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ぼくしのめがね

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鹿のようにAs the deer

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鹿のようにAs the dee...

2020年10月25日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ





詩篇Psalms42篇
指揮者のために。コラの子たちのマスキール
1 鹿が谷川の流れを慕いあえぐように、神よ。私のたましいはあなたを慕いあえぎます。
2 私のたましいは、神を、生ける神を求めて渇いています。いつ、私は行って、神の御前に出ましょうか。3 私の涙は、昼も夜も、私の食べ物でした。人が一日中、「おまえの神はどこにいるのか」と私に言う間。4 私はあの事などを思い起こし、私の前で心を注ぎ出しています。私があの群れといっしょに行き巡り、喜びと感謝の声をあげて、祭りを祝う群衆とともに神の家へとゆっくり歩いて行ったことなどを。5 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。御顔の救いを。6 私の神よ。私のたましいは私の前でうなだれています。それゆえ、ヨルダンとヘルモンの地から、またミツァルの山から私はあなたを思い起こします。
7 あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて行きました。
8 昼には、主が恵みを施し、夜には、その歌が私とともにあります。私のいのち、神への、祈りが。9 私は、わが巌の神に申し上げます。「なぜ、あなたは私をお忘れになったのですか。なぜ、私は敵のしいたげに、嘆いて歩くのですか。」
10 私に敵対する者どもは、私の骨々が打ち砕かれるほど、私をそしり、一日中、「おまえの神はどこにいるのか」と私に言っています。11 わがたましいよ。なぜ、おまえはうなだれているのか。なぜ、私の前で思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の顔の救い、私の神を。

★背景 Context
ダビデがこの詩篇を書いたのは、おそらく自分の息子アブシャロムがダビデに反逆し、多くの者を引き連れて、エルサレムの町を乗っ取った時のことだと言われています。また、ダビデの親しい友達までもが、アブジャロムの仲間になっていたことは、さらなる追い打ちをかけてダビデを精神的に苦しめました。裏切りといのは、信頼関係や愛を踏みにじられるので、一番辛いことですが、更に息子や友という近い存在に裏切られるとは、どんな苦しみでしょうか。大変な孤独を感じていたはずです。また、エルサレムという、礼拝の場を乗っ取られたということで、礼拝者であるダビデは、さらに苦しみを感じたことでした。

★鹿 Deer
鹿は、水を求めてどこまでも行く。ダビデは、荒野の近くのオアシス、川の流れに、鹿が来ているのをよく見ていた。鹿は渇くと、舌が喉にくっつき呼吸困難になるそうです。
日本には、水を求めて、島から島へ海を泳いで渡ってまで水を求めに来る鹿がいるそうです。


★渇きThirst
渇きは、必ず満たしを産みます。渇くことは幸いです。渇きが無ければ、必死で神を求められない。
ダビデは、大切な人に裏切られるという大変な試練の中で、神との一体感を失ってしまいました。絶望しているからです。絶望の最中にいる時には、恥や恐れが先行して、何も考えられなくなり、信仰を持っている人でも、一瞬、目の前が真っ暗になるようなことを経験します。信仰が無いからでは、ありません。絶望というのは、脳にそのようにするからです。そうなると、無気力になったり、うつになったりします。体が脳に反応しているのです。

人間が渇くのは、霊的、肉体的、精神的な渇きがあります。そして、これらすべては、関係によって満たされ、解決され、癒されていきます。人間は、関係の中に生きるように神にデザインされているからです。
関係とは、愛と言い換えることが出来ます。霊的な渇きをいやすには、神の愛が必要です、肉体的には、愛する人のタッチが必要です。精神的には、愛の中でのやり取り、分かち合い、受け入れ相うことが必要です。

そう考えると、ダビデは、肉体的、精神的に乾ききったことで、神に見放されてしまったような気持ちになり、霊的にも渇いてしまっていることが分かります。

★試練とセルフ・ケア Self-care in the hardship
自分の歩みを省みて、霊的な部分も大切ですが、いかに、肉体的に安全を感じたり守りと慰めを感じることや、精神的な満たしを感じていることが大切であるか、が分かりますね。全てが霊のせいではないのです。肉体と精神的なショックや打撃は、神様との関係に、神の側の責任ではないですが、私達が勝手に影を落とし、神と離れているような気持になってしまうのです。

★霊の満たし Spiritual Quench
しかし、霊の満たしというのは、実は、肉体や精神の渇きに影響を受けやすいですが、受けないことを選択することもできるのです。それは、私たちの渇きを永遠に解決してくださったイエス・キリストによります。

イエス様は、十字架で、「私は渇く」と言われた。イエス様は、なぜそんなことを言われたのでしょうか。そうです、それは、まさにイエス様は神との霊の関係の喪失を体験していたからです。父なる神の顔がどんどん遠のいていく。イエス様は、人の罪の故に、父なる神との霊的な満たしから完全に切り離されることを経験したのです。ですから、心底、渇いたのです。ちょうど、鹿ののどの渇きのように生き死にの問題であり、イエス様にとっては、永遠の生き死にの問題でした。

イエス様は、私達が永遠に霊的な満たされるために、あのように渇いて下さったのです。

★淵 Deep
V7 あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて行きました。Deep calls to deep in the roar of your waterfalls; all your waves and breakers have swept over me.

礼拝の場、エルサレムを失ってショックを受けているダビデですが、彼は、羊飼いをしている時や、様々な戦の場面で、神による満たしを経験してきたことを思い返します。どこででも賛美し、神を礼拝できたことを。

●淵が淵を呼びDeep calls to deep…. とありますが、神の霊が私たちの霊の深みを呼び覚まし、引き出しあふれ満たされることです。
ちょうど井戸のようです。イエス様は、井戸のそばで、サマリヤの女に、二度と渇かない生ける水を紹介されました。ちょうどそのようです。

生ける水は、どんな状況の中でも、あなたの中にある、という時代に私たちは生きていることを覚えていましょう。エルサレムに行かなくても、苦しんでいても、今、満たされることが出来る。その泉がここにあるのです。
教会で、皆さんで手を上げて神に賛美を捧げるという祝福は、今は、体験できませんが、一人でも、やむことのない聖霊の満たしで礼拝することが、今キリストによって可能にされています。

ヨハネJohn 7:37, 38
だれでも、渇いているなら、わたしのものに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人との心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
On the last and greatest day of the festival, Jesus stood and said in a loud voice, “Let anyone who is thirsty come to me and drink. 38 Whoever believes in me, as Scripture has said, rivers of living water will flow from within them.”

あなたの霊の満たしは、約束されています。

★祈り Invitation & Prayer
今、渇きを感じている人はいますか、祈りましょう。
誰でも。とあります。あなたも、です。聖書の知識が無くてもいい、立派でなくてもいいのです。渇いているなら、神様は与えてくださいます。
今日、イエス様を信じましょう。
そして、霊の奥底の渇きから解放されましょう。







#礼拝 #鹿

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羊のように Like a Sheep

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羊のように Like a Sh...

