、ましてやパワーステアリングやブレーキのマスターバック、当然電子制御によるドライバーの補助などない。

ブレーキが強すぎれば容易くロックして白煙を上げ、タイヤ表面を削り取る。アクセルコントロールが上手くなければ、いわゆる「おいしい回転域」を使えずにモタ臭くて加速に結び付かない。シフトチェンジが下手だとトランスミッションのギヤ(ドグリング)を痛め、ありがちなのはダウンシフトでオーバーレブ、最悪の場合エンジンを過回転で破損させてしまう。

想像してみて欲しい。普段乗る自家用車で公道を走っているとする。
その時のエンジン回転数はいくらだろう?
法規上のスピードで走っていれば、たいてい2000rpmからせいぜい3000rpm程度ではないだろうか?最近はタコメーターの無い車も多いが、エンジンが唸るような音では運転していないはずだ。

それが、ひとたびコースインすれば、とにかくアクセルは踏まなくてはならない。
車輛にもよるが、5500~7000、もしくは8000rpm辺りの幅で常にキープし続けなければならない。そのけたたましい音と振動に耐えながら、エンジンの本領を発揮させて走る暴力的なチカラを冷静に、適切に、前へ進むチカラへと変換しなければならない。
でなければ、サーキットを全開走行で走るレーシングスピードには乗せられない。
ましてや着座視点が1メートルも無いような状況でのスピード感や襲ってくる前後左右Gなどは、乗った者でなければ理解など出来よう筈もない。

サーキットデビューすると例に漏れず、Y氏もいざコースでの走行当初は相当に苦労されていた。
それまで色んなパワードカーやスーパーカーの運転経験はお持ちのようだったが、「正しく」加速、減速、曲がるという操作は、自己流と感覚だけでは余程の才能が無ければ地道な反復練習と、トライ&エラーでしか習得できないのだ。

と、いうことは・・・どういう事か。

コースを走る者は、その「速い遅い」は全く別として、各人自分の精一杯尽くしている。つまり、いつもそれほど余裕が無い状況、という事になる。
それが初心者であればチカラの抜き処もなく、ガチガチに緊張し、肩は張り、歯を食いしばり、ステアリングをひたすら握り締める。たいてい、バックミラーを十分に見る余裕すらも無い。

コース上でのエラー、それは即ちコースアウト、最悪はクラッシュを意味する。

乗用車であれば何てことない段差や多少の悪路走行でも、車高が高いうえに良く上下動するサスペンションが、不意の挙動やショックを吸収してくれるけれど、レーシングマシンでは簡単に床を擦り、砂利を塵取りのようにひろい、カウルなどの外装を破損する。
ちなみに、当時Y氏が乗っていた車両の最低地上高は50ミリくらいだったと思う。
これはレーシングカーとしては高い方だが、この車輛にとって規則上それ以下には出来ないという事情がある。
もし最低地上高規定のないカテゴリーであれば、18ミリや19ミリと言う数字は平気で出てくる数字である。

さて。
レーシングスピードへの挑戦で、それはやはり起こる。
大クラッシュ!

2013年当時の事なので、ちょっと詳細は覚えてはいないのだが、とにかく車がえらいことになった事だけは覚えている。
いくら安全なサーキットとは言え、激しいクラッシュを喫すれば当然、そのダメージは激しくなる。動態エネルギーが大きい証拠である。
また、クラッシュで激しく車輛が壊れたとしてもそのお陰で、物体が持つ衝突からのエネルギーを吸収してドライバーの安全を担保している、と言い換える事が出来る。

幸いにして、この大クラッシュを経験しても身体への影響は無かった。(全く無かった事は無いはずだが、普段弱味を見せないY氏は強がっていた可能性は・・ある)
激しく損傷した車輛も、レーシングマシンの凄いところは、部品があれば何事も無かったかのように直ってしまう事である。勿論、そこには修理費用という悲しい出費が付きまとうのだが。

普通、このような大クラッシュがあると、たいていのドライバーは少し走行に間を置く事になる。クラッシュによる精神的な影響・・と捉えるも、実際には掛かる修理費用のために、走りたくても悲しいかな財布がそれを許さない、となりがちだ。
が、Y氏は違った。

