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ぼくしのめがね

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日本からのチーム来シアトル!

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日曜日は、大イベントがありまし... 日曜日は、大イベントがありました。日本からビンヤード教会チームが来てくださり、ミニコンサートやワーシップ、証をしてくださいました。
この写真は、日本からのチームの一員、もりさんがトランペットを吹いてくださいました。素晴らしかったです。
集会前準備の様子。。。あ、あか... 集会前準備の様子。。。あ、あかん、間に合わないーー。。。。結局やろうとしていたことは、間に合いませんでした。。。苦笑 全部で五人の方が、岐阜県や、神... 全部で五人の方が、岐阜県や、神戸から来てくださいました。
ワーシップリードは、まき子先生です。
たくさんの方々が遠くから来てく... たくさんの方々が遠くから来てくださいました。いつも神様のなさることは不思議です。予測していた人たちは来ないで、まったく知らないところから人々が引き寄せられてきました。 かおりさんのクラリネット演奏。... かおりさんのクラリネット演奏。こちらも、素晴らしかったです。 もりさんのトランペット もりさんのトランペット お天気もよく、会堂はこんな感じ... お天気もよく、会堂はこんな感じに。。。 日本からのチーム来シアトル! ビンヤードのワーシップ販売コー... ビンヤードのワーシップ販売コーナー。もりさんと、はるかさん。 この日は、ホライズンヒスパニッ... この日は、ホライズンヒスパニック教会も合同でともに礼拝しました。真ん中が日本からのまき子先生、両脇が、ヒスパニック教会牧師の、マービンとベティです。 最後に、集合写真ーーー遠く日本... 最後に、集合写真ーーー遠く日本から来てくださってありがとうございましたーーー
#Church #教会

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One Heart シリーズ男女 ⑤ 聖書の解釈

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日曜日のメッセージの時に使った... 日曜日のメッセージの時に使ったスライド。下の記事を読むときに役立ちます。しかし、これが一番最後にくると思ってアップロードしたつもりだったけど。。。。 日本から、もとシアトル留学して... 日本から、もとシアトル留学してホライズンに来ていた方が結婚してハニムーンで来てくださいました。月曜日にカヤックをしに近くのユニオン湖に行きました。とってもきれいな一日でした。 木曜日は、ロバの子ピクニックデ... 木曜日は、ロバの子ピクニックデーで、総勢二十人、ぞーろぞろシアトルセンターに遊びに行きました。チェリー姫がおにぎりをぱくついてます。彼女は、噴水に大はしゃぎでしゅうし、走り回っていました。が、かわいいちゃんは、水の音が怖くて、ずっとうずくまっていました。。。あは。人それぞれですね。笑 木曜日は暑い日で、たーーーくさ... 木曜日は暑い日で、たーーーくさんの子供連れさんが来ていました。また、八月にピクニックデーを計画しています。 日曜日は、教会員のみどりさんが... 日曜日は、教会員のみどりさんが、ランチタイムに大きなケーキを持ってきてくれました。彼女は、腎臓と肝臓を移植するという大手術、本当に死にかけたんですが、神様に奇跡的に助けられ今があります。今日は、三年快気祝いともう一年先まで病院いらずのお祝いです。感謝する心の素晴らしさを教えられたランチタイムとなりました。。。。。
2016年7月17日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/fwv_rSh0qVE

3. 1テモテTimothy2:1-15

 女が教えることを許すべきではない?
Should we not permit a woman to teach?

そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。4 神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。5 神は唯一です。また、神と人との間の仲介者も唯一であって、それは人としてのキリスト・イエスです。6 キリストは、すべての人の贖いの代価として、ご自身をお与えになりました。これが時至ってなされたあかしなのです。7 そのあかしのために、私は宣伝者また使徒に任じられ―私は真実を言っており、うそは言いません―信仰と真理を異邦人に教える教師とされました。8 ですから、私は願うのです。男は、怒ったり言い争ったりすることなく、どこででもきよい手を上げて祈るようにしなさい。9 同じように女も、つつましい身なりで、控えめに慎み深く身を飾り、はでな髪の形とか、金や真珠や高価な衣服によってではなく、10 むしろ、神を敬うと言っている女にふさわしく、良い行いを自分の飾りとしなさい。11 女は、静かにして、よく従う心をもって教えを受けなさい。12 私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。13 アダムが初めに造られ、次にエバが造られたからです。14 また、アダムは惑わされなかったが、女は惑わされてしまい、あやまちを犯しました。15 しかし、女が慎みをもって、信仰と愛と聖さとを保つなら、子を産むことによって救われます。

★間違ったみ言葉の解釈の例

この個所はよく間違って解釈されて、教会生活に適用されているみ言葉の一つでもあります。罪の呪いと人間的な文化から、当時の文化や、パウロの書法を無視して読むと、だいたい次のような解釈になります。。。
女一般は、人を教えるようなものではない。なぜなら、イブが騙されたように、女というものはそれほど愚かで、男性より劣っている。しかも、男性がはじめに作られたから、男性のほうが偉いのだ。女が、慎み深くして、信仰をもっているなら、子供を産むことことができれば、救われるのだ。
と、いう風に読めませんか?  私も駆け出しのクリスチャンのころは、そう理解し、なんだかがっかりしました。江戸時代じゃあるまいし、子供を産んでこそ女性の値打ちがあるのか。。。女性には子供を産むことしか価値がないのかー、なんていう理解でした。
さて、今日もこんがらがった紐をほどいていきましょう。まずは、

★このみ言葉の背景

この手紙は、エペソにいるテモテに宛ててパウロが書いている。当時、エペソには、アルテミスという神が拝まれていた。そして、ダイアナという24の乳房を持つ女の神がおり、子宝、出産時に母子を守る神として信仰されていた。そして、女が男の起源であるとし、女は偉いという考えがあった。神殿娼婦たちがおり、魔術やシーザー礼拝も盛んであった。政治と教育の中心であった。
また、オカルトで栄えていた町であり、パウロが福音を伝え、多くの改宗者がおこったので、町の経済が立ち行かなくなったことは使途の働きでも読み取れる。
エペソ教会の開拓した創始者は、ブリスキラという女性であった。ですから、少し考えれば、パウロが女性に対して教えるなということは、あまりにも不自然なことです。

★書法 ミニキアズム

ここで、また大切な文書構成を見てみたいと思います。先週話した、キアズマ書法がここでも用いられています。

All → Men → Woman ( 女性一般・一人の女・女性一般 )
V1-7 8   9-10 11-15a 15b
All human men women ( women / a woman / women (they) )

と、このように目的語が変化していっている。A woman というのは、ある特定の人をさして言っているのである。

★パウロの要点は

全ての人に祈って欲しい。目的は、全ての人が救われるように。。。男性に祈って欲しいし、女性にも同じように祈って欲しい。両方とも神にあって聖い方法によって、男性は、聖くあり、怒らずに。女性は、謙遜に、礼節をもって祈ることを教えている。


★女性に関してミニキアズムの中身v9-15を 詳しく見てみましょう

V9 Likewise 同じように  

というのは、パウロは、男性が、争いや怒りを捨ててどこでも手をあげて祈るように、女性も以下のことを捨てて祈りなさいという意味です。パウロは、祈りなさいという言葉を女性のところでは省略して書いています。

V9,10 髪を編んだり、おしゃれをすることは悪いこと?

私はこの箇所に従って、ずっと神学生のときから地味な格好をしていました。あるとき、教会の姉妹から、「お願いだから、もう少し、おしゃれして、先生。。。」と言われました。パウロは、おしゃれ禁止と言っているのでしょうか。

当時のエペソの文化では、女性が自分の身を飾りたてることは、性的な乱れを象徴しているものでした。当時、着飾っている妻を見ると、あの人は、不倫をしているのだと思われたそうです。そういう背景から、パウロは、霊的な、内面的な姿を行いによって飾ることを勧めているのです。

