- Hashtag "#シェルター" returned 20 results.
第十章、なぜ安全な人は必要なのか?
シェルターで教えている内容です。
みなさん、永久保存版だーと言っておられます。いい本です。
翻訳しているので、読みづらいと思いますが、お付き合いお願いします。
前の章にもありましたが、神は私たちが一人で生きるようには造られていません。では、どうして私たちに、人が必要なのでしようか。
シェルターのウェブさいとから。
どのようにして、このシェルターに出会って、人生が変えられたか、路上生活はどんなだったかという、生のお話しが、ラジオで流れます。日本時間の今日、11pm-明日の4amまでやっています。ぜひ聞いてみてください。
下のリンクから、日本からでも、ラジオが聞けます。
https://www.spirit1053.com/listen-live/
こちら時間の今日と、明日、私たちのシェルターの人たちが生の経験をシェアしてくれます。
今日も聞いて、泣いてしまいました。。。
日本時間では今日の11pm-4am
なかなか、難しい時間帯ではありますが、
ぜひ、お聞きください。
このイベントは、今週は感謝祭なので、多くのホームレスの人たちに温かい、感謝祭ディナーを届けるためのファンドレイジングです。
クリスマスも来月です。
このラジオを聞いて下さるだけでも、嬉しいです!
訳しませんが、脳内ではいろいろなホルモンが出て、もう、あふれ出てる状態ですね。
恋をすると。。。。
恋する気持ちは、素晴らしい。
恋することは、もう無いですが。。。おばちゃんとなった今は。
しかし、一生恋をして恋に振り回される人たちも世の中にはたくさんいます。
私の働いているシェルターには、恋中毒なる、Relationship Addiction というクラスがあります。
小さい時に、十分な愛を受けなかったり、タッチを受けなかったり、虐待されている場合、あるいは、ナルシスト人格障害気味な方、男女の関係に中毒になってしまいます。
それもそのはず、脳内では、あなたを幸せだと錯覚させるたくさんのホルモンがでているからです。
人間の幸せを考えるには、本当に、哲学的なアプローチも大切だなーって思います。
というのは、身体だけの感覚に頼ると、
流行り、劇的な出会い、すぐにセックス、という風になっていき、
脳内では、幸福感、高揚感を感じるホルモン祭となってしまいます。
しかし、その祭は、人生の安定、幸福感の安定、安全、人格的な成長とは無関係です。
本当に、洗脳のようにさえ、感じてしまいます。
特に、ドラッグを伴う、恋愛関係。。。
洗脳はもっと深くなっていきます。
またそこに、DVが加わるともっと深くなります。DVも洗脳ですから。。。。
毎日、そんな患者さんと関わり、共に悲しんだり、
苦しんだり、もがいたり、しています。。。。。
今日は、シェルターの卒業式です。
私達のシェルターは、薬物、アルコール中毒でホームレスになった人、ホームレスで医療の必要のある人、それから、DVの被害者で行くところがない人たちのリカバリー施設です。
四つのフェイズに分かれていて、三カ月ごとにフェイズアップして卒業します。卒業式は三カ月ごとにあります。
今回も、私の観ている患者さんたちが複数卒業する感慨深い卒業式となりそうです。
コロナの影響で、いろいろな不便を経験しましたが、
よくここまでやりました。
一年前と比べると、もしかして私よりもメンタルヘルスいけてるんではないかというくらいに成長しました。
人が変わるのを見るのは本当に幸せなことです。
よく頑張ったなーーーほんに。
誇りに思います。
写真は載せれないのですが、
今晩の卒業式、インターネットとドライブスルーレセプションのためにお祈りください。
感謝だなーー今日は。。。。
九章、安全な人間関係とは?
安全な人間関係の三つの要素:
1 あなたを神様に近づけてくれる
2 あなたを他者に近づけてくれる
3 私たちを、真の人になることを助けてくれる
安全な人とはどんな人でしょうか。
ありのままの私を受け入れてくれる人
私の有り様、私のすることに関わらず私を愛してくれる人
私が人を愛する能力と物事に責任感を持つことができるように影響を与えてくれる人
私の内面に愛とよい働きを作ってくれる人
私に成長する機会を与えてくれる人
私のうちに愛を増やしてくれる人
その人の周りでは自由な自分でいれる
他者と神のために自分を否定することをさせてくれる人
神が私を見てくださっている自分になれるように助けてくれる人
キリストに似たものとなるように助けてくれる人
他者をさらに愛することが出来るように助けてくれる人
このような資質はイエス様の中に見られます
1、ともに住む…私たちと繋がる能力がある、私達とともに今ここにいる
2、恵み…いつも私たちの側についてくれる
3、真実…正直さ、愛を持って間違いを正してくれる、真摯に向き合ってくれる、神の真理に従っている
あなたの人生の中に、そのような人はいますか?