とにかく出来るだけ早く直して、出来るだけ早くまた走りたい。
その情熱は凄まじく、当時サーキットが発布する走行スケジュール(サーキットは、いつでも誰でも走れる訳では無い)のほぼ全てを練習する勢いで鈴鹿へ通われていた。名古屋近郊や大阪近郊ではなく、ほぼ関東と言ってよい地域からである。
しかも企業トップの身で有りながら、おそらく激務で体を労わらなくてはならないオフの時間の全てを、遠方からサーキットへ通い、ひたすら練習されていた。

いつサーキットに行ってもY氏が走行しているので、パドックトークではドライバーや関係者達のあいだでちょっとした有名人にすらなっていたほどだ。
あの謎のデカいドライバーは誰だ!?と。

〈つづく〉
#ルマン24時間レース

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ル・マン24時間レース 回顧録①

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新型感染症が世界的に深刻な被害をもたらした2020年。
この年、それでもル・マン24時間レースへの挑戦を見届ける必要があった。
その回顧録を自分視点で、記憶が曖昧になる前に残しておこうと思う。
※プライバシー配慮のため、人名等はイニシャル表記にする
※そんなもん、いまどき検索すれば出てくるだろうが・・・
-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-・-

【序章ー1】
この話の主人公となる、ある一人のクルマ好き・バイク好きの、お世辞にもヤングではないドライバーが、公式の自動車レースを初心者として始めた所から物語が動き出す。
自分の記憶では2013年、50代を過ぎた紳士Y氏がレーシングカーでサーキットを走る目的で鈴鹿を訪れた。

後に判るのだが、既にこの時、ルマンへの布石があったと言える。
なぜなら、当時Y氏に「レーシングカーで鈴鹿を走るなら」と、当時自分が勤務するコンストラクター(レーシングカー製作業)を勧めたのは、世界的にレーシングビジネス最前線におられる同業者であり、日本のモーターレーシング黎明期にプロドライバーとしてトヨタワークスに属し、かのトヨタ-7を駆り、初の日本製F1マシン、マキF1でエフワンのチャンピオンシップに参加、更には日本人として初のル・マン24時間レースに出場した経歴をお持ちの、F氏その人であったからである。

ちなみに蛇足ではあるが、このF氏は自分がかつてイギリスへ単身修行へ出掛けた際の、コンストラクターのボスでもある。

2013年当時、素人が簡単に乗れるピュア・レーシングカーと言えば、エントリークラスのフォーミュラか、もしくは鈴鹿でならクラブマンレースという、アマチュアレーサーが出場するカテゴリーの車輛くらいしか無かった。
※正確には、その他ピュアレーシングマシンは有るのだが、こと鈴鹿サーキットを走るという目的、また、当時自分が勤務していたコンストラクターに紹介で来られている以上、そこで生産される車輛から乗れる車種を選ぶことになった。

さて、レーシングカーを知らない諸氏のために補足しておきたい。
自動車であることは言うまでもないが、ピュアレーシングカーはサーキットを走るためだけに、しかもレースに必ず制定される各レースごとの規則書にのっとって設計・製作される車輛を言う。

一般の乗用車でサーキットを走るために改造した車輛も、競技車両と言うことになるが、そもそも生産された目的が元は一般乗用である点から、ピュアレーシングカーとは区別したいと思う。
例えば知られるところではF-1を頂点とするフォーミュラや、かつてのGr.Cから派生するプロトタイプカー類、エントリークラスや玄人向けのレース専用車輛などがこれにあたる。また、自分がアメリカ時代に参加していたNASCARも、パイプフレームに汎用性のある原動機や変速機、外装を載せただけの、実はピュアレーシングマシンに属する、と補足したい。

これらピュアレーシングマシンはどれも、おしなべて軽く、狭く、そのために出来得る限り小さい傾向が強い。カテゴリーによって使用する材料が高価であったり、高度な機能性を兼ね備えているという違いはあるものの、基本的には設計理念は同じ所にある。

何故に今ここで、こんな長たらしい説明が必要かと言えば、理由がある。
Y氏は日本人としては稀に見る欧米標準的な長身で、流石にあそこまでデカいと、気の毒にも乗れる車輛が限られてしまうのだ。

