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共に集まる Gathering together

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共に集まる Gathering...
2021年2月7日日曜日礼拝



クリスチャンほど、共に集まることを大切にする人たちはいないと思います。今日は、教会の交わりについてお話ししたいと思います。
私がクリスチャンになりたてのころ、とにかく、教会に来たくて仕方がありませんでした。ほぼ毎日のように教会に来ていたと思います。周りにクリスチャンがいなかったということもあって、教会というのは特別の場所であり、いこいと養いの場でありました。
初めて宣教旅行に参加し、海外でクリスチャンに出会った時、心が躍りました。喜びでいっぱいになりました。教会では、教会員同士、神の子ども同士ということで、兄弟姉妹と互いに呼びあいますが、初めてあう人種の違う相手を心から自分の姉妹、兄弟と呼べる妙な感覚で包まれました。
また、初めて大きな聖会、クルセードのようなものに言った時、圧巻でした。何千人もの人と同時に声を合わせて神を賛美し礼拝する時に、喜びが爆発的に沸きあがりました。まるで、天国の前味のようでした。

●共同体を重んずる神
私達の神は、私達一人一人に目をとめられる神ですが、また共同体の上に恵みを注ぐ神でもあられます。それは、ご自身が、三位一体の共同体であり、私たちは対人関係でのみ、愛を体験し、また愛を実践することが出来るように造られているからです。
聖書の中に、次のような言葉があります。
マタイ18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」20 For where two or three are gathered together in My name, I am there in the midst of them.”

キリスト者の集まるところに、それがたとえ二人、三人のような少ない人数でも、そこにイエス・キリストの臨在があふれるのです。そこに、神が共におられるという喜びがあるのです。
コロナ禍でネット配信で礼拝することが普通になっています。もう一年です。しかし、ズームなどでお顔を見ながら互いに話しが出来ることの恵みを大いに感じました。
私のシェルターでは、大勢集まるときはズームですが、最近毎朝スタッフがひとところに集まってお祈りをすることを始めました。ズームで祈るのと変わらないのではないかとはじめは思っていましたが。違うのです。神様の臨在が溢れてい、霊が励まされ、謙遜にさせられます。誰かの内に働いているイエス様が私にも働いて下さるのを感じます。

★なぜ集まるのか
ヘブル10:25
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。 not forsaking the assembling of ourselves together, as is the manner of some, but exhorting one another, and so much the more as you see the Day approaching.

では、私たちが集まって交わりを持つことは、どのような意味があり、大切さがあるのでしょうか。

●愛するため
パウロは世が暗くなるにつれ、人は愛さなくなるとテモテへの手紙で警告をしています。私たちはこれを注意深く聞きたいと思います。自分にのみ関心を置かざるを得ないパンデミックということを通ったあと、これが癖になってはいけないと思います。
私達は愛していないなら、その人に会いたくないのです。どうしているか知りたくないのです。愛が冷えると、家庭の中でさえ一緒に過ごす時間が減ってしまうのではないでしょうか。
私は、極端に引っ込み思案の人や、人に傷つけられている人で人の集まるところには出かけたくないという人にもよく会います。しかし、私たちは人を通して癒しを受けるのです。またコミュニティにいることから傷の癒しの完成を体験します。今日、これを聞いている人で、自分なんかが教会に行かなくても誰も寂しくないと思っている方、また人に躓いて教会に行くのが怖いと思っている方、どうか神様の助けが与えれますように。どうぞ教会に足を運んでみてください。神様の豊かな守りと導きがありますように。お祈りします。

●あなたの幸せのため
私達、人間にとって、コミュニティに属するということと、その共同体に貢献するということは健康上に大きな意味があります。私は家族の一員であり、私が何が出来るからではなく、私が私であるから属しているという感覚は、人の心にはなくてはならない感覚です。私たちは、キリストが代価を払って買い取られた者たちであり、天の父に養子縁組された者です。あなたはキリストによって、神の家族の一員です。あなたでいいのです。あなたがいいのです。また、人は社会、共同体に貢献しているときに脳内から幸せを感じるホルモンが出ます。またお祈りをしたり、神様に繋がっている時にも出ます。教会に集まりあなたでいること、それから神やコミュニティのために奉仕することはあなたの幸福感と癒しに繋がります。

●励ましのため
かえって励まし合いとありますが、励ますという言葉は、parakaleō バラクレイオーが使われています。すなわち、聖霊様をあらわす、バラクレートスから来ている言葉です。パラ共に、寄り添う形で、共に誰かといる、支える、助けるということです。私達にはそのような助けが必要です。聖霊様ももちろん助けてくださいますが、教会に属している私たちは、一人一人誰かを励ますように召されているのではないでしようか。
みなさん、順境の時は、私たちは一人でも楽しく信仰を保つことが出来ます。けれども、試練の時、逆境の時、私たちは、励ましが無くては、太刀打ちできません。私たちは、一人よりも複数でいた方が困難に立ち向かえるのです。
その励ましは、教えと矯正も含まれています。私たちは教会の集まりを通して知恵を得ることも多いのです。
次の聖書の箇所を読みましょう。

1テサロニケ5:14
14兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。14 Now we exhort you, brethren, warn those who are unruly, comfort the fainthearted, uphold the weak, be patient with all.

●祈りの奉仕のため
マタイ18:18-19
まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。 “Assuredly, I say to you, whatever you bind on earth will be bound in heaven, and whatever you loose on earth will be loosed in heaven. 19 “Again I say to you that if two of you agree on earth concerning anything that they ask, it will be done for them by My Father in heaven.

私たちが集って共に集まり祈ることは、天においても地においても非常に力があるのです。天の父なる神様はそれをかなえてくださいます。とあります。私たちは、集まって祈ることをやめてはいけません。これが、私たちの大切な奉仕です。木曜日の祈りは本当によく神様に聞かれます。木曜日のみなさんの祈りでとても励まされています。
私たちが肉体において共に集まり、交わりを持ち、互いに励ましあい、訓戒しあい成長を助け、たましいにおいても一つとなり、そして、共に祈り、天を地上に解き放ち、霊的にも一つになること、このように、霊、肉、たましい、どの分野においても私たちは、教会として一つになっていくことをめざしましょう。

教会にまだつながっていない人は、教会につながりましょう。教会につながっている人は、聖書の学び、祈り会などに参加しましょう。



#礼拝 #集う

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記念の石 A Memorial Stone

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記念の石 A Memorial...

1/31/21 バイリンガル礼拝メッセージ


ヨシュア記Joshua4: 5 -7
ヨシュアは彼らに言った。「ヨルダン川の真ん中の、あなたがたの神、主の箱の前に渡って行って、イスラエルの子らの部族の数に合うように、各自、石一つずつを背負って来なさい。6 それがあなたがたの間で、しるしとなるためである。後になって、あなたがたの子どもたちが、『これらの石はあなたがたにとってどういうものなのですか』と聞いたなら、7 あなたがたは彼らに言わなければならない。『ヨルダン川の水は、主の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水がせきとめられた。これらの石は永久にイスラエル人の記念なのだ。』」

★聖句の背景 Context of the Scripture
いよいよ、ヨシュアはモーセというリーダーについて今まで荒野を旅し、そして約束の地を前にします。イスラエルの民は、それまでは雲と火によって導かれていたが、今回、約束の地では契約の箱が先頭に立って民を導いて行ったのです。
今日の箇所の前の章、三章を見てみましょう。

ヨシュアJoshua3:13
全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」
And as soon as the priests who carry the ark of the Lord—the Lord of all the earth—set foot in the Jordan, its waters flowing downstream will be cut off and stand up in a heap.”

