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往西俊治のブログ

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To whom it may concern

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※私の事業は私自身が商品のような側面がある。だから、以下のような文章をあえて書くことを許してほしい。(不快になる人は読まないでほしい)


私は恐らく知能が高いのだろう。

というのも、メキシコでホームレスになったときも、そのとき取るべき最良の行動を取っていた。つまり、まずは知り合い全員にネットに情報を流し連絡し、次いで、ホームレスシェルターを探し、見つけそこに数週間滞在した。

(ホームレスシェルターを探すことに躍起になったのは路上生活を続けていると心身が減耗するため、日に日に真綿で首を絞められるようになることを想定したためである)

それから、ヒッチハイクで大き目の街に出向き、そこの教会に3、4週間程度世話になって事なきを得た。大き目の街であれば教会もたくさんあるので、心ある本質的な教会もある確率が高いだろうと踏んだのである。
 
 

オーストラリアの砂漠で置き去りになったときも、やはり最良の行動を取っていた。ハエが半端ではないのだが、ハエ以上にマズいのは防寒対策である。砂漠の夜は冷え込むことを私は知っていた。

したがって、寒さに備えるために、日没前から迅速に天幕を設置し、寝袋、服の着替えを迅速に備え終え、天幕に入り寝袋に入って待機したのである。
 
 
 
 
不可能に思えた脳の機能の問題を消滅させた事例もそうである。もはや、誰もこのことは異論はないと思われるが、私の喋り、話の展開などを聞けば、わかるはずである。

例えば、誰も西村ひろゆきを感情コントロール障害者だとは疑わないはずだろう。話がうまく、饒舌な人間に感情コントロールに問題を抱える人間は存在しない。

今の私は話がうまく饒舌である。私の動画はこのブログの他にはてなブログの方に公開している。そもそも過去の私は最重度の言語障害を抱えていた。なのに、この喋り具合である。言っておくが、薬等は一切飲んでなどいない。人の脳は本当に変わるモノである。医学・科学など全くのデタラメではないか?
 
 
 
 
仕事でも成功する。
株をやっても成功する。
 


 
私のことを低く見ている人や馬鹿にしている(きた)人は多いかと思うが、私はそう見ている(きた)人よりも間違いなく年収(株の収益も含む)は高い。
(高収入なのに馬鹿なのは一部の国家公務員を除いては存在しない)
 
 
 

過去の自分の行動を逐一振り返ってみると、支離滅裂な高リスクの行動の裏できちんとリスク管理(その状況下における最適な行動を取る)が、いちいち完璧にできていたのである。これには驚かされる。
 
 
 
自分を自画自賛しているように思われるかもしれないが、私は事実を論じているだけである。総合的に判断した場合、恐らく私の知能は相当に高い。(事実、私は自衛隊の知能検査でかなり高い数値が出ているということで上官から呼び出されている)だから、問題解決能力が結果的に何事においても高くなったのだろうと述懐する。
 
 
 

イエローナイフの件にしても、あれは本気だった。あと30秒から60秒、B&Bへの到着が遅れていれば、私は間違いなく死んでいただろう。大体、ピルを大量に口の中にウォッカでほおり込んで飲み込んだ時点で、「終わった」と自分の命が尽きることを本気で覚悟したのである。

あれを安っぽい脅しだとか、振り回し行動だとか見ている人間を一笑に付す。私は誰よりも自分(人間)の命の重さを知っていたのである。当時の私は特攻隊の遺書を暗記するほど読んでいたのである。

あの時、仮に本当に死んでいても、後悔はなかった。
(It made sense very wellである)
 
 
 
 
 
ただし、元来の私は一つだけ欠点があった。それは生活能力の低さである。学校にランドセルを背負わないで登校したり、モノをなくしまくったりしていたのだ。この生活能力の低さが社会生活での極度の居心地の悪さにつながってしまったのだと振り返る。
 

