Search Bloguru posts

祝福された感謝祭

thread
感謝祭には、欠かせないターキー... 感謝祭には、欠かせないターキーです。朝から仕込んで、四時半に食べ始めました ターキーの脚、大きいーーー!! ターキーの脚、大きいーーー!! たくさんのごちそう。何と、パイ... たくさんのごちそう。何と、パイは六つあったようです! こちらはデザートと、アパタイザ... こちらはデザートと、アパタイザーテーブル。。 若いお兄さん大好物の子供たちは... 若いお兄さん大好物の子供たちは、はしゃいでいたようです みなさんで、感謝なことを分かち... みなさんで、感謝なことを分かち合って、食事と笑いを分かち合った、素晴らしいひと時。この時こられたベルギー人の方は、また翌日の礼拝にも来られました。
感謝祭は、家族で集まる大切なホリデーです。

私たちは、いつも主人の家族に会いに行くので、
教会で何もできないことと、独身の方や、家族が遠くにいてお祝いができない、
ターキーが食べれない方々のことを思って、ずーーーっと気になっていました。

でも、今年は、教会員の方が、申し出てくださって、
家族が近くにいない人で、感謝祭ディナーを食べることになりました。

本当に、嬉しかったです。

私も、出かける前と、出かけた後によりましたが
本当に、喜びにあふれていて、感謝しました。

教会にたくさん、喜びと命が溢れていると思いました。

食事が終わっても、ずっと残っておしゃべりしたり、
みんなで一緒にお片付けしたりと、、、

感動、感動です。

来年もできたらいいなーー。

#感謝祭

People Who Wowed This Post

ホセア十章

thread
子供たちプラス、一人大人のアー... 子供たちプラス、一人大人のアート。テーマは犬です。みんな上手ですし、みんな絵とともに、ストーリーを持っています。とてもクリエイティブ。また、どんな人も、インスピレーションを感じたときには、それにともなうストーリーを持っているんだと思い。。感動しました。 この犬は、おうちの中にいて、お... この犬は、おうちの中にいて、お客さんが来たので、うおーーんと言っているそうです。家は自宅で、犬は、お友達の犬らしいです。
2017年12月3日日曜日礼拝メッセージ音声は、



★剪定のないぶどうの木、テストのない人生

ホセア10:1-1

イスラエルは多くの実を結ぶよく茂ったぶどうの木であった。多く実を結ぶにしたがって、それだけ祭壇をふやし、その地が豊かになるにしたがって、それだけ多くの美しい石の柱を立てた。

良く茂った。。。。誰も剪定をすることのないぶどうの木。生い茂り、伸び広がり、実はもしかしたら短い間だけ、初めの年は、小さくてもたくさんつけれるのかもしれない。リサーチしてみたら、剪定してない木はろくなブドウができないと書いていました。また、伸びっぱなしのぶどうの木は病気にもなるそうで、どっちにしろ剪定なしでは木はだめになってしまうようです。

神は、愛しているものを懲らしめる。
へブル12:5-6
そして、あなたがたに向かって子どもに対するように語られたこの勧めを忘れています。「わが子よ。主の懲らしめを軽んじてはならない。6 主はその愛する者を懲らしめ、受け入れるすべての子に、むちを加えられるからである。」

ダビデも、試練を通して学んだという。
詩篇119篇71節
苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。It is good for me that I have been afflicted, That I may learn Your statutes.

イスラエルは、あまりのわがままさに、剪定されることもなくなり、ついに裁きがイスラエルに下っているということになります。。。。みなさん、神様の保護の中、剪定されるぐらい、なんですか。剪定の痛みは、裁きの痛みに比べたら小さなものです。

★二心

ホセア10:2-5
彼らの心は二心だ。今、彼らはその刑罰を受けなければならない。主は彼らの祭壇をこわし、彼らの石の柱を砕かれる。3 今、彼らは言う。「私たちには王がない。私たちが主を恐れなかったからだ。だが、王は私たちに何ができよう」と。4 彼らはむだ口をきき、むなしい誓いを立てて契約を結ぶ。だから、さばきは畑のうねの毒草のように生いでる。5 サマリヤの住民は、ベテ・アベンの子牛のためにおののく。その民はこのために喪に服し、偶像に仕える祭司たちもこのために喪に服する。彼らは、その栄光のために悲しもう。栄光が子牛から去ったからだ。

〇二心になってしまったイスラエル。。。

信仰は聞くことから始まる。。イスラエルは神の言葉を聞くことをやめてしまった。すなわち、他の神々のいうことを聞くようになってしまった。
最初の人、アダムとエバの堕落は、どこから入ったか。それは、神の声を聞くことよりも、サタンの声に聞いた、そしてその声に従った。=自分の人生を支配する権利はあなたにありますというもの。

人は、同時に二人の神に仕えられないとある。
マタイの福音書6章24節
「だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。」

両方の声を同時に聞いて従うということはあり得ない。

★王が取り去られ、偶像が取り去られる

王がいない…イスラエルの王は、次々に内部からの反抗で変わっていきます。人は、王がいないと嘆きますが、もともと心が分かれ悪魔に聞き従っている人には、恋焦がれている完璧に王に見えても、すぐにその王も取って変えられるようになります。私たちも、神にそぐわない、偶像化した自分の利益のための王を求めるなら、それは、やってきてはまた去り、落ち着くことがないでしょう。

子牛の栄光は消えてなくなる。…イスラエルは、ベン・エベン= 悪の家の子牛と書いてありますが、これは、有名なヤコブが天への架け橋を見た、べテル=神の家のことです。イスラエルが神に出会ったその場所を、彼らは、偶像の祭壇にしてしまっていたのです。なんということでしょうか。そして、その姦淫の罪のために、もう敵がやってきて、いくら子牛にすがっても、無駄である。栄光は取り去られた。裁きが来るということを、言っているのです。
偶像の栄光は、一時的なものであり、永遠ではありません。また、それが幻想であることを私たちは覚えておきましょう。

★今は、誠実を養う時

ホセア10:12-13
12 あなたがたは正義の種を蒔き、誠実の実を刈り入れよ。あなたがたは耕地を開拓せよ。今が、主を求める時だ。ついに、主は来て、正義をあなたがたに注がれる。13 あなたがたは悪を耕し、不正を刈り取り、偽りの実を食べていた。これはあなたが、自分の行いや、多くの勇士に拠り頼んだからだ。