●ヨルダンを渡る経験 Crossing Jordan River
水が神の奇跡によってせき止められるというのは、モーセが民を率いて紅海を渡ったことに似ています。しかし、ここで違うのは、民はモーセが杖を上げただけで水が分かれたのをみたのと、ヨシュアの場合には、祭司たち全員の足の裏が、荒い水流に耐えて全員がしっかりと川底にふんばって立った時に水が止まったことです。
すなわち、モーセの時には、水が上がってから民は渡ったのですが、
ヨシュアの時には、荒い水流の中に自分たちの足を入れて、最後の祭司の足の裏が安定するまで耐えて立たたなくていけなかったのです。

どちらが信仰が必要でしょうか。後者ですね。目で見て水が上がってる時か、目に見える現実がまだ激しい川の流れかの違いです。

ヨルダンは信仰によって神の目的地に行くことを象徴しています。
また、ヨルダンでは、契約の箱が一番に水に入りました。契約の箱には、モーセの十戒、アロンの杖、そしてマナのつぼが入っていました。
この意味は、神の臨在現わされるところ聖なる至聖所と知られていますが、それに含まれるのは、神の律法である十の戒律、掟、そして、神こそがリーダーとしてアロンを選んだというしるし、神の召しのしるし、そして、神に従うものは必ず神が天から養ってくださるというしるし、マナが含まれます。
私たちは、神の目的に従って、約束の地に入るために激しい川の流れに足を入れることがあります。その時に、私達が
神の教えを信じ、第一とし、神に自分が選ばれてここにあることをしっかりと受け止め、そして、従うものには神の養いがある。お金の心配食べる物の心配はしなくていいことをはっきり信じる時に、神の御臨在があるのです。

私たちは、約束の地に入る時に、このようなことをはっきりと確信しなければいけません。

私たちの中で、救いのあと、今、約束の地に足を踏み入れようとしている人がいるかも知れません。ぜひ、この三つを信じてください。

そして、信じて、水の中に足を入れるのです。

★水を渡って After crossing the river
ヨシュアたちはいよいよ、約束の地を自分たちのものとする時が近づいていた。これから、激戦が繰り広げられ、さらなる神の御業とさらなる葛藤が待っている。導きではあるということが分かっているものの。それ以外は未知数である。神にのみしか確かなものが無いという時であった。

今、同じような岐路に立っている方もいるのではないでしょうか。今まで走ってきた、本当ならひと段落着きたいが、目の前にまだ神が導いて下さっている戦いがたくさんある。

そんな時、ヨシュアが民に命じたことは

★一人一人が石をもってくる Bring a stone
一人一人、十二部族の代表が川から石を持ってきなさい。ということでした。それを、ヨルダンを渡った記念とするためでした。あなたが何を信じ、どんな思いでこれを渡り、どんな願いを持って渡ったのか、神がどのようにその信仰に答え、水をせき止めてくださったのか、その奇跡を忘れないために、記念の石をとりなさいと言ったのです。

★神の知恵 God’s wisdom
これは、すばらしい神の知恵です。なぜなら私たちは忘れやすいのです。私たちは、信仰を用いて、今まで生きてきました。たくさんの悩みや痛み、ととに神のご介入を経験してきました。

神のはげまし――― 私の証し。私も最近鬱から解放された経験があります。それは、ただ長い散歩をしている時に、神様が一つ一つ思い出させてくださったのです。私の人生に何があったのか。どのように神が助けてくださったのが、どんな風に信じて、どんな奇跡があったのか。わたしに悪さをした人たちが最終的にどうなったのかなど。。。。そうすると、どんどん元気が出てきました。一人ではない。私はまだできる。と希望が湧いてきました。

実際に、ヨシュアたちは、これからどんどん戦いに入っていきます。成功的な戦いもあれば、困難なものや、失敗も経験します。また、疲れすぎて約束を手放しそうになる部族も出てきます。だからこそ、ヨシュアは、記念の石を自分の手で取ってきて、忘れないように、記憶の場所を作ったのです。

★覚えて感謝する Remember for thanksgiving
聖書は繰り返し、私達に忘れないようにと警告、またはげまされます。

詩篇Psalms103:1-5
わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
Praise the Lord, my soul; all my inmost being, praise his holy name. 2 Praise the Lord, my soul,
and forget not all his benefits— 3 who forgives all your sins and heals all your diseases,
4 who redeems your life from the pit and crowns you with love and compassion,
5 who satisfies your desires with good things so that your youth is renewed like the eagle’s.

主と自分との思い出を数えることは力です。
ぜひ、今あなたがいるそのところで、その状況で、神を信じ、神の導きと、備えを信じましょう。また、戦いをすることになれているあなたも、神に感謝しつつ、神を賛美しつつ霊をやしない力をいただいて行きましょう。しばらく、祈りましょう。感謝を数えましょう。
#ヨシュア記 #礼拝

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キリストを通してでなければ

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キリストを通してでなければ

2021年1月24日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ



ヨハネJohn14:1-7
1 「あなたがたは心を騒がしてはなりません。神を信じ、またわたしを信じなさい。
2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。4 わたしの行く道はあなたがたも知っています。
5 トマスはイエスに言った。「主よ。どこへいらっしゃるのか、私たちにはわかりません。どうして、その道が私たちにわかりましょう。」6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。7 あなたがたは、もしわたしを知っていたなら、父をも知っていたはずです。しかし、今や、あなたがたは父を知っており、また、すでに父を見たのです。」

まだイエス様を信じてなくて、迷っている人によく聞かれるのは、なぜイエス様じゃないといけないのですか?なぜ、慈悲深い神ならば、だれでもどんな方法でも救ってくれたらいいのではないですか?と言います。私たちは、自分たちの心の中の葛藤を投影し、独自の解放策を頭で作りだすものです。ただ、私達には何が放蕩の解放策かということを知らないのです。救いは、人の考えによらないからです。人が考え出すの救いの策が宗教です。しかし、イエス様はむしろ宗教を壊しに来られました。もっとパワフルなものを私たちに与えるために。
しかし、この聖書の箇所で分かるように弟子たちも迷っていました。

★心が騒ぐ時 When you are anxious
イエス様は、この前に、ご自分が去って行かれること、これから起きる苦しみについて弟子たちに話していました。弟子たちの頭は混乱しました。今まで全てを捨ててついてきたイエス様がいなくなる。苦しみ? 心が騒いで仕方がありませんでした。イエス様はローマ帝国を倒せずに捕まるのだろうか。。。と不安になったのです。
私達も、先に試練が来ることを察知する時に、心が騒いで頭で何も考えられなくなることが多いですね。落ち着いて、今までのイエス様のメッセージを思い出したり、出来ればいいのですが、同様してしまって、恐れに飲み込まれてしまいます。
そんな時、イエス様は、はっきりと、恐れや疑いに対して対処法を示しています。
それは、
神を信じ、またイエス様を信じることです。

以前にも言いましたが、私たちの脳には恐れと信頼は両立しないのです。恐れる時に恐れが頭を乗っ取ってしまう。また、疑い恐れは、信仰の反対方向に同じ働きをする。すなわち、まだ見ていない事を起きたと信じることであり、私たちは信じたとおりに自己と人生を形成してしまうのです。

