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ぼくしのめがね

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ロマ書六章 キリストに継ぎ合わされて

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今日は、かわいいちゃんのおじい... 今日は、かわいいちゃんのおじいちゃんが日本から訪問されていて、教会にも来てくれましたーー。しかし、お若い!!
今日は、子供たちは、帰国中や風邪で、かわいいちゃん姉妹たちだけでした。。。寂しそうでしたーー。また、早くみんな元気になって教会で会いたいね!
2016年10月30日日曜日礼拝音声は、https://youtu.be/Kf4IqxH_bP0

聖書箇所 ロマ6:1-14, 23

五章では、信仰によってもたらされる義、そして、義がもたらす平和、喜び、栄光について話しました。今日は、続いて六章を見ていきましょう。

★ 恵みのためにもっと罪を犯すべき?

V1-2  1それでは、どういうことになりますか。恵みが増し加わるために、私たちは罪の中にとどまるべきでしょうか。2 絶対にそんなことはありません。罪に対して死んだ私たちが、どうして、なおもその中に生きていられるでしょう。What shall we say then? Shall we continue in sin that grace may abound? 2 Certainly not! How shall we who died to sin live any longer in it?

五章の終わりの方に、罪が増し加わるところに、恵みも増し加わるのなら、もっと罪を犯しましょうという人たちがいるのに対して、そんなことは絶対にありえない。とパウロが言っています。

この章後でパウロが、罪の奴隷と神の奴隷という表現を使っていますが、どちらかに属する道しか私たちにはないのです。ですから、恵みのために罪を犯そうという論理は存在しないのです。なぜなら、そもそも、キリストを信じることとはどういうことでしょうか。またどんな変化をもたらせたのでしょうか。

★ バプテスマ・洗礼とは?

V3- 6 3 それとも、あなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスにつくバプテスマを受けた私たちはみな、その死にあずかるバプテスマを受けたのではありませんか。4 私たちは、キリストの死にあずかるバプテスマによって、キリストとともに葬られたのです。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中からよみがえられたように、私たちも、いのちにあって新しい歩みをするためです。
5 もし私たちが、キリストにつぎ合わされて、キリストの死と同じようになっているのなら、必ずキリストの復活とも同じようになるからです。
6 私たちの古い人がキリストとともに十字架につけられたのは、罪のからだが滅びて、私たちがもはやこれからは罪の奴隷でなくなるためであることを、私たちは知っています
バプテスマ、洗礼式を見たことがありますか? バプテスマとは、浸されること。実際に水の中に全身を浸します。イエス・キリストを信じて生きていきますという、人の前にも神の前にも宣言する式。入学式であり、お葬式でもある。4節にあるように、バプテスマは、水の中に完全に入っている時を死とみなし、水から上がるときを復活、新しい命で生きることを表しています。

キリストの死と葬りと復活を水を通して体験し、信仰を公にします。
ここで大切なのは、5節にあるように、キリストに継ぎ合わされることです。継ぎ合わされるとは、どういうことでしょうか。
○ 継ぎ合わされる, planted together; スンフートスsoom'-foo-tos (ギ) …born together with, of joint origin, connate

一つとされることです。接ぎ木をされているようなものですね。根っこが同じ。同じものとされることです。

キリストの死と継ぎ合わされ、キリストの復活と継ぎ合わされることで、新しく生きられるというのです。

○ V6 罪の奴隷でなくなるため。

奴隷とは、鎖につながれて、自分の自由がありません。自分の意思に関わらず、働かなければなりません。罪人というのは、調度そのようです。頭では、してはいけないことと分かっているのにも関わらず、やってしまうのが罪ではないでしょうか。まるで奴隷のようです。

★ 死ななきゃ治らない?   
   鍵は信仰 信じること。人は信じていることしか行動に移せない

V7-10 7 死んでしまった者は、罪から解放されているのです。
8 もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。
9 キリストは死者の中からよみがえって、もはや死ぬことはなく、死はもはやキリストを支配しないことを、私たちは知っています。
10 なぜなら、キリストが死なれたのは、ただ一度罪に対して死なれたのであり、キリストが生きておられるのは、神に対して生きておられるのだからです。

「馬鹿は死ななきゃ治らない」ということわざが日本にありますが。英語では、the only cure for a fool is death; once a fool, always a food と言えますが。罪を犯す性質というのは、人間が生きている限り無くなることはないのです。それこそ、死ななきゃ治らないものであります。

