Fear not, for I am with you;
Be not dismayed, for I am your God.
I will strengthen you,
Yes, I will help you,
I will uphold you with My righteous right hand.’ Isaiah 41:10
ヨハネ1:1-2 “初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。In the beginning was the Word, and the Word was with God, and the Word was God.”
イエス様のことを話している箇所ですが、私たちも、クリスチャンとして成熟すればするほどキリストに似たものとなります。私たちも神の言葉を体現するものとなります。そして、それが私たちの働きとなります。先週「神に造られた健全な私であることが私の召しである」という話しをしました。
よく聞かれる質問ですが、「自分が無くなることが、キリストのようになることですか」答えは、Yes and No です。神様と対話し、私が神様と一つになれば一つになるほど、ますますあなたらしくなるのです。本来は、神様に造られた通りで生きられていれば、何も問題がないのですが、生まれて来て私たちは、罪を犯し、罪にまみれた世の中で生きているので、いろいろな自己防衛システムができました。自分らしさ、自分の素晴らしさということに気付き、また、それを大いに発揮している人というのは少ないのです。
私たちの働きというのは、神の言葉の受肉の働きです。愛によって、私と神とが一つになっている時、真の意味で用いられる。古い自分の思うがまま、奔放に自分のしたいことをするのが神の働きではありません。Ego-centered vs God-centered service 神と心が一つになってれば、思いのままに動いても間違いはあまりせん。しかし、神と思いが一つになってないのに、思いのままにやると、それは、肉の働きになり、何の益ももたらされません。
ヨハネ15:5
わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。“I am the vine, you are the branches. He who abides in Me, and I in him, bears much fruit; for without Me you can do nothing.
ヨハネ15:1,2
わたしはまことのぶどうの木であり、わたしの父は農夫です。2 わたしの枝で実を結ばないものはみな、父がそれを取り除き、実を結ぶものはみな、もっと多く実を結ぶために、刈り込みをなさいます。“I am the true vine, and My Father is the vinedresser. 2 Every branch in Me that does not bear fruit He takes away; and every branch that bears fruit He prunes, that it may bear more fruit.
ヨハネ14: 23 イエスは彼に答えられた。「だれでもわたしを愛する人は、わたしのことばを守ります。そうすれば、わたしの父はその人を愛し、わたしたちはその人のところに来て、その人とともに住みます。」Jesus answered and said to him, “If anyone loves Me, he will keep My word; and My Father will love him, and We will come to him and make Our home with him.
賜物を追いかけるでもない、実際、聖霊様が働かれるのは、召されて、召しに応じているあなたが、神と対話し、対峙する中で、他者に出会うときに、流れるものがある。それが、神様のお働きであり、御業である。エリックの父の日のメッセージでも話されましたが、愛によって、父から子に渡る霊的財産があるのです。イエス様も、ヨハネ14: 15 「もしあなたがたがわたしを愛するなら、あなたがたはわたしの戒めを守るはずです。」If you love Me, keep My commandments.と言われました。愛の関係のあった人の信念というのは、自然に受け継ぐものです。死んだおばあちゃんがよく、こんなことをしてくれた。私も知らず知らずのうちに、同じことをしているな、と、言うものです。
私たちが愛を学ぶためには、神との対峙、対話、face to face の時間が必要。
Youtube Video Mirroring
私たちは、自分以外の人がいてこそ、感情が理解できるのです。人一人では生きていけないのです。
このミラーリングによって感情を知るということは、神様によってデザインされ、意味をもって私たちの身体に組み込まれたものです。
○私たち共同体には…私たちの神は、共同体の神であり、あなたと、私、そして神の感情を通して、互いに共感し、思いやり、愛することができるようにしてくださっているのです。ロマ書12章の共同体、キリストの身体について書かれている続きに、ローマ書12:15喜ぶ人と共に喜び、泣く人と共に泣きなさい。Rejoice with those who rejoice, and weep with those who weep. と、ある通りです。
感情について少し、考えが変わったでしょうか。
④ 知ることとは、愛すること
創世記4: 1
人は、その妻エバを知った。彼女はみごもってカインを産み、「私は、主によってひとりの男子を得た」と言った。Now Adam knew Eve his wife, and she conceived and bore Cain, and said, “I have acquired a man from the LORD.”
○ハンナ(1サムエル)… 不妊であったハンナは、いじめにもあい、つらくて、宮で長く祈った。祈りの後、彼女は別人のようになっていた。つまり、神に感情を知ってもらい、神の心をいただき、満足し、今までのように、悩み疲れ、身も心もずたずたの容姿ではなくなっていたのです。1:18 And she said, “Let your maidservant find favor in your sight.” So the woman went her way and ate, and her face was no longer sad. 彼女の顔は、もはや以前のようではなかった。
2歴代誌 16:9
主はその御目をもって、あまねく全地を見渡し、その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。For the eyes of the LORD run to and fro throughout the whole earth, to show Himself strong on behalf of those whose heart is loyal to Him.