イエス様は、はっきり、あなたに、
神を信じ、またわたしを信じない。とおっしゃられます。

★場所を備えにPreparing the place
というのも、神、イエス様は、ご自分のしておられることを知っておられるからです。なるほど、私達も結末を知っていたら、恐れることはないのだと思います。ハリウッド映画も、最後にハッピーエンドが来るからどんな過激な戦いのシーンでも安心して観られます。分かっているのです、最後に正義が勝つと。

神は、ご計画を持って、全てを導いておられます。たとえ、悪が一瞬勝つように見えても。イエス様は、捕まえられ、裁判にかけられ、文字通り苦しまれたし、それを見ると負けているように見えますね。
しかし、イエス様は、これを
私たちのために場所を備えにいく。と言われました。
どんな場所でしょうか。
それは、イエス様がもともとおられる場所。わたしがいるところにあなた方をおらせるために、イエス様は、ここから起きてくる苦しみに立ち向かわれるのです。
最終的には天国です。

それをはっきりと知ってい、神を信頼していたら、弟子たちは、心を騒がすどころか、祈り深く、信じ、神妙に待ったのではないでしょうか。

★わたしの行く道 The Way
イエス様は、V4わたしの行く道はあなたがたも知っていますYou know the way to the place where I am goingといいますが、トマスは言います、どこですか、どうやってその道が分かりますか?と聞き返します。Thomas said to him, “Lord, we don’t know where you are going, so how can we know the way?”

イエス様がどこに行くのか?
私たちがどこに行くのか?
どうやって行くのか?
この三つが分からないと、トマスはいいます。
確かに、まだイエス様と個人的に出会っていない人の質問はこのようです。
〇死後どこにいくのか?天国はあるのか?または、苦しみからの解放はあるのか?天国にはどうやったらいけるのか?
これは人類共通の質問です。

★わたしは道、真理、いのちI am the way and the truth and the life.
イエス様は答えられます。その答えは、イエス・キリストであると。
イエス様が道であり、真理であり、いのちであると。
すなわち、イエス様が天国にたどり着くための道である。ですから、イエス様について行ったら、いいのです。イエス様に注目していたらいいのです。また天国にたどりつく方法、真理、であります。どのようにして、というのは、イエス様です。真理、すなわち救いの方法はこの真理に限ります。罪の無いお方が、完全な神であり、人であられるイエス様が私の罪の身代わりとなってその刑罰を受けられる、これが真理です。これが、どのようにしてです。これを信じるなら救われるのです。宗教をやって救いに至るのではありません。イエス様を信じることが救いです。
また、イエス様は、いのちであると言われました。イエス様を信じることが私たちのいのちであります。私たちは、元気を失ったり、心配したり恐れたり、して、生きた心地というものを忘れることがあります。しかし、イエス様に繋がる時には、いのちが心にあふれ、元気になります。また希望がでます。そして、さらに道であるイエス様に従う活力をいただけます。そのいのちは永遠に続きます。
私たちは死んでも死なないのです。
私も今週、イエス様の命を毎日体験させてもらいました。祈りが効かれるのです。小さないのりです。仕事に神の助けがあるように祈りますと、本当に助けが与えられます。短時間で物事を終わらせることが出来ました。本当に、それを感謝するときにいのちがまた溢れます。

★排他的?Exclusive?
V6わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。No one comes to the Father except through me.
キリスト教は排他的であるという人たちがいます。しかし、他の宗教も排他的です。いろいろな宗教があります、しかし、いい人になれたり、毎日いい気分になれたり、人生が成功しても、救いの確信と日々の力はキリスト以外に誰も与えることはできません。

★父を見た Seeing Father God
イエス様は、わたしを見たならすでに父を見てる。と言いました。その後、ピリポは見せてください信じるからと言います。
見えない神は、肉をとってきてくださった、キリストに具現されました。キリストの行動、発言に全て表されています。
そして、自分の見たいように見せてくれたら信じるというのは、もはや信仰ではありません。

ヘブルHebrew11:1
信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.

ヘブルHebrew11:6 信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.

見たいように見せろという要求に気をつけてください。
私たちも伝道する時に、その質問に踊らされる必要はありません。

ただ、イエス様が言われるように、父が私におられ、私が父におられる、信じられないなら、私の業を見てみなさい。と。

★今私達がすべきことWhat do we do?
私達クリスチャンも、自分の足でたち、父の業をすることを今日チャレンジさてれいます。神は目に見えない。しかし、その方に従うものの内におられる。あなたが、神の手紙です。あなたの行い、言動によって人は神を知るのです。
神学論争で勝つことではない。神の愛を態度で示すことです。

天国までの道を、恐れず、とまどわず、キリストから目を離さないで行きましょう。
#礼拝 #道

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嫉妬の構造 カインとアベル  

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嫉妬の構造 カインとアベル  ...
  
2021年2月14日曜日バイリンガル礼拝動画はこちらから


創世記Genesis 4:1-13
人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。2 彼女は、それからまた、弟アベルを産んだ。アベルは羊を飼う者となり、カインは土を耕す者となった。3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た、主はアベルとそのささげ物とに目を留められた。5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。6そこで、主は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。7 あなたは正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」8 しかし、カインはアベルに話しかけた、「野に行こうではないか。」そして、ふたりが野にいたとき、カインは弟アベルに襲いかかり、彼を殺した。9 主はカインに、「あなたの弟アベルは、どこにいるのか」と問われた。カインは答えた。「知りません。私は、自分の弟の番人なのでしょうか。」10 そこで、仰せられた。「あなたは、いったいなんということをしたのか。聞け。あなたの弟の血が、その土地からわたしに叫んでいる。11 今や、あなたはその土地にのろわれてりう。その土地は口を開いてあなたの手から、あなたの弟の血を受けた。12 それで、あなたがその土地を耕しても、土地はもはや、あなたのためにその力を生じない。あなたは地上をさまよい歩くさすらい人となるのだ。」13 カインは主に申し上げた。「私の咎は、大きすぎて、にないきれません。

アダムとエバに子どもたちが産まれた。長男がカイン、そして次男がアベル。そして、二人は成長し、自分で働くようになり。神に捧げ物持って行った。
今日は、この二人の子ども、カインとアベルの捧げ物とそれにまつわる出来事から、学んで行きたいと思います。

★贖い・救いの待望 Awaiting Redemption
アダムとエバは、動物の皮衣を着せてもらっただけでなく、神様から救いの約束をいただきます。創世記3:15 に女の子孫から救い主がでると約束された。
アダムとエバは、救いを待ち望むがあまり、長子をカイン、「わたしは得た」Possession, a spear と名付けました。そして、そうでないことを悟り、次男はアベル「空虚」Vanity, vapor, breath. まるで救いが無いことがいかにむなしいかということを表現しているようです。

★贖いについて Redemption
贖いというのは、代価を払って買い戻すという意味です。例えば、私が奴隷の身になります、私を自由の身にするためには、誰かが、私の働きの分の代価を払う必要があります。誰かが来てその金額を払うと、私はその奴隷とされた場所から解放され自由になります。救いの原理もそうです。アダムとエバは罪を犯し、エデンにいられなくなり、死ぬようになりましたが、それから解放されるには、誰かが代価を払わなければなりませんでした。神様は毛皮を着せ、かれらに誰かの命の代価を払って彼らの恥が覆われることを暗示し教えられました。救い主が来る、すなわち、救い主が命の代価を払ってくれるということを彼らは分かっていました。

さて、カインは田畑を耕すものとなり、アベルは家畜を飼いました。
二人が神の前に捧げものを持ってきました。

★捧げもの Offering
V3-4 3 ある時期になって、カインは、地の作物から主へのささげ物を持って来たが、4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た、And in the process of time it came to pass that Cain brought an offering of the fruit of the ground to the LORD. 4 Abel also brought of the firstborn of his flock and of their fat.