神様は、真の天の父です。イスラエルのしてしまった罪と悔い改めない心の結果として裁きは来ますが、神様は、まだ、道を示していらっしゃいます。それは、人生心を入れ替えてやり直すことです。一つ一つ、神の前に正しいことをし、誠実に生きる。神の言葉を聞き、神の言葉に従って行動すること。これを勧めておられます。

一からこつこつ誠実の種を蒔いていくこと。これが、何よりの近道です。。毎日、神の言葉を頼りに生きること。神のみ言葉に従うことを私たちもしていきましょう。
#礼拝 #ホセア書 #旧約聖書

People Who Wowed This Post

ホセア九章

thread
アメリカは、今週木曜日感謝祭で... アメリカは、今週木曜日感謝祭です。私たちの教会でも有志が集って感謝祭ディナーを食べることになりました。同じ建物で礼拝しているヒスパニック教会がみんなで今日感謝祭をしていました。大きな七面鳥です。あまりに大きくて写真を撮りました。 そして、ハム。右側。これも相当... そして、ハム。右側。これも相当大きいです。後ろのサラダボールは、とても大きくて、そうですね。。。。日本のたらいのようです。直径80センチくらいかな。すごいごちそうですーーーもちろん、それと南米料理がたくさんです。 日本人礼拝後、いろいろとおしゃ... 日本人礼拝後、いろいろとおしゃべりしたりなんかして遅くなってたら、なんと、私たちも感謝祭ディナーにご招待いただきました。えへっ。。。ちゃっかりいただいちゃいましたーー。
2017年11月19日日曜日礼拝メッセージ音声は、こちらから、



続けてホセア書を読んでいます。このシリーズが終わると、「安息」シリーズを始めたいと思っています。そちらの方で何回もでてくると思いますが、人は、神様の栄光と喜びによって生きていると言っても過言ではありません。神様の栄光のエッセンスがその似姿である私たちのうちに秘められており、私たちが神の前に生きるときに喜びがあるのです。この喜びは、天国のお金、ご褒美でもあり、私たちの日々の生きる糧でもあります。みな、神を知っても知らずしても、何らかの喜びを探して生きているのです。

1. 喜び楽しむな No joy, no pleasure

ホセアHos 9:1-4
1 イスラエルよ。国々の民のように喜び楽しむな。あなたは自分の神にそむいて姦淫をし、すべて麦打ち場で受ける姦淫の報酬を愛したからだ。2 麦打ち場も酒ぶねも彼らを養わない。新しいぶどう酒も欺く。3 彼らは主の地にとどまらず、エフライムはエジプトに帰り、アッシリヤで汚れた物を食べよう。4 彼らは主にぶどう酒を注がず、彼らのいけにえで主を喜ばせない。彼らのパンは喪中のパンのようで、すべてこれを食べる者は汚れた者になる。彼らのパンは彼ら自身のためだけであって、主の宮に持ち込むことはできない。

〇喜び楽しむな

麦打ち場、酒ぶねも、新しいぶどう酒も欺きである。本来、ルツ記でも読んだように、収穫後の麦打ち場は楽しいものであり、祭であり、お祝いでありました。ぶどう酒を作るワインプレスは楽しみでした。またぶどう酒は喜びの象徴でありました。しかし、アッシリアに移されてから、ますます偽の神々を礼拝していたイスラエルの民には、「姦淫の報酬を愛した」と書いてあるように、真の喜びではなく、自分勝手に頭で描いた喜びを追いかけてそれを楽しんでいるというのです。

よく、イエス様に出会う前の人生を、白黒テレビのようだったがイエス様に出会ってカラーになったように違う。と言い表したり、救われる前は、砂をかむような喜びだったが、今は、フルコースのごちそうを食べているような喜びだと表現する方があります。私も、例外ではありません。罪の中で、自分の思い描いた喜びを追いかけても、ひとっつも私を満足させるものはありませんでした。栄華を極めたソロモン王だってそう言っています。だから、若い日にあなたの創造主を知りなさいと彼は勧めました。その父、ダビデは、神に愛されている神の心近くを歩んだ人でしたが、罪を犯しました。その罪を犯して赦されるまでの日々の苦しみを詩編に書いています。

詩編Psalms38篇
v3 あなたの憤りのため、私の肉には完全なところがなく、私の罪のため私の骨には健全なところがありません。 6私はかがみ、深くうなだれ、一日中、嘆いて歩いています。7 私の腰はやけどでおおい尽くされ、私の肉には完全なところがありません。8 私はしびれ、砕き尽くされ、心の乱れのためにうめいています。

罪を持ったまま生きるのは、自分の頭では、自分の思い描いた喜びを追いかけてるようですが、本当はとてもストレスです。骨骨も干からびるほどの疲れ、体には炎症が起きている。何も完全でない。心がずっと乱れていると。。。

2. エジプトでのこらしめpunishment in Egypt

ホセアHos 9:5-9
5 あなたがたは例祭の日、主の祭りの日に何をしようとするのか。6 見よ。彼らが破壊をのがれても、エジプトは彼らを集め、モフが彼らを葬る。彼らの宝としている銀は、いらくさが勝ち取り、あざみが彼らの天幕に生える。7 刑罰の日が来た。報復の日が来た。イスラエルは知るがよい。預言者は愚か者、霊の人は狂った者だ。これはあなたのひどい不義のため、ひどい憎しみのためである。8 エフライムの見張り人は、私の神とともにある。しかし、預言者は、すべての道にしかけるわなだ。彼の神の家には憎しみがある。9 彼らはギブアの日のように、心底まで堕落した。主は彼らの不義を覚え、その罪を罰する。

〇エジプト--- エジプトとはメタファーとしての引用なのか、その後にバビロンがやって来ることについてなのかは定かではないですが、この世の象徴、そして、かつてエジプトで奴隷の身であったことから解放された身であるにも関わらず、またエジプトにやられるという屈辱を示している。モフ-- エジプトの首都

〇預言者--- 預言者は、イスラエルにとった耳障りのいいことを言わないので、狂ったものと言われていた。はっきりと、神からの警告を語り、神の御心を語っているのに、うっとおしいと感じる、言うことを聞かなかった。私の恩師は、「誉め言葉は悪魔からの言葉と思い、注意をありがたく聞きなさい」と言われました。私のような性格にはもう少し緩い方がいいのかもしれませんが、これには一理あります。

