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  • クリスチャン生活の基本シリーズ⑤交わり

クリスチャン生活の基本シリーズ⑤交わり

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今週の日曜日は、私たちの礼拝が... 今週の日曜日は、私たちの礼拝が終わってから、車で三十分ほど行ったところにある、ミャンマー人教会に奉仕に行きました。
この写真は、子どもたちの教会学校の様子。。。みんなかわいいです。。。ミャンマー語、さっぱり分かりませんでしたが、みんなは、こちらで育っているので完全なバイリンガルでした。
礼拝は、全て、ミャンマー語でし... 礼拝は、全て、ミャンマー語でした。。。全く理解でませんでした。私のメッセージには、牧師のジョシュアが通訳してくれました。
ジョシュアは、エリックのクラスメイトで、一緒に神学校で学んでいます。。。。私たちの教会でも時々メッセージしてくれます。お互い、仏教国出身のせいなのか、彼のお話しは、日本人の私たちに分かり易く、また思想的でとても深いです。。。。
ジョシュア夫妻と。。。奥さんの... ジョシュア夫妻と。。。奥さんの英語の名前は、私が付けました。クリスティーンです。ジョシュアと彼女は婚約中、アメリカとミャンマーで離れ離れでした。ある日、ジョシュアがグリーンカードのくじに応募しました。一つは、彼女のため、一つは、自分のために。。。すると、彼女にグリーンカードがあたり、はれてアメリカにわたり、結婚することが出来ました!!! そして、今は、男の子の赤ちゃんも生まれました。すばらしい!
2016年2月21日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/Hp8efTI4iIA

クリスチャンほど、共に集まることを大切にする人たちはいないと思います。今日は、教会の交わりについてお話ししたいと思います。

私がクリスチャンになりたてのころ、とにかく、教会に来たくて仕方がありませんでした。ほぼ毎日のように教会に来ていたと思います。

初めて宣教旅行に参加し、海外でクリスチャンに出会った時、心が躍りました。喜びでいっぱいになりました。教会では、教会員同士、神の子ども同士ということで、兄弟姉妹と互いに呼びあいますが、初めてあう人種の違う相手を心から自分の姉妹、兄弟と呼べる妙な感覚で包まれました。

また、初めて大きな聖会、クルセードのようなものにいった時、圧巻でした。何千人もの人と同時に声を合わせて神を賛美し礼拝する時に、喜びが爆発的に沸きあがりました。まるで、天国の前味のようでした。

聖書の中に、次のような言葉があります。

マタイ18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」20 For where two or three are gathered together in My name, I am there in the midst of them.”

キリスト者の集まるところに、それがたとえ二人、三人のような少ない人数でも、そこにイエス・キリストの臨在があふれるのです。そこに、神が共におられるという喜びがあるのです。

今の時代は、インターネットやテレビやラジオで気軽に神様のメッセージを聞くことが出来ます。そして、それで救われることも出来ます。そして、もともと人間関係が苦手、また社交的でない人は、人の集まりである教会に寄り付きたくなかったりします。けれども、聖書は、はっきりと、集まることをやめてはいけません。集まりなさいと言っています。

ヘブル10:25

ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。 not forsaking the assembling of ourselves together, as is the manner of some, but exhorting one another, and so much the more as you see the Day approaching.

では、私たちが集まって交わりを持つことは、どのような意味があり、大切さがあるのでしょうか。

★ 教会の交わりに加わること キリストの身体となる

私たちは、イエス・キリストを信じたときから、キリストの身体の一部となりました。教会の一部となりました。教会というのは、罪の暗闇の中から、神様のために呼び出されたものたちの集まりです。まだ、イエス様を信じているが、教会に繋がっていない人、あるいは、海外にいて特定の教会につながっていない人は、ぜひ、教会につながりましょう。

教会とは、次のように聖書で表現されています。

1ペテロ2:5

あなたがたも生ける石として、霊の家に築き上げられなさい。そして、きよい祭司として、イエス・キリストを通して、神に喜ばれる霊のいけにえをささげなさい。 you also, as living stones, are being built up a spiritual house, a holy priesthood, to offer up spiritual sacrifices acceptable to God through Jesus Christ.

