ローマ9:1-3
私はキリストにあって真実を言い、偽りを言いません。次のことは、私の良心も、聖霊によってあかししています。2 私には大きな悲しみがあり、私の心には絶えず痛みがあります。3 もしできることなら、私の同胞、肉による同国人のために、この私がキリストから引き離されて、のろわれた者となることさえ願いたいのです。I tell the truth in Christ, I am not lying, my conscience also bearing me witness in the Holy Spirit, 2 that I have great sorrow and continual grief in my heart. 3 For I could wish that I myself were accursed from Christ for my brethren, my countrymen according to the flesh,
○エンパシー共感について
sympathy = syn (共に) + pathos (苦しみ) [感情共鳴]
empathy = en (内部へ)+ pathos (苦しみ) [感情移入]
ロマ9:6-7
しかし、神のみことばが無効になったわけではありません。なぜなら、イスラエルから出る者がみな、イスラエルなのではなく、7 アブラハムから出たからといって、すべてが子どもなのではなく、「イサクから出る者があなたの子孫と呼ばれる」のだからです。
But it is not that the word of God has taken no effect. For they are not all Israel who are of Israel, 7 nor are they all children because they are the seed of Abraham; but, “In Isaac your seed shall be called.”
ロマ9:16-17
したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。17 聖書はパロに、「わたしがあなたを立てたのは、あなたにおいてわたしの力を示し、わたしの名を全世界に告げ知らせるためである。」と言っています。So then it is not of him who wills, nor of him who runs, but of God who shows mercy. 17 For the Scripture says to the Pharaoh, “For this very purpose I have raised you up, that I may show My power in you, and that My name may be declared in all the earth.”
ロマ9:24
神は、このあわれみの器として、私たちを、ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも召してくださったのです。
23 and that He might make known the riches of His glory on the vessels of mercy, which He had prepared beforehand for glory, 24 even us whom He called, not of the Jews only, but also of the Gentiles?
神様は、選びの民イスラエルを差し置いて、律法も礼拝も知らないような、今や、私たちのような遠い国の民族に届いてくださって。こんな私を憐れみの器として召してくださったのです。
ロマ 9:31-33
しかし、イスラエルは、義の律法を追い求めながら、その律法に到達しませんでした。32 なぜでしょうか。信仰によって追い求めることをしないで、行いによるかのように追い求めたからです。彼らは、つまずきの石につまずいたのです。33 それは、こう書かれているとおりです。「見よ。わたしは、シオンに、つまずきの石、妨げの岩を置く。彼に信頼する者は、失望させられることがない。」but Israel, pursuing the law of righteousness, has not attained to the law of righteousness. 32 Why? Because they did not seek it by faith, but as it were, by the works of the law. For they stumbled at that stumbling stone. 33 As it is written: “Behold, I lay in Zion a stumbling stone and rock of offense, And whoever believes on Him will not be put to shame.”
ロマ8:1-2
1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。There is therefore now no condemnation to those who are in Christ Jesus, who do not walk according to the flesh, but according to the Spirit. 2 For the law of the Spirit of life in Christ Jesus has made me free from the law of sin and death.
ロマ8:8-9
8 肉にある者は神を喜ばせることができません。9 けれども、もし神の御霊があなたがたのうちに住んでおられるなら、あなたがたは肉の中にではなく、御霊の中にいるのです。キリストの御霊を持たない人は、キリストのものではありません。So then, those who are in the flesh cannot please God. 9 But you are not in the flesh but in the Spirit, if indeed the Spirit of God dwells in you. Now if anyone does not have the Spirit of Christ, he is not His.
ロマ8:14-16
神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。 For as many as are led by the Spirit of God, these are sons of God. 15 For you did not receive the spirit of bondage again to fear, but you received the Spirit of adoption by whom we cry out, “Abba, Father.” 16 The Spirit Himself bears witness with our spirit that we are children of God,
ロマ8:18-19
18 今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。19 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのです。 For I consider that the sufferings of this present time are not worthy to be compared with the glory which shall be revealed in us. 19 For the earnest expectation of the creation eagerly waits for the revealing of the sons of God.
ロマ8:26-27
御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。27 人間の心を探り窮める方は、御霊の思いが何かをよく知っておられます。なぜなら、御霊は、神のみこころに従って、聖徒のためにとりなしをしてくださるからです。Likewise the Spirit also helps in our weaknesses. For we do not know what we should pray for as we ought, but the Spirit Himself makes intercession for us[b] with groanings which cannot be uttered. 27 Now He who searches the hearts knows what the mind of the Spirit is, because He makes intercession for the saints according to the will of God.