〇ギブアの日のように--- ギブアの日というのは、イスラエル人にとっては忘れることのできない残虐なことが起きた日です。士師記19-20章 レビ族一人が、ベニアミン族の人の家に泊まっている時に、その家のそばめが悪い男に死ぬまで乱暴されました。レビ人はこんなひどいことがあってはならないと死体を12に切り刻んで各部族に送ったという話しのことです。結局、ベニアミンの罪により、同国民が戦い、相手を滅ぼしそうになるという悲惨な結果になりました。その時の罪ほどに、イスラエルの罪は根深いというのです。。

3. 実りがない、子孫がない God sends barrenness

ホセアHos 9:10-14
10 わたしはイスラエルを、荒野のぶどうのように見、あなたがたの先祖を、いちじくの木の初なりの実のように見ていた。ところが彼らはバアル・ペオルへ行き、恥ずべきものに身をゆだね、彼らの愛している者と同じように、彼ら自身、忌むべきものとなった。11 エフライムの栄光は鳥のように飛び去り、もう産むことも、みごもることも、はらむこともない。12 たとい彼らが子を育てても、わたしはひとり残らずその子を失わせる。わたしが彼らを離れるとき、まことに、彼らにわざわいが来る。

〇イスラエルは神のブドウの木、実り期待されている木であった

イスラエルはよく神のブドウ畑とか、ブドウの木に例えられますが、ぶどうはぶどう酒を作る大切なフルーツで、喜びを表すものです。神は、どれほどに、イスラエルが神のために実を結び、そして美味しいぶどう酒のような喜びを神にもたらせ、互いに楽しみ喜ぶ関係を夢見ていたことでしょう。初なりのいちぢくとありますが、果物の木を植えたら実がなるのが待ち遠しいですね。初なりの実は、待ちに待った美味しい実です。神の御心は、産めよ増えよです。それは、神の栄光が増え広がり、地を覆うためです。それは、神の喜びが満ち溢れるからです。しかし、神の栄光の現れである性交が実りのないものとなる。私たちに与えられて委ねられている栄光から、栄光をもう産み出すことができなくなる、というのです。

みなさん、私たちの思いは、行動を産み、行動はその実を産むものです。私たちは、その人のならせる実を見て、いろいろと判断することができます。神様の好意、いつも証しがあるか、無いのか、あるいは、いつも平安と喜びがあるのかないのか。周りにいる人々が成長しているのか、救われてきているのかなどと、実を見ることで、信仰の在り方をも見ることができるのです。

4. さすらい人になる Becoming wanderers

ホセアHos 9:17

17 私の神は彼らを退ける。それは、彼らが神に聞き従わなかったからだ。彼らは諸国の民のうちに、さすらい人となる。

イスラエルの民は、エジプトから四十年もかけて神と共に定住せず約束の地に行きました。神と共にいたので、昼は雲の柱、夜は火の柱で導かれました。しかし、わが罪のために今度は、ほんとうのさすらい人になるのです。本当の迷子です。
神は、私たちを今日も美味しい実のなるぶどうの木とみておられ、実がなるのを楽しみにしておられます。罪から悔い改め、神に従いましょう。
#礼拝 #ホセア書 #旧約聖書

People Who Wowed This Post

ホセア八章 

thread
Facebook AZAMI ... Facebook AZAMI さんの写真をお借りしました。うちの近所からみえる風景です。シアトルは、寒いですーー

2017年11月12日日曜日礼拝メッセージ音声は、こちらから


ホセア8:1-14 誰に信頼するのか?

引き続き、ホセア書を読んでいます。毎週毎週ここのところは、神の裁きの言葉と憂いの言葉ばかりで、なんだかうんざりしてきます。みなさんもそうでしょうか。そう思うときに、それでも、まだ神は、忍耐して、イスラエルの民が立ち帰ることを待っている。裁きはあるが、それは、立ち直るための懲らしめであることも見ることができます。私たちならば、すぐに立ち去る、あきらめるようなことでも、神様は忍耐強く待つて下さっているということが分かります。

1. 角笛を口に当てよ Trumpet; Calling for War

v1-6
1 角笛を口に当てよ。鷲のように敵は主の宮を襲う。彼らがわたしの契約を破り、わたしのおしえにそむいたからだ。2 彼らは、わたしに向かって、「私の神よ。私たちイスラエルは、あなたを知っている」と叫ぶが、3 イスラエルは善を拒んだ。敵は、彼らに追い迫っている。4 彼らは王を立てた。だが、わたしによってではない。彼らは首長を立てた。だが、わたしは知らなかった。彼らは銀と金で自分たちのために偶像を造った。彼らが断たれるために。5 サマリヤよ。わたしはあなたの子牛をはねつける。わたしはこれに向かって怒りを燃やす。彼らはいつになれば、罪のない者となれるのか。6 彼らはイスラエルの出。それは職人が造ったもの。それは神ではない。サマリヤの子牛は粉々に砕かれる。

〇角笛は、戦いのための Trumpet; Calling for War

 神は、戦いのための招集を呼び掛けています。角笛は、戦いのために人々に喚起を呼び掛けるものです。とうとう、アッシリヤが鷹のように襲ってくるというのです。
主の宮というのは、イスラエルのことであり、今や金の子牛のヤロブアムの宗教の宮と化した宮です。
民は、勝手に王を自分たちのために立てていました。しかし、王も助けることはできず、敵が来るというので、民は、「私の主、私は主を知っている」というというのです。。。
しかし金の子牛、イスラエルが拝んでいるにせの神は、粉々に壊されるというのです。

〇ファンタシーと自分の思い Fantasy & Your desire

想像力はイマジネーションは神様からの賜物。人は、心に思うことを行動に移すものです。
 人は、窮地に追い込まれると、必ずファンタシーを持ちます。辛さに直面し続けることが成因的に耐えられないからです。空想の世界に休みを見出すことは、自然なことです。しかし、本当の休みがファンタシーの中にはないのです。人は、自分の思いと願いと人間的な知恵によって実現しようと必死になります。イスラエルの民は、金の子牛にその思いを託したわけですが、人は、自分の神を作り出す。また、ここで神に指摘されているように、自分にとって神に導かれていない人間・リーダーについていく。神様に選ばれていない人についていく。神の導きでなく、自分が良かれと思う人についていく。。。ということが起きます。すべての根っこは、偶像礼拝です。

〇偶像礼拝は、恐れからくるマニピュレーションであります。恐れは信仰の反対。

偶像礼拝の反対は、信頼です。苦しみの中にあるとき、祈りの課題があるときに、何に信頼するのか、空想を持つとき、ビジョンを持つとき、願いを持つとき、計画を持つときに、その都度神を信頼しましょう。神に導かれていくことを選びましょう。前回話したように、神に導かれて行くことは、時には、全てを壊されることかもしれない。しかし、信頼しているならば、必ず勝利を見ることになるでしょう。