罪をやめるということは、人間をやめるしか道がないのです。神様の標準を満たす清さというのは、人間では到達できないのです。先日その暴言が取り上げられた尼さんがいましたが、どんなに修行しても死ななきゃ治らない性質っていうものがあるのです。

私たちは、死ななきゃいけないのです。しかし、私たちがしなくてもいいように、キリストが私の身代わりに十字架で死んでくださったのです。私は、どうやって死んだらいいのでしょうか。それは、自分の罪がキリストの十字架で一緒に死んだことを信じることです。

古い人…生きている自我・キリストとともに死んでない内なる人  これが私たちに葛藤を与え、他人に不快を与えます。

信仰による死がもたらす利益

○ 復活がある … みなさん、死ななければ、復活がないのです。あなたの自我、決断、判断、ジャッジをするところが、生きていては、復活がないのです。あなたは、自分に死んでいますか?

○ 感じなくなる … 生きている人は、痛みがあります、いらいらします。いろいろと思い悩みます。しかし、死んだ人には、そんなことがありません。何も感じなくなるのです。例えば、あなたをいらいらさせる人がいるとします。あなたは、相手のここが悪いあそこが悪いと、自我を用いて相手を裁き、余計にイライラします。死んでいないのです。死ぬことは、自分の自我がキリストの十字架の上にあることを認めることです。
そんな、馬鹿な。。。どうやって。このイライラがなくなるの? と思うかもしれません。
聖書のHow? は、いつでも、信仰です。信じることです。
あなたの古い罪の性質が十字架で死んだことを信じることです。

人は、自分の信じている通りにしか行動しません。あなたが、自分が生きていると信じているのに、キリストとともに生きることはできないのです。
死が無ければ復活がないからです。

★ 律法の下ではなく、恵みの下に! 鍵は信仰

V11-14 11 このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
12 ですから、あなたがたの死ぬべきからだを罪の支配にゆだねて、その情欲に従ってはいけません。
13 また、あなたがたの手足を不義の器として罪にささげてはいけません。むしろ、死者の中から生かされた者として、あなたがた自身とその手足を義の器として神にささげなさい。
14 というのは、罪はあなたがたを支配することがないからです。なぜなら、あなたがたは律法の下にはなく、恵みの下にあるからです。.

キリストの十字架の死と葬りと復活と継ぎ合わされた人は、自分から好んで罪を犯そうという発想がなくなります。罪を犯す、古い人・生きている自我に対して気が付いていて、罪に対しても死んでいるのです。また、罪を自ら犯すことを信じてないからです。そして、今までは、罪の支配の中にいて、律法の支配の下にいたのが、恵みの下に移されていると14節にあります。

律法の下というのは、あなたがすることなすこと、律法に照らし合わされて、裁かれる世界です。これもできてない、あれもできてない、できるようにならなければと私たちを急き立てるものです。しかし、恵みの支配とはなんでしょうか。

恵みとは、私たちに必要な力を与えて、神のために生き、神の御心に沿って生きることができるすべての能力が与えられることです。超自然的な力が与えられることです。罪の奴隷から解放された人は、恵の支配が約束されています。

今日、どれくらいの人が、この恵みをあてにして生きているでしょうか。ここに期待して、かけて生きているでしょうか。
もう一度いいます、死んでいる人でないと、恵みの支配下にいないのです。両方に足を突っ込んで生きる道は存在しないのです。

★ 神の下さる賜物

V23 罪から来る報酬は死です。しかし、神の下さる賜物は、私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。 For the wages of sin is death, but the gift of God is eternal life in Christ Jesus our Lord.

続いて、罪の支配の至る道は、死であり、キリストに継ぎ合わされた人の道は、永遠のいのちに至ると続きます。

ここに、「神の下さる賜物」は、とあります。いのちに至る道の生き方は、神様からのプレゼント、贈り物であって、あなたが労苦して稼ぐものではありません。このプレゼントは、信じることから始まります。そして、死ぬことを通して、復活の命にあふれさせます。死ぬことを通して恵みに満ち溢れさせます。

あなたの自我は、今日どこにありますか? 悩み、もがきがありますか。キリストの死と復活に継ぎ合わされましょう。恵みの支配に入りましょう。


#キリスト教 #クリスチャン #信仰 #教会 #礼拝 #聖書

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