ロマ8:28
神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを私たちは知っています。And we know that all things work together for good to those who love God, to those who are the called according to His purpose
また、誰も御霊の中にあるならば、誰も私たちに敵対できるものはいないとあります。
○誰も敵対できない
ロマ8:31
では、これらのことからどう言えるでしょう。神が私たちの味方であるなら、だれが私たちに敵対できるでしょう。What then shall we say to these things? If God is for us, who can be against us?
ロマ8: 32
私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。He who did not spare His own Son, but delivered Him up for us all, how shall He not with Him also freely give us all things?
○神の愛から離すものは何もない
ロマ8:37-39 しかし、私たちは、私たちを愛してくださった方によって、これらすべてのことの中にあっても、圧倒的な勝利者となるのです。38 私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、39 高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から私たちを引き離すことはできません。37 Yet in all these things we are more than conquerors through Him who loved us. 38 For I am persuaded that neither death nor life, nor angels nor principalities nor powers, nor things present nor things to come, 39 nor height nor depth, nor any other created thing, shall be able to separate us from the love of God which is in Christ Jesus our Lord.
それとも、兄弟たち。あなたがたは、律法が人に対して権限を持つのは、その人の生きている期間だけだ、ということを知らないのですか—私は律法を知っている人々に言っているのです。—Or do you not know, brethren (for I speak to those who know the law), that the law has dominion over a man as long as he lives?
律法と私たちの関係もそうです。「天地が滅び行くまでは、律法の一点一画もすたることはなく、ことごとく全うされるのである。」For assuredly, I say to you, till heaven and earth pass away, one jot or one tittle will by no means pass from the law till all is fulfilled. (マタイ5:18)と聖書に書いてある。切っても切り離せないのです。人間のために与えられた律法は、天地の終わりまで堅くたつのです。
★律法の役割
ロマ7:7-8
7 それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、「むさぼってはならない」と言わなかったら、私はむさごりを知らなかったでしょう。
8 しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。What shall we say then? Is the law sin? Certainly not! On the contrary, I would not have known sin except through the law. For I would not have known covetousness unless the law had said, “You shall not covet.” 8 But sin, taking opportunity by the commandment, produced in me all manner of evil desire. For apart from the law sin was dead.
ロマ7:15
私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。For what I am doing, I do not understand. For what I will to do, that I do not practice; but what I hate, that I do.
ロマ7:18
私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。 For I know that in me (that is, in my flesh) nothing good dwells; for to will is present with me, but how to perform what is good I do not find.
ロマ7:22-23
すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。For I delight in the law of God according to the inward man. 23 But I see another law in my members, warring against the law of my mind, and bringing me into captivity to the law of sin which is in my members.
私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。25 私たちの主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。ですから、この私は、心では神の律法に仕え、肉では罪の律法に仕えているのです。
O wretched man that I am! Who will deliver me from this body of death? 25 I thank God—through Jesus Christ our Lord! So then, with the mind I myself serve the law of God, but with the flesh the law of sin.
しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。But now we have been delivered from the law, having died to what we were held by, so that we should serve in the newness of the Spirit and not in the oldness of the letter.
V1-2 1それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。What shall we say then? Shall we continue in sin that grace may abound? 2 Certainly not! How shall we who died to sin live any longer in it?