神は、本物ではないもの、神から来ていないもは、粉々にすると、ここでも語られていますね。

2. 裁きを受けるイスラエル Judgment on Israel

v7-10
7 彼らは風を蒔いて、つむじ風を刈り取る。麦には穂が出ない。麦粉も作れない。たといできても、他国人がこれを食い尽くす。8 イスラエルはのみこまれた。今、彼らは諸国の民の間にあって、だれにも喜ばれない器のようだ。9 彼らは、ひとりぼっちの野ろばで、アッシリヤへ上って行った。エフライムは愛の贈り物をした。10 彼らが諸国の民の間で物を贈っても、今、わたしは彼らを寄せ集める。しばらくすれば、彼らは王や首長たちの重荷を負わなくなるであろう。

〇風をまくようなもの、

すなわち、種をまいたら刈り取りができるが、彼らは、神にあって何も種をまかず、風を撒くようなものであった。すると、つむじ風が来て、全部滅ぼしてしまう。アッシリアのことを言っている。

〇誰にも喜ばれない器、ひとりぼっちの野ロバ。――

器もロバも、用いられるためにあります。誰にも喜ばれない器とは、何も入れることができない、使うことができない壊れた器のこと。器が伝えなければ、器の意味がない。ロバも、交通や労働の大切な人間のパートナー。一人ぼっちの野ロバとは、労働のための人の役に立つものではない。ということ。

本来イスラエルとは、神に選ばれた民であるから、世界中の国々、人々に神を指し示す、神を紹介する役目を持っていたはず。。。

私たちも「用いられる」とは、ということを考えてみると分かる。自己実現の道ではないのです。弘法筆を選ばず、という言葉がありますが、弘法さんはどんな筆を使っても素晴らしい作品を書かれる。あなたがどんな立派な筆か知らないが、書く人がへたっびなら、いい作品はできない。私たちを用いられるのは、神です。
神に用いていただかないのなら、いい実はならない、いい作品は出てこないのです。
自分という器を、神に差し出すことがなければ、いいものができないのです。

イスラエルは、自分のわがままと、繁栄を求め、偶像と人によりたのんだので、いいものができなかったのです。ここにも、誰に信頼するのか。。。と神さまに問われているようです。

3. 神はイスラエルの捧げものを受け取られない Unaccepted Sacrifice

v11-14
11 エフライムは罪のために多くの祭壇を造ったが、これがかえって罪を犯すための祭壇となった。12 わたしが彼のために、多くのおしえを書いても、彼らはこれを他国人のもののようにみなす。13 彼らがわたしにいけにえをささげ、肉を食べても、主はこれを喜ばない。今、主は彼らの不義を覚え、その罪を罰せられる。彼らはエジプトに帰るであろう。14 イスラエルは自分の造り主を忘れて、多くの神殿を建て、ユダは城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放ち、その宮殿を焼き尽くす。

〇祭壇は、神に捧げているようで、金の子牛に捧げていた。
 多くの祭壇を作ったが。。。真の神へのものではなかった。。。

〇神の言葉をないがしろにしている。――神の教えを持っていることは、イスラエル人の誇りであり特権であったのに、自分の心の赴くままに行動し、神の言葉を無視することとなった。

〇いけにえ、宗教行事は、いけにえの肉を食べる会と変化し、いけにえの意味は踏みにじられてしまった。

〇神の存在を忘れているイスラエルに安息はない。

神の存在を全てにおいて認める。信頼する。

箴言Proverbs 3:5, 6

心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。6 あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。rust in the Lord with all your heart, And lean not on your own understanding; 6 In all your ways acknowledge Him, And He shall direct your paths.


#礼拝 #ホセア書 #旧約聖書

People Who Wowed This Post

ユダヤ教安息日体験

thread
大きなシナゴーグの天井はぐーー... 大きなシナゴーグの天井はぐーーーんと高く、空から星が落ちてくるような風になっています。すごく美しいです。ちゃんと写真が取れなかったのが残念 外は、こんな感じ。前の二人は1... 外は、こんな感じ。前の二人は180cm はあるとおもうので、どれだけ大きな建物か分かりますかね。。。天井が高ーーーいです。 会堂の前には、こんな感じで、メ... 会堂の前には、こんな感じで、メノーラなどのモチーフ、金色で豪華な感じです。。。大理石かなーー 小さいおヘや。真ん中の扉には、... 小さいおヘや。真ん中の扉には、聖書の巻物が入っています。途中で、ラビがじゃじゃーーん、という感じで開いて、巻物を取り出し、前の大きなテーブルに広げて読み上げます。 これは、安息日に使う、祈りや聖... これは、安息日に使う、祈りや聖書のみ言葉が
ヘブル語と、英語で書いてる本です。
聖書朗読には節がついていて歌いながら読みます。昔は、ニクドや句読点がなかったので、歌いながら読み方、区切り方を覚えて伝えたそうです。そのなごりだそう。。
みなさん、こんにちは

先週の土曜日には、素敵な体験をしました。

大学院の授業で、霊性と安息日というのを取っているのですが、
その授業の一環で、ユダヤ今日のシナゴーグを訪問することになりました。

シアトルのにあるシナゴーグは、とても豪華でした。1970年代に建ったようです。

大きな天井の高い会堂は、ステンドグラス風のモザイクの窓がとても印象的。
そして、いろんなところに、ダビデの星のモチーフ、メノーラ、モーセの十戒のタブレットなどのモチーフがほどこされています。

私たちは、小さいお部屋で、安息日の集いに参加しました。
ラビもとてもやさしく、みなさんもあたたかく迎えてくれました。

ユダヤ教は、もてなしの心が伝統ですが、本当にそれを肌で感じることができました。
おばあさんに、今日は、あなたたちと一緒にできてうれしかったよ。また来てね。と。

また、ラビもいろいろと私たちの質問に答えてくれました。

安息日の集いは、たくさんの祈りと、聖書の朗読、また聖書の内容のディスカッション、歌などがありました。
一時間ほどの集いのクライマックスは、聖書の巻物が現れ、それをラビがもって会衆の間を歩きます。
会衆は、お辞儀をしたり、キスをしたりして、神の言葉にたいする敬意を表します。

私の予想していたユダヤ教とは違っていまた。聖書の理解ももちろん、旧訳に関してですが、私たちに近いですし、神の言葉を愛する態度も素晴らしく、たくさん共感することがありました。