しかし、生活能力の低さすら大幅に強化していくことが実際に可能だという事実に気づいてしまう。




私は初めから器用でスキのない性格だったのではない。努力していたら、結果的に、勝手にそうなっただけの話なのである。





しかし、知能の高さなどというモノは二の次、三の次だと本気で思えるのも事実。一度立てた目標・目的に対し、何度もつぶされようとも、決して諦めない、最期まで張り続ける力がモノをいったのではないかと感じている。

意志の強さとその持続力である。つまり、念ということ。私の念は強力である。
自分の人生を代償として破壊し、制約にかけてきたためなのだからーーー。


往西 俊治

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反社会的行動へのシンパシー

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誰かが反社会的な行動を取った人間を肯定するのは間違いではあるけれども、そういう反社会的な行動を取った人間を礼賛する者にも特有の心理・ロジックがある。
 
例えば、順風満帆の人生を歩んできた人が、ある日突然、不治の病を宣告されて「もう1年も生きられない」ということが発覚し、病院で辛い治療生活を送ることになったりしたとする。

 
そういうときに、周囲の人間と自分を対比的に考えて、「なぜ、まわりは楽しい人生を歩んでいるのに自分だけこんな酷い目に会い、しかも死んでいかなければならないのか?」という怒り、激情が込みあげてくるのは人情でしょう?
 


そうして、そういう怒りだとか激情が何か反社会的行動を取った人間への何らかのシンパシー(共感)になって、そういう人間を部分的にせよ崇拝するようになる・・・・・・っていうケースは多いと思いますが、ね。
 
 
 
 
自分が本当に救いのない八方ふさがりの状態に追い込まれた人であれば、理解できることだと思います。
このような状況下に追い込まれた人間は、正常な心理状態にありません。それを捕まえて、十把一絡げに非難したり、異常者扱いするのは間違いでしょう。



誰だって、いきなり明日が絶たれれば自分の人生に絶望するでしょう。(一部の例外的人格者は除いて)
人生に絶望すれば、当然、社会的なモノから反社会的なモノへと興味の対象、意識は移ろっていくことになります。



反社会性(Anti-socal)は世の中の構図、在り方自体を完全否定するモノなのだから、当然の話です。(そもそもの話、人生に絶望したモノがアウトロー化しているわけです)
 
 
 

私は反社会的行動を犯した各種犯罪者は頭のオカシイ基地外だと思っていますが、そういう人間に一種のシンパシー*を覚える人々の心理は十分に理解することができます。(*特殊の趣向を持つ性格異常などの異常者は除く)
 
 
 
人間という生き物は、今まで白だと思っていたものを、いきなり黒に変えてしまえるような、脆さを持った生き物なのです。



このようなことがわからない人は、本当の意味の人生を今まで歩んできていない公算が大きいのではないかと考えられます。


往西 俊治

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#色々⑤

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#行動


イエローナイフ、オーストラリア、メキシコでのあの行動をもし俺が取っていなかったら、俺の人生は間違いなく終わっていたね。
 

どんな醜態を晒すことになろうが、行動したことには変わりがない。そして行動することは誰にもできることではない。

多分、俺があの時期に出会ったどこの誰よりも一番、自分を曝け出して、本気になっていたのではないかとも思ったりする。


自分を曝け出すのって捨て身の勇気が必要。
捨てない限り、自分の中にあるモノをすべて外にぶちまけるなんて、普通出来ない。
 
 
あれがあったから今があるのだが、
逆に、あれをやらなかったら、"間違いなく終わっていた。"
 
 
誰が悪いのって?本当は俺は全く悪くなんてないのだよ。
1㎜も過失なんてないよ。でも、自らの人生の責任(ケジメ)を全部引き受けましたよ。

#死の覚悟

本当にどうにかしたいと思っているのに、誰かが邪魔したとする。

家族に反対されたんなら家族と離縁して来ればいい。
旦那に反対されたのなら旦那と離婚して来ればいい。
国家が許さないのなら、国家を捨てればいい。
 

誰かに反対されただとか、誰かに非難されただとか、国家が許さないだとかいって自分の挑戦、やりたいこと、本当は望んでいることをやめてしまう人は物事に本気になんて全くなってなんかいない。