2020/10/18 ホライズン日本人教会バイリンガル礼拝メッセージ


ヨハネJohn10:1-13
1 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。2 しかし、門から入る者は、その羊の牧者です。
3 門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼は自分の羊をその名で呼んで連れ出します。4 彼は、自分の羊をみな引き出すと、その先頭に立って行きます。すると羊は、彼の声を知っているので、彼について行きます。5 しかし、ほかの人には決してついて行きません。かえって、その人から逃げ出します。その人たちの声を知らないからです。」
6 イエスはこのたとえを彼らにお話になったが、彼らは、イエスの話されたことが何のことかよくわからなかった。7 そこで、イエスはまた言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしは羊の門です。8 わたしの前に来た者はみな、盗人で強盗です。羊は彼の言うことを聞かなかったのです。9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。10 盗人が来るのは、ただ盗んだり、殺したり、滅ぼしたりするだけのためです。わたしが来たのは、羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。11 わたしは、良い牧者です。良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。
12 牧者でなく、また、羊の所有者でない雇い人は、狼が来るのを見ると、羊を置き去りにして、逃げて行きます。それで狼は羊を奪い、また散らすのです。13 それは、彼が雇い人であっても、羊のことを心にかけていないからです。

★野生の羊はいないThere is no wild sheep
羊について;
羊はよく聖書の中で人間に例えられています。羊は、人間と同じように野生の羊というのはいません。みな、世話されないと生きてけません。一匹オオカミならぬ、一匹羊というのは、存在せず、群れをなして生活します。羊は、視力が非常に弱く、あまり見えていません。近くしかみえないのだそうです。だから、導き手が必要なのです。そして、非常に臆病です。また、牙もなく、強いところはないので、簡単に外敵に食べられてしまいます。だから、羊飼いに守られる必要があります。犬などは、よく捨てられても、家に数日したら帰ってきたり、ということがありますが、羊は、そういう方向感覚とか、来た道を帰るなどということが出来ず、迷いやすいものです。
羊飼いというのは、そんな羊を大切にし、羊の気持ちになって導いているのだそうです。羊飼いは、夜寝るときには、自分が囲いの門となって眠ります。

★羊飼いの必要性We need a Shephard
詩篇23篇に主は私の羊飼い。とあります。私の、羊飼いと、羊を飼っていたダビデの口から神を私の羊飼いと呼んでいますね。ダビデは、神に養われ、守られ、導かれずには生きて行けないことを十分分かっていたのです。
また、神がいるからこそ、自分は安心できるということの確信と、告白でもあります。

あなたにも、羊飼いが必要です。
あなたには、羊飼いがありますか?

★良い羊飼いのイエス様は A good Shephard, Jesus
①あなたを養う Takes care of you 盗人や強盗ではない
v1 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。“Very truly I tell you Pharisees, anyone who does not enter the sheep pen by the gate, but climbs in by some other way, is a thief and a robber.

②羊の門から入り、安らかに出入りPeaceful life – coming and going
v9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。I am the gate; whoever enters through me will be saved. They will come in and go out, and find pasture.

へブルの世界では、出入りのことを日々の行動、人の人生、行動の自由を表しています。

旧約では、行き来のことを、詩篇121:8にあるように、日々の自由な生活を表しています。

詩篇Psalm 121:8
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
the Lord will watch over your coming and going both now and forevermore.,

③人生を豊かに Abundant Life
V10羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。 I have come that they may have life, and have it to the full.


④決してあなたを捨てない Never leave you
V11良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。雇われ羊飼いは羊を置いて逃げ出してしまう。“I am the good shepherd. The good shepherd lays down his life for the sheep.

★主の声を聞き分ける Knowing His voice
羊にとっては主人の声を聞くことは生死にかかわることである。
視力が弱いので、羊飼いの声を聞き逃すと、迷いやすく一人で帰ってこれない羊は、命取りになる。

★声の種類 Hearing different voices
①神の声 God …神の声はあなたを養います。聖書は「人はバンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉によって生きる」とある通りです。私たちを、悔い改めに導き、私たちが方向転換できるようにされる。すなわち、神の導く正しい道しるべを与える。
従う時に、良い実をならせる。霊的な実がなる。従えば従うほど、神への信頼が強くなる。

②自分の声 Self/Man ――― 自我・理性・この世の常識…人間の脳は、過去に起きたことや経験から物事を判断しようとします。自分の過去の傷を通して物事を判断することもあるかと思います。恥や恐れや心配に支配されるようだったら、自分の過去の声かも知れません。
また人間的な世的な理性は、実を結ばせず、私達と神を小さな箱に入れたがり、律法的になりやすいです。

③悪魔の声 Satan …悪魔のできることは、あなたから時間を盗み、喜びを盗むことです。それは、人を嫌わせ、自分を嫌わせ、神を嫌いにするように疑いの思いを入れてきます。
もし、自分の中で、疑いや憎しみが出てきたのだったら、悪魔らの声に聞いているのかもしれませんね。

★恐れがあったら聞こえない Fear prevent you from hearing
詩篇Psalms 46:10 “やめよ、私が神であることを知れ” Be still, and know that I am God (NKJV) 

黙想、静止の時間を持ち練習する
心を静め神の信仰に立ち帰る時を日々持つ

深呼吸、身体と心と霊をつなげる
黙想 神の聖書の言葉に思いを巡らせる
ジャーナルを付ける 心に留まった言葉を書き留めてみる

ただ単にセルフケアが不足しているのかも知れません
カウンセラーに会う。ハグ20秒は癒しをもたらすらしい。オキシトーシンが出る
泣くこと、コーティゾーを下げる。笑うこともいい。
人間の感情は健康のためにある。疲れてしまうと、感情がなくなってしまう。

●祈り Prayer
1ヨハネJohn4:18 
全き愛は恐れを締め出すThere is no fear in love. But perfect love drives out fear,――― 神の腕の中に飛び込む。イメージでもいい。祈りでもいい。
ピリピPhilippians4:6-7
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。Do not be anxious about anything, but in every situation, by prayer and petition, with thanksgiving, present your requests to God. 7 And the peace of God, which transcends all understanding, will guard your hearts and your minds in Christ Jesus.
#礼拝 #羊

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一羽の雀さえ Even a Sparrow

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一羽の雀さえ Even a S...
2020年10月12日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


マタイ10章 Matthew Chapter 10

マタイMatthew10:1 – 4
イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。10:2 さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、10:3 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、10:4 熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。Jesus called his twelve disciples to him and gave them authority to drive out impure spirits and to heal every disease and sickness. 2 These are the names of the twelve apostles: first, Simon (who is called Peter) and his brother Andrew; James son of Zebedee, and his brother John; 3 Philip and Bartholomew; Thomas and Matthew the tax collector; James son of Alphaeus, and Thaddaeus; 4 Simon the Zealot and Judas Iscariot, who betrayed him.

★送り出される弟子たち Disciples is about being sent, empowered
権威を与えられた弟子たち。
弟子たちの多くは、無学な者たち、様々な人たちからなっていた。取税人など人から後ろ指指される人もいた。私達と同じような人たちであり、人より恵まれているような人は一人もいませんでした。ただ、イエス様と共に時間を過ごし、イエス様から習い、またイエス様と親しくなっていった人たちでした。イエス様は、十字架にかかる前に友よと呼んでいます。

1コリントCorinthians1:27
27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。But God chose the foolish things of the world to shame the wise; God chose the weak things of the world to shame the strong.


にある通り、神は知恵あるものを辱めるためにこれらの人たちを用いたのです。
あなたのような普通の人が、神の働きをするからこそ、神の力が明らかになるのです。

神は、その人たちに権威を与えた。イエス様のような働きをする力をさずけたうえで、派遣した。神が召された人には、必ず、神がその仕事をやり遂げる力を与えるのです。

あなたは、神に選ばれています。それは神の知恵と力が明らかになるためです。

★神の働きの本質と必要 True nature of God’s work
マタイMatthew10:7 – 10
行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。10:8 病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。10:9 胴巻きに金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。10:10 旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。As you go, proclaim this message: ‘The kingdom of heaven has come near.’ 8 Heal the sick, raise the dead, cleanse those who have leprosy, drive out demons. Freely you have received; freely give. 9 “Do not get any gold or silver or copper to take with you in your belts— 10 no bag for the journey or extra shirt or sandals or a staff, for the worker is worth his keep.