真珠は、ローマの時代最も優れた宝石と思われていました。ですから、真珠を身につけることは、装飾の極みとされました。

V11-15a  特定の女を指して、あの女に教えさせるな

当時、間違った教えをする偽教師たちがはびこっていました。そして、その異端的な教えをしているリーダーの中の一人にこの女性がいました。また、当時は、女性は教育や学問、宗教教育もきちんと受けて来られなかった背景を受けて、パウロが一番に言った言葉が、この女は、きちんと習うことと、神・教会に従うことを学ぶべきだと言っています。

この言い方は、女性に対してだからin silence and full submission という言葉を使っているのではなく、しばしばラビに習うときや、宗教的な学びをするときは、男性に対しても一般的に使われていた言い回しです。

V13 ですから、この女に教えさせてはいけない。黙らせなさい。

思い出してください。エペソでは、アルテミスを信じているという文化的背景から、女性は男性の起源であるという考えがありました。

V12 の、私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しませんauthority over a man? は、ギリシャ語では、 “authentein”が使われていて、 ….. 英語でいうオーソリティではありません。
Proper translation would be ; “I do not allow a woman to teach nor to proclaim herself author of man” ですから、正しい翻訳は、「私は、この女が自分こそが男の起源であるという教えをすることを許しません。」となります。

○そして、パウロは、人間がどのように創造されたかを説明するに至り、それから、この女性は、偽りの教えに騙されている者として、同じく騙された初めの人エバの話が出てきています。

V13-14 男性がはじめに蛇に騙されなかったらえらいと言っているのではない。男性は、自分の意志で罪を犯したのですが。。。(どちらがえらい、悪いかという考え方は、男女間の競争の考え方です) 女が男性の起源だからとして威張るのではない、ということ。これも、文化的に、女性の神を信仰していた地域ならではのことです。そして、男性も女性も罪を犯したけれども、みな、キリストへの信仰によって、みな救われることができるのだ。と言っている。

○子を産むことによって救われる?? The Childbearing

① V15 The Childbearing あの出産

Saved はSozo です。キリストによる全人格的な救いです。それは、初め人アダムとエバから罪が入ったけれども、あの出産によってみんな救われることができるというのです。あの出産というのは、キリストの誕生です。キリストがこの世に生まれ、罪の贖いをしてくださったからこそ、私たちは救われるのです。

② また、当時のエペソの背景から。。。

V15 今までは、エペソの人たちは、Greek goddess Artemis / a rulership of woman/ a god of fertilityに子供を産むときに母子ともに死なないように祈っていた。しかし、クリスチャンたちは、キリストにあって、罪からの呪いである全てのことから守られ、子供を産むという危険においても死から救われる。といういみ。である、とも解釈できる。

私は、①のほうがすんなり文脈にあうと思います。

<まとめ>

パウロは、すべての人が救われることが神の心であることを説きながら、救われた私たちの務めである祈りについて、男性にも、女性にも祈ることを教えています。またその中で、キアズム処方を用いて、当時エペソ教会の問題であった間違った教えをする女性の偽教師について、この女性に学びをさせなければならないことを言及し、きちんと教えを受けるまで黙っているように指導しました。


#Bible #クリスチャン #教会 #礼拝メッセージ #聖書

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独立記念日のピクニック

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七月四日はアメリカ独立記念日で... 七月四日はアメリカ独立記念日でお休み。毎年教会では、ピクニックに行きます。
なんと、ブログル仲間さんの、reireiさんが来てくれました!
嬉しいーー
皆で、ポットラックとBBQを楽... 皆で、ポットラックとBBQを楽しみます。 エリックも学生さんたちと楽しく... エリックも学生さんたちと楽しくしました。
また、新しい方々もたくさん来られて、日本人教会は総勢45人になりました。
ホライズン教会全体のピクニックですから、英語、ヒスパニック教会もみーーんなで楽しみます。
子供たちも、ママたちも、留学生... 子供たちも、ママたちも、留学生さんたちも、わいわい、がやがや。。。こらーー、BBQの火で遊んじゃだめーーーってわんぱくボーイズを追いかけまわす一コマも。。。。。たはは。。。 手作り温水プールをど真ん中につ... 手作り温水プールをど真ん中につくり、子供たちは、ぴちょびちょ水遊び。。。しかし、天候に恵まれず、さむいさむい。。。暖をとりながらの水遊びになりました。 これ、みんな、手作りです。ヘイ... これ、みんな、手作りです。ヘイを積み重ねて、巨大ビニールシートで囲いました。すごいアイディア! ちぇりーちゃんも、寒い寒いと言... ちぇりーちゃんも、寒い寒いと言いながら、遊びました。 しょうたくん、図らずも、BBQ... しょうたくん、図らずも、BBQ奉行のポジションに。。。助かったわーー。焼き焼きしてくれて。。。二日後に日本に帰るYさんも、最後の思い出となり、楽しく出来ました。