自分の目的完遂のためなら、全てを捨てる。
手段を択ばない。なりふり構わない。


 
自然とそうなるはずです。


もし、どうしても目的が達成できない。東の門も西の門も、北の門も南の門も閉ざされると理解したのであれば、その時は死ねばよい。
 
私は本気で言っています。

このように、常に死を意識して生きることが、死の覚悟だと思います。


#制約の鎖

ハンターハンターのクラピカは制約の鎖という念能力を使います。この原理の念能力を、実は我々も使うことができます。

念能力は、使用条件を絞り込む(厳格化する)ほど強くなります。

 
註:クラピカは自分の念能力を”幻影旅団”にしか使わないという誓約を決めています。 そして制約にしているのは自分自身の命。(=使用対象を絞り込み、リスクを取って掛値を最大化している)


(制約と誓約)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
(ⅰ)使用対象を絞り込めば込むむほど念は強くなる(制約)
(ⅱ)犠牲(リスク)を大きくすればするほど念は強くなる(誓約)
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
の2つだけです。


(ⅰ)使用対象を絞り込めば込むむほど念は強くなる
(虫眼鏡で太陽光を小さく集光していけばいくほど、強力なエネルギーが一点に集約される=
紙に火が付くのと同じ。)

(ⅱ)犠牲(リスク)を大きくすればするほど念は強くなる
(自分の持っているあらゆる欲望を捨て、そのエネルギーを目的完遂の方へ全て向ける。すなわち自分の命を目的完遂のために掛けてしまう)
 


この原理をよく理解しておけば、目標の達成に我々も役立てることが可能です。もちろん、ハンターハンターのような実際の念能力を我々が使うことはできませんが、実質的には意志の強さや断行する行動力、諦めない想いは”念能力の一種
”と言っても良いことでしょう。


極大の犠牲(リスク)を取り、極限まで使用条件を狭め、使用対象を限定化するほど念能力(あれてこの用語を方便として使用しますが)は強くなります。
 
例えば、本気で自分の命を目的完遂のために懸けているのであれば、どんな弱者であっても他の他人よりも、そして強者よりも、強い念能力(目的実現力と言った方がわかりやすい)を使用することが可能になってくるわけです。


他人と掛値の桁が違うのだから当たり前の話です。


#不可能に思えることほど挑戦するべき


不可能に思えることを可能にするには、それだけ自分が変わらないといけない。
だから、不可能に思えること、絶体絶命の四面楚歌の状況ほど実は好ましい。
 

繰り返すが、自分が劇的に成長しない限り、不可能を可能にすることは絶対にできないのだから。創意・工夫・努力を徹底しなければいけなくなります。



往西 俊治

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色々④

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#ダメだと思えてからが本番

ダメだと思ってからが、腕の見せ所なんですよ。

自分でもうダメだと思うなんて当たり前の心情です。誰だってそう思うだろうよ。自分で勝手に思い込んでいるんだね。
 
砂漠にヘリコプターで落とされれば誰だって、本気になりますよ。一人で砂漠に独り取り残されて見れば、怖さがわかります。

あたり一面見渡しても、自分と砂漠だけなんだね。
そういうところで判断を誤ると死ぬんですね。

そういう経験を意図的に何度もしてみればよい。でも、多くの人には死ぬまでそんなチャンスはないと思う。あるか?


ダメだと思えても、多くの場合、それは己の錯覚に過ぎない。そうそうひ弱に人間なんてできてないのだから。今現在存在し生きている者の中に弱者なんて存在しませんよ。

何かが劣っていれば、他の何かが突き出て、バランス取るに様にできている。その突き出た部分を伸ばせば、世の中で生きていけますからね。
 
だから、ひたすら挑戦し続ける。工夫し続ける。努力し続ける。そうすると、道は勝手に拓けてくるのだと思いますがね。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
#病人面すると救われない