私達の働きは、神の御国を伝え、そして人々をあらゆる意味で束縛から解放することです。ミニストリーの性質は、ただで与えることです。あなたが与える立場なのです。そして、神の命に従って、このように働くなら、決して生活ができないことはない、というのです。
これは世の中のやり方とは全く違います。特に、人というのは、ただの物には価値を見出さず、また大切なものと理解しない。例えば、いつもあなたがタダで一生けん命誰か仕えるとする、すると、受け取る側は、いつもただでふんだんにくれるのだからきっと暇なんだろうなんと思うかも知れない。しかし、与えるあなたは、その価値観で働くのではない。それは世の考え方です。
キリストは、神であるにも関わらず、憐れみの心をもって徹底的にまたとても気前よく私たちに仕えてくださいました。そして、永遠の命を何の働きもない私達にただで与えてくれました。その救いを得た私たちはあまりにも感謝して、多くただで受けたことを自覚しているので、私達もただで与えたくなるのです。強いられてするのではありません。
木曜日のバイブルスタディでヨシュア記を読んでますが、レビ人には、主ご自身が相続財産であると書いてあります。
神のために働くものは十分に食べていける。というのです。神ご自身が報酬であり、養い手であるというのです。
キリストの弟子というものは、神に仕え、また神に仕える限りは食べていけるのです。
あなたはキリストの弟子ですか。

●恐れと将来について。。。信仰
神に従うことは、目に見えるものに従うのでなく、自分の内にある確信と信仰に従うことです。
ただで与えても必ず食べていけるという神にある確信がある
またそこが試されるのです。また神に従う上で一番のテストであると言えます。

Future ----- Fear = Anxiety ----- uncertainty in visible world and in heart
------Faith = Hope ------ certainty in heart Hebrews11:1
信仰は、神ご自身の言葉に信頼し、心に確信を持つことです。信仰と希望は瞬時に相互作用します。

あなたの心に心配があますか?それは将来、明日への不安、があるので恐れているのでしょう。
あなたは、目に見えていることに関わらず心に平安と強さを持つことが出来ます。また信じることであなたの希望は揺るぎの無いものとなります。

★キリストに従うものには迫害がつきもの There IS persecution

マタイMatthew10:16
いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。“I am sending you out like sheep among wolves. Therefore be as shrewd as snakes and as innocent as doves.

イエス様は、警告を与えています。迫害はあると。クリスチャンであるからということで、つらく当たられたら、むしろ感謝してください。しかし、迫害の中で、イエス様は、蛇のように鳩のようにと言われました。
蛇は創世記であるように、地上のどんな動物よりも狡猾であったとありますが、蛇は頭を使い、必ず戦いには策略を持っているのです。わたしたは、策略なしに無防備に戦いに出て行くものたちではいけません。策を持つのです。
私達の最大の策略は、例えばエステルのように断食と祈りでありますし、リーダーを敬う事であり、礼を尽くすことであります。
また鳩のように素直にとあります。私たちは、肉の戦いをし、肉のぶつかり合いによって戦いをするのでなく、いがみ合わないことで勝利するのです。あなたを迫害する人は、あなたの弱点を突いてくるでしょう。しかし、至らないところは至らないで認めればいいのです。要点は、神に対して素直であり、罪を悔い改め、神の言葉に従い続けるという純粋さであります。
不思議なことに、この素直さはとてもパワフルです。迫害する人たちが変えられるときには、必ず、この素直さに心を打たれるからです。
さて、この素直であるのは、なかなか無防備ではないかと感じるかもしません。しかし、神に信頼するあなたには、神の大きな守りがあるのです。

★一羽の雀さえ Even a Sparrow
マタイMatthew10:28 -31
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。10:30 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。10:31 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。Do not be afraid of those who kill the body but cannot kill the soul. Rather, be afraid of the One who can destroy both soul and body in hell. 29 Are not two sparrows sold for a penny? Yet not one of them will fall to the ground outside your Father’s care. 30 And even the very hairs of your head are all numbered. 31 So don’t be afraid; you are worth more than many sparrows.


雀は最も貧しい人の捧げる捧げものでした。大きな動物を捧げる人もいれば、様々な捧げものがありました、同じ捧げものの意味は持ちますし意味は変わりませんし、神様の見方も変わりません。
雀は、価値がなさ過ぎて、一羽では売れませんでした。二羽で初めて値段が付くほどの物でした。
しかし、そんな値段の低い、値のつかないような雀のいのちでさえ、神の許しなしではとられることがないというのです。
神はそこまでに配慮が行き届いてるのです。
ならば、私たちがいかに自分に価値がないと思おうが、
神の側では、神の似姿に造られたあなたですから、どんなにか心を配っていらっしゃることでしょうか。

★まとめ Encouragement
あなたは、神の使徒です。
恐れずに、信仰に根差しましょう。祈りに励み、神に対して素直に行きましょう。あなたは必ず神に守られます。
#礼拝 #雀

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信仰とは何か What is faith?

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信仰とは何か What is ...

2020年9月20日日曜日礼拝


今週は、信仰についていろいろと考えさせられる週でした。
私の仕えているシェルターで、ロックダウンの中で教会に行けないけれども、イエス様を信じて救われた人がいます。その人は、神を心に信じるようになり、みるみる変わっていきました。中毒からのリカバリーも、心の癒しも同時に良い経過を見せています。つくづく神に根差して人生を見るとは、こうも力強いのかと思わされました。
また、今週は、私たちの家族に悲劇が起きました。目の前にある状況は悲惨なものです。しかし、私の腹の奥底には平安があり、神を強く信じる信仰で、考えが守られています。
信仰とは、エペソでは、大盾と表現され、いろいろな攻撃から身を守るものになぞらえられてしますが、本当に、霊の戦いの大原則であると痛感しています。
先週は、アブラハムについて話しました。アブラハムは、信じて義とされた信仰の父です。
ロマ4:3
聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。What does Scripture say? “Abraham believed God, and it was credited to him as righteousness.”
ロマ4:5
何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。However, to the one who does not work but trusts God who justifies the ungodly, their faith is credited as righteousness.

私達は、往々にして何かを欲しいから信じると言いやすいものです。義とされるために信じる。とか。しかし、アブラハムは、信じたから、義とされたのです。義は、信仰の報酬ではないのです。私たちは、信じるとき、どう、何を信じているのでしょうか。Faith is not a work!!! 信仰は自分の働きではない。

今日は、信仰について考えてみたいと思います。聖書を開きましょう。へブル11章です。

★信仰とは。。。Faith is…
ヘブル11:1
信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.
ヘブル11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。2 For by it the elders obtained a good testimony.
ヘブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.
ヘブル11:39,40
この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。And all these, having obtained a good testimony through faith, did not receive the promise, 40 God having provided something better for us, that they should not be made perfect apart from us.