そして、聖書には、神はアベルの捧げものに目をとめられたrespectedとあります。どうしてでしょうか。贖いと信仰の見方が重要になってきます。

●カインの捧げもの Cain’s offering
この箇所は私たちの教会でも初穂の原理について話す時に引用する箇所ですが、今日は初穂のお話は省きたいと思いますが、カインはある時期になって地の収穫物を神に持ってきたとあります。が、それが初穂であったとは特筆されていません。
本来ならば、一番初めに取れたものを神に持ってくるのが相応しい捧げもの、贖いの法則から行くと、残りの全ての収穫が贖われるという法則であります。

箴言3:9-10
あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。10 そうすれば、あなたの倉は豊かに満たされ、あなたの酒ぶねは新しいぶどう酒であふれる。9 Honor the LORD with your possessions,And with the firstfruits of all your increase; 10 So your barns will be filled with plenty,
And your vats will overflow with new wine.

カインの捧げものは、自分の働く田畑で取れたものでしたが、一番に取れたものではありませんでした。
言わば、彼は、彼の行いを神に捧げたのでした。
汗水たらして働いたことには変わりはありません。しかし、そこには信仰が必要ありませんでした。一生懸命働いた一部を、神に捧げるという「行事」にしたのです。
これは、宗教に当てはまります。少しでも神にお近づきになろうと、人間的な努力と、人間的な考えで神に近づこうとするのです。

これには、救いがありません。
ご覧の通り、信仰も必要ありません。

●行いの罠
行いに頼る宗教は、信仰が分かりません。信仰は神の業に期待し、信頼しますが、行いに頼る宗教は、自分の行いを信頼していることになります。神を信じる必要はない野です。
ですから、信仰はあるないであり、大小ではありません。注意してください。あの人の信仰は大きい、なーんて言うことは危険です。しかし、信頼度は贖いの理解から来る捧げものによって目に見えますね。アベルのように。

●アベルの捧げもの Abel’s Offering
一方で、アベルの捧げものは、初子の中で一番最上を持ってきたとあります。
英語では脂肪とあります。日本語では最上のものとある。脂肪は最上の捧げものと位置付けられているのでしょう。なぜかというと、脂肪を捧げたことは、最上の動物をほふっているということ。動物の血が神の前に流されたということです。そこに犠牲が伴っている。幕屋でも脂肪を神の前に焼き尽くして捧げることを指定されいてますように。また、脂肪は、人の情欲を示すものであり、人間中心の想いや欲を神の前に焼き尽くしていることがうかがえる。
アベルは初子の最上を神に捧げつくした。ここには行いだけではなく、信仰が伴っています。

へブルHebrews 11:4
4 信仰によって、アベルはカインよりもすぐれたいけにえを神にささげ、そのいけにえによって彼が義人であることの証明を得ました。神が、彼のささげ物を良いささげ物だとあかししてくださったからです。彼は死にましたが、その信仰によって、今もなお語っています。
By faith Abel offered to God a more excellent sacrifice than Cain, through which he obtained witness that he was righteous, God testifying of his gifts; and through it he being dead still speaks.

★カインの恥 Cain’s Shame
神は、アベルの捧げものに目をとめられたとは書いてますが、カインの捧げものを拒否したとは書いてありません。しかし、カインにはそれが耐えられませんでした。
恥は、大好きな神様の顔が自分に向かなかったことから来ました。
恥を考える時に、恥を感じることができるように私たちの脳が造られているのは、まぎれもなく神様のデザインです。
よく話しでいるので繰り返しませんが、恥の癒しは、共感、エンパシーです。憐れみです。
私達も恥を感じて、カインのように顔を覆い下を向きたいことがありますね。
その時は、自分に優しく、なぐさめ、では、次はどうしたらよいかと興味を持てばいいのです。恥は、探求心のために、自己向上のために用いられるべきです。
このように自分の内側で恥を消化できればいいのですが、カインはもう一つのやり方をとりました。

それは、自分の外に恥を向けることでした。それはアベルです。恥を妬みに変え、恥を恨みに変え、相手を消す、殺すことで恥を抹殺しようとしたのです。というのもアベルがいることで自分の恥が消えないからです。

日常の生活の中で私たちはこんな極端な経験をすることが無いかも知れませんが、どうぞ、心に耳をすましてみてください。
モーセの十戒では、

出エジEx 20:17
17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを欲しがってはならない。
“You shall not covet your neighbor’s house; you shall not covet your neighbor’s wife, nor his male servant, nor his female servant, nor his ox, nor his donkey, nor anything that is your neighbor’s.”

とあり、他人のステイタスを欲しがってはいけない、すなわちうらやんではいけないと言っています。十戒にあるからには人類の幸せにとって大切な教えなのです。

ブリネ・ブラウンも著書の中で、恥と妬みについてこのように表現されていました。
妬みと恥の関係ですが、自分の足りないと思っているところについて、すなわち隠れて恥を持っている部分について、他人の中にそれを成功的に持っている人を捜して妬ましく思い、攻撃するというのです。攻撃というのは、裁くということです。
彼女は例を挙げていましたが、自分と似ているポジションの人にからく評価したり裁きをしやすいのです。たとえばあなたがリーダーなら、いや牧師なら、他の牧師を裁きやすくなる、というのです。
それは当たっています。例えば牧師として自分に自信がない、恥を感じているからこそ、他の牧師を裁きたくなる。。。

今、あなたは誰かを裁いているでしょうか。裁きは、人間関係を断ち、良いものが流れなくなります、いのちの交流を断ちます。ちょうどカインがアベルを殺したように。
裁かなようにと気をつけるよりも、自分の恥がどこにあるのか、考えることと、その恥に優しくし、自分のペースで自分を愛することと神に教えられることが大切です。

自分に厳しい人は他人にも厳しい。
自分の恥が解決してない人は、人を裁きやすく、人を妬みやすい。

神は七節で自分で治めなさいと言われました。
自分に優しくもう一度やってみようと向上のため立ち上がることをしたいですね。

★神の恵み God’s Grace
神は、いつもお優しい。私達は神の恵みの中で成長します。
みなさん、このカインに何が起きたか知っていますか? 神は、彼の命を守られました。のがれの場所を備えられました。そして、カインからエノクが生まれている。エノクはみなさんご存知の通り、神にとても愛されて、死なずに天に行きました。
なんという慰めでしょうか。

今週も神の恵みに頼り、神を信じ、神にお仕えして行きましょう。
キリストの贖いは完全であります。
#嫉妬 #礼拝

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私達共通の召しOne Calling we share

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私達共通の召しOne Call...
2021年1月17日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


コロナ禍で、会えないことがもう一年近く続いています。年末には証し礼拝をして大変恵まれました。一人一人がその神に与えられた賜物に従って、キリストに従っておられたからです。それぞれに神に用いられていました。感謝です。今日は、そんな私達に与えられた賜物の他に、クリスチャンが共通して神に与えられてる召しについて話していきたいと思います。

1ペテロPeter 3:8-9
8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。Finally, be ye all of one mind, having compassion one of another, love as brethren, be pitiful, be courteous:9 Not rendering evil for evil, or railing for railing: but contrariwise blessing; knowing that ye are thereunto called, that ye should inherit a blessing.