私は今まで病人面したこと今の一度もないよ。
 
自分は○○病でうんぬんかんぬん。
そんなこと言って、自分を特別化扱い自他に求めたことなんて未だ嘗てない。
 

自分を特別扱いしていると、進歩しなくなっちゃう。
自分を弱者だと思い込むと、物事に挑まなくなるからね。
 

ほんとは、自分は健康な人間と一緒だって、健康な連中と張り合っていれば
いつかそういう連中を捕捉できちゃうのだけどね。
 

病人面がやめれない人って非常に多いですね。自分を特別扱い、悲劇のヒロイン扱いしたら、終わりなんですよ。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
#本当のその人

その人が書いたモノだとか喋ったモノだとか経歴だとかを重視するのではなく、
実際にその人に会った時の印象を見るべき。
 
実際に会った時に感じた印象が本当のその人。
 

まともな人だと感じたのならば、その人はまともな人だということ。
本質は自分の感覚で判断することができます。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
#決断力

株が強い人に共通して言えることは、強い決断力がある人ということ。自分が決めた通りに決めたことを執行できれば収益はでます。


何円下がったら切って、ってやっていれば損失なんて嵩まない。損小利大が狙えます。
でも、それが出来ない人が多い。何かと理由をつけて、This time(case) is diffrentと人は言うんです。
 

これは人生における決断にも、そのまま当てはまると思います。


どうしようかな、こうしようかな、やってみようかな、ウジウジ考えている姿ほど醜いモノはない。特に男はそうである。そういう優柔不断見ていると、蹴り飛ばしてやりたくなってくる。

熟考するのは良いが、延々と堂々巡りしていると勝機を逃すことになる。
先に動いてしまった方が良い場合が多い。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
#10%

東洋人だろうが、白人だろうが、黒人だろうが、優秀なのはたった10%くらいで、ここに含まれない人々は警戒にすら値しないと思います。

少数派を中心に世界は廻っているというわけです。少数派が得をして、多数派は大損するように世の中はできている。

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往西俊治

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色々③

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ブログ投稿を音声で解説しました。
#神秘体験
 
座禅によってですね、その前から私は、何度も神秘体験をしてきたんですね。座禅が深まるにつれて自分の体の感覚がなくなって、空気と一体化したかの如くなったり、幽体離脱して自分が座っている姿が俯瞰的に見えたりですとか、座禅によって時間間隔がおかしくなって1日が数時間で終わるような状態になってしまったり、ですね。


そういう時って気分が本当に最高でしたね。ほんと、天下を取ったみたいな気持ちになる。
 
だからこそ、座禅に執着した。これは本当物凄いってね。これを奪われるくらいなら死んだ方がマシだって本気で思って、ですね。



座禅だとか瞑想をやっていて、この類の神秘体験をしたことがないっていうのは、むしろ、それは逆にオカシイと思いますよ。
(神秘体験の話をすると、危ない病気だという人もいるのだけれども、いや座禅だとか瞑想で経験するエピソードというのはそういうもんだって、昔の禅僧の伝記にも出てくるだろう。といってやりやくなるね)


ところが、こういう人つまり座禅をしても神秘体験を経験しないという人が結構多い。海外の連中にも教えても、続く人はほとんどいないし、何も変化がないって報告受ける。お前みたいな白人の強者が座禅やったら鬼に金棒だろうにって奴に教えても、できないんだね。


もしかしたら、こういうのって才能も関わってくるのかもしれないと、ちょっと思えてくることもある。


私の両手の手相には、仏眼紋と神秘十字線というものがあるのですが、これは霊感が高い人に現れると言われている。
この定説の象意の通り、私は今まで魔境だとか神秘体験だとか、実際そういうの多く経験しているんですね。


メキシコのプエルト・エスコンディドという港町に居たとき、公園で座禅をしていたのですが、今までにないくらいに深い瞑想状態になったのですが、そのとき、人・事物がスローモーションで見える、今ばやりの言葉で言えばゾーン状態に入りました。


この時、自分の意識が外に拡大していくのを実感し、この世界がメロディーとハーモニー(リズムといった方が理解しやすい)
によって成立しているということに気づく体験をしたんですね。