また、日本人としても、共感しました。
それは、集いの終わりにその日に亡くなった方々の名前を読み上げ、家族のために祈っていたことです。
ユダヤ教は、「記憶する」ことを大切にしていることは、旧約聖書を通して知っていましたが、死者に対しても、忘れない態度、というのは、非常に感動しましたし、何か、日本人にも通ずるあたたかい気持ちを感じました。

一つ、ラビから、優しく言われた言葉が、クリスチャンは、自分たちの教理の方が究極で優れていると思っていると思いますが、
そんなに素晴らしい教理なら、それに従って、よい行いをしてください。。。
と、

クリスチャンの国と言われている国ではありますが、アメリカに住んでいる悪は、底知れず、また、究極の資本主義、マテレアリズムは、強烈です。

「行いのない信仰は、死んでいる」という言葉が

新約聖書にもあります。

深く心に刻みました。

イエス様の究極の愛に従って、その教えの通りに生きるものでありたいと思った安息日の出来事でした。

いい体験をさせいただきました。

感謝しますーー

#安息日 #ユダヤ教 #大学院

People Who Wowed This Post

ホセア七章

thread
今日は、英語の礼拝で子供たちの... 今日は、英語の礼拝で子供たちの表彰がありました。なんと、小さいねずみちゃんが、新約聖書のタイトルを全部そらで順番通りに言えました。みなさんの前で披露しました。すごいーーー。えらかったわー 日本人礼拝後は、エリックとブロ... 日本人礼拝後は、エリックとブロック遊び、男同志で遊ぶのはいいよねーーーって感じ。いろいろと作っていましたよ。エリック、ありがとう。 秋です。。。家の近所はこんな感... 秋です。。。家の近所はこんな感じです。
2017年10月29日日曜日礼拝メッセージ音声は、こちらから。。。


今週も引き続きホセア書です。今週もイスラエルの罪とその結果についてと続いています。ホセア書のテーマをもう一度おさらいしておきたいと思います。預言者ホセアの言葉、ホセアの意味は、「主は救い」という意味です。また、彼自身が不誠実な自分の妻との間を神様に導かれて、何度も愛するようにしめされながら、並行して、神のイスラエルへの言葉を語っています。結婚関係に現されいる通りに、神と人との間のテーマは、契約に基づく愛であり、また、それに反してイスラエルのしていることは、姦淫であるというキーワードがありましたね。
さて、戦争になり、神に頼るのではなく、他国の王に頼るイスラエルの民、どうなるのでしょうか。

★主の癒しのあるところにカオスあり。

ホセア7:1 わたしがイスラエルをいやすとき、エフライムの不義と、サマリヤの悪とは、あらわにされる。彼らは偽りを行い、盗人が押し入り、外では略奪隊が襲うからだ。

一節では、神は、イスラエルを癒す時、と始まります。すなわち、神の御心は、神の民が癒されることです。私たちは、みな、神に従いたいと思っているのです。が、そうできない。それは、私たちのうちに霊的な病気があるからです。神の側では、それを癒したいというご意思がはっきりしていることを見ることがでます。また、できる、できないで裁かれるのではなく、できない理由を癒してあげようとする神の優しさを読み取ることができます。しかし、癒されるときには、私たちの不義と悪があらわにされなければならないというのです。癒されるためには、自分のありのままの姿が露呈されなければ、自分自身でさえも認めることができないのが、人の恥の仕組みであり、人の高慢、欺瞞であります。あなたは、神に癒していただきたいですか? 神の前に、あるいは、人の前にもありのままの姿をさらしてまでも、神の前に正しく生きて行きたいという、意思と覚悟があるでしょうか?

★中途半端は、ゼロと一緒

ホセア7:8-10 エフライムは国々の民の中に入り混じり、エフライムは生焼けのパン菓子となる。9 他国人が彼の力を食い尽くすが、彼はそれに気づかない。しらがが生えても、彼はそれに気づかない。10 イスラエルの高慢はその顔に現れ、彼らは、彼らの神、主に立ち返らず、こうなっても、主を尋ね求めない。

イスラエルとは、そもそも、神に選ばれた民であり、全世界が神と共にある彼らをみて、神を知るようになることが彼らの使命であり、特権でありました。しかし、今や、他国の民の中に入り交じり、神の民としてのなんの塩気も特徴もなく生きているというのです。新約にも、塩が塩気をなくしたらなんの意味がありましょう。という箇所がありますね。エフライムは生焼けのパンだと言われています。半分は焼けて半分はできてない。神の言葉を聞いても、従わない。神の民のようで、そうでない、中途半端な状態であるというのです。そして、何よりも、その生焼けのパンのようである自分自身の姿に気が付いてないとうのです。みなさん、自分の姿に気が付くというのは、簡単なことではないですよね。まず、他者がいないと、自分の姿に気が付くことができませんし、他者に反映している自分を受け入れてこそ、気づきになります。受け入れることも簡単ではありません。しかし、塩気を持つためには、半分神様に従い、半分自分の思いを通すということではできないのです。

★自ら罠にかかるナイーブさ

ホセア7:11-13
エフライムは、愚かで思慮のない鳩のようになった。彼らはエジプトを呼び立て、アッシリヤへ行く。12 彼らが行くとき、わたしは彼らの上に網を張り、空の鳥のように彼らを引き落とし、その群れが騒々しくなるとき、わたしはこれを懲らす。13 ああ、彼らは。彼らは私から逃げ去ったからだ。彼らは踏みにじられよ。彼らはわたしにそむいたからだ。私は彼らを贖おうとするが彼らはわたしにまやかしを言う。

箴言16:1-3
人は心に計画を持つ。主はその舌に答えを下さる。2 人は自分の行いがことごとく純粋だと思う。しかし主は人のたましいの値うちをはかられる。3 あなたのしようとすることを主にゆだねよ。そうすれば、あなたの計画はゆるがない。

愚かで思慮のない鳩のようだと言われた民は、大きな外国に頼ることが得策だと思い、そうするが、その大国は、敵国であり、飛んで火にいる夏の虫状態であることを盲目的に理解できないという状態でした。私たちも、自分の思いに頼ると、罠に陥ります。しかし、箴言にあるように、神に委ねるときに、私たちの道はゆるがないものになります。ある人が言いました、神に委ねるというこは、自分の計画、思い事、全部、ぽーんと神様の方に投げ捨てることです。自分の手元にも何にもない状態。私たちも神様に委ねることができるでしょうか。委ねるとは、それがたとえその通りにならなくても、取り去られても大丈夫という精神状態です。ある意味、計画に対しての自我の死です。