●信仰 Faith
ギリシャ語 ピスティス=believe, trust, trust in, put faith in, rely upon / 信じる、信頼する、~に信仰を置く、~に頼る) と言う意味。ただし、人間が自分の信念を信じとおすという意味ではなく、神との関係において信じるということ。神を信じるという意味が前提にある。
1) A firm conviction 強い確信 
2) a personal surrender to Him 神様への降伏/完全に身をゆだねること
3) a conduct inspired by such surrender 神に完全に身をゆだねることによって霊感された行為
「保証し」は、英語では、substance 実体。望んでいるそのものの実体とえる。そして、ギリシャ語では、hupostasis/hypostasis from hupo/hypo = under + histemi = stand 「下に 立つ」ですから、建物の土台というような意味。決して揺るがない確信とも言える。
「目に見えないものを確信させる」まだ、目に見えないものの証拠である。と英語ではいう。私たちは、肉の目で見るものによって左右される。恐れが入ったりする。しかし、信仰というのは、いわば、霊の目である。肉の目で見えないものを見ることである。そして、それを見ながら行動することである。

聖書が語る信仰は、「ペンが落ちることを信じます」と念ずることでなく、「ペンは落ちます」と確信していることです。「そのとおりである」と受け入れることが信仰であり、信仰の結果、その目に見えないことが自分の中で体験されていることになります。
ですから、信仰とは、神がいる、ということを信じ、神は、信じる者に報いてくださる、ということを霊の目で見ること。

◎わたしの献身の証し。私はこれがはじめ理解できないなかった。神様は、それをまず理解させるために試練を通して下さったと今気づく。。。。

●賞賛された-素晴らしいと証明された  Obtained a good testimony
ヘブル11:2
昔の人々はこの信仰によって称賛されました。2 For by it the elders obtained a good testimony.
とあります。日本語では。私たちは、賞賛を受けるなら、何か大きな歴史をこの世に残した。とかより大きな成功を収める人は賞賛される。より多くの金額をチャリティーに捧げるなら賞賛されるなどと思いがちですが、聖書には、「昔の人は、この信仰によって賞賛された。」とあるのです。そして、英語の聖書では、2 For by it the elders obtained a good testimony. 良い証しを得たとあります。証しとは、自分のストーリーではなく、神様がどんなに私に良くしてくださったかを話すこと。また、神様がどんなに働いて私を変えてくださったかを話す。神様の栄光、神様の素晴らしさを話すことです。聖書の昔の人々は、神様を信じて、信仰による行動によって、神様の栄光のストーリーを世に残したのです。
ですから、ポイントは、私が何をした、何を得た、何を達成したかよりも、私の人生の中に、神がどう働かれたのか、が注目点となります。

★リスクTaking a risk
私達は、神を信じる時には、リスクが伴います。それは、み言葉が、彼に信頼するものは失望させられることはない。とあるにも関わらず、失望を恐れることです。すなわち、神に裏切られるのではないか、という気持ちを乗り越えなければならないことです。
ヘブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.

私たちの、世界には、さまざまな出来事や環境があり、それらを通して、この世に神がいないのではないか。と神を疑るようになる。また将来を恐れる。恐れと、疑いは、信仰の反対。否定的なことを信じることです。しかし、恐れは、神様の世界にはありません。全き愛は、恐れを締め出すPerfect love cast out fear。なぜなら、恐れには刑罰がともなう。とあります。私たちは、罰せらることがないのですから、There is no condemnation in Christ!!! キリストにあっては罪に定められるとはない。恐れる必要はないのです。また、神様の完全な愛の中にいて、ものごとを信じて行っているのなら、恐れる必要はないのです。神様は、愛です。しかし、私たちをゆすぶるような試練がやってきます。その時、自分がどなたを信じているか挑戦されているのです。
信じるものに必ず報いてくださる方を私たちは、信じているのです。このお方を信じて、信頼して、辛いことがあっても、神様は必ず、おられ、わたしたちを助けてくださると信じましょう。

◎ある献身者の証し:アメリカに留学に行くためのお金が無かった。しかし、アメリカに行くのは神の御心であると信じていた。口座には二万円。それを全部、聖会にお金が無くて行けないという、神学生の友達に上げた。彼は、祈り続けていた。結局、兄の結婚資金を泣く泣く借りて旅立とうとした、が、しかし、出発当日、アメリカでの生活費が全部与えられた。Because he believed God.

☆このV7-38 節までは、聖書にでてくる、さまざまな人たちの証しが書かれています。彼らも、神様を信じて、いろいろな試練に合い、また打ち勝ち、神様の栄光のストーリーを残して死んで行った。
信仰によって捧げたアベル、信仰によって、箱舟を建て、今まで雨も降ったこともないのに、箱舟を作ったノア。信仰によって捧げた自分の考えではなく、神様の御心にしたがって、行動した人々。アブラハム、イサク、ヤコブ。信仰によって、この世の富を捨て、苦しむことを選んだモーセ。拷問を受けた人たち。
彼らは、信仰によって、自分の恐れ、自分を信じることよりも、神を信じることに専念していきました。神を信じて、人に馬鹿にされることも、人に裁かれることも、拒絶されることもいとわずに、ただ、神に言われたことを信じ、神とともに歩みました。

●また、まだ見ぬものを目指して歩く事にもどりますね。
そうです。見えないまま、歩むということは、リスクが伴い、例えそうでなくても、例え絶望が先にあったとしても、状況や環境が私を左右するのではない、私の心を支配するのではない、私は、神に従い続けて行く、という覚悟が必要なのです。
全てを捨てて、神に向かう事、これが、信仰者の在り方なのです。

★イエス様にあっては失望はない
ヘブル11:39,40
この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。And all these, having obtained a good testimony through faith, did not receive the promise, 40 God having provided something better for us, that they should not be made perfect apart from us.

この人たちは、約束のものは得なかったとあります。それは、なんでしょうか。イエス・キリストです。救いです。また、キリストが私たちのうちに住まわれるということです。
新約の私たちにとっては、キリストありきで、信仰がはじめられたのです。聖書でいくらでもイエス様のすばらしさを目の当たりにできます。旧約に比べれば信じやすいのです。
しかも、全てはもう、キリストによって完成され、私たちは、天の御国に入るのみとなっています。

ヘブル12:2
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 looking unto Jesus, the author and finisher of our faith, who for the joy that was set before Him endured the cross, despising the shame, and has sat down at the right hand of the throne of God.
私達にとって、信仰とは、イエス・キリストを見据えて生きることです。また、自分の悟りに頼らないで、イエス様に従っていくことです。

今、いろいろな人生のチャレンジ、ステージにみなさんいると思います。ある人は、目に目えないことを信じること。ある人にとっては、信仰によって行動すること。行動し続けること。またある人は、信仰の創始者であり、完成者であるイエス様を目を離さないこと。忍耐をもって走り続けること。
かもしれません。

神様は、必ず、信仰に応えて、賞賛にあたいする、良い証しを、私たちの人生、生き様を通して世に表してくださいます。イエス様から目を離さないように



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とりなしの祈り ソドムとゴモラ

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とりなしの祈り ソドムとゴモラ
とりなしの祈りIntercessory Prayer
2020年9月13日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ




最近、コロナもそうですし、自然災害なども多く発生し、ここ西海岸でも暴動や、山火事の被害が出ている今、いろんなクリスチャンたちが神の裁きだというようなことを発信しています。ソドム、ゴモラを引用するのを何回も聞いた週でした。
私の心は、本当に悲しいのです。先週もマービン家族がコロナでとても苦しい思いをしました。また、ワシントン州でも赤ちゃんが山火事に巻き込まれて亡くなったり、たくさんの家が燃えてなくなりました。心が苦しくて涙がでます。預言であったり、クリスチャンの発言に余計に心が痛みました。
先週、パスターダックが話した通りに、人間の頭は、誰が悪いのか?悪いからには罰を受けるのだ、という考えがあり、どうしてもその結論付けをして自分のショックを和らげたいという思いに駆られるものです。しかし、ダックが引用したヨハネの福音書のある通り、こんな時こそ、覚えておかなければならないことは、リーズンが見いだせない時に、「先祖が罪を犯したからですか」という質問に対して、イエス様の答えは、「神の栄光が現れるため」である、でした。神の栄光とは、何なのか、神の栄光がもたらされる時は、どんな時なのか、私たち神を信じる者に求められるものはなんであるのか、を今日は、アブラハムを通してみて行きたいと思います。