旧約聖書のソロモンは、大きな美しい石で神の神殿を建てました。しかし、どの石も生きているものではありませんでした。しかし今は、イエスを信じるものは誰でも、生ける石として、霊の家に築き上げられる、そして、神の住む宮としての役割を果たすものだとあるのです。行きながらにして、神に喜ばれ、そういう人が組み合わされて一つの大きな神の宮なのだというのです。また、次のような言葉もあります。

エペソ1:22

また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。1:23 教会はキリストのからだであり、いっさいのものをいっさいのものによって満たす方の満ちておられるところです。 And He put all things under His feet, and gave Him to be head over all things to the church, 23 which is His body, the fullness of Him who fills all in all.

1コリント12:27

あなたがたはキリストのからだであって、ひとりひとりは各器官なのです。Now you are the body of Christ, and members individually.

キリストが頭、そして、私たちが身体なのです。一人ひとりは、その手であったり、口であったり、目であったりする器官なのです。一人もかけては、キリストの考えていることをこの世で共に果たすことができないのです。わたし達一人ひとりに役割が必ず備えられているのです。

★ 一つとなるために

キリストの身体として、キリストを頭として、働くには、一つ心になって、一つマインドにならなければ、働くことは難しいですね。ここで、イエス様のとりなしの祈りについてお話したいと思います。イエス様は、十字架に掛かられる前に、わたしたちのことを思って、次のような祈りをされました。

ヨハネ17:11

わたしはもう世にいなくなります。彼らは世におりますが、わたしはあなたのみもとにまいります。聖なる父。あなたがわたしに下さっているあなたの御名の中に、彼らを保ってください。それはわたしたちと同様に、彼らが一つとなるためです。Now I am no longer in the world, but these are in the world, and I come to You. Holy Father, keep through Your name those whom You have given Me, that they may be one as We are.

ヨハネ17:21

それは、父よ、あなたがわたしにおられ、わたしがあなたにいるように、彼らがみな一つとなるためです。また、彼らもわたしたちにおるようになるためです。そのことによって、あなたがわたしを遣わされたことを、世が信じるためなのです。that they all may be one, as You, Father, are in Me, and I in You; that they also may be one in Us, that the world may believe that You sent Me.

イエス様の夢というのは、私たちと一つとなることでした。

ですから、神であられるのに、地にくだり、そして、私たちの一人のようになり、生き、苦しみ悲しみを味わい、そして、辱めを受け、十字架に掛かられ、恥を受け、罪人の一人として数えられました。

イエス様は、私たちを創造されたその時から、私たちと一つになりたいという熱い思いをもっておられたのです。

そして、今や、誰でも、キリストを信じるもののうちには、キリストの霊が宿ってくださるのです。キリストを信じるものは、キリストと一つになるのです。
そして、キリストがもう一度、地上に来てくださることが聖書に書かれてあります。その時がイエス様の夢の完成形です。

キリストの花嫁を花婿であるイエス様がついに婚礼のために迎えに来られるのです。
そのために、イエス様は、祈っているのです。

イエス様が父なる神と一つであるように、私たちも一つであるようにとイエス様は祈っています。考えにおいて一つ、心において一つ、行動において一つになること。イエス様が父と一つであるように、わたし達もキリストと一つであり、私たちも互いに一つとなること。これが、イエス様の願いであり、祈りであります。

私たちの信じている神は、三位一体の神です。三位が一つと数えられる神なのです。これは、深い真理であります。教会が見逃してはならない真理です。
私たちも、大勢いますが、一人として数えられるほどに、一つになるべきなのです。
そうするときに、全世界にキリストの姿を顕現することができるのです。なんと、教会はその姿から程遠いことでしょうか。