★この世の満たしにご注意

ホセア7:14
彼らはわたしに向かって心から叫ばず、ただ、床の上で泣きわめく。彼らは、穀物と新しいぶどう酒のためには集まって来るが、わたしからは離れ去る。

人々は、食べるもの、すなわち、生活、新しいぶどう酒、一時的な喜びにひかれて行って、神に心から叫ばず、一時しのぎの満たしのために神から離れてるということです。私たちも、その点でよくよく考えなければなりません。イエス様も、マモンに仕えるか、主に仕えるか? 同時に二人の主人には仕えられないとおっしゃいました。

★的外れ

ホセア7:15-16わたしが訓戒し、わたしが彼らの腕を強くしたのに、彼らはわたしに対して悪事をたくらむ。16 彼らはむなしいものに立ち返る。彼らはたるんだ弓のようだ。彼らの首長たちは、神をののしったために、剣に倒れる。これはエジプトの国であざけりとなる。

最後に、イスラエルはたるんだ弓のようだといいます。どんなに的を得ようとしても、たるんだ弓では、的をまっすぐにいることはできません。的外れは、罪を表す言葉です。弓がたるんでいては、正しいことをしようとしても、必ず間違うのです。弓とは、なんでしようか。それは、神様との関係ではないでしょうか。癒す神が、今日、あなたの弓を正しくしてあげようと招いておられます。今日、神様に立ち返りましょう。


#礼拝 #ホセア書 #旧約聖書

People Who Wowed This Post

秋のパンプキンパーティ

thread
パンプキン君のお話し中。 ぼこ... パンプキン君のお話し中。
ぼこんとへっこんだパンプキン君を、農夫さんが養子にすることを決めたところ。。。
パンプキン君のお話し中。 心の... パンプキン君のお話し中。
心の中の汚いものを取り除いているところ。。。
みなさんの作品。 数えると30... みなさんの作品。
数えると30以上の作品が並びました。。。私のお気に入りは、下の段の右から二つ目。。。。
作り主にそっくりでした。。。。笑
ろうそくを入れて、電気を消すと... ろうそくを入れて、電気を消すと。。。あらきれいーーーーー
去る10月14日に毎年恒例のパンプキンバーティを行いました。

なんと、63名の方々が集われました。

まだシアトルに来たばかりの家族、またもうすぐ帰られる家族など、

様々な方々がいらっしゃいました。

童心に帰って、無心に、パンプキンを彫り、パイを食べました。

毎年恒例の、パンプキン君のお話も、披露され

神様の福音の種もまかれました。

#イベント #秋

People Who Wowed This Post

ホセア六章

thread
10月のお誕生日祝い、三人でふ... 10月のお誕生日祝い、三人でふーー。みんな大人なので、すぐにろうそくは消えました。。。お誕生日おめでとうございますーーー
2017年10月22日日曜日礼拝メッセージ音声はこちらから、


ホセア6:1-11

1 「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。2 主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。3 私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現れ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」4 エフライムよ。わたしはあなたに何をしようか。ユダよ。わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの誠実は朝もやのようだ。朝早く消え去る露のようだ。5 それゆえ、わたしは預言者たちによって、彼らを切り離し、わたしの口のことばで彼らを殺す。わたしのさばきは光のように現れる。6 わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。7 ところが、彼らはアダムのように契約を破り、その時わたしを裏切った。8 ギルアデは不法を行う者の町、血の足跡に満ちている。9 盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは仲間を組み、シェケムへの道で人を殺し、彼らは実にみだらなことをする。10 イスラエルの家にわたしは恐るべきことを見た。エフライムは姦淫をし、イスラエルは身を汚している。11 ユダよ。わたしが、わたしの民の繁栄を元どおりにするとき、あなたのためにも刈り入れが定まっている。

★民の悔い改めの呼びかけ v1-2

この箇所は、ついに民が、「神を知ることを求めよう」と、悔い改めを呼び掛ける声から始まります。状況は。。。。四章、五章であったとおりに、時は、アッシリヤ、エフライム戦争、神に頼ればいいのに、神の民は外国に頼った。前回五章で話しました通りです。そして、民は、「悔い改めよう。」を始めます。主は、私たちを打ったけど、立ち返ったら、きっと赦してくれる。。。と。
いよいよ、神様に心が向いたのだろうか。。。と、読み手の私たちの心は期待します。

★何事もイエスのよみがえりの力頼み?  V2

主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。After two days He will revive us; On the third day He will raise us up, That we may live in His sight.

仏教の中でも、日本に来て他力本願という考え方・言葉がありますが、これは、お経を唱えるだけで、とか、観音様によって。。。とかいうことですが、キリスト教で言えば、救いは他力本願以外の何物でもありません。しかし、一つ、日本仏教との違いがあります。それは、心根が変わることが要求されるところです。

〇心根が変わるのは、悔い改めから来るわけですが。悔い改めとは、180度生き方が変わること。

悔い改めは、真の神との個人的な出会いによってはじめて起こるものでもあります。頭で、いけないことだと認識して、悔い改めます。というのも、いいことですし、スタートラインとして素晴らしいことです。でも、遅かれ早かれ、もしその心が本気なら、神様とばちっと目が合う体験をするのです。もうそうなったら、古い生き方でいられないのです。自分が神に見られる=自分がどういう人間かはっきりわかる。神の瞳に映る自分を見る。自分を知って初めて神の偉大さが分かる。。。

〇この箇所は、諸説あります。キリストの十字架の死と葬りと復活の三日間のよみがえりを預言的に暗示していて、神の赦しを強調しているのではとも取れますし、また、民が、早く私たちの現状を変えてください。神様なら、一瞬で私たちを赦して何とかしてくれるはずだという何ともお気軽な、他力本願で言っているも取れるわけです。

私たち、クリスチャン生活もこの二つの狭間を行ったり来たりすることもあるのではないでしょうか。

神様の赦しとそこからくる回復を当たり前のように、くださいくださいと叫んでいる。神様には確かに、なんでもおできになります。祈りはどんな祈りでも必ず聞かれます。クリスチャンの祈りでなくても、神様に祈るなら、聞かれます。神様は、そのようにとっても忠実、誠実な方です。