言葉では説明し難いのですが、

⑴前から歩いて来る女性の足が地面に着くタイミング、
⑵自分の周りの風が強風に変わるタイミング、
⑶自分の横を自動車(金網の外は車道だった)が猛スピードで駆け抜けるタイミング、

のすべてが完璧に一致していたわけです。

⑷自分の意識が拡大するのも同じタイミングだったので、⑴~⑷のすべてが全く同じタイミングで起きたということになる。

メロディー(音(動作も含める))とハーモニー(タイミング)が、完璧に一致していた・・・・・・。驚いたね。これには。


これを見て、関係念慮だとか言うのは、少しおこがましいと思いますね。確かに私の体験談に過ぎないので主観なのは確かなのですが、一応参考意見としては聞いてみるべくなんじゃないかなと思いますね。スウェーデン人でヨガをやっている奴に話したら、「トシ!面白い、それ。信じるよ」って言っていました。

スクエアの名作「クロノクロス」というビデオゲーム作品には、以下のような文言がある。

「DNAの記憶は、詩であり、音楽でもある。アデニン、グアニン、シトシン、チミン……、リズムとメロディ。もしかしたら炎は、炎に触れるもののDNAを、自ら内包する音によって、組み替えてしまうのでは……?生命は、永遠の音楽のなかで夢を見ているのではないだろうか?」

これを見たときですね、このシナリオを書いた人は、私と同じ経験をしているのではないかと思いましたね。
 
メロディとハーモニー、本当そうでしたよ。
  
異様でね。マジかって。
 
"ChronoCross Radical Dreamers 盗めない宝石 (lyrics)"
↑英訳が間違っていますが、シーンの編集の仕方が良いのでこのままにしておきます。
 

隻手の声じゃないですけど、延々と解けない公案がついに解けたというような感覚でした。量子論じゃないですけど、すべてがつながっているんだなって。

当時の日記にこうあります。
“この世界はリズムによって、成立している。あることがあなたの目の前で現象することは偶然ではない。あることが現象していると同時に、他のあることが現象している。”


先のクロノクロスに出てくる他の文言も、

「星たちが私たちの歌に合わせて瞬いている・・・・・・・(中略)
星たちは僕たちにいつでも歌いかけていたというのに・・・・ここしばらく君と毎日歌い続けていたけれど・・・・星が瞬いている音も海が泣いている音も沈黙でさえも・・・・・全てのものが歌い・・・全てのものが響きあっていることに初めて気づいたよ・・・・。」
http://gitenmattarblog.blog88.fc2.com/blog-entry-177.html

とあり、私の理解と同じです。やっぱり、同じ経験した人なんじゃないかって感じちゃうね。


私は脳の機能が認知を産んでいると言っているのですが、本当はこういうスピリチュアルな部分が存在するということも確信があります。ただ、誤解を招いたりするので、あえてそういうモノにタッチしないように自分の仕事では顧客に伝えるようにしています。(こういう世界は心が健全な人以外はタッチしない方が良い)

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~


他のエピソードを記します。
メキシコのエルモシージョという街に居たときの話
です。

ホテルのベッドに寝た状態で1点に意識集中していたら、金縛りにあって、目前にデカい黒い顔が広がっていくのがわかり、その顔はデカくて黒い、幽遊白書に出てくる裏男という妖怪に似ていた。
(前方に見えていた影が肥大化していって、その黒い顔が生じた)
 

その存在がですね、「お前は必ず殺す」って言って来たんですね。言語を媒介しないテレパシーみたいな通信手段でですね。(ここは私が他のブログで書いている、人がさらわれているんじゃないかと言われている、いわくくつきのホテルでした。エルモシージョという街のです)

「お前を殺す」を繰り返していました。

ああ、今までの俺の人生はこいつに憑かれて呪われていたんじゃないかと、戦慄しながら感じたモノです。どうりでおかしかったな、と。


その存在と対峙していると、自分の右前方に黄金の光が差し込んできて、「お前はただお前の好きなことをやってさえればいいんだよ」と何か聖なる存在が私に語り掛けてきました。それと同時にですね、その黒い顔は消滅したのです。


