正倉院「王勃詩序」の則天文字 ―まず巻頭から7種―
Jan
13
そりゃ、もとが正倉院に伝わった慶雲四年(707年)、七月廿六日書写という御物「王勃詩序」だから、ゲンブツを直接、撮影してここにアップなんか不可能だょ。
さんざん調べて探したようだけど、このモノクロ画像の出所は?
国立国会図書館デジタルコレクションから、明治41年『東瀛珠光』第四輯の「第二百十二 詩序一巻」「其一 卷首」だよ。
『東瀛珠光』って、読みは「とうえい しゅこう」でいいの。
そう。「東瀛」は唐土から見て東の海、仙人が住むという島で、つまりは我が国・日本。そこで光り輝く宝珠にたとえての正倉院御物の図録なんだ。「宮内庁御蔵版」と銘打って審美書院というところから6輯まで刊行されたみたい。
へぇ。それで初唐・王勃の「詩序一巻」が、丸ごと写真版で載ってたの。
違うんだ。「詩序一巻」は「其一 卷首」、「其二,三 卷尾」とあって、写真は巻頭一枚と巻末部の二枚のみ。さらにこの巻物をおさめていた箱の写真第二百十三 沈香末塗経筒 一枚も添えられてた。
なんだ、最初と最後だけのモノクロ写真ね。その明治末期の図録、デジタル画像から「詩序一巻」の冒頭を取って、どこに則天文字が使われているか、紫色の背景色にピンクの色文字を使ってお示しになった、ということね。
うん。この正倉院に伝えられた王勃「詩序」巻末のほう2枚の写真だと、則天文字が使われていない文章があるだけなんだ。ただ昭和に刊行された書道全集や図録はこの『東瀛珠光』を元に、巻末「慶雲四年七月廿六日 用紙貮拾玖張」との、則天文字を使っていない識語を転載しているように、推測したんだけど。
じゃ、則天文字が使われた巻頭のほうを説明してくださる。
ほいきた。 正倉院「王勃詩序」は巻物として(30)紙の貼り継ぎで、それぞれ色鮮やかな料紙が使われてるとか。その巻頭、第(1)紙に書写されているのが、
於越州永興縣李明府送蕭三還齊州序
との題の全20行(題を含む)の漢文。題を1行目として、順に数えると文の書き出しになる第2から、6・7・11・14・16・17番目の行と、ラスマイの第19行目に則天文字が使われてるんだ。
それを、上にかかげた画像で、紫の地にピンクの文字で示したのね。
わかってくれたようだね。スペースの関係で、則天文字が使われていない前半の数行はカットしたけど。
いちおう省略された分も、どんな文字が連なっているか、お示しになるべきよ。
じゃ、一篇の翻字を置いてみようか。底本は白文だから、句読点はネットの維基文庫から『全唐文』卷181・王勃の越州永興李明府宅送蕭三還齊州序を参照して加えたけど。そして、ここからの記述には「一部のコンピュータや閲覧ソフトで表示できない文字(CJK統合漢字拡張B)が含まれています」ってことわらなきゃ。
【題】 王勃於越州永興縣李明府送蕭三還齊【「州序」の2字 写り込まず】
天 嗟乎,不遊𠀑下者,安知四海之交? 不涉河梁者,豈識別離之
【3行】恨? 蔭松披薜,琴樽為得意之親;臨遠登高,烟霞是賞
【4行】心之事。亦當将軍塞上,詠蘇武之秋風。隠士山前,歇王孫之
春草。故有梁孝王之下客,僕是河南之南;孟嘗君之上賓,子
人・臣 在北山之北。幸屬一𤯔,作寰中之主;四皓為方外之𢘑。俱遊萬物
月 之間,相遇三江之表。許玄度之清風朗𠥱,時慰相思;王逸少之
【8行】脩竹茂林,屢陪驩宴。加以惠而好我,携手同行,或登吳會而
【9行】聽嵇吟,或下宛委而觀禹穴。良談落々,金石絲竹之音暉;雅智
【10行】飄々,松竹風雲之氣狀。當此時也。嘗謂連城無他鄉之別,断金
年 有同好之親,契生平於張范之𠡦,齊物我於惠莊之歲。雖三光
廻薄,未殫投分之情;四序脩環,詎盡忘言之道? 豈期我留子往,
樂去悲來,橫溝水而東西,絶浮雲於南北。況乎泣窮途於白首,
地 白首非離別之秋;歎岐路於他鄉,他鄉豈送歸之埊? 蓐収戒節,
少昊伺辰。清風起而城闕寒,白露下而江山遠。徘徊去鶴,將別盖而同
人・年 飛;悽断来鴻,其離舟而俱泛。古𤯔道別,動尚経𠡦;今我言離,
日 會當何Ꮻ? 山巨源之風猷令望,善佐朝廷;嵇叔夜之孝倒麁
疎,甘從草澤。行當山中攀桂,往々思仁;野外紐蘭,時々佩徳。
人 𤯔非李径,豈得無言? 子既簫韶,當須振響。既酌傷離之
酒,宜陳感別之詞,各賦一言,俱題六韻。
なるほど。行の左端、赤い字で「人」と掲げてあれば、その右に、どんなセンテンス内で則天文字が使われたか、これでわかるわ。
でもたぶん、パソコンのOSがWindows10以前だったり、古いままで数年間、買い替えていないスマホでは、せっかくの則天文字が、■に白抜きの×(☒)で表示されるんじゃないかな。だけどそれが正倉院に伝わった「王勃詩序」での則天文字を、文字規格(ユニコードの拡張字面)に従って表示させようとした箇所なんだ。
じゃ、きちんと表示されない場合を考えて、「これはこんな字」って、いちいち説明を加えてくださいな。
まず「天」。上の翻字では「丙」に似た「𠀑」を置いてみたけど、見かけは「而」の左下・右下がそれぞれ外側に開いたような字体。正倉院「王勃詩序」全巻で、そう使われてて、通常の「天」の字体は、ちょっと見つけられなかった。
あら則天文字の「天」って、篆書体に戻した曲線的な字体だって解説を読んだのに。ここじゃ違うのね。
次に「人」が「𤯔」の字体で、第6・16・19行で計3回、使われてる。ただ、この巻子では別の一、二の篇で数度「𤯔」が見えるのを除くと、中盤以降は通常の「人」の字体のまま書写されているようなんだ。
人の「一生」だからって、こじつけの会意文字とか。
第6行目の下から5字目の「臣」、則天文字の「𢘑」は、この「王勃詩序」ではここ一例のみのはず。
貴重な用例ね。「年・月・日」の則天文字なら、頻出してるんでしょ。
うん。「年」は𠡦。「月」のほうは、はこがまえに「出」を入れた「𠥱」と、仮に☮という記号で入力しておいた崩し字体のどちらかで書写されてる。「日」も、Ꮻで代用したけど、ほぼこの字体。巻末のほうでは、通常の「日」を早く書いたのか、Ꮻ に近い則天文字の字体なのか、判然としなくなるけど。
「日」は〇のなかに「乙」、「月」は〇のなかに「卍」もしくは「𠥱」、というのが則天文字の代表なのにね。
「地」は則天文字の「埊」を、この巻物で通して使っているよう。
最初の篇に使われた則天文字7種、説明ご苦労さまでした。ほかの篇でのレアな使用例も、続けてお願いね。
う~ん。なんとか努力しよう。