独立記念日と言えば、皆でBBQのアメリカです。

この日の前日は、教会のお昼の用意にとCostco に行ったんですが、欲しいものがない。。。。

そして、大量のバンズに、ホットドッグに、いかにもBBQ仕様なものが並んでいました。

うう。。。。そうだよね。七月四日の前日に来るほうが間違ってるよ。

と、がっかり。駐車場もとーーーーくまで、探さないと見つからず。。。。

どっと疲れた独立記念日前日でした。

が、ピクニックは大盛況。

初めて来た方々もとても楽しまれて、たくさんの方とお話しされて、また、何かの時きまーーすと帰られました。よかったよかった。

#fun #picnic #教会

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クリスチャン生活の基本シリーズ⑤交わり

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今週の日曜日は、私たちの礼拝が... 今週の日曜日は、私たちの礼拝が終わってから、車で三十分ほど行ったところにある、ミャンマー人教会に奉仕に行きました。
この写真は、子どもたちの教会学校の様子。。。みんなかわいいです。。。ミャンマー語、さっぱり分かりませんでしたが、みんなは、こちらで育っているので完全なバイリンガルでした。
礼拝は、全て、ミャンマー語でし... 礼拝は、全て、ミャンマー語でした。。。全く理解でませんでした。私のメッセージには、牧師のジョシュアが通訳してくれました。
ジョシュアは、エリックのクラスメイトで、一緒に神学校で学んでいます。。。。私たちの教会でも時々メッセージしてくれます。お互い、仏教国出身のせいなのか、彼のお話しは、日本人の私たちに分かり易く、また思想的でとても深いです。。。。
ジョシュア夫妻と。。。奥さんの... ジョシュア夫妻と。。。奥さんの英語の名前は、私が付けました。クリスティーンです。ジョシュアと彼女は婚約中、アメリカとミャンマーで離れ離れでした。ある日、ジョシュアがグリーンカードのくじに応募しました。一つは、彼女のため、一つは、自分のために。。。すると、彼女にグリーンカードがあたり、はれてアメリカにわたり、結婚することが出来ました!!! そして、今は、男の子の赤ちゃんも生まれました。すばらしい!
2016年2月21日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/Hp8efTI4iIA

クリスチャンほど、共に集まることを大切にする人たちはいないと思います。今日は、教会の交わりについてお話ししたいと思います。

私がクリスチャンになりたてのころ、とにかく、教会に来たくて仕方がありませんでした。ほぼ毎日のように教会に来ていたと思います。

初めて宣教旅行に参加し、海外でクリスチャンに出会った時、心が躍りました。喜びでいっぱいになりました。教会では、教会員同士、神の子ども同士ということで、兄弟姉妹と互いに呼びあいますが、初めてあう人種の違う相手を心から自分の姉妹、兄弟と呼べる妙な感覚で包まれました。

また、初めて大きな聖会、クルセードのようなものにいった時、圧巻でした。何千人もの人と同時に声を合わせて神を賛美し礼拝する時に、喜びが爆発的に沸きあがりました。まるで、天国の前味のようでした。

聖書の中に、次のような言葉があります。

マタイ18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」20 For where two or three are gathered together in My name, I am there in the midst of them.”