私たちは、リバイバルを人数や、大きなミニストリーなどによって測りがちですが、これは、正しい測りではないのではないでしょうか。
キリストの思いに寄れば、教会が一つになることが、これが本当の成熟の測りなのではないでしょうか。

一つになるには、コミュニケーション、交わり、互いに集まることなしには難しいのです。そして、一人ももれることなく、交わりに入らなければ意味がないのです。。。。

★ 共に集うことの大切さ

みなさん、順境の時は、私たちは一人でも楽しく信仰を保つことが出来ます。けれども、試練の時、逆境の時、私たちは、励ましが無くては、太刀打ちできません。私たちは、一人よりも複数でいた方が困難に立ち向かえるのです。わたしも、結婚する前は、ミニストリーしながらよくうつになり、落ち込み、不安になりました。しかし、結婚してからは、同じ信者である夫が常に励まし、誉めてくれるので、すっかりそのようなことはなくなりました。

次の聖書の箇所を読みましょう。

1テサロニケ5:10-18

主が私たちのために死んでくださったのは、私たちが、目ざめていても、眠っていても、主とともに生きるためです。11ですから、あなたがたは、今しているとおり、互いに励まし合い、互いに徳を高め合いなさい。 12兄弟たちよ。あなたがたにお願いします。あなたがたの間で労苦し、主にあってあなたがたを指導し、訓戒している人々を認めなさい。13その務めのゆえに、愛をもって深い尊敬を払いなさい。お互いの間に平和を保ちなさい。14兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。15 だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。

★ 励ましのため

互いに励まし、徳を高めあいなさいというのです。キリストと共に死んでも生きる、永遠に生きるものとされたのですが、この世の逆境にあっても、それは、一時的なものであり、後の日に大きな報いがあることを互いに覚えて、励ましあいなさいというのです。
このテサロニケの教会は、大変な迫害の中にいたという背景があります。

★ 矯正と成長を助けるため

また、14兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。14 Now we exhort you, brethren, warn those who are unruly, comfort the fainthearted, uphold the weak, be patient with all.
私たちは、一匹狼では、成長できません。私たちの成長とは、キリストの身丈にまで、成熟することです。私たちは、先輩から教えられ、また互いに真理に照らし合わせて、自分を省みる必要があります。これは、人との関わりが無ければ、分からないことです。
人と、接するからこそ、自分の姿が見えてくるのです。罪とは、自分に起こった物事に対する心の反応で分かります。人に囲まれていなければ、どのようにして自分の罪にきがつくことができるでしょうか。

★ 祈りと奉仕のため

キリストの身体として、私たちは、この世にキリストの全体像を示す役目をになっています。キリストが考えていることを行動に移すこと。
身体全体が一緒に働いて、この世で神様の働きをするのです。
実際的な働きは、もちろんですが、約束を伴っているのは、教会の祈りです。

マタイ18:18-19

まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。 “Assuredly, I say to you, whatever you bind on earth will be bound in heaven, and whatever you loose on earth will be loosed in heaven. 19 “Again I say to you that if two of you agree on earth concerning anything that they ask, it will be done for them by My Father in heaven.

私たちが集って共に集まり祈ることは、天においても地においても非常に力があるのです。天の父なる神様はそれをかなえてくださいます。とあります。私たちは、集まって祈ることをやめてはいけません。これが、私たちの大切な奉仕です。

私たちが肉体において共に集まり、交わりを持ち、互いに励ましあい、訓戒しあい成長を助け、たましいにおいても一つとなり、そして、共に祈り、天を地上に解き放ち、霊的にも一つになること、このように、霊、肉、たましい、どの分野においても私たちは、教会として一つになっていくことをめざしましょう。

教会にまだつながっていない人は、教会につながりましょう。教会につながっている人は、聖書の学び、祈り会などに参加しましょう。また、自分でそのような小さな会をつくってもかまいません。ラインやフェイスブックを通して、互いに祈り、交わってもかまわないでしょう。互いにつながり、互いに祈ることをやめないようにしましょう。




#キリスト教 #クリスチャン生活 #教会 #聖書

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