★神の使いの一行ががアブラハムところに良い知らせを告げに来たMessengers from God brought good news

神は、この信仰の父とのちに呼ばれるアブラハムのところに約束の子が与えられるということを告げに来られました。そして、その後、アブラハムは、主が罪深いソドムとゴモラの町を滅ぼそうと思っていることをアブラハムに告げます。
神は、アブラハムを友と呼んでおられました。そんな親しい友に大切なことを隠して折れないと思われたのです。イエス様もあなた方を友と呼ぶと言われました。(わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。ヨハネ15:14 You are my friends if you do what I command. John15:14)イエス様もまた私たちに必要なことをシェアしてくれています。

創世記Gen. 18:17-21
17 主はこう考えられた。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。
18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべて国々は、彼によって祝福される。
19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて主の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、主が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」
20 そこで主は仰せられた。「ソドムとゴモラの叫びは非常に大きく、また彼らの罪はきわめて重い。
21 わたしは下って行って、わたしに届いた叫びどおりに、彼らが実際に行っているかどうかを見よう。わたしは知りたいのだ。」

●主は、いきなり裁かれるのではなく、まず、実際にソドムとゴモラの中に入って、どうなっているのか体験しにいかれるという。。。。。主は、知りたいと思われる。どんな罪人の構造でも。。。主は愛しているから、知りたいと思うのだ。

★主の計画 God’s plan
主は、神を信じるアブラハムを、神の道について子孫に教え、守るようにし、そして、正義と公正と神の御心を表すために選んだと言われている。
まず、覚えていただきたいのは、
私達、キリストによって、神の大使とされている現在、私たちの神からの期待もこれと同じことなのです。

創世記Gen. 18:22-33
22 その人たちはそこからソドムのほうへと進んで行った。アブラハムはまだ、主の前に立っていた。
23 アブラハムは近づいて申し上げた。「あなたはほんとうに、正しい者を、悪い者といっしょに滅ぼし尽くされるのですか。
24 もしや、その町の中に五十人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれうのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにはならないのですか。
25 正しい者を悪い者といっしょに殺し、そのため、正しい者と悪い者とがおなじようになるというようなことを、あなたがなさるはずがありません。とてもありえないことです。全世界をさばくお方は、公義をを行うべきではありませんか。」
26 主は答えられた。「もしソドムで、わたしが五十人の正しい者を町の中に見つけたら、その人たちのために、その町全部を赦そう。」
27 アブラハムは答えて言った。「私はちりや灰にすぎませんが、あえて主に申し上げるのをお許しください。
28 もしも五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町の全部を滅ぼされるのでしょうか。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが四十五人を見つけたら。」
29 そこで、再び尋ねて申し上げた。「もしそこに四十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その四十人のために。」
30 また彼は言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしやそこに三十人見つかるかもしれません。」主は仰せられた。「滅ぼすまい。もしそこにわたしが三十人を見つけたら。」
31 彼は言った。「私があえて、主に申し上げるのをお許しください。もしやそこに二十人見つかるかもしれません。」すると仰せられた。「滅ぼすまい。その二十人のために。」
32 彼はまた言った。「主よ。どうかお怒りにならないで、今一度だけ私に言わせてください。もしやそこに十人見つかるかもしれません。」すると主は仰せられた。「滅ぼすまい。その十人のために。」
33 主はアブラハムと語り終えられると、去って行かれた。アブラハムは自分の家へ帰って行った。

★アブラハムはまだ、主の前に立っていたbut Abraham remained standing before the LORD

●とりなしの祈りは間隙を埋めることFilling the gap
執り成しの祈りとは、神と人との隔たりをつなげることであり、その間隙を埋めることであります。
アブラハムは、神と親しく、神の心を知るものでありながら、滅びに向かう人の友、また、ロトがいましたから、その血を分けた親戚でもありました。
両方を理解できるアブラハムであるから、その間隙に立ち、とりなすことができたのです。

完全な人であり、完全な神である、正にキリストの働きと同じである。

★とりなしの祈りに裁きの思いがあってはならない Judgmental heart in prayers
アブラハムは、ロトのことをもちろん念頭に置いて祈っていたでしょう。
私達の中に完璧な人間はいません。しかし、私たちは、誰かがトラブルの中にいる時に、憐れみよりも先に裁くことがあります。「あの人には、ああいう性質があるから」とか、「あの人は、自分で選んであそこに住んだのだから、そのつけが回ったのだ」とか、言います。もちろんアブラハムは、ロトについて、貪欲にいいとこどりをしたからだ、ということもできたと思います。
しかし、アブラハムは、それを一切しませんでした。

注意を払うべき点です。
アブラハムは、イサクを捧げる段になっても、神の約束や自分や、神を疑う言葉を発していません。。。

裁きは、命を絶ち、交わりを断ちます。それは、人間関係の中ではもちろんのこと、祈りの世界でもその通りです。裁きの心を持ちながら、その人の最善を祈ることはできないのです。

★私たちの神理解と福音理解がどこにあるかが祈りの中で重要になって来るUnderstanding of God and Gospel

私達の神理解が私たちの立ち位置と、とりなしを左右する。
神は、義でありるが憐れみ深い神である。
アブラハムは100パーセント、義なる神と同意し、神がソドムとゴモラを滅ぼすことを傍観することもできました。
が、彼は、神の憐れみの方に立ったのです。この姿勢は、後にくるキリスト理解にも通ずるものがあります。イサクを捧げる時に、神は死人をもよみがえらせることが出来ると信じた。すなわち、神は約束をご自身方法で全うさせるということを信じ、従順を選んだ。

アブラハムは、神の憐れみに寄り添って祈り、その心に訴えかけ、神の憐れみの栄光を見ることを求めた。

★とりなしの祈りには忍耐が必要 Be perseverant
アブラハムは、主に何度も食い下がって祈りました。
みなさんも、誰かのために祈る時に、本当に疲れてくるくらい、繰り返し、何度も、心おれそうになりながらも祈るのではないでしょうか。

エペソEphesians 6:18
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
And pray in the Spirit on all occasions with all kinds of prayers and requests. With this in mind, be alert and always keep on praying for all the Lord’s people.

この記事は本当に不思議なのです。どうして、あんなにひつこく、大胆に神に近づき、神に食い下がって祈ったアブラハムが、五十人、四十人、三十人、二十人、十人ときて、そこでやめてしまったのでしょうか。
10人いるということを知っていたのでしょうか。それとも、それ以上は、いくらなんでも申し訳ないと思ったのでしょうか。聖書は何も言っていません。

★祈りの法則 Principle of Prayer
1ヨハネJohn5:14
14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
This is the confidence we have in approaching God: that if we ask anything according to his will, he hears us.

みこころの祈りはきかれる、ならば、御心に合意しなければならない。

同意するところに力がある。と、よく話しますが、祈りととりなしは、神の心に寄り添い、神の御心と同意していくことです。アブラハムは、自分の憐れみの心と愛の心を用いて、神の憐れみの側の心に寄り添い、訴え、繋がっていったのです。

★私達へのチャレンジ Application
新約では、
神が一人も滅ぶことを望まず。。。。とあります。

2ペテロPeter 3:9
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。The Lord is not slow in keeping his promise, as some understand slowness. Instead he is patient with you, not wanting anyone to perish, but everyone to come to repentance.