「馬鹿は死ななきゃ治らない」ということわざが日本にありますが。英語では、the only cure for a fool is death; once a fool, always a food と言えますが。罪を犯す性質というのは、人間が生きている限り無くなることはないのです。それこそ、死ななきゃ治らないものであります。
Eric’s Story of Speaking in Tongues. エリックの体験談
Holy Spirit gives us the ability to speak in other tongues:
聖霊様が私たちに異言で話す能力を下さる
Acts使徒 2:1-4
“And when the day of Pentecost was fully come, they were all with one accord in one place. 2 And suddenly there came a sound from heaven as of a rushing mighty wind, and it filled all the house where they were sittng. 3 And there appeared to them cloven tongues like as of fire, and it sat upon each of them. 4 And they were all filled with the Holy Ghost, and began to speak with other tongues, as the Spirit gave them utterance.” 五旬節の日になって、みなが一つの所に集まっていた。2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るゆな響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
① Unity 一致について
I also love the encouraging words of the Apostle Paul on the subject.パウロはまた言いました
1 Cor.コリント 14:18
“I thank my God, I speak with tongues more than ye all.” 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言を話すことを神に感謝していますが、
② Don’t strive 自分の努力によらない
Ps. 詩編46:10 “Be still, and know that I am God…”
“let go and let God” あきらめて、神様にしてもらうこと
③ Edifying yourself 自分の徳を高める
1 Cor. コリント14:4 “He that speaketh in an unknown tongue edifieth himself…” 異言を話す者は自分の徳を高めますが、預言する者は教会の徳を高めます。
④ Intercession とりなし
Rom.ロマ8:26
“Likewise the Spirit also helpeth our infirmities: for we know not what we should pray for as we ought: for the Spirit itself maketh intercession for us with groaning which cannot be uttered.” 御霊も同じようにして、弱い私たちを助けてくださいます。私たちは、どのように祈ったらよいかわからないのですが、御霊ご自身が、言いようもない深いうめきによって、私たちのためにとりなしてくださいます。
It is a supernatural solution to natural problems. 自然界の問題に対する超自然的な解決が与えられる。
⑤ Mind doesn’t bear fruit; 知性は実を結ばない
1 Cor.コリント14:2
“For he that speaketh in an unknown tongue speaketh not unto men, but unto God: for no man understandeth him; howbeit in the spirit he speaketh mysteries.”もし私が異言で祈るなら、私の霊は祈るが、私の知性は実を結ばないのです。
“Could you not spare one Hour?” 一時間もできないのか?
という、ムーブメントが昔ありましたが、
異言の祈りなら、いつでもどこでも、いくらでも祈ることができます。
朝食は、英語で、Breakfast といいます。つまり、Break the fast 断食をやめる。食べない、不足していることを破ることです。
あなたの過去の失敗、成功しない道、なかなか取れない漁、家族の問題、何も開かれないそういう 不足の気持ちを破ることです。
イエスがともにいて、食事をさせてくださり、そして、その断食を破らせてくださいます。
V1,2 ですから、信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています。2 またキリストによって、いま私たちの立っているこの恵みに信仰によって導き入れられた私たちは、神の栄光を望んで大いに喜んでいます。Therefore, having been justified by faith, we have peace with God through our Lord Jesus Christ, 2 through whom also we have access by faith into this grace in which we stand, and rejoice in hope of the glory of God.
Shalom / Eirene Restored / to join to connect の語源…神との親しい交わりに加わっている
★患難の意味の変化
続く聖句が、
V3-5 3 そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、4 忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです。5 この希望は失望に終わることがありません。なぜなら、私たちに与えられた聖霊によって、神の愛が私たちの心に注がれているからです。3 And not only that, but we also glory in tribulations, knowing that tribulation produces perseverance; 4 and perseverance, character; and character, hope. 5 Now hope does not disappoint, because the love of God has been poured out in our hearts by the Holy Spirit who was given to us.
へブル12:2 信仰の創始者であり、完成者でイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。looking unto Jesus, the author and finisher of our faith, who for the joy that was set before Him endured the cross, despising the shame, and has sat down at the right hand of the throne of God.
V6-11
6 私たちがまだ弱かったとき、キリストは定められた時に、不敬虔な者のために死んでくださいました。7 正しい人のためにでも死ぬ人はほとんどありません。情け深い人のためには、進んで死ぬ人があるいはいるでしょう。8 しかし私たちがまだ罪人であったとき、キリストが私たちのために死んでくださったことにより、神は私たちに対するご自身の愛を明らかにしておられます。9 ですから、今すでにキリストの血によって義と認められた私たちが、彼によって神の怒りから救われるのは、なおさらです。10 もし敵であった私たちが、御子の死によって神と和解させられたのなら、和解させられた私たちが、彼のいのちによって救いにあずかるのは、なおさらのことです。11 そればかりでなく、私たちのために今や和解を成り立たせてくださった私たちの主イエス・キリストによって、私たちは神を大いに喜んでいるのです。For when we were still without strength, in due time Christ died for the ungodly. 7 For scarcely for a righteous man will one die; yet perhaps for a good man someone would even dare to die. 8 But God demonstrates His own love toward us, in that while we were still sinners, Christ died for us. 9 Much more then, having now been justified by His blood, we shall be saved from wrath through Him. 10 For if when we were enemies we were reconciled to God through the death of His Son, much more, having been reconciled, we shall be saved by His life. 11 And not only that, but we also rejoice in God through our Lord Jesus Christ, through whom we have now received the reconciliation.