次は第10章、なぜ私たちに安全な人が必要なのか?です。
お楽しみに!
安全な人第8章 どうして自分を人から遠ざけるのか?
もう、人を求めることをやめようって思ってやめてしまった。。。人、いませんか? 何がそうさせたのでしょうか。
1 傷ついた心
・捨てられた…大切だった人が、どんな理由であれあなたから去っていかなければならなかった。
・不定期な愛着…愛は与えられるが予測できない形で与えられた場合。あなたがその人を必要としている時に相手がいてくれるのではなく、相手の都合でころころ変わってしまう。
・攻撃…愛というのは、傷つくことを覚悟でそれでも自分を表にだしていくことです。愛には、傷つくかもしれないというリスクが伴います。もしあなた愛の必要が攻撃されてしまったら、もう人間関係を持ちたくなくなるでしょう。
2 自給自足
人を避ける人は、自分の身の回りのことを自分でできるとか、社会生活に関することではありません、人間関係における自給自足は、問題です。
自分でなんでも解決しようとする、ほかの人の迷惑にならないように自分のことは話さない、自分は大丈夫だから。。。などという考えを持ちます。神は、私たちを一人で充分生きていけるようには作られませんでした。人間関係の中で助け合って生きるようにされました。自給自足というのは罪の結果なのかもしれません。
3 飢えを経験することができない
人と繋がらないといけない時にこそ、自分たちを人間関係の飢餓状態に持っていきます。彼らは、自分の必要に気が付いておらず、自分の心の中がからっぽなことに麻痺してしまっています。以下のことが当てはまりますか?
私は一人の方が落ち着く、人が周りにいると居心地が悪い。
私は孤独にはならない。ほかの人が言っている意味が分からない。
人と会わないといけないから会う。仕事など。。。
休暇を想像する時、イメージの中で私一人が何かをしている場面だ。
4 過少評価をする
大したことないと思う。無視する。過小評価は私たちをリスクをとることから守るが、あなたの内側に死を保ちます。下記を自分に問うてください。
必要はあなたにとって良い部分です。
あなたがどのように必要を過少評価するか観察してください。過小化するパターンがあるでしょうか。
人間関係に自分の必要を持ち込んでください。
5 完璧主義
過ちに寛容になる能力がないので、完璧主義者は人との繋がりを持つには失格です。完璧主義者は、他者よりも自分を優れているとし、相手にその非をいつも思い出させます。また、他者を完璧主義者に繋がることを許しません、何故なら、他者が完璧主義者の期待に応えることが出来ないからです。
あなたが完璧主義者なら次のことを試してみてください。
あなは、目的に向かうための考えを要求に変えてしまったことを知ってください。
・イエス様の十字架の意味をもう一度かんがえてみてください。私達は、愛されることと失敗することを同時にすることができる存在です。愛は、完璧であることで稼ぐものではない。
・あなたがありのままで、弱さを告白できる人をさがしてください。
・どうして自分が完璧主義になったか、自分を見つめてください。
・人に知られること、愛されること、人を知ること、愛することを学んでください。
・人を裁く資格を放棄してください。
6 合併した希望
合併した希望、願いとは、境界線のない愛です。他人に自分にない性質を見出すと、自分の独自性をうやむやにし、その性質に触れることで自分の気分を良くするものです。だから、どんなことをしても、その人と一緒に居なければ自己実現ができないと思うのです。それは、その人と本当の心の繋がりを持っていることとは言えませんね。本当の人間関係を持つために、次の事を試してみてください。
・自分のその性質が出来たのは、過去に人に捨てられたから、また積極的になることで痛い目にあったからという事に気づいてください。痛い目に会いたくないから、長いものにまかれるようになったのです。
・友達と独自性を分け初めてください。離すことと、捨てられた感とは別物であること。一人でいることと、孤独であることは別物。人があなたから離れることが、自由を自分に与えることだと気づいてください。
・境界線を引くことを練習できる人を見つけてください。境界線は、あなたが、人から離れてかつ、愛すること、選ぶこと、自分の持てる能力で誰かを助けることが出来るようにします。
・合併した願いについて正直に話せる人といて下さい。安全でない人は、あなたから去るか、あなたの必要を利用してきます。安全な人は、境界線を守りながら、あなたと繋がり続けてくれます。