ならば、たった罪人が一人であったとしても、キリストは十字架にかかってくれたのです。あなた一人のためにでも。
キリストは、あなたが救われて欲しいかったと同じように、今日、あなたの隣の人にも救われて欲しいと願っていらっしゃいます。

裁きに立つのではなく、愛に立ちましょう。よく知るために出て行った、主のように。興味を持ちながら、出て行き、祈り続けましょう。
#礼拝 #祈り

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心の一新の実践 Practice Renewing Your Mind

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脳ってすごい場所。。。。ですよ... 脳ってすごい場所。。。。ですよね。本当に不思議。そして、神がかり的に素晴らしい。
聖書は、脳についてなんて言ってるんでしょうか。
2020年 9月 6日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


コロナ禍にあって、まだまだ一緒に集まったり、みんなで長い交わりを持つことがもう半年ありません。そんななかで、もう一度覚えていきたいことは、教会はあなたであり、あなたの日々の生き方が、礼拝その物であることです。そして、半年、コロナ禍にいて、精神的な影響も強く出て来ています。私の周りにも鬱気味であったり、過去のいろいろな心の問題が出て来て、メンタルヘルスに影響が出ています。私自身も鬱気味であったり、モチベーションが下がったりということを経験しています。それは、なぜか、パンデミックブレインと言いますが、私達がこのような未知の恐れの中にいる時に、昔の考え方のパターン、サバイバルモードの中で、古いコーピング対処法が出て来て、が私たちをまたコントロールし始めるからです。

今日の聖書の箇所はおなじみの。。。

★生きた供え物
ロマRomans12:1-2
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。I beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, that you present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your reasonable service. 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.

今や、動物の捧げ物もいらない、たった一度、私たちの救い主が私たちの罪のために自らを供え物となってくださったのですから。私たちの礼拝というのは、宮で動物を捧げることではなくなりました。そして、救い主を待ち続ける生活ではなく、救われた生活に変えられたのです。私たちの礼拝とはどうあるべきでしょうか。

◎ 神に受け入れられる、聖い、生きた供え物
旧約の時代には、しみもきずもない、完璧な動物を捧げなければなりませんでした。そして、それをほふって神に捧げました。今は、しみも傷もないイエス様がほふられたので、あなた、私は、このままで、聖く、完璧な捧げ物となりました。

● 問題は------ 自分のやり方か、神のみこころ、やり方か。。。。
私達の考えが昔の考えに戻ってるので、自由に神のみこころにそった生き方、すなわち、私たちは生き方が礼拝ですから、神のみこころにそった行動がブロックされてしまうということです。

★聖書は、心の一新によって自分の行動を変えなさいとある。
Renewing your mind と英語ではある。

★私たちの考え/マインドは聖なる場所であり、戦いの場である。
私たちのマインドは、神様にあって神聖に造られたところです。 マインド/頭は、ユダヤの世界では聖なるところとみなされていた。 また、マインド/ 頭は神に似せられて造られたところ。言葉がイメージとなり、イメージが現実となる信仰の実践の場。
ヘブルHebrews11:1 
信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。 
Now faith is confidence in what we hope for and assurance about what we do not see.

●信念と行動の関係
Belief System 信仰の構造
If you accept a Belief, you reap a Thought. 
あることを信じると、それに基づいた考えが生まれてくる。
If you sow a Thought, you reap an Attitude. その考えを続けると、やがて態度に現れてくる。
If you sow an Attitude, you reap an Action. その態度が続くと、それが行動になる。
If you sow an Action, you reap a Habit. その行動が続き、それは、あなたの習慣となる。
If you reap a Habit, you reap a Character.  その習慣は、あなたの人格となり、
If you sow a Character, you reap a Destiny. その人格が、あなたの宿命となる。 Anonymous 匿名著者

コロナ禍の中で、慢性的な恐れと日々の順応の中で、神にある信仰よりも、身体が変化に順応してく中で、昔の考え方がむくむくと蘇ってくる。体にもトラウマが住んでいるから、脳の神経を刺激して出てくるのでしょう。

●中毒Addiction ---- 自分に足りないものを補う形から始まる。。。コロナ禍で中毒が流行りやすくなっているのもたしか。
ポルノ、コーヒー、恋愛、薬物、ギャンブル、ゲーム、アルコール、仕事はもちろん、脳からでるホルモン(ドーパミン、オキシトーシン、アドレナリンなどなど)によって体が反応し、その行動がやめられなくなる。その行動によって、また興奮、幸福感なり、安心感(不安からの一時的な解放からくる)なりが得られる。そして、そこに戻っていく。全て、脳内でおこっています。脳の形が中毒の方に造られていく、形が変わっていく。
中毒は、愛着障害が根っこにあると言われています。心の不安を治める方法でサブスタンスが選ばれる。これは、親しい、深い人間関係を持つことで癒されるのです。神様は、関係の神ですし、教会は神を親しく知ろうとしている共同体ですから、人間関係で足り何物をサブスタンスに求めるのでなく、神様に求めて行きたいものです。

●トラウマTrauma
脳は、ミーニングメイキングマシーンとよばれています。脳は、出来事を解釈し、結論付け、レーベルを付け収納し、次に起きることに役立てようとします。トラウマが起き、人と話したり、プロセスすることが無かったことは、どんどん自分なりの解釈が付き収納されていきます。
心が傷ついた時に、やって来る言葉に注意してください。
失敗や困難、また人からの嫌がらせ意地悪は誰にでも起きます。しかし、その解釈、レーベルの付け方は人によってそれぞれです。

このように、言葉がどれほど、脳に影響し、現在の行動に影響するか。本来神にあっては、聖なる場所、神にあってビジョンと聖なるイメージによって、御心にそって世の中を治めるための場である。

●私たちのマインドで何が起きているのでしょうか。
①敵は、本来聖なる場所であるマインドを自分たちのうそで一杯にしたい。霊的戦いの場である。
②神の真理が実現する、信仰の場。神とともに将来を産み出す場である。
③マインドは、トラウマや経験によって、自分なりの人生の解釈をする人間的な実体験を整理する場でもある。ミーニングメイキングはぜひ、神様と一緒に!また、兄弟姉妹と。

★良いニュース
しかし、良いニュースは、脳は日々変形し、新しい神経がつながり、プラスティックとよばれています。柔軟であり変形自在なのです。ですから、今日、あなたはあなたの脳を変化させることができるのです。ですから、このコロナ禍を逆手に取って、癒しの時としましょう。

★練習
深呼吸
ボディスキャン
体の中に苦しいところないですか
静まって
何か頭の中に、イエス様に出会う前からずっと持っている、言葉は無いですか

それと反対の言葉は何でしょうか。
その反対、ポジィティブな言葉に相当する聖書のみ言葉は何でしょうか。

神様がその言葉をあなたに語っておられます。
それを受け取りたいですか。

それを一緒に受け取りましょう。

今、心、身体の中はどんな感じがしますか。お腹が温かい。頭が柔らかい。考えに行き詰まりがない。。。などでしょうか。

毎日、神様からの本当のメッセージを自分と自分のマインドに言い聞かせてみましょう。

〇悔い改めの祈り。。。。
#マインド #礼拝

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赦すこと

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赦すこと
2020年8月30日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


作家、三浦綾子さんが言った言葉にとても印象的な言葉があります。赦せない人を赦すのが赦しであると。頭をがつんと殴られたような気がしたものでした。
赦せない、というのにも理由があるはずです。ひどいことをされた。あり得ないことが起きた。または、繰り返し起きていする。なんていう事だってあるでしょう。
私達は、義を見たいという願いが心の奥底に神様から植えられています。神の似姿に造られている者たちですから。。。
考えてみてください。私達の神は、義なる神です。赦し、というのは言わずもがな、非常に難しいことです。しかし、赦しというものは、非常にパワフルなものです。というのも、聖書に、