1ペテロPeter 3:14-17
14 いや、たとい義のために苦しむことがあるにしても、それは幸いなことです。彼らの脅かしを恐れたり、それによって心を動揺させたりしてはいけません。
15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。
16 ただし、優しく、慎み恐れて、また、正しい良心をもって弁明しなさい。そうすれば、キリストにあるあなたがたの正しい生き方をののしる人たちが、あなたがたをそしったことで恥じ入るでしょう。17 もし、神のみこころなら、善を行って苦しみを受けるのが、悪を行って苦しみを受けるよりよいのです。But even if you should suffer for righteousness’ sake, you are blessed. “And do not be afraid of their threats, nor be troubled.” 15 But sanctify the Lord God in your hearts, and always be ready to give a defense to everyone who asks you a reason for the hope that is in you, with meekness and fear; 16 having a good conscience, that when they defame you as evildoers, those who revile your good conduct in Christ may be ashamed.

★ペテロ書のテーマ Theme
ペテロへの手紙のテーマは、「迫害の中でどう生きるか」ということです。自分の信じていることが故に、自分に苦難が降りかかってくる、人々が故意にあなたを信仰ゆえに傷つけようとしてくるのです。日本にいる時は、しょっちゅう感じていました。また、アメリカにいても、昨今、州にもよりますが、信仰を持っていることはなかなか議論を呼んでしまうこともあるようになってきました。
ペテロ書では、そんな迫害の中、主に従い続けること、委ねることなども書かれています。
しかし、ペテロ書が私たちに与えている中心メッセージは、苦しむことをがまんしなさい。というメッセージではありません。
苦しみが焦点ではないのです。
ペテロ書では、苦しみにあっても、驚いてはいけない、喜びなさいとあります。
それは、苦しみの理由が義のためであるからです。焦点は、苦しみでも、我慢でもなく、義です。義のために苦しむということが肯定されている。

★常に弁明の用意を Ready to give a defense
私達は、キリストによって、罪ゆるされ、義とされました。そして、私たちは、これに勝る幸せは世界中どこにもないことを知っています。また、義とされているという確信は強く、これを私達から奪い去ることは誰にも許されていません。私たちは身体を焼かれたり傷つけられても、この確信を失うことは不可能です。この確信があるからこそ、私たちは天国の約束があり、永遠の命が与えられているのです。

義のために苦しむことは私たちも経験があり、多くあると思います。
今日、新たに覚えていただきたいことは、ペテロ書は、弁明の用意を強く勧めていることです。
15 むしろ、心の中でキリストを主としてあがめなさい。そして、あなたがたのうちにある希望について説明を求める人には、だれにでもいつでも弁明できる用意をしていなさい。But sanctify the Lord God in your hearts, and always be ready to give a defense to everyone who asks you a reason for the hope that is in you, with meekness and fear;

★伝道Apologetics
この弁明というのは、英語でapologeticsの意味を含んでいます。すなわち、私達が信じている方について説明し、それが正しいと言うことを示す言葉です。ですから、伝道という意味に使うこともあります。ギリシャ語のアポロジア、弁明するという言葉から来ています。いつでも、「あなたがたのうちにある希望」について聞かれたらわたしたは説明するという召しがあるのです。これは、キリスト者の共通の召しなのです。

〇態度と行動で示すキリストChrist is in your action and attitude
ただし、v16 優しく、慎み恐れて、また、正しい良心with meekness and fear; having a good conscienceをもって弁明しなさい。
 
みなさん、福音書は新約聖書に四つありますが、多くの人はそれらを読んでクリスチャンになったのではありません。ほとんどの人が、第五の福音書、あなたという一人のクリスチャンのうちにある希望と、あなたの行動と態度からみえるキリストにひかれてイエス様を信じるのです。
ペテロ書は、迫害の中でも、それを忘れてはいけないと言っています。
簡単なことではありません。しかし、あなたが弁明を迫られる時に、はっきりとキリストを指し示す用意ができますように。お祈りします。

★教会としてAs body of Christ
8 最後に申します。あなたがたはみな、心を一つにし、同情し合い、兄弟愛を示し、あわれみ深く、謙遜でありなさい。9 悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです。Finally, be ye all of one mind, having compassion one another, love as brethren, be pitiful, be courteous:9 Not rendering evil for evil, or railing for railing: but contrariwise blessing; knowing that ye are thereunto called, that ye should inherit a blessing.

①一致One mind
ユニティは、愛と尊敬が無ければなりたたない。意見をまとめるのはユニティではない。
結婚の例。国際結婚。先日マサイと西洋人の結婚生活のビデオを見た。マサイの女性の地位はひくく、決断の権利もない、男は家事や育児を手伝わない。という文化。しかし、相手の文化を互いに尊敬し、愛し合う時に、時間をかけて心の一致ができ、他の村の人とは違う特別なユニットになった。
クリスチャンの一致は、一人一人が神に繋がり神の霊に繋がることが第一、第二に、愛と尊敬

②同情compassion
③兄弟愛 love as a brethren
④憐れみ pitiful
➄謙遜 courteous
⑥あとは、主にお任せする not revenge
⑦人を祝福する Bless others
とありますが、なんと、神様の方法は憐れみ、愛にあふれているのでしょうか。共同体としては、優しさが必要不可欠です。そんな共同体を見て、人々はキリスト者に興味をもつのです。

私達が世に仕え、キリストを紹介する時に、大切なのは、あなたは主に召されて、主に受けた祝福を相手に流す役割であること。
あなたは、意見の合わない人を裁くのではなく、祝福することが役目であることを覚えましょう。

★まとめ
今週祈り深く、
自分の行動や態度をかえりみながら、人をどのように祝福できるだろうかと考えていきまょう。

 




#召し #礼拝

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Gaslight 対処法

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映画Gaslightのシーン 映画Gaslightのシーン

ガスライト、ガスライティング
相手をコントロールするために、嘘をついて、相手に相手自信を疑う癖をつけるという手法です。

さて、
こう言う経験があった、という方も多いかと思います。
私もあります。
職場や友達、親族、または夫婦間で起こります。

これの対処法ですが、

とにかく証拠を取っておく。
ログを付ける。日記をつける。写真を撮っておく。録音する。
録画する。防犯カメラを置く、証拠を残しておく。
ことです。

そして、相手に嘘を言われ、責められた時に、
「いいえ、あの時は、こうでした」と証拠を突きつけます。

私もそれをした経験があります。
あまりにしつこいので、
そんなに言うなら、記録を見せます、と。
相手はそれ以降、私をコントロールすることをあきらめました。

もしも、これが、夫婦間で起きていて、
殴る蹴る、または、金銭を取り上げられている場合は、
ご注意ください。
きっと、怖くて、証拠を突きつけることさえできないと思いますが、
後になって、訳に立つかもしれません。
証拠はとっておいてください。

また、DVで他の虐待も絡んでいる場合は
お近くのアドボケイトにご相談ください。

私のところにご連絡くださっても、アドボケイトを紹介することが出来ます。
日本の場合はよく分からないので、アメリカに限ります。

今日もご無事で。
守られますように。お祈りしています。
#ブログ #メンタルヘルス

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平和を作る者Peacemaker

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平和を作る者Peacemake...