キリスト者の集まるところに、それがたとえ二人、三人のような少ない人数でも、そこにイエス・キリストの臨在があふれるのです。そこに、神が共におられるという喜びがあるのです。

今の時代は、インターネットやテレビやラジオで気軽に神様のメッセージを聞くことが出来ます。そして、それで救われることも出来ます。そして、もともと人間関係が苦手、また社交的でない人は、人の集まりである教会に寄り付きたくなかったりします。けれども、聖書は、はっきりと、集まることをやめてはいけません。集まりなさいと言っています。

ヘブル10:25

ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。 not forsaking the assembling of ourselves together, as is the manner of some, but exhorting one another, and so much the more as you see the Day approaching.

では、私たちが集まって交わりを持つことは、どのような意味があり、大切さがあるのでしょうか。

★ 教会の交わりに加わること キリストの身体となる

私たちは、イエス・キリストを信じたときから、キリストの身体の一部となりました。教会の一部となりました。教会というのは、罪の暗闇の中から、神様のために呼び出されたものたちの集まりです。まだ、イエス様を信じているが、教会に繋がっていない人、あるいは、海外にいて特定の教会につながっていない人は、ぜひ、教会につながりましょう。

教会とは、次のように聖書で表現されています。

1ペテロ2:5

あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、きよい祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。 you also, as living stones, are being built up a spiritual house, a holy priesthood, to offer up spiritual sacrifices acceptable to God through Jesus Christ.

旧約聖書のソロモンは、大きな美しい石で神の神殿を建てました。しかし、どの石も生きているものではありませんでした。しかし今は、イエスを信じるものは誰でも、生ける石として、霊の家に築き上げられる、そして、神の住む宮としての役割を果たすものだとあるのです。行きながらにして、神に喜ばれ、そういう人が組み合わされて一つの大きな神の宮なのだというのです。また、次のような言葉もあります。

エペソ1:22

また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。 And He put all things under His feet, and gave Him to be head over all things to the church, 23 which is His body, the fullness of Him who fills all in all.

1コリント12:27

あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。Now you are the body of Christ, and members individually.

キリストが頭、そして、私たちが身体なのです。一人ひとりは、その手であったり、口であったり、目であったりする器官なのです。一人もかけては、キリストの考えていることをこの世で共に果たすことができないのです。わたし達一人ひとりに役割が必ず備えられているのです。

★ 一つとなるために

キリストの身体として、キリストを頭として、働くには、一つ心になって、一つマインドにならなければ、働くことは難しいですね。ここで、イエス様のとりなしの祈りについてお話したいと思います。イエス様は、十字架に掛かられる前に、わたしたちのことを思って、次のような祈りをされました。

ヨハネ17:11

わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。Now I am no longer in the world, but these are in the world, and I come to You. Holy Father, keep through Your name those whom You have given Me, that they may be one as We are.

ヨハネ17:21

それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。that they all may be one, as You, Father, are in Me, and I in You; that they also may be one in Us, that the world may believe that You sent Me.

イエス様の夢というのは、私たちと一つとなることでした。

ですから、神であられるのに、地にくだり、そして、私たちの一人のようになり、生き、苦しみ悲しみを味わい、そして、辱めを受け、十字架に掛かられ、恥を受け、罪人の一人として数えられました。

イエス様は、私たちを創造されたその時から、私たちと一つになりたいという熱い思いをもっておられたのです。

そして、今や、誰でも、キリストを信じるもののうちには、キリストの霊が宿ってくださるのです。キリストを信じるものは、キリストと一つになるのです。
そして、キリストがもう一度、地上に来てくださることが聖書に書かれてあります。その時がイエス様の夢の完成形です。

キリストの花嫁を花婿であるイエス様がついに婚礼のために迎えに来られるのです。
そのために、イエス様は、祈っているのです。

イエス様が父なる神と一つであるように、私たちも一つであるようにとイエス様は祈っています。考えにおいて一つ、心において一つ、行動において一つになること。イエス様が父と一つであるように、わたし達もキリストと一つであり、私たちも互いに一つとなること。これが、イエス様の願いであり、祈りであります。