その神様が求めているのは、私たちの心です。

★エフライムの朝もやのような誠実 v4-6 

4 エフライムよ。わたしはあなたに何をしようか。ユダよ。わたしはあなたに何をしようか。あなたがたの誠実は朝もやのようだ。朝早く消え去る露のようだ。5 それゆえ、わたしは預言者たちによって、彼らを切り離し、わたしの口のことばで彼らを殺す。わたしのさばきは光のように現れる。6 わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。

神の誠実さにマッチする誠実さは、この民にはなかったようですね。朝もやのようだとあります。朝湧き上がるけど、すぐに消えてなくなってしまようなものだというのです。口先だけの悔い改めとはそのようなものです。

何か、かなえて欲しい願い事があるときに、妙に熱心に教会に足を運んだり断食祈祷院に行ったりすることがあります。私も、その経験はあります。道が閉ざされている時、道が見えない時、よく断食祈祷院に行きました。一週間、祈り詰めました。しかし、いつもいつも教えられることがありました。それは、形ではなく、心だということでした。そして、その心があるなら、何がなくても大丈夫だということでした。

〇神の誠実Mercy -- ヘブル語の「ヘセッド」checedの本来の用法は、「契約の両当事者が互いに他方に対して守るべき忠誠と誠実の態度をあらわすこと」にあります。
日本語では、憐れみとありますが、契約に基づく誠実さというのが、本当の意味でした。私たちも結婚の時に誓いの言葉を交わし、結婚関係に入ります、毎日、その時の言葉通りに行うことで、約束を互いに果たしています。ちょうどそのような誠実さを神様は、私たちに求めているのであって、宗教儀式を求めていないというのです。約束は、行動がなければ、意味がない。。。のです。

〇信仰のなさ…神は、契約を必ず守られる誠実な方であるということを信じること、ここに私たちの力があります。たとえ、道が見えなくても、例え、道が閉ざされていても、神は生きていて、神は信じる者には必ず答えてくださる方だと揺るがない信仰を持つこと、これが、いけにえにまさる、私たちの誠実なのです。わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ。For I desire mercy and not sacrifice, And the knowledge of God more than burnt offerings.
宗教的になることでも、善行を積むことでも、なく、私たちの神の契約に基づく信仰が神を何よりも喜ばせるのです。

★悔い改めの実のない民 v7-11   忍耐のなさ

7 ところが、彼らはアダムのように契約を破り、その時わたしを裏切った。8 ギルアデは不法を行う者の町、血の足跡に満ちている。9 盗賊が人を待ち伏せするように、祭司たちは仲間を組み、シェケムへの道で人を殺し、彼らは実にみだらなことをする。10 イスラエルの家にわたしは恐るべきことを見た。エフライムは姦淫をし、イスラエルは身を汚している。11 ユダよ。わたしが、わたしの民の繁栄を元どおりにするとき、あなたのためにも刈り入れが定まっている。

神ご自身を信じないで、「一瞬で神によって状況が変わることを信じて」いた民は、口の根の乾かないうちに、もう、契約をやぶり、うらぎり、人殺し、姦淫をし、身を汚しているというのです。
口先だけきれいなことを言って、行動が伴っていない民。みなさん、私たちの信仰には、必ず行動が伴います。信仰と誠実は行いに現れることを私たちは忘れてはいけない。私たちは、心で信じているとおりに行動をするのです。

〇忍耐のなさ
イエスラエルの民は、神の手の下でしつけられる忍耐がありませんでした。みなさん、人は変わるには、体に染みついた癖と自分が戦ってその都度、神を選んでいくというプロセスが必要ではありませんか。この民は、そのプロセスの元で、じっと自分の罪深い心根に忍耐することができなかったのです。自分の汚さとエンゲージして押し問答して、毎回神に勝利していただく、という忍耐がなかったのです。「一瞬で神によって楽な状態にしていただけることを信じていた」のですから。
本当に悔い改めた人には、行動が伴います。心根が変わるので行動が変わるのです。しかし、行動を通して周りに分かってもらえるには、時間がかかるものです。みなさん、このプロセスを大切にしましょう。家族や、友人、親しい人に神様のすばらしさが伝わるのは、悔い改めの実を通してです。時間がかかろうと、神様を信じて、実を結ぶことを目指しましょう。

#礼拝 #ホセア書 #旧約聖書

People Who Wowed This Post

秋ですね

thread
秋ですね 秋ですね 写真提供は、Shun Taka... 写真提供は、Shun Takano さんです。ありがとうごさいました。
日本も寒いと聞きました。

こちらも寒いです。

私も、先週、先々週とほぼ毎日微熱で、
なんだか風邪気味でした。

みなさんは、大丈夫ですか?

紅葉がきれいです。

People Who Wowed This Post

ホセア五章

thread
シアトルの秋のそらです。とても... シアトルの秋のそらです。とても、さわやか。朝晩は、寒いですが、その冷たい空気もさわやかで、大好きです。紅葉で山もきれいです。日本の紅葉には勝てませんけどねー。こちらは、常緑樹が多いので。。。
2017年10月8日日曜日礼拝メッセージ音声は、


ホセア5:1-15

祭司たちよ。これを聞け。イスラエルの家よ。心せよ。王の家よ。耳を傾けよ。あなたがたにさばきが下る。あなたがたはミツパでわなとなり、タボルの上に張られた網となったからだ。2 まがった者たちは落とし穴を深くした。わたしは彼らをことごとく懲らしめる。3 わたしはエフライムを知っていた。イスラエルはわたしに隠されていなかった。しかし、エフライムよ、今、あなたは姦淫をし、イスラエルは身を汚してしまった。4 彼らは自分のわざを捨てて神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあって、彼らは主を知らないからだ。5 イスラエルの高慢はその顔に現れている。イスラエルとエフライムは、おのれの不義につまずき、ユダもまた彼らとともにつまずく。6 彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ。7 彼らは主を裏切り、他国の男の子を生んだ。今や、新月が彼らとその地所を食い尽くす。8 ギブアで角笛を吹き、ラマでラッパを鳴らし、ベテ・アベンでときの声をあげよ。ベニヤミンよ。警戒せよ。9 エフライムは懲らしめの日に、恐怖となる。わたしはイスラエルの部族に、確かに起こることを知らせる。10 ユダの首長たちは地境を移す者のようになった。わたしは彼らの上に激しい怒りを水のように注ぐ。11 エフライムはしいたげられ、さばかれて打ち砕かれる。彼はあえてむなしいものを慕って行ったからだ。12 わたしは、エフライムには、しみのように、ユダの家には、腐れのようになる。13 エフライムがおのれの病を見、ユダがおのれのはれものを見たとき、エフライムはアッシリヤに行き、大王に人を遣わした。しかし、彼はあなたがたをいやすことができず、あなたがたのはれものを直せない。14 わたしは、エフライムには、獅子のように、ユダの家には、若い獅子のようになるからだ。このわたしが引き裂いて去る。わたしがかすめ去るが、だれも助け出す者はいない。15 彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう。