2021年1月10日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


新年二回目の礼拝のメッセージです。
世界ではいろいろなことが起き、また自分の身の周りでもいろんなことが起き、教会でも変化があり、今日も一組の家族が日本という新しい土地に移ろうとしています。
そんな中、神様から大切なメッセージを預かっています。

ここ何か月か、キリスト教についての疑問について答える機会がありました。そして、一つ気が付いたことがあります。神は愛なり、というとおりに、全ての答えは、愛、に行き着くのです。
★人生の質問Life Questions
シェルターで神を信じるか迷っている人たちの質問に多かったのは、どうして苦しみがあるのか、どうして悪があるのか、どうして処女が妊娠したのか(奇跡に関すること)、どうやって神の御心を知ることができるのか、どうして神は罪を作ったのか、などです。

神は、私達に自由意志を与えました。それが神の最大の愛の現れです。私たち人間も物を作ることがありますが、完全に私たちに従わせるように造ります。完全にコントロールします。しかし、私たちの神はそれはしなかった。なぜなら、神は愛だからです。
神は、私達と愛の関係を持ちたかった。愛の関係とはなんですか、私達が強いられてではなく、自分で選んで相手を愛することです。
愛さない選択があるからこそ、愛に意味があるのです。私がエリックを愛しているという意味には、犠牲が伴います。私は、他の男子にノーと言って、エリックに忠誠を誓っているのです。愛しているからです。もし、神を愛することを選ぶなら、私は神意外にノー言うのです。犠牲を払わずしての愛など存在しないのです。

苦しみや、悪というのは、善、神を愛することを選ばない人、人たちによる世の中がもたらしたものであり、また代々引き継がれてきているものもあります。

ざっくり、簡単にいうとこういうことになります。

また、神の奇跡についての質問も、全て愛に帰っていきます。神の計画、神の愛ゆえに、私達に新しい創造という奇跡を神はもたらして下さいます。

●今日のみ言葉を読みましょう。
2コリントCorinthians 5:17-21
17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。

★愛に立ち帰る必要性A need of return to God for Love
まず第一に、愛、を知る、すなわち自分のものとして受けとるには、キリストのうちにある必要があります。イン クライストです。
それは、あなたの罪のために、そう、自由意志が与えられていて、愛を選ぶことではなく、反対を選ぶようにしたその過ち、罪の報いを私達から取り去ってくれた、
私をあなたを愛している、イエス様を信じることから来ます。

V17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。Therefore, if anyone is in Christ, the new creation has come: The old has gone, the new is here!
と、あるように、信じるだけで、あなたの心が変わります。今日、この愛を受け取りませんか。あなたも新しく造り変えられることが出来ます。

●仲介者イエスChrist, the Mediator
不思議なことに、シェルターでみんなの疑問に答えていましたが、誰一人としてイエス・キリストを疑う質問をした人はいなかった。
私達の罪のために身代わりになって死んでくださったキリストについて疑問を持ったり、シンパシーの無い人はいなかった。

なぜなら、キリスト教、クリスチャンというのは、キリスト、キリストに入れ込んでいるキリスト馬鹿というもともとの意味があるほどに、キリスト中心の信仰であるのに、そこを疑う人はいなかった。
私の心は、この事実にわあって驚きました。これが私達への励ましのメッセージとなります。キリストは、その謙遜の故に、の愛の故に、その行動の故に、神を信じてない人からも、ノンバイオレント、害を与えられる人だとは認識されてない。

私達は、このキリストに私たちの使命を見出すのです。
マタイMatt.5:9
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
Blessed are the peacemakers, for they will be called children of God.

まさに、イエス様は平和を作る方であり、私たちも平和を作るなら、神の子供と呼ばれるのです。まさに、神そのもののお働きとなります。

★和解の務めThe ministry of reconciliation
V18-20
18 これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。

キリストにより、神と和解させていただいた私たちには大きな平安が心にあります。それは誰にも取り去ることが出来ません。何があっても、どんな苦しみ迫害があっても、私達は最終的には神の優しい懐に帰るのです。死も自分には怖いものではありません。待ち遠しいくらいです。
しかし、人との和解と考えると途方もなく難しいと感じます。相手の有ることですし。また、私にも意見があります。

◎愛には、常に痛みが伴います。Love involves pain
私達も、ある人を立ち直らせようと、助けようと祈ったり、教えたりすることがあります。しかし、その人が正しい道を選ばず、間違った悪い友を選ぶなら、私達の心は痛みます。自分の思い通りにならないから痛むのではありません。「愛しているから」痛むのです。
シェルターでも、立ち直り、そして成長し、リーダーになっていく人ほど、痛みが多くなります。それは、もっと愛するようになるからです。
皆さん、愛には犠牲が伴います。どんなに時間を割いて、愛を注いでも、裏切られるようなことがあります。自分の時間が無駄だったような気になることもあります。愛することは、痛みと犠牲が伴います。
あなたがもし痛んでいるなら、正しいことをしているのです。

◎愛はカメレオンではない Love is not Chameleon
平和を作るものは、ネゴシエーターではないのです。時々、間を取り持つときに、二つの派があるとして、こっちに言って話を聞き、こっちに言って交渉をして理解できように。。。とやる。それも大切ですが、こっちについたり、あっちについたりとネゴシエーターが行き来して一つにすることではないのです。

◎イエス様の例
イエス様は、神と人類、そして罪と聖の架け橋となられました。イエス様は完全な憐れみと完全な義を両方兼ね備え居てる方でした。
この方が、人の罪を見て、心が張り裂けなかったわけはありません。この方は、唯一人を裁く権利を持っている方ですから、裁くこともできたのです。しかし、裁くことはされなかったのです。

イエス様は、罪人を愛し、ご自分も罪人の一人として数えられることをよしとし、そして、み父に見放されることさえ、その身に受けました。

真ん中に立つときに、このようなことを経験するのです。
相手側を裁けとチームメイトは言うでしょう。どちら側かに立ってないと、自分が責められることもあるでしょう。イエス様も、裁判で、「なぜあなたは口を開かないのか?!」と問われました。間に立っている人は、そのように迫られることもあるでしょう。

◎とりなしIntercessor
この二手のギャップにとどまり、とりなすことが、まさに和解の務めです。非常に居心地の悪い、孤独な位置です。しかし、イエス様こそ、そこに立たれた方です。
私達も、万人祭司の時代ですから、祭司です。私達もそこに立つように、とりなすように召されているのです。

★神の平和・シャロームGod’s peace, Shalom
祭司がギャップに立つ時、祭司がとりなし、祈る時。祭司が神に痛みを持って行くとき。力があります。
アブラハムがソドムとゴモラのために祈ったとき、モーセが祈ったとき、ダニエルが祈ったとき、エステルが祈ったとき、エリヤが祈ったとき、ハンナが祈ったとき、ヨブが祈ったとき、何が起きたんでしょうか。神は、キリストのように、ギャップに立つ人の祈りをことごとく聞かれてきています。また、痛みをもち、犠牲を払っている祈る人たちを顧ておられます。

神の与える平安は世が与えるものと違います。
Shalom とは、True biblical shalom refers to an inward sense of completeness or wholeness.
完全であり、欠けのないこと、その感覚が心の中に生まれることです。
またそれは、神から来るところの平安であり、正義や安全であること、また回復、和解も含まれています。また、それは、自分の心の内側に訪れます。自分の内側のものは誰にも奪われることがありません。

マタイMatt.5:9
平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
Blessed are the peacemakers, for they will be called children of God.