私たちの信じている神は、三位一体の神です。三位が一つと数えられる神なのです。これは、深い真理であります。教会が見逃してはならない真理です。
私たちも、大勢いますが、一人として数えられるほどに、一つになるべきなのです。
そうするときに、全世界にキリストの姿を顕現することができるのです。なんと、教会はその姿から程遠いことでしょうか。

私たちは、リバイバルを人数や、大きなミニストリーなどによって測りがちですが、これは、正しい測りではないのではないでしょうか。
キリストの思いに寄れば、教会が一つになることが、これが本当の成熟の測りなのではないでしょうか。

一つになるには、コミュニケーション、交わり、互いに集まることなしには難しいのです。そして、一人ももれることなく、交わりに入らなければ意味がないのです。。。。

★ 共に集うことの大切さ

みなさん、順境の時は、私たちは一人でも楽しく信仰を保つことが出来ます。けれども、試練の時、逆境の時、私たちは、励ましが無くては、太刀打ちできません。私たちは、一人よりも複数でいた方が困難に立ち向かえるのです。わたしも、結婚する前は、ミニストリーしながらよくうつになり、落ち込み、不安になりました。しかし、結婚してからは、同じ信者である夫が常に励まし、誉めてくれるので、すっかりそのようなことはなくなりました。

次の聖書の箇所を読みましょう。

1テサロニケ5:10-18

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。11ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。 12兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。13その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。14兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。

★ 励ましのため

互いに励まし、徳を高めあいなさいというのです。キリストと共に死んでも生きる、永遠に生きるものとされたのですが、この世の逆境にあっても、それは、一時的なものであり、後の日に大きな報いがあることを互いに覚えて、励ましあいなさいというのです。
このテサロニケの教会は、大変な迫害の中にいたという背景があります。

★ 矯正と成長を助けるため

また、14兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。14 Now we exhort you, brethren, warn those who are unruly, comfort the fainthearted, uphold the weak, be patient with all.
私たちは、一匹狼では、成長できません。私たちの成長とは、キリストの身丈にまで、成熟することです。私たちは、先輩から教えられ、また互いに真理に照らし合わせて、自分を省みる必要があります。これは、人との関わりが無ければ、分からないことです。
人と、接するからこそ、自分の姿が見えてくるのです。罪とは、自分に起こった物事に対する心の反応で分かります。人に囲まれていなければ、どのようにして自分の罪にきがつくことができるでしょうか。

★ 祈りと奉仕のため

キリストの身体として、私たちは、この世にキリストの全体像を示す役目をになっています。キリストが考えていることを行動に移すこと。
身体全体が一緒に働いて、この世で神様の働きをするのです。
実際的な働きは、もちろんですが、約束を伴っているのは、教会の祈りです。

マタイ18:18-19

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。 “Assuredly, I say to you, whatever you bind on earth will be bound in heaven, and whatever you loose on earth will be loosed in heaven. 19 “Again I say to you that if two of you agree on earth concerning anything that they ask, it will be done for them by My Father in heaven.

私たちが集って共に集まり祈ることは、天においても地においても非常に力があるのです。天の父なる神様はそれをかなえてくださいます。とあります。私たちは、集まって祈ることをやめてはいけません。これが、私たちの大切な奉仕です。

私たちが肉体において共に集まり、交わりを持ち、互いに励ましあい、訓戒しあい成長を助け、たましいにおいても一つとなり、そして、共に祈り、天を地上に解き放ち、霊的にも一つになること、このように、霊、肉、たましい、どの分野においても私たちは、教会として一つになっていくことをめざしましょう。

教会にまだつながっていない人は、教会につながりましょう。教会につながっている人は、聖書の学び、祈り会などに参加しましょう。また、自分でそのような小さな会をつくってもかまいません。ラインやフェイスブックを通して、互いに祈り、交わってもかまわないでしょう。互いにつながり、互いに祈ることをやめないようにしましょう。




#キリスト教 #クリスチャン生活 #教会 #聖書

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