ヨハネJohn 20:23
あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」If you forgive anyone’s sins, their sins are forgiven; if you do not forgive them, they are not forgiven.”
と、あるからです。これは、重大な働きを私たちは任されたものです。

★赦すのが難しい理由
赦さないといけない時にも、赦す時にも、両方言えることです。

①心の痛み Pain---- 人にされたことで感情がおさまらない。長い時間がたったとしても、その感情が消化されてない場合に、似た人を見たら恐れを持ったり、身体が硬直するなど、問題が出てきます。また、自分がした場合、赦しを受けてない時には、いつまでも、罪悪感や恥が自分をなやまし、自分を責め続け、赦せないという事にもなります。
赦しの実行のためには、この感情が消化される必要があります。

②義の問題 Righteousness/Justice――罰を受けるのを見たい、仕返しがしたい、相手が同じ苦しみを受けて欲しい。
人は、何らかの裁き、解決、改善を見たいと思います。された方は、義の裁きが相手に来ることを求めますし、した方には、裁きを受けることをいとわない勇気が、赦しを乞う時には求められます。
赦しのためには、この義の問題を神様にお任せする必要が出てきます。すなわち、復讐は私のすることである、と言われる、イエス様に全てお委ねすることです。また、そのイエス様に赦しを乞うことです。

③自分の心・意思が固い Hardened heart――なぜ赦すか、赦されたいかというと、最終的に、人間関係において回復を見たいからです。赦さない心は、直接問題のあった本人の間だけではなく、様々な人間関係に障害をもたらすものです。行動パターン、人間関係の持ち方のバターンに影響が出るからです。

●虐待の場合Case of Abuse …継続的ないじめの場合は、いつも言うことですが、すぐにその人から逃げてください。赦すことと、相手の元に帰り従順することとは違います。
人間関係は、相手の有ることですから、相手が引き続き、あなたをいじめるならば、距離を置かなければなりません。心で赦して、距離を取ることは、赦していないことにはなりません。人間関係は、双方の合意が必要になりますから。

人と関わり続けたい、健康な人間関係、愛を求めている人は、必ず癒しの働きに加わります。愛さない人は、赦しの働きをやめてしまいます。

赦しについて有名な聖書の箇所を読んでみましょう。

★何回赦すのかより、あなたの心 The Law or Your heart?
マタイMatt. 18:21-35 
そのとき、ペテロがみもとに来て言った。「主よ。兄弟が私に対して罪を犯した場合、何度まで赦すべきでしょうか。七度まででしょうか。」22 イエスは言われた。「七度まで、などとはわたしは言いません。七度を七十倍するまでと言います。23 このことから、天の御国は、地上の王にたとえることができます。王はそのしもべたちと清算をしたいと思った。24 清算が始まると、まず一万タラントの借りのあるしもべが、王のところに連れて来られた。25 しかし、彼は返済することができなかったので、その主人は彼に、自分も妻子も持ち物全部も売って返済するように命じた。26 それで、このしもべは、主人の前にひれ伏して、『どうかご猶予ください。そうすれば全部お払いいたします』と言った。27 しもべの主人は、かわいそうに思って、彼を赦し、借金を免除してやった。28 ところが、このしもべは、出て行くと、同じしもべ仲間で、彼から百デナリの借りのある者に出会った。彼はその人をつかまえ、首を絞めて、『借金を返せ』と言った。29 彼の仲間は、ひれ伏して、『もう少し待ってくれ。そうしたら返すから』と言って頼んだ。30 しかし彼は承知せず、連れて行って、借金を返すまで牢に投げ入れた。31 彼の仲間たちは事の成り行きを見て、非常に悲しみ、行って、その一部始終を主人に話した。32 そこで、主人は彼を呼びつけて言った。『悪いやつだ。おまえがあんなに頼んだからこそ借金全部を赦してやったのだ。33 私がおまえをあわれんでやったように、おまえも仲間をあわれんでやるべきではないか。』34 こうして、主人は怒って、借金を全部返すまで、彼を獄吏に引き渡した。35 あなたがたもそれぞれ、心から兄弟を赦さないなら、天のわたしの父も、あなたがたに、このようになさるのです。」

★弟子たちの質問 Questions from Desciples
私達は、ルールにものすごく敏感です。というのも、これさえしていれば、安心だ、状況をコントロールできるからです。弟子たちも、“何回”赦せばいいのですか、というような質問をしている。私達も、そのような質問をするのではないでしようか。
七を七十倍。。。すなわち、完全にと、イエス様は言われ、この例話をしました。

★例話の中で、自分に少ない借りがある人を赦せなかったことが問題となった
この男はそのことで牢屋に入れられてしまいました。すなわち、外の人たちと愛の人間関係を持つという、自由を失ったのです。孤独となりました。

★焦点Focus
私達も、赦す赦さない、何をされたか、取り戻したい、または、赦するが難しい、というもがきの感情にさえ集中しすぎるなら、私達をさらにがんじがらめにされてしまうのかも知れません。

★負債が赦された男 a forgiven man
この男は、王に借りがありました。額は一万タラント。現在のお金で億です。当時の価値にしたらもっとあるでしょうか。その多額の借金。それは、私たちの、罪に当たります。罪は、誰かがその代価を払って償わなければ赦されません。ちょうど借金のように、です。

★支払いが不可能
この男は、一生かけても、全てを手放してもまだ、完全に返済できないことに、気が付きました。どうやっても無理なのです。それで、王にお願いしました。
王は、「可哀そうに思い」憐れみと恵みの故にそれを帳消しにしてくれたのです。

驚くべき恵みです。こんなことは、めったに人間界で起きることはありません。
詩篇Psalms 49: 8
たましいの贖いしろは、高価であり、永久にあきらめなくてはならない。
the ransom for a life is costly, no payment is ever enough

神の子、イエス・キリストの払われた代価によってのみ、私たちは、赦されるのです。
あなたは、キリストによって、赦されていのるです。

★神の前に謙遜な心が焦点 Humility before God is your focus
自分の罪の重みが分からないと
自分の赦しのありがたさ、イエス様のすばらしさが分からないと
赦しができない。
高慢になってしまう。
謙遜であることが無ければ、赦しが分からない。
焦点は、ここ、あなたの心にあるのです。

★アーミッシュの赦しのお話し:私がアメリカに来たころ、2006年に話題になっていたペンシルバニアで起きた出来事がありました。それは、クリスチャンを狙った人質銃撃事件でした。五人の少女たちが命を落とし、五人が怪我をしました。なんとも、自分勝手で、卑劣な事件でした。しかし、世の中を揺さぶる出来事がありました。それは、このアーミッシュ(クリスチャン)が犯人を赦したことでした。この行動を「不相応な赦し」として愚かだという人たちもいました。また、これぞ、キリスト教と言われ、世界中でニュースとなりました。なんと、海外から、イスラム教の人たちから尊敬の手紙がぞくぞくと届きました。アーミッシュは、相手をゆるすことで、平和をつくりました。
パワフルな出来事です。
赦すことは簡単ではありません。しかし、「不相応な赦し」を受けたのは、この犯人だけではありません。この私もキリストに「不相応な赦し」を受けたものなのです。
赦しを受けたものとして、また人も赦すのがクリスチャンの務めです。

Let us abide in God’s love and forgiveness ---- Key
For promoting love.
Satan promotes hate, God always promotes love.
#礼拝 #赦し

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慕い求める

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私のたましいは、主の大庭を恋い... 私のたましいは、主の大庭を恋い慕って
絶え入るばかりです。
私の心も、身も、
生ける神に喜びの歌を歌います。
詩篇84:2


みなさんの心の奥底には何がありますか?