人との距離感、大切です。
7 消極性
いつも、問題の解決を他人にもとめていませんか。誰かが、自分を救済してくれない限り、自分は良くならないと思ってませんか。自分が行動を起こすことを避けることが消極性です。
消極的な人がよく陥るのは、必要以上に神様のせいにすることです。神様に委ねてるとか、神様が自分にこれをして欲しくないからだとか結論付けたり。神様を信じてない人は、運命のせいにしたり、親のせいにしたり。。。結果がいつも突然なんの努力もなく棚ぼた式に降りてくることを夢見ています。
このような人たちは、自分で自分の人生に責任を持つことをしません。自分のなすべき分をはたしましょう。
悪い人間関係からの癒しは、安全な人と良い関係を持つことです。次回は、第9章、安全な人間関係についてです。
うん、私は、"大丈夫" だよ。
シェルターでのプログラムでは、心理セラピーを週一で受けることが義務づけられています。
ですから、自分が独立して患者を診てる人と違うことは、カウンセリングに来て、自分は大丈夫。問題がないですっていう人がいることです。
私の患者さんたちは、深刻なトラウマと薬物中毒を持った方がほとんどで、もちろん、問題がない人なんて一人もいないのですが、
私の考えでは、私を含めて、みんな何かしら抱えていて、みんな成長のためのプロセスの中にいて、助けが必要だと思っています。
どの方向に進んだらいいか分からない、サバイバルモードのままでここまできて、たどり着いたシェルターのプログラムにようやくたどり着いてみたものの、
何をしたらいいか分からない、
自分に何が必要だか分からない。
自分のために、良いことをしようと考えたことがない。
とりあえず頭が真っ白。
ということもあります。
自分の必要を口に出せない場合、また、自分の必要が分からない場合、
かなり幼い時にトラウマがあるとみられます。
また、赤ちゃんの時のお母さんのネグレクトがあったと思います。
お母さんが、不安障害であった、薬物、アルコール中毒であった、家庭内暴力があったなどという理由でも、ネグレクトに入ります。
いくら母性があっても、行き交うものが途切れてしまいます。
あなたは、大丈夫ですか。
本当に本当に大丈夫ですか。
今、あなたに必要なことは何ですか。
あなたが成長するために、大事なことは、何でしょうか。
あげてみられますか?
なんでもいいんです、
私に必要なのは、人間からのタッチ、ハグです。
または、運動すること、または、友達とのおしゃべり、、、、
絵を描くこと、詩を書くことなど。。。
自分の必要を、言い表せますか?
今日も、あなたの心が満たされますように。
守られますように。
養われますように。
お祈りしています。
自分のために安全な場所を作ることを、絶対に申し訳なく感じないでください。
自分の身の安全を第一に考えることは、とても大切です。
自分の精神の安全を一番に考えることも、当然のことです。
どうして、自分を第一に考えられないか。
それは、自分を今まで後回しにして生きてきたからです。
きっと幼い時にさかのぼります。
家の中が混沌としていて、自分がステップアップしていつも家事や
親の気持ちを一番に考えて
周りをこれ以上いら立たせないようにして来た人など。。。
立ち止まって考えてみてください。
例えば、あなたが、あなたの大切な一人娘だったら。。。。
どうするでしょうか。
あなたに、苦しんでほしくないでしょう。あなたに幸せになってほしいでしょう。
自分をそんな存在だと考えてください。
あなたには、安全である権利があります。
一つ覚えていてください。
どんな人もあなたを傷つける権利はもつていません。
そんな正当性はどこにもありません。
誰もあなたに暴力をふるってはいけません。
暴言を吐かせてはいけません。
それは、愛ではありません。
愛の真逆です。
自分の安全を第一に考えましょう。
あなたは、大切な人なのですから。
あなたが取るに足らない、愚かな存在だと思わされるなら、
きっと、その人といることは、安全ではありません。
逃げましょう。
有毒な人は、あなたが境界線をしっかり引いていると、あたかもあなたがその人に対して、与え惜しみをしているかのように負い目を感じさせてくる。
アビューサー、虐待してくる人たちは、あなたに罪悪感を持たせるように持っていきます。
みなさん、罪悪感とはとてもパワフルな道具です。
あなたをいじめ、あなたを尊敬せず、あなたを利用する人は、