ただでさえ狭く作られた車輛である。とは言え、どんなドライバーにも合わせられるように各部品は設計されてはいるのだが、乗り降りどころか、レーシングドライブに最も重要なドライビングポジションの確保に至るまで、調整の域を超え、Y氏専用に部品を製作したり改造を施さねば、運転に支障が出るレベルなのだ。
幸いなことに、Y氏が当初購入した車輛は基本設計としてもやや余裕のある造りで、更に、比較的改造が容易であった。
全く初めてのレーシングカーとしては、なかなか良い選択であったと思う。

その車輛でいざ、サーキットを走り始めたY氏なのだが、実は当初のことは自分は知り得ていない。なぜなら最初の数回、Y氏の走行を担当していたのは別の若手の社員だったからである。それ故、まだサーキットサービスをするには技術的にも精神的にも拙い面が否めず、巡り合わせで自分がバトンタッチしてY氏の走行を担当した、という経緯がある。

〈つづく〉
#ルマン24時間レース

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未だ、余韻に浸る

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先月のカード支払い明細が届いた。
確認すると、フランスでの支払いが数点。
ああ、そうか。

自主隔離中で、なんだかダメ人間になりつつあるなか、ちょっと考えた。
そうだ。
記憶が薄れて忘れ行かない間に、今回のレースで何があったか、何を思ったか。
記しておこうじゃないか。
そうだ、これはとても重要な事じゃないか。余韻に浸っている場合ではない。

・・・と、思いが至った。

ブログでは毎日起こっていた事を日記代わりに殴り書きしていたけど、ちょっと整理しながら時系列で、備忘録を読む人の事など無視で(ハナから気遣いなどないけど(笑))、自分の為だけに残しておこう。

しばらくは、これで変化のない毎日のネタにも困るまいよ。
#ルマン24時間レース

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旅の記憶

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ちなみに。 この#35だけでな... ちなみに。
この#35だけでなく、背景の青いカラーリング。
これもLMP2クラスと全く同じ色じゃないか!

こんな偶然も、在るんだな(笑)

そういえば、今回のフランス旅は妙な縁を感じさせる事柄が多かったすよ。

レース後、フライト待ちの為に時間調整で訪れたレンヌ。
なぜか、街中で#35というゼッケンを見掛ける。

んんん?

ゼッケン#35は、今回ル・マン出場した我らがチームのナンバー。
調べると、レンヌ市があるブルターニュ地方、イル=エ=ヴィレーヌ県の行政区画番号だそうだ。

へぇ。
おもわず、お土産買っちゃったよ。
#ルマン24時間レース

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翼よ、あれがパリの管制灯火だ

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翼よ、あれがパリの管制灯火だ
さらば、フランス。
短いような、長いような、あっという間の日々よ。
感動を有難う、ひとつのゴールを有難う。

大変な世の中だけど、素晴らしい機会に恵まれたことに感謝。

そしてフランス人はいつも、どんな時も、自分の気分で生きてやがる。
パスポートコントロールの係官が、恋人とテレビ電話で語り合いながら仕事してるなんて、あり得るか?(笑)

そういえば、フランス人が意地らしくマスクを着用するのは、政府への抗議意思も含まれている、とも後から聞いた。
ああ、なるほど。
それは、そのやり口は、確かにフランス人らしいな。
#ルマン24時間レース

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Merci, Au revoir! @ Rennes フランス

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Merci, Au revoi...
時間調整で訪れたレンヌ。
最初は、こりゃあ直ぐに飽きるパターンか?
と、少し心配していたけど…
住めば都(笑)

ガレットやクレープの美味さ、シードルの美味さ、ワインの美味さ、、
やはり本場の味は良いモノだ。
せっかくの機会だから、と足を伸ばして正解だった。

ただし感染症の影響は図り知れず、本当なら楽しそうに生演奏で盛り上がっていたアイリッシュパブ等へは立ち寄らず、必要最小限の立ち回りだけで済ませるしかなかったのは、残念だけど、仕方ない。

時間だけはあったから、本来ならモン・サン・ミッシェルにも行けたけど、アクセスも出来ない(正確には行けるが、面倒くさい)。

世界は遠くなってしまった。
ル・マン24時間レースへの参加という機会が無ければ、そもそも渡航すら考えなかっただろう。
はやく正常な世界に戻る事を願うばかりだ。
#ルマン24時間レース

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