心が渇いていますか。

満たされたいですか。

何かが、もう一声、足りないですか。

どこかで、人生こんなもんなのかなっなんて、自分で限界をさだめてないですか。

何か、これ以上、どんな幸せがあるのか。。。。という気持ちでしょうか。

人の心には、神を慕い求め、何か、大きな存在に惹かれる、
心の中で、見えない手が、天に向かって伸びているような。。。
そんな思いが、誰の内にもあるものです。

詩篇の中には、そんな、ダビデの神を慕い思う気持ちがたくさん出てきます。

私も、神を求めて今日も、主よ。。。と祈ります。

天国にいって、顔を合わせて神にあえる日まで、
神を慕い求めていきます。。。
#聖書

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人を避ける

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自分の心の健康を守るために、 ... 自分の心の健康を守るために、
ある人を避けることは弱さではなく、
知恵です。


人にいじめられたり、つらく当たられている場合、
その人を避けて会わないようにしても大丈夫です。

それは、弱さと取られたりすることもあると思いますが、
あなたの心が健康でないと、
ある時に、その人に、直接対決して思いを伝えることもできないですしね。
いくら関係を修復しようとしても。。。

また、癒しは人から来るので、

人に会うのがめんどくさい、怖い、といって、
まったくシャットアウトするのとは違います。
人を避けまくることが、その人の益となるとは言えません。

判断の秘訣は、
あなたが、その人を避けることによって、相手や自分が成長したり癒されているか、健康が保たれているかということがポイントとなります。

境界線を引くことを練習することで、いじめの被害者の人たちは、随分と成長しますし、
いじめる方は、頭が冷えます。

人が怖い人は、しばらく、人に会うことをお休みして、また出て行く、
そうしていきながら、癒しを求め、勇気を養いためにしていったらいいのだと思います。

ポイントは、
あなたが成長しているか
人生が豊かになっているか、
心が健康であるか、

です。

今日も、あなたの心の健康をお祈りしています。
#ブログ #メンタルヘルス

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産みの苦しみの祈り ”The pain of birth” Prayer

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雨が降るように祈るエリア 雨が降るように祈るエリア
2020年8月23日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ


今週は先週に引き続き、祈りに関してのお話しです。
私達は、祈りのために神に選ばれていると、先週話しました。また、神に選ばれた祈りの働きには勝利が約束されています。

★勝利の約束 Promised Victory

〇足の下にUnder your feet
詩篇Psalms110:1-2
主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」2 主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真ん中で治めよ。」The Lord says to my Lord: “Sit at my right hand until I make your enemies a footstool for your feet.” 2 The Lord will extend your mighty scepter from Zion, saying, “Rule in the midst of your enemies!”

キリストの十字架によって、実現された。キリストによる圧倒的な勝利と、誰もキリストから私たちを離すものは無い、また、キリストにあって私たちは責められるところの無いものとなりました。呪いから解放されたものとなりました。
また、二節では、敵の真ん中で治めよ、とあります。
私達は、キリストによって勝利していますが、その分をはたしていってこそ、私たちの実際の取り分、勝利を見ることができるのです。

足の下にという、意味は、「重みを負う」という意味と、「踏みつける」の意味があります。また、それは、戦いを示しています。祈りは戦いです。

〇ヨシュア記の例 Example of Joshua
今、聖書の学びでヨシュア記を学んでいます。実に勇気と戦いの連続です。
ヨシュアJoshua1:3
あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。I will give you every place where you set your foot, as I promised Moses.

私達がキリストによって、敵を足の下にしていることと同じです。
ヨシュアは、その足で出て行って、土地を踏んで、敵を足の下に文字通り戦いを通して、勝利していく必要がありました。

これは、私たちの祈りの生活のメタファーです。

戦いは神の勝利であり、ヨシュアが戦ったらの勝利でもある。神の勝利であり、ヨシュアの勝利。
祈りも、私たちの神の勝利ですが、神がされることですが、あなたが祈るから、あなたが勝利を経験できるのです。

★祈りは労働 Prayer is labor
祈りはレイバー、私達の働きです。

★産みの苦しみ The Pain of Birth
祈りは、霊的な戦いの中で、多くの場合、産みの苦しみのようです。

〇エリヤ Elijah
雨のために祈る
神の言葉があって、雨が降ると約束があったうえで
必死で祈る。何度も体をかがめて必死で祈った。

1列王記1Kings 17:1
ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」Now Elijah the Tishbite, from Tishbe[a] in Gilead, said to Ahab, “As the Lord, the God of Israel, lives, whom I serve, there will be neither dew nor rain in the next few years except at my word.”

1列王記1Kings 18:42-46
それから、エリヤはアハブに言った。「上って行って飲み食いしなさい。激しい大雨の音がするから。」42 そこで、アハブは飲み食いするために上って行った。エリヤはカルメル山の頂上に登り、地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。43 それから、彼は若い者に言った。「さあ、上って行って、海のほうを見てくれ。」若い者は上って、見て来て、「何もありません」と言った。すると、エリヤが言った。「七たびくり返しなさい。」44 七度目に彼は、「あれ。人の手のひらほどの小さな雲が海から上っています」と言った。それでエリヤは言った。「上って行って、アハブに言いなさい。『大雨に閉じ込められないうちに、車を整えて下ってきなさい。』」45 しばらくすると、空は濃い雲と風で暗くなり、やがて激しい大雨となった。アハブは車に乗ってイズレエルへ行った。46 主の手がエリヤの上に下ったので、彼は腰をからげてイズレエルの入口までアハブの前を走って行った。

★あなたような人の祈りが必要
ヤコブ書で、神が雨を降らせたがエリヤが降らせたとある

ヤコブJames5:17-18
エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。 5:18 そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。Elijah was a human being, even as we are. He prayed earnestly that it would not rain, and it did not rain on the land for three and a half years. Again he prayed, and the heavens gave rain, and the earth produced its crops.

地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。-- Birthing position
主の手がエリヤの上に下った --- God’s spirit was there ministering together with Elijah

★産み出す祈りには、聖霊の働きが伴う Holy Spirit – Creative Spirit
聖霊の働き…祈る人の上に聖霊が臨まれる、とどまられる、覆われる。
それは、ラハフ、へプル語で覆いかぶさるです。それは、天地創造の時にもありましたし、マリヤの上にも聖霊が覆い、身ごもりました。
私達は、まるで、神の奇跡の代理母です。セラゲットです。

〇期待と苦しみ Anticipation and Pain
イエス様は、産みの苦しみを通して、この世に来られました。彼は、成人として天から急に下ってきたのではなく、マリヤのお腹の中に宿り、マリヤの期待と痛みを通して、この世に来られたのでした。
イエス様もカルバリで産みの苦しみの祈りをされました。

★あなたは勇士です。You are a warrior
多くの人に大きなインパクトを与えることを産み出す
大きな変化をもたらすことを産み出す
人々の救いのために
は、時に苦しみもがきながら長く祈る
私も家族のためには断食や徹夜をして祈ったことでした

教会は、主の勇士である。

エペソEphesians1:22
また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。And God placed all things under his feet and appointed him to be head over everything for the church,

ロマRomans16:20
平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。The God of peace will soon crush Satan under your feet. The grace of our Lord Jesus be with you.


#礼拝 #祈り

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