人は一人でいるために作られていず、一人であることに愛はいらない。相手がいてこそ、愛を実行できる。Love is interpersonal. Without partner or community, you won’t need to practice love. 愛の意味が分かるのは、愛の対象があってこそです。
② 共同体 Community
○神は三位一体です。Rolheiser calls it shared existence. 互いに存在を分かち合う仲。その、根底には互いに愛する姿があます。
マタイ28:19
父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け in the name of the Father and of the Son and of the Holy Spirit
父なる神、子なる神、聖霊なる神の三位が一つである神です。
マルコMark 1:10–11
水の中から上がられると、すぐそのとき、天が裂けて御霊が鳩のように自分の上に下られるのを、ご覧になった。11 そして天から声がした。「あなたは、わたしの愛する子、わたしはあなたを喜ぶ。」And immediately, coming up from[d] the water, He saw the heavens parting and the Spirit descending upon Him like a dove. 11 Then a voice came from heaven, “You are My beloved Son, in whom I am well pleased.”
ヨハネJohn 14:26
しかし、助け主、すなわち父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、あなたがたにすべてのことを教え、また、わたしがあなたがたに話したすべてのことを思い起こさせてくださいます。But the Helper, the Holy Spirit, whom the Father will send in My name, He will teach you all things, and bring to your remembrance all things that I said to you.
ヨハネJohn 5:19
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分からは何事も行うことができません。父がなさることは何でも、子も同様に行うのです。Then Jesus answered and said to them, “Most assuredly, I say to you, the Son can do nothing of Himself, but what He sees the Father do; for whatever He does, the Son also does in like manner.
ヨハネJohn 11:41–42
そこで、彼らは石を取りのけた。イエスは目を上げて、言われた。「父よ。わたしの願いを聞いてくださったことを感謝いたします。42 わたしは、あなたがいつもわたしの願いを聞いてくださることを知っておりました。しかしわたしは、回りにいる群衆のために、この人々が、あなたがわたしにお遣わしになったことを信じるようになるために、こう申したのです。」Then they took away the stone from the place where the dead man was lying. And Jesus lifted up His eyes and said, “Father, I thank You that You have heard Me. 42 And I know that You always hear Me, but because of the people who are standing by I said this, that they may believe that You sent Me.”
ヨハネJohn 17:1
イエスはこれらのことを話してから、目を天に向けて言われた。「父よ。時が来ました。あなたの子があなたの栄光を現すために、子の栄光を現してください。 Jesus spoke these words, lifted up His eyes to heaven, and said: “Father, the hour has come. Glorify Your Son, that Your Son also may glorify You,
(Dan A. 結婚関係の中で互いの栄光を輝かせないような関係はいけない、と。)
○人も複数で一人です。Human is also plural in one.
神は人を男と女に造られた。
創世記1:27
神は人をご自身のかたちとして創造された。神のかたちとして彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。God created humankind in his own image, in the image of God he created them, male and female he created them.
創世記2:24
それゆえ男はその父母を離れ、妻と結び合い、ふたりは一体となるのである。 Therefore a man shall leave his father and mother and be joined to his wife, and they shall become one flesh.
教会という神の共同体は、キリストの花嫁と言われます。世の終わりにキリストが私たち信じる者たちを迎えに来られるとき、私たちは、いよいよキリストと一つになり、天では盛大な婚礼の祝いが始まるのです。黙示録19、
マタイ 22:2
婚礼のたとえ話; 天の国は、ある王が王子のために婚宴を催したのに似ている。“The kingdom of heaven is like a certain king who arranged a marriage for his son, 3 and sent out his servants to call those who were invited to the wedding;
創世記1:28
神は彼らを祝福された。神は彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地を満たせ。地を従えよ。海の魚、空の鳥、地をはうすべての生き物を支配せよ。」Then God blessed them, and God said to them, “Be fruitful and multiply; fill the earth and subdue it; have dominion over the fish of the sea, over the birds of the air, and over every living thing that moves on the earth.”
神は、共同体の拡大を御心とし、それを私たちの使命とされた。
人とは、神に応答する者たちであり、神の協力者である
God is dialogue. God is searching His dialogue partner. Because He is love. He wants to love you. Love means to know and to be known. Yada in Hebrew.
神は、私たちを求めている。探しておられる。誰が、神の心と共感してくれるだろうか。。。と。