この時、わかったのはこの黄金の聖なる存在は、黒い顔をした魔人よりも遥かに強大な力を有しているということでした。


この話をオーストラリアに居るときから時折相談していた、日本の禅僧にメールで聞いてみると、メキシコは魔界に近い。死者のカルチャーとかあるでしょ。だから、そういう経験したんじゃない?と言われました。

(この人は元々幹部自衛官だった人で、自衛隊の航空管制職種に選抜されるくらいなんだから君は狂ってなんかないよと励ましてくれた人でもありました。自衛隊の職域適性検査や知能検査はかなり信憑性が高い。舐めない方が良いと念を押していましたね)


話を戻しますが、不気味なことにその1週間後に私は冤罪でメキシコの監獄に入れられることになりました。

この時思ったのは、やっぱりあの黒い顔の魔人がいっていた「お前を殺す」という話は本当だったんだと背筋が寒くなり、牢獄の中ではやることもなにもないので、ひたすら1日中、あの黄金色の聖なる存在に対して、祈っていましたね。

「私を見守るすべての事物、精霊、神、仏、霊よ私をどうかお守りください。」
って、ですね。私はこうした存在は今まで一切信じていなかったのですが、偶然にしては出来過ぎているので、さすがに怖くなったんですね。

あの黄金の聖なる存在に賭けてみたくなった。


そうしたら、無事3日で出ることができ、その後、私の人生は好転続きでツキにツイテいます。
短絡的な発想かもしれませんが、あの黄金色の聖なる存在が守ってくれているのだと思います。


私はこの類の存在の実在を確信しています。恐らく我々が知覚できない高次の次元に存在するんでしょうね。
昔から、洋の東西を問わず、龍、ドラゴン、フェアリーだとかルシファーだとか色々いわれているじゃないですか。


おそらく、昔の人は何かこういう存在を垣間見て来たんじゃないかと感じますね。じゃなければ、神話だとか伝承に残るわけないと思いますので。

スイス、ジュネーブのCERNの粒子加速器はこういった存在をこの次元に召喚するために実験されているという話があります。ホーキング博士が中止するように請願していましたよね。


ここまで読んで、こいつヤバいんじゃないかと感じる人もおられると思いますけど、私の体験談に過ぎないのでまあ参考程度に頭に入れて置かれると、何かあった際に役に立つかもしれませんね。

(註:私は客観性を欠くことはないので、こうした事実をあなたに強制するつもりは一切ないです。また、この自己の体験自体も「100%そうである、正しい」と客観性を欠いて肯定するつもりもありません。)


私はこのエルモシージョでの出来事は幻覚ではないと思っています。というのも、これらの存在が消えた直後に隣に寝ていた知り合いにこのことを話すと「Really?It's so scary」と言っていたからです。幻覚なら、隣の知り合いを知覚できない筈です。



下書き。

往西俊治

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色々②

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#隠し事を外に出すのが禅


自分の中にある隠し事をすべて公にぶっ放してしまうのが禅だと思う。過去の私は、通常人が隠したがるような事を一貫して公に公開してきた。恥ずかしいこと、事実なのだが社会通念上良くないこと、コンプレックスに思っていること、思っていても言っちゃったら確実に嫌われるようなこと・・・・・・など、すべて公衆の面前にぶっ放してきた。
 
 
なぜだろうか?


強くなるためーーー。


こんなの公開処刑(公の場で首〇りの実況中継する)みたいなものだから(facebook上の話)、やめた方がいいと仲の良い友人に言われたのだが、すべてぶっ放してきた。これ言ったら嫌われる、馬鹿にされる、低くみられる、基地外扱いされる・・・・・・そんなん承知の上の話だった。

 
座禅を組んで無心になるまでの過程って、色々な支離滅裂な考えがひたすら頭に浮かぶんだよね。それで、そういう膿が出切ってくると何も浮かばなくなってくるんだよ。


それと同じで、facebookだったらfacebookを禅に利用しようと思ったのさ。だから、自分の想いを正直に綴って出力評価したわけなんだね。公開処刑だろうが何だろうがね。望むところだよって。え?元々そういう捨て身の覚悟だったんだからね。