この言葉は、有名です。またクリスチャンたちは和解の務めに召さていることを知ってますが、それに従事している人は圧倒的に少ないです。辛いからです。まだ迫害されている地域のクリスチャンの方が率先してギャップに立っています。
今、神は、あなたを呼んでおられます。ピースメイカーになるようにと。

多くのクリスチャンたちが、この務めを真剣に受け止めたら世の中がどう変わるだろうかと思います。あなたの祈りは力です。

信仰、希望、愛、そして忍耐と祈りをもって、和解の務めに専念していきましょう。
#平和 #礼拝

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Gaslightingとは?

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シェルターでパターンチェンジン... シェルターでパターンチェンジングという、DVからの解放のクラスを教えていますが、ちょうど真ん中くらいにこの映画をみんなで見ます。ガスライトという映画なんですが、これが、DVによく見られる、またナルシスト人格障害などという人にも多くこれをする人がいます、こういうことをする人がいたらご注意ください。距離を置いた方がいいかもです。

シェルターでは、いろんなクラスがありますが、パターンチェンジングというクラスも大切なクラスの一つです。
いろんなDVや虐待のパターンやサイクルなども一番初めに見て行くんですが、ガスライティングも結構あるんです。もしかしたら、あなたの周りにもいるかも知れませんね。

まずガスライティングの定義については、ウィキからコピペしますね。
ガスライティング(英: gaslighting)は心理的虐待の一種であり、被害者に些細な嫌がらせを行ったり、わざと誤った情報を提示し、被害者が自身の記憶、知覚、正気を疑うよう仕向ける手法。例としては、嫌がらせの事実を加害者側が否定してみせるという単純なものから、被害者を当惑させるために奇妙なハプニングを起こして見せるといったものまである。
「ガスライティング」という名は、『ガス燈』という演劇(およびそれを映画化したもの)にちなんでいる。現在この用語は、臨床および学術研究論文でも使われている。
https://ja.wikipedia.org/wiki/ガスライティング

英語ですが、ガスライティングについての論文はこちらから見れます。
http://162.249.108.90/sites/default/files/attach/journals/oct19asrfeature.pdf

まーー、この人、気づいてやっているのだろうか、それとも大真面目に言ってるの?と疑いたくなるようなことがあるんですよね。私も経験がありますが、その時は、すでに心理学をやっていたので、あ、この方は、人格障害だなってすぐ分かりましたが。。。心理学をやる前は、本当に自分を責めて悩みました。

例えば、

五分前にあったことを、「いや、そうじゃない、あなたがこう言ったのよ」といいます。
「え?私はこう言ったじゃん?」(え、うそでしょ。何言ってるの?心の声。。。)ありえないことを言いだすので、冗談かとはじめは思うくらいのことを言ってきます。
相手は、ぜーーーーったいに引かない。語気を荒げ、自分は絶対に言ってないという。
こちらは、それ以上そんなしょうもないことで言い合いするのも、いい大人がしょうもないと思い、はい、はいって引く。
そんなことが、何回もある。
そして、必ず、他の人がいない時に起こる。そして、「ほら前にもありましたよね。疲れてるんじゃないですか。そんなことを忘れるなんて」とか言われだす。。。
(はぁ?????)
(何言ってんの?)って思うんだけど、どこかで、「えーーー?私言ってないのに、そう聞こえるようないい方したのかなーーー?」って少し自分に疑いを持つ。

DVなどの親密な関係で密室の中で起きる場合は、
ま、他にもいろいろな虐待を受けているので、
完全に、自分は狂ってしまったのだろうか、なんて、被害者は考えだすのです。。。。

こんな経験、皆さんありませんか。
これは、ガスライティングっていう心理虐待のやり口なんです。

決まってDVの加害者はこの手を使いますし、ナルシスト人格障害の方もこれを使って人の優位に立とうとし、相手をコントロールすようとします。

※注)ナルシストの方は、自分が捨てられる前に自分から相手を捨てるパターンを必ず取るので、あ、もう自分がばれたなって思うと、自分から去るスタイルを取ります。
DVの加害者はどこまでもひつこいです。気を付けてください!

こういう目にあったら、一目散にその人から離れることをお勧めします。
危険です。

実際にこの映画でもあるように、被害者は最終的に洗脳され、ノイローゼになっていきます。
これも洗脳のやり口なんです。

映画のリンクは
https://www.imdb.com/title/tt0036855/

みなさん、今日もご無事で。
そして、ガスライティングにお気を付けください。

自分の内にある真実を手放さないでください。
周りにいる誰かに相談してください。

メンタルヘルス専門家やDVアドボケイトに相談されると、すぐこれは虐待だと教えてくれますよ。

職場や友達にこのような人がいたら注意してください。
あなたの真実は誰にも変えられないです。自分を信じて!

#ブログ #メンタルヘルス

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おにぎりが好きなんだなぁ

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ツイッターアカウント、おにぎり... ツイッターアカウント、おにぎり劇場さんから写真をお借りしました。
この写真を見て、すっごく驚きました。
すごいですねー
おにぎりも芸術ですねーーーー

結婚して10年、夫のエリックはすっかり味覚が日本人になりました。
好物はシンプルなおにぎり。
みそと、うめぼしは切らしてはいけません。

みそ汁をすすると、夫婦ともに疲れた日や悲しいことがあった日などは
なんだか、ほっとするんです。

うどんにお好み焼き、週に一回はカレー味が食べたくなるところまで、
日本人化しています。

そんな、おにぎり好きの主人にある時、山下清画伯の話しをしてあげました。
アートが大好きな夫は、すぐに興味を持ちました。

そして、下に貼ってある動画や、数々の彼の作品を見ました。
彼は、アートに出会って、本当に人生が変えられた。
人は彼のアートを追いかけたけど、彼は、そんなことちっとも気にせずかに、ただ
縛られることのない旅に出かけて、無心にスケッチをする。

エリックは、11月に天に帰ったお兄さんのことを思い出して
このビデオを見て号泣しました。
障害があるため、若い時から窮屈な思いをして、
ストレスいっぱいで生き。
それでも、とてもチャーミングで周りを笑わせて
人のお手伝いをするのが好きで、
両親を愛して、
弟のエリックにいつも誕生日カードやクリスマスにカードを書いて送ってくれて、
いつも、絵をかいてくれたりして。。。

そんな心の聖いお兄さんが、山下清にかさなったのです。
そのビデオを見せたのは、お兄さんがなくなる半年前くらいだったと思いますが、
まさか、突然お兄さんがなくなるなんて、想像もしていなかったです。
今でも、私たちはお兄さんのことを想って、寂しく思います。
きっと天国で大好きな神様と、お父さんと楽しく過ごしているのだと思います。
もう痛みやストレスもない世界でね。
私達は、まだ寂しくて、良かったねとは言えないのだけど、
そのうち、そう言えるようになると思います。

エリックは、今はとても辛いのだけど、
また、
おにぎりを結んであげようと思います。
おにぎりとお味噌汁で、

そして、また山下清画伯のアートを見てみよう。
山下清画伯のアートは命が溢れていて、見ていてなんだか癒されるから。

#おにぎり #ブログ

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Glory to Glory

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Glory to Glory
栄光から栄光へGlory to Glory

2021年1月3日日曜日バイリンガル礼拝動画はこちらから


明けましておめでとうございます。
十二月はクリスマスにまつわる超自然、神の業について話しました。年が明けて2021年、神様から示されていることは、引き続き奇跡です。
コロナ禍が長引き、様々な所で疲れが出てきているところです。そんな中、神様が私たちに下さったデザインについて見て行きたいと思います。

イザヤIsaiah64:4
神を待ち望む者のために、このようにしてくださる神は、あなた以外にとこしえから聞いたこともなく、耳にしたこともなく、目で見たこともありません。
Since ancient times no one has heard, no ear has perceived, no eye has seen any God besides you,
who acts on behalf of those who wait for him.