あなたの人の好さ、あなたの優しさを食い物にします。
あなたが振り回されたり、傷つくことなんて、どうでもいいのです。
あなたが、境界線をせっかく引き、健康的な人間関係を築きなおそうしているのに、罪悪感を持たせてきます。
あなたがあたかも、優しくない、思いやりのない、あるいは、能力のない人のように感じるように、語ってきます。
洗脳です。
あなたは、その言葉を受け入れてしまいます。
罪悪感を持たされたら、その言葉を受け入れるか、その人に境界線を引かないかどちらかに動いてしまいます。
罪悪感を抱かなければ、簡単に境界線を引いて、すっきりするのです。
一つ考えてみて欲しいのです。
あなたの人生が誰のものであるか。
それは、あなたのものです。
あなたの人生は、あなたの選択で成り立ち、立ちゆくのです。
人が決める物ではありません。また、罪悪感は人に持たされるものではありません。
一度心に手をあてて、立ち止まってみてください。
誰のために、もやもやしているのかって。。。
また、その罪悪感によって動かされたことで、いったい誰が成長しているのか。誰かの行動が良い方に変わっているか。
徳が高められているのか。
関係が良くなっているのか。
もし、誰も変わらず、誰も成長していないなら、持つ必要のない罪悪感なのです。
あーーー。すっきりしませんか?
そう、持つ必要のない罪悪感って実はあるんですよ。
もしかしたら、あなたは、今まで、そんな罪悪感に振り回されていたのかも知れませんね。
今日から、自由になりましょう。
あなたが、健康になり、あなたが幸せになり、あなたの人生をとりもどすために。。。。。
シェルターで教えている本です。なかなか、耳が痛い本です。
今日は、第六章、なぜ安全でない人を選んでしまうのか?という題です。長いので要点だけ。。。。
人の人格を見抜く力がない
孤独であり、人に捨てられたくない
防御的希望-悲しみたくないがために希望を持つ。
相手がきっと変わってくれると信じ込む。
悪いことに直面しない-安全でない関係を選ぶ多くの人は、自分の悪いことに直面することをせず、むしろ他人に非を見つけようとします。
盲目的な願い-恋は盲目であるように、全く実態のない人間関係で満足している。相手は、いい人に違いないという考え意外はいかなる忠告も警鐘も受け入れられない。
面と向かって話すことを恐れるー境界線がしっかりしている人は、人と対面して対決でき、問題を人間関係の中で解決することが出来る。対決できない人は、安全でない状態を引き寄せる。皮膚のない体のようだ。
美化する ー相手を美化し、関係を理想化し、都合の悪い事実を無視する。
救済の必要性ー人を救いたがる人は、物事を相手のためにやりすぎる、つまり、相手の自分の人生への責任さえもあなたがとってあげようとする。結局、相手は成長しない。
熟知しているやり方ー自分の家族もそうだった、ずっと人間関係と言えば、このやり方というパターンがあり、そのパターン以外の関係を試すことが出来ない。
被害者の役目ー力がなく、自分のせいでなく、誰かに傷つけられているという立場で、自分の行動、選択に対しての責任感が薄い。
(例)気が付いたら二人でベットに入っいた、とか言うが、自分か選んで一緒に寝たとは思わないし、言わない。
罪悪感ー罪悪感を持つ人は、非を責めてくる人にたいして弱いです。それは、その人に同意するしかないからです。自分の罪悪感を処理している人は、強いです。すなわち、実務的には非を行動をもって正し、霊的に神様にあってゆるされていることを受け取ることです。
完璧主義者ー完璧主義者は完ぺきであることを求めてくる危険な人を引き寄せてしまいます。自分のありのままの姿を受け入れることと、受け入れてもらう事が無ければ安全がない。
痛み、感覚を否定するー感じることは大切です、自分の痛みを無視できる人は、危険を引き寄せてしまいます。あれ、おかしいなって思ったら、対処するべきです。
聖化への道(まとめ)
前述の全ての項目は、私たちの聖化へのプロセスで必ず取り扱われなければらならない道です。
はーーーー、長かった。。
実際の本では、具体例もたくさん載っています。
次の章は、七章。間違った解決策についてです!
お楽しみに!
- If you are a bloguru member, please login.
Login
- If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
Request Account