笑わば笑え、何とでも言えっていう精神。


これを見たあるドイツ人が、
「お前の投稿ほどweirdestな投稿、今だ嘗てみたことない。何にお前はいつも怒っているんだ?」っと言って来たんだけど、彼は正直だったね。そう、疑問に思えば正直に聞けばいいのさ。

「お前何でいつもこういう風な投稿してんの?」ってね。ここらへんは西洋人は率直に聞いてくれるから、むしろ仲良くなれる。



話を戻すけど、

人間が弱い理由は、隠し事があるから。隠し事があればあるほど人間は弱くなる。逆に、隠し事がどんどんどんどんなくなるほど、比例して、図太くなってしまう。刑務所の囚人が筋金入りになっていくプロセスがこれでしょ。秘密暴かれるほど、どんどん図々しくなっちゃう。


だから、囚人の例はともかく、隠し事を捨てるのが禅だと本気で思って、実際に行動に移してきたのさ。誰に何と思われようがね。


だから、例えば私が女とヨロシクやっている映像が流出しても痛くも痒くもない。したら、それで金儲けしますよ。


「あなたの不安だとか恐怖は、隠し事(人に言えないこと、隠しておきたいこと)に起因しているのではないだろうか?」



#Karen

just have a couple of beers, they only give you pills to make u as nuts as her, maybe you need to get a bitch thats not locked up or a serial killer , try an aussie chick u mite like.



#他人(他物)にできる限り頼らない

過去の俺は他人に一切依存せずに、自分自身の脳内に精神を安定強化する神経伝達物質を流す方法を強く望んだ。これさえあれば、何もいらないとすら思っていた。


俺の根本には他人は所詮他人であり、自分は自分の全責任を負っていて、最後の最後まで自分自身を見放さないのは自分以外には存在しないという強い確信があり、他人(他物)に依存して得る幸福感だとか精神的強さは、終極的には弱いということを20歳の段階で見抜いていたよ。


だからね、俺は座禅や瞑想を1日18時間近く組んだりしたとかブログ等に書いたりしていたが、これはハッタリではなく、本当に実行してきた。18時間座禅を行っていた時は、部屋に閉じこもって、香炉にお香を焚き、90分サイクルでひたすら組み続けた。過去の俺はこれくらい真剣だったわけ。もちろん、これは極短期間に限定した話だよ。長くても7日とかね。


当時の俺には90分の座禅なんてわけなくて、座ったらすぐでしたよ。寺に何年も参禅していたので、こういうのは慣れっこだった。
 


#他人を見抜く力

座禅をやって、他人を見抜く力はついていたと思うよ。相手の経歴を当てるの俺、本当に上手だったよ。観察力がついたのだろうね。相手の人生だとか職歴だとか、そういうのテキトーに言うと当たっちゃう。

豪州北部で出会った男に、「軍に従事それも特殊部隊のようなところにいましたね?」っていきなり聞いて、本当に当たってたことすらあった。

精神方面への座禅は迷走していたんだけど、シックスセンス的な方面では効果が出ていたようだ。


#思っていることが本当に実現してしまう

メキシコで俺、冤罪で牢獄に収監されたことがあるのだけど、心のどこかでそれを望んでいたのだね。20歳頃に尊敬していた人がイラン(メシェッドという都市)で監獄に入れられて、生死の境をさまよったという話に痛く感銘を受け、自分も傑出した人間になるため、「生きるか死ぬかの究極の状況に追い込まれたい」、と心の奥底で本気で思っていた。