今日は神を日々待ち望んで生き、奇跡、超自然を日々人生に招いていくことを、私たちの脳、マインドに焦点を合わせて話していきたいと思います。

★体は閉じ込められても、脳は決して閉じ込められないYou mind won’t be incarcerated.
先週、シェルターである人が証ししました。
その人は何回か牢屋に行ったことがあるそうで、また過去には売春や薬物中毒であったが全てそこから解放され神のしもべになったと。そして、今日も解放の中を生きていることを感謝していると。そして、コロナ禍で行き詰まって、また特に施設では外に出られなかったり、自由に人に会えなくって牢屋の中のようだと言う人がいるが、その人が言うには、例え身体が自由を失っても、私たちのマインド、考えは自由を失うことが無い、ということです。
その言葉には、はっとさせられました。

★行き詰まりFeeling Stuck
精神的な障害は、行き詰まっている感覚ともいわれます。ダニエルシーガル博士は、精神の健康とは、統合すること、インテグレーションだといい、またマインド精神の癒しは、流れ、フローだと言います。常に、AからB、BからCと流れて動いていること自体が癒しである、と。
聖書もglory to gloryと言っている

2コリント Corinthians 3:16-18
しかし、人が主に向くなら、そのおおいは取り除かれるのです。17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです。But whenever anyone turns to the Lord, the veil is taken away. 17 Now the Lord is the Spirit, and where the Spirit of the Lord is, there is freedom.18 But we all, with unveiled face, beholding as in a mirror the glory of the Lord, are being transformed into the same image from glory to glory, just as by the Spirit of the Lord.

クリスチャンも苦しみがあったり、悲しみがあったり、歩みに痛みがあったり、困難があったり、悩んだりしてもいい、どこかに向かって、動いているなら、そこに癒しと成長が必ずあるのです。
私達は、イエス様に出会って、イエスの栄光の中にいれられ、キリストに学び、キリストから受けることで栄光から栄光へとますますキリストの似姿へと向かっていくものなのです。

もしも、今、足踏みをして行き詰まってるなら、よく聞いてください。あなたは、今日変わることが出来ます。

★脳の不思議Mystery of your mind
マインド、頭、脳は、聖書の中でも聖なる場所として認識されている場所です。ここには、神様が一番に働かれる場所だからです。また、私たちの人生を変え、作り替え、そして行動を変えるという奇跡の一歩が生まれるのは、この場所だからです。
心の一新によって神のマインドと一つとなることが勧められている。

ロマRomans12:2
この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。Do not conform to the pattern of this world, but be transformed by the renewing of your mind. Then you will be able to test and approve what God’s will is—his good, pleasing and perfect will.

年末にダンが朝の礼拝で、Neuroplasticity 神経可塑(そ)性について話しました。脳は、絶えず変化しているのです。ということ。私達が好むが好まざるか否か関係なく、脳は絶えず変化するものです。これは、神の癒しと成長のデザインです。私達が栄光から栄光へと変われるデザインにしてくださったのです。ですから、人生がスタックしてると考えている方は喜んでください。あなたにはその暗闇から抜け出せる道を神がすでに用意してくださっていのです。

★行き詰まりの原因 The reasons of stuck-ness
①肉体的な制限 Physical Restriction
これは、先ほども話しました。肉体的に制限がある場合に、環境や状況が許さない時、人間関係が変わらない時、など、行きずまった気持ちになります。そんな時、初めに話したように、私たちの脳、マインドは決して縛られることがないことを思い出しましょう。
②時間 Time
人は、時に縛られている。
過去に縛られると鬱に、未来に縛られると心配症に。どちらに縛られても、そこにスタックする。ですから、
キリストとともに、今を生きることが大切。
イエス・キリストは、昨日も今日もとこしえまでも同じ方。(へブルHeb.13:8Jesus Christ is the same yesterday and today and forever.)
私達の脳に時間が関係ないのと同じで、キリストはずっと昔から昨日も今日もずっと良い方。時間を超えて常におられ、常に良い方。
今日、このイエス様と繋がるなら、あなたの過去からの縛りから解放され、あなたの未来は今日が決めることとなり、心配することはなくなるのです。

★瞑想のすすめ Recommendation for meditation – use your mind for attuning with God.
頭の中で、今起きていることが、過去を塗りかえ、また将来を作っていく。脳の中でイメージすることは、脳的には今起きていること。想像は新たな創造。イマジネーションはクリエーション。現に、ポルノがなぜあなたの脳と体に悪影響を劇的に及ぼすかというと、脳内では実際に誰かと暴力的な性交渉をしていることになっており、脳内からあらゆるホルモンが出ているのです。それによって、実際の結婚関係や人間関係にも影響が出るようになります。脳が普通に満足しなくなるからです。

だったら、神様に与えらたこのデザインを神様的に用い、広げ、成長させればよいのです。

- 志をもつ Dream
ピリピPhilippians2:13
神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行わせてくださるのです。
for it is God who works in you to will and to act in order to fulfill his good purpose.

- イマジネーションを用いる Imagination
へブルHebrews11:1
信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is confidence in what we hope for and assurance about what we do not see.

- 感謝探しをする Thanksgiving --- 主を喜ぶことは私たちの力です
ネヘミヤNehemiah8:10b
きょうは、私たちの主のために聖別された日である。悲しんではならない。あなたがたの力を主が喜ばれるからだ。his day is holy to our Lord. Do not grieve, for the joy of the Lord is your strength.

- み言葉をよみ黙想する Meditate God’s word 
詩篇 Psalms 1:2-3
まことに、その人は主のおしえを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。

3 その人は、水路のそばに植わった木のようだ。時が来ると実がなり、その葉は枯れない。その人は、何をしても栄える。but whose delight is in the law of the Lord,
and who meditates on his law day and night. 3 That person is like a tree planted by streams of water, which yields its fruit in season and whose leaf does not wither— whatever they do prospers.

- 祈るPrayers ―― 人知を超えた平安 Peace beyond humanly comprehension
ピリピPhilippians 4:6-7
6 何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。7 そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。Do not be anxious about anything, but in every situation, by prayer and petition, with thanksgiving, present your requests to God. 7 And the peace of God, which transcends all understanding, will guard your hearts and your minds in Christ Jesus.
#マインド #新年 #礼拝

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