歴史的背景
ホセアのイスラエルに対する預言、この預言は、アッシリアの侵略によって生じたパレスチナにおける、前733年いわゆるシリア・エフライム戦争を示していする。
敵に打ちのめされるという状況の中で。。

○神には知られているが、自分は隠れているつもり—恥 

V3-4 3 わたしはエフライムを知っていた。イスラエルはわたしに隠されていなかった。しかし、エフライムよ、今、あなたは姦淫をし、イスラエルは身を汚してしまった。4 彼らは自分のわざを捨てて神に帰ろうとしない。姦淫の霊が彼らのうちにあって、彼らは主を知らないからだ。

神は、知っていた。私たちが罪を犯している時も、どんな時も、私たちは神に知られている。Gaze 神のまなざしについて、以前話しましたが、私たちは、神のまなざしから離れるといいことがないのです。私たちは苦しみ、寂しく、むなしくなります。しかし、私たちは、神のまなざしから逃げてしまうのです。それは、罪から来る私たちの自動的な行動です。罪が入ると、罪悪感が入り、そして、恥が入り、恐れが入り私たちは神の目から隠れようとします。最初の人、アダムとエバが罪を犯して真っ先にしたことは、隠れることでした。物理的だけではなく、心理的にも、実は、脳科学的にも恥は、私たちを隠そう、または、人目に見えないようにしよう、まなざしを避けるようにするのです。恥と、脳について。

V4「彼らは自分のわざを捨てて神に帰ろうとしない。」とありますが、なぜでしょうか。

ここでも、恥が貢献しています。アディクションもワークホリックも仕組みが同じです。恥から恥へと私たちは導かれるようにサイクルの中にはまります。聖書は、御霊の働きによって栄光から栄光から栄光へと書いてあるのに、まるで真逆ですね。恥にとっては、感じることが恐怖です。見つかりたくないから、自分の脳や心の中でさえも、恥は、自分の存在を隠して、影武者のように人生を支配していきます。恥の存在に向き合わないために人は、自分の感覚を麻痺するようにするように行動します。ある人は、お酒によって自分を麻痺させ、この箇所では姦淫によって、また働きすぎでも自分の感覚を麻痺させることができます。その結果、どうなるでしょうか。また恥に導かれます。飲みすぎた、仕事でトラブル、また恥の恥になりまたくるくるサイクルに入っ行きます。

ブリネー・ブラウンは、人は喜びに耐えられない。と言いました。恥は、喜びという栄光ある感情に耐えられないというのです。これは真理をついてます。栄光が本当に欲しいなら、隠れないで神の前に出てこなければいけません。喜びをつかむには、ボルナラビリティがなくてはなりません。(隠さず神の前に裸になること。)

○躓きは、躓きをうみ、霊的な目が曇る、神が余計に見えない

v5-6 5 イスラエルの高慢はその顔に現れている。イスラエルとエフライムは、おのれの不義につまずき、ユダもまた彼らとともにつまずく。6 彼らは羊の群れ、牛の群れを連れて行き、主を尋ね求めるが、見つけることはない。主は彼らを離れ去ったのだ。

先のみ言葉に続いて、恥のサイクルの中にいては、主を見つけることは難しいとあります。躓く人は、何度も躓きます。不思議なことです。それは、一つの躓きが次の躓きを産み、躓けば躓くほど、霊的な目がくもり、心が麻痺していくからです。躓きを避ける最大の攻略は、いつも神様の前にボルナボル裸になれるかということにかかっています。神様に正されても、それに従う勇気があるか。神様の忠告を受ける勇気を持っているかということです。

○目に見える人/国に希望を見出そうとする、助けを求めても無駄だ

v12-13 12 わたしは、エフライムには、しみのように、ユダの家には、腐れのようになる。13 エフライムがおのれの病を見、ユダがおのれのはれものを見たとき、エフライムはアッシリヤに行き、大王に人を遣わした。しかし、彼はあなたがたをいやすことができず、あなたがたのはれものを直せない。

人は、自分の問題に気が付き始めたとき、行動を起こそうとします。神様は、この預言の中で、イスラエルは、神をないがしろにし、神を役立たずのようにみなし、自分の問題を直すために、大国に助けを求めたというのです。しかし、この大国でさえ、イスラエルの病をいやすことはできなかったのです。

人に頼ると罠に陥ると箴言にも書いてあります。何か問題が起きたときに、自分の問題が見えたとき、私たちは、人でなく、神に向かうべきです。今、何か、物事がうまく行かない、自分の腫物を見たなら、神に行くべきです。無駄な時間を過ごさず、神様を腐れにせず、そんな時こそ、神様に聞くべきです。

○罪を認め、神の臨在を求めること

v15 15 彼らが自分の罪を認め、わたしの顔を慕い求めるまで、わたしはわたしの所に戻っていよう。彼らは苦しみながら、わたしを捜し求めよう

  罪を知ることは、解放。罪を認めることは、自由。顔=臨在 神と共にいること
勝利の入り口は、ありのままの自分の状態に目が開かれることです。これは、簡単なことではありせん。自分を客観的に見れることは、成熟を意味しています。何も恥ずかしいことではありません。本当の自分を隠して、自分を美化して美化された自分を信じるのではなく、ありのままの自分を知り、そんなありのままの自分が神に受け入れられている、神に知られていることを理解するところに解放と成長があります。

自分が分かったら、もう癒しが90%なされたと言っていもいいくらいなのです。そういう意味では、人は、自分自身をもGaze することが難しい存在なのかも知れませんね。自分を見つめることを避けて、自分の美化した理想像を追いかけているのでは、それはそれで偶像礼拝のようになってしまいます。
自分を見つめること、そして、神の御顔を求める、つまり、神のまなざしの中に入ることは、私たちの解放と癒しであります。

#礼拝メッセージ #ホセア #旧約聖書

People Who Wowed This Post

  • If you are a bloguru member, please login.
    Login
  • If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
    Request Account
    Page 1/28
  1. <<
  2. 1
  3. 2
  4. 3
  5. 4
  6. 5
  7. 6
  8. 7
  9. 8
  10. 9
  11. 10
  12. 11
  13. >
  14. >>