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景気循環と国鉄 第2話 経済の発展と国鉄

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151系 国鉄のパンフレットよ... 151系 国鉄のパンフレットより
画像引用 Wikipedia
昨日も書きましたが、朝鮮動乱に伴う外貨の獲得は日本に好景気をもたらすきっかけとなり、昭和29年からは神武景気と呼ばれる好況な状況が作り出され、貨物・旅客ともに需要は増えていく状態でした。
 そんな中で、国鉄では積極的に輸送力の増強に努めるとともに、ディゼルカーによる地方ローカル線の輸送改善なども本格的に行っていきました。
当初投入されたのはキハ01と呼ばれる気動車で、戦時中に不要不急路線として撤去された白棚線復活用の車両として計画されたものですが、ご存じのとおり白棚線はその後専用道で復活することとなりましたが、白棚線に代えて、木原線(現在のいすみ鉄道)に投入することとなりました。
 模型等で見られた方も多いと思いますが、キハ01は両端にドアがあるタイプで、これは元々路面電車タイプで復活させることを目的としていたからだと言われています。
 当時は、自動車も発展途上の時代でしたが、既にその頃から地方ローカル線の扱いには国鉄も経費節減に努めていた他、地域特別運賃の導入や、レールバスの導入といったあらゆる経営努力はしていましたが、実効は上がらなかったようです。

「戦後は終わった」の合言葉とともに、始った30年代、巷では神武景気、更にはその後なべ底不況を経て、昭和33年6月から昭和36年12月まで続く岩戸景気に繋がってといわれた好景気に支えられ、国民経済は大きく発展しました。
 当時は投資が投資を呼ぶと言われ、マネービルという言葉が使われ出したのもこの頃でした。
 マネービル、ボディビルを真似た造語のようで、証券会社が積極的にこの言葉を使っており、当時家風呂が無かったのでよく銭湯に連れて行ってもらったのですが、銭湯の洗い場の鏡などに証券会社の宣伝が入っていて、マネービルという言葉が書かれていて、幼稚園児であった子供には何のことか理解できなかったと言う思い出があります。笑
 サザエさん(原作)でも、マネービルという話題が出てくるのもこの頃で、空前の投資ブームと言われました。(今のビットコインのような感じでしょうか)
 そうした好景気に浮かれる話がある反面、森永砒素中毒事件や、水俣病(当時は、原因は不明の精神疾患が多発と報告されていた。)などの食品に関する事件が起こっていた時期でもありました。
 この辺は、本題から外れますので省略させていただきます。

 話題を鉄道に戻しますと、昭和31年11月には最後まで非電化で残っていた米原~京都間が電化され、東海道線は全線電化が完成。
 これによりC62やC59など特別幹線用機関車はその活躍の場を山陽本線に移すとともに、東海道区間は快適な電化の旅となり、特別急行用の機関車には、淡いグリーン(通称青大将塗装)のEF58が客車とともに準備されました。
 当時は、現在と比較にならないくらい貧富の格差が激しく、特急は特別な人が乗車する列車であり、一般庶民は急行が最も早い列車と言われていました。
 その代わり、編成の半分以上が1・2等車(現在のグリーン車)という徹底ぶりで、(普通車は3等の時代です。)食堂車には、2等車以上の客しか入れないそんな風格のある列車でした。
景気拡大が続く中、昭和33年には、動くホテルと揶揄された、20系客車が151系「こだま」とともに、デビュー、ビジネスライクなこだまに比べ、個室寝台を1等座席車、食堂車などからなる全室冷暖房完備の車両は庶民の憧れと言えるものでした。
完全冷暖房、固定窓による快適な車内はたちまち人気となり、こだま同様切符の取れない列車として有名になりました。

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#なべ底不況 #国鉄 #岩戸景気 #景気循環 #歴史 #社会史 #神武景気 #近代史 #鉄道

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景気循環と国鉄 第1話 神武景気と鍋底不況と国鉄

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いただき物の画像から モハ52... いただき物の画像から モハ52形電車
京阪神急行を走ったモハ52もこの時期になると都落ちして飯田線に転出していった。
今回は、オリジナル記事として神武景気と鍋底不況と国鉄と言うことで書かせていただきます。
日本史で聞かれたことはあるかと思いますが、神武景気は昭和29(1954)年 12月から 昭和32(1957)年6月まで 31ヵ月間続いた好景気の俗称ですが、国鉄も、好景気を受けて第1次5か年計画がスタートするのは前述した通りですが、その原資となるべく運賃値上げは当初18%で申請しますが、運輸審議会の答申でその値上げ額は15%に圧縮され、さらに国会審議を経て13%に圧縮されたと言われています。
そこに来て、第1次5か年計画の当初に国際収支の悪化を端緒とした、公定歩合の引き上げが5月を始め、金融引き締めを強化したことで景気は後退、不況期(後になべ底不況と呼ばれる)に入りました。
これにより、鉄道輸送も大幅に後退を余儀なくされ、好景気を元に組んでいた予算ベースで比較すると、旅客収入で10億円、貨物収入では30億円の不足、計40億円の収入不足が見込まれるうえ、利子支払いの増加(約14億円)や、物件費などの増加(120億円)に入り、国鉄としては、初年度から計画にかなり無理が生じる形となりました。

その後、昭和33(1958)年7月からは日本銀行の金利引き下げと国内消費の回復で岩戸景気と呼ばれる景気回復局面に入りました。
この時は、積極的に工場などが建設され、投資が投資を呼びと言われた時代でしたが、国鉄の場合は輸送量の増加以上に人件費の増加、更に支払利子の増加が大きな足かせになったと言われています。
当時は人件費だけで100億円毎年増加し、利子払も34億円の増加したという記録があり?。
人件費の増加はいびつな年齢構成にあることがこの頃から指摘されており、適切な人員配置などの合理化がなかなか進まなかったことも原因と言われています。
どうしても趣味誌ベースで考える部分だけでは見えてこない、問題がいくつか潜んでいるように思えてなりません。

追記 2018/12/19

当時の大蔵省【現・財務省】の考え方としては、国鉄の改良工事などの必要性は認めつつも、政府は国鉄の施設改良に関しては、自前の資金調達などを促していました。
国鉄では、下記のように、「建設費については政府出資にすべきであると国鉄は主張しているが、今年もついにその実現を見るに至らず、加えて五ヵ年計画の線を上回る九O億になったことは、将来の国鉄経営にも、また五ヵ年計画の達成にも大きな影響もたらすものといえよう。従って改良費は逆に三O億程度圧縮された形となり、総係費の増加や利用債の増額等を考慮に入れるとその内容は前年度よりもかなり苦しく」という件があるように、国鉄のこうした施設改良はどこまでも国鉄の自力で行輪ざるを得ない状況でした、そのうえ、昭和32年には、地方納付金という名目の固定資産税が国鉄を含む公社に加算される上、国鉄のローカル線は国鉄の意思とは関係ないところで決定されて勧告されるという矛盾を持つことになるのです。

工事勘定の支出の面では、建設費が前年度の七O億から九O億に増額されているのが目立つ。従来から建設費については政府出資にすべきであると国鉄は主張しているが、今年もついにその実現を見るに至らず、加えて五ヵ年計画の線を上回る九O億になったことは、将来の国鉄経営にも、また五ヵ年計画の達成にも大きな影響もたらすものといえよう。従って改良費は逆に三O億程度圧縮された形となり、総係費の増加や利用債の増額等を考慮に入れるとその内容は前年度よりもかなり苦し〈、五ヵ年計画の達成には工事費の節約等にも特段の努力が要求されるのである。

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