そうしたら、その想いが本当に実現してしまった。


もちろん、冤罪でなんだけど、メキシコの牢獄に入れられようと思ったって、普通出来ないぜ?
いくら金払ったって、できない得難い体験をしたわけなんだね。

でも、普段から何を想っているかは本当に大切なんだということをこのときの体験から学びもした。極端に強い想いは実現しちゃう。


往西俊治

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色々①

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#反逆心

私は反逆心が非常に強い人間で、つねに一人勝ちを狙っています。

つまり、「本当に重要な情報は誰にも教えない。漏らさない。」という態度を徹底しているのです。
 

本当に重要な情報を他人に教えれば、他人を出し抜くことはできないからね。

そんなこと教えるわけないよ。


#少数派につけ

勝負ごとに勝ちたいなら少数派に着かないとダメだね。常に勝者は少数派だよ。株でもなんでもそうでしょう。愚鈍な多数派をだまくらかして、相場を盛り上げに盛り上げ、ごく少数の賢い人間たちが売り抜けて(あるいは空売りして)巨万の富を得る。

これは日常生活でも一般社会でもそうでしょ。常に成功者は少数派だよ。だから、常に自分の立ち位置がどこにあるのかどうか確認することをおススメする。


#スマホ依存

LINEだとかメッセンジャーだとかにみんな依存し過ぎだよ。いわゆるスマホ依存というやつね。そんなんで自分の仕事や勉強に熱が入るわけないじゃん。

とにかく、現代の若者(自分の世代も含めて)はスマホという娯楽に憑りつかれて、依存状態になっている。だから働く意欲や勉強する意欲は彼らにはない。

できる限り働かないで済むための延命措置が大学になっている。
 
LINEだとかそういうSNSの利用は、ビジネス用途の使用以外、スマートではないと思いますよ。本当にスマホ依存脱却したいなら、高齢者用の電話に変えるべきですよ。


#タバコはやめた

私は2年前にタバコをやめた。健康に配慮してではなく、論文を読んでムカついたから。
その論文は調整係数と称して、数字の改ざんを行っていたが、権威や機関がべた褒めしており、あほちゃうか、と感じた。

また、車を運転しながらタバコを弾圧してくる人だとか歩きスマホをしながら歩きたばこを非難してくる人間のナンセンスを見るにつけイラついた。


だからやめた。前者が一番大きかったね。その論文のスポンサーは航空業界でした。(笑)

 
往西俊治

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目標を常に形にしてきた。誰にどう思われようとも。

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今まで私は、基地外じみた行動や言動をしてきて、世界中で波乱にまきこれましたが、目標を常に形にしてきました。狂人扱いされようが、廃物扱いされようが、孤立しようが、馬鹿にされようが目標は常に形にしてきたわけです。


つまり、当時引っ提げていた目標をすべて実現し、結果を出してきたわけです。



この結果を人は見るべきだと思います。


私は自分自身を犠牲にしながら、目標を達成してきました。この過程ですべてを失ってきたともいえましょう。しかしながら、すべてを失ったからこそ、得ることができたと言えます。


わかりますかね?


何か本当に困難な、極めて難しい目標を達成したいのであれば、すべてを犠牲にしなければいけない。あれも欲しい、これも得たい、こっちも失いたくない・・・・・・そういう雑念だとか欲望を抱きながら、達成できるような困難な目標など存在しません。そういうのは困難な目標とは土台言えないでしょう。本当に困難な目標の達成に必要な気力、精神力は、そんな甘い話で済む次元のモノでは断じてないからです。


私は自分の問題を解決するために、身を挺して動いてきましたが、この問題の発生は私に責任はもともとありませんでした。すなわち、私は自分自身には全く落ち度のない事象のケジメを全て自分でつけさせられることになったのです。
 
 
その貫徹のために、その過程で、私は何もかも失いました。
(結果的にお金と能力だけは得ましたが、ね)
 
 
このことに対して、誰にも恨みはないし、責任を求める気持ちなどありません。例えば、自分の家が災害で壊れれば自分で建て直すしかないでしょう?それと同じことです。災害がどうのこうの責めても仕方がない。人に壊された場合も含めて、ね。
 

他人はとかく色々言います。が、そんなことは知ったことではありません。重要なのは自分自身であって、他人ではありませんからね。他人のために生きているのではなく、自分のために生きているんでしょう。人間は、ね。


自分のための徹底追及が最終的には他人のためになるのだと思っています。
 

往西俊治

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