記念の石 A Memorial Stone
Feb
16
1/31/21 バイリンガル礼拝メッセージ
ヨシュア記Joshua4: 5 -7
ヨシュアは彼らに言った。「ヨルダン川の真ん中の、あなたがたの神、主の箱の前に渡って行って、イスラエルの子らの部族の数に合うように、各自、石一つずつを背負って来なさい。6 それがあなたがたの間で、しるしとなるためである。後になって、あなたがたの子どもたちが、『これらの石はあなたがたにとってどういうものなのですか』と聞いたなら、7 あなたがたは彼らに言わなければならない。『ヨルダン川の水は、主の契約の箱の前でせきとめられた。箱がヨルダン川を渡るとき、ヨルダン川の水がせきとめられた。これらの石は永久にイスラエル人の記念なのだ。』」
★聖句の背景 Context of the Scripture
いよいよ、ヨシュアはモーセというリーダーについて今まで荒野を旅し、そして約束の地を前にします。イスラエルの民は、それまでは雲と火によって導かれていたが、今回、約束の地では契約の箱が先頭に立って民を導いて行ったのです。
今日の箇所の前の章、三章を見てみましょう。
ヨシュアJoshua3:13
全地の主である主の箱をかつぐ祭司たちの足の裏が、ヨルダン川の水の中にとどまると、ヨルダン川の水は、上から流れ下って来る水がせきとめられ、せきをなして立つようになる。」
And as soon as the priests who carry the ark of the Lord—the Lord of all the earth—set foot in the Jordan, its waters flowing downstream will be cut off and stand up in a heap.”
●ヨルダンを渡る経験 Crossing Jordan River
水が神の奇跡によってせき止められるというのは、モーセが民を率いて紅海を渡ったことに似ています。しかし、ここで違うのは、民はモーセが杖を上げただけで水が分かれたのをみたのと、ヨシュアの場合には、祭司たち全員の足の裏が、荒い水流に耐えて全員がしっかりと川底にふんばって立った時に水が止まったことです。
すなわち、モーセの時には、水が上がってから民は渡ったのですが、
ヨシュアの時には、荒い水流の中に自分たちの足を入れて、最後の祭司の足の裏が安定するまで耐えて立たたなくていけなかったのです。
どちらが信仰が必要でしょうか。後者ですね。目で見て水が上がってる時か、目に見える現実がまだ激しい川の流れかの違いです。
ヨルダンは信仰によって神の目的地に行くことを象徴しています。
また、ヨルダンでは、契約の箱が一番に水に入りました。契約の箱には、モーセの十戒、アロンの杖、そしてマナのつぼが入っていました。
この意味は、神の臨在現わされるところ聖なる至聖所と知られていますが、それに含まれるのは、神の律法である十の戒律、掟、そして、神こそがリーダーとしてアロンを選んだというしるし、神の召しのしるし、そして、神に従うものは必ず神が天から養ってくださるというしるし、マナが含まれます。
私たちは、神の目的に従って、約束の地に入るために激しい川の流れに足を入れることがあります。その時に、私達が
神の教えを信じ、第一とし、神に自分が選ばれてここにあることをしっかりと受け止め、そして、従うものには神の養いがある。お金の心配食べる物の心配はしなくていいことをはっきり信じる時に、神の御臨在があるのです。
私たちは、約束の地に入る時に、このようなことをはっきりと確信しなければいけません。
私たちの中で、救いのあと、今、約束の地に足を踏み入れようとしている人がいるかも知れません。ぜひ、この三つを信じてください。
そして、信じて、水の中に足を入れるのです。
★水を渡って After crossing the river
ヨシュアたちはいよいよ、約束の地を自分たちのものとする時が近づいていた。これから、激戦が繰り広げられ、さらなる神の御業とさらなる葛藤が待っている。導きではあるということが分かっているものの。それ以外は未知数である。神にのみしか確かなものが無いという時であった。
今、同じような岐路に立っている方もいるのではないでしょうか。今まで走ってきた、本当ならひと段落着きたいが、目の前にまだ神が導いて下さっている戦いがたくさんある。
そんな時、ヨシュアが民に命じたことは
★一人一人が石をもってくる Bring a stone
一人一人、十二部族の代表が川から石を持ってきなさい。ということでした。それを、ヨルダンを渡った記念とするためでした。あなたが何を信じ、どんな思いでこれを渡り、どんな願いを持って渡ったのか、神がどのようにその信仰に答え、水をせき止めてくださったのか、その奇跡を忘れないために、記念の石をとりなさいと言ったのです。
★神の知恵 God’s wisdom
これは、すばらしい神の知恵です。なぜなら私たちは忘れやすいのです。私たちは、信仰を用いて、今まで生きてきました。たくさんの悩みや痛み、ととに神のご介入を経験してきました。
神のはげまし――― 私の証し。私も最近鬱から解放された経験があります。それは、ただ長い散歩をしている時に、神様が一つ一つ思い出させてくださったのです。私の人生に何があったのか。どのように神が助けてくださったのが、どんな風に信じて、どんな奇跡があったのか。わたしに悪さをした人たちが最終的にどうなったのかなど。。。。そうすると、どんどん元気が出てきました。一人ではない。私はまだできる。と希望が湧いてきました。
実際に、ヨシュアたちは、これからどんどん戦いに入っていきます。成功的な戦いもあれば、困難なものや、失敗も経験します。また、疲れすぎて約束を手放しそうになる部族も出てきます。だからこそ、ヨシュアは、記念の石を自分の手で取ってきて、忘れないように、記憶の場所を作ったのです。
★覚えて感謝する Remember for thanksgiving
聖書は繰り返し、私達に忘れないようにと警告、またはげまされます。
詩篇Psalms103:1-5
わがたましいよ。主をほめたたえよ。私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。2 わがたましいよ。主をほめたたえよ。主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。3 主は、あなたのすべての咎を赦し、あなたのすべての病をいやし、4 あなたのいのちを穴から贖い、あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、5 あなたの一生を良いもので満たされる。あなたの若さは、鷲のように、新しくなる。
Praise the Lord, my soul; all my inmost being, praise his holy name. 2 Praise the Lord, my soul,
and forget not all his benefits— 3 who forgives all your sins and heals all your diseases,
4 who redeems your life from the pit and crowns you with love and compassion,
5 who satisfies your desires with good things so that your youth is renewed like the eagle’s.
主と自分との思い出を数えることは力です。
ぜひ、今あなたがいるそのところで、その状況で、神を信じ、神の導きと、備えを信じましょう。また、戦いをすることになれているあなたも、神に感謝しつつ、神を賛美しつつ霊をやしない力をいただいて行きましょう。しばらく、祈りましょう。感謝を数えましょう。