★試練とセルフ・ケア Self-care in the hardship
自分の歩みを省みて、霊的な部分も大切ですが、いかに、肉体的に安全を感じたり守りと慰めを感じることや、精神的な満たしを感じていることが大切であるか、が分かりますね。全てが霊のせいではないのです。肉体と精神的なショックや打撃は、神様との関係に、神の側の責任ではないですが、私達が勝手に影を落とし、神と離れているような気持になってしまうのです。
★淵 Deep
V7 あなたの大滝のとどろきに、淵が淵を呼び起こし、あなたの波、あなたの大波は、みな私の上を越えて行きました。Deep calls to deep in the roar of your waterfalls; all your waves and breakers have swept over me.
ヨハネJohn 7:37, 38
だれでも、渇いているなら、わたしのものに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人との心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。
On the last and greatest day of the festival, Jesus stood and said in a loud voice, “Let anyone who is thirsty come to me and drink. 38 Whoever believes in me, as Scripture has said, rivers of living water will flow from within them.”
★野生の羊はいないThere is no wild sheep
羊について;
羊はよく聖書の中で人間に例えられています。羊は、人間と同じように野生の羊というのはいません。みな、世話されないと生きてけません。一匹オオカミならぬ、一匹羊というのは、存在せず、群れをなして生活します。羊は、視力が非常に弱く、あまり見えていません。近くしかみえないのだそうです。だから、導き手が必要なのです。そして、非常に臆病です。また、牙もなく、強いところはないので、簡単に外敵に食べられてしまいます。だから、羊飼いに守られる必要があります。犬などは、よく捨てられても、家に数日したら帰ってきたり、ということがありますが、羊は、そういう方向感覚とか、来た道を帰るなどということが出来ず、迷いやすいものです。
羊飼いというのは、そんな羊を大切にし、羊の気持ちになって導いているのだそうです。羊飼いは、夜寝るときには、自分が囲いの門となって眠ります。
★羊飼いの必要性We need a Shephard
詩篇23篇に主は私の羊飼い。とあります。私の、羊飼いと、羊を飼っていたダビデの口から神を私の羊飼いと呼んでいますね。ダビデは、神に養われ、守られ、導かれずには生きて行けないことを十分分かっていたのです。
また、神がいるからこそ、自分は安心できるということの確信と、告白でもあります。
あなたにも、羊飼いが必要です。
あなたには、羊飼いがありますか?
★良い羊飼いのイエス様は A good Shephard, Jesus
①あなたを養う Takes care of you 盗人や強盗ではない
v1 「まことに、まことに、あなたがたに告げます。羊の囲いに門から入らないで、ほかの所を乗り越えて来る者は、盗人で強盗です。“Very truly I tell you Pharisees, anyone who does not enter the sheep pen by the gate, but climbs in by some other way, is a thief and a robber.
②羊の門から入り、安らかに出入りPeaceful life – coming and going
v9 わたしは門です。だれでも、わたしを通って入るなら、救われます。また安らかに出入りし、牧草を見つけます。I am the gate; whoever enters through me will be saved. They will come in and go out, and find pasture.
へブルの世界では、出入りのことを日々の行動、人の人生、行動の自由を表しています。
旧約では、行き来のことを、詩篇121:8にあるように、日々の自由な生活を表しています。
詩篇Psalm 121:8
主は、あなたを、行くにも帰るにも、今よりとこしえまでも守られる。
the Lord will watch over your coming and going both now and forevermore.,
③人生を豊かに Abundant Life
V10羊がいのちを得、またそれを豊かに持つためです。 I have come that they may have life, and have it to the full.
④決してあなたを捨てない Never leave you
V11良い牧者は羊のためにいのちを捨てます。雇われ羊飼いは羊を置いて逃げ出してしまう。“I am the good shepherd. The good shepherd lays down his life for the sheep.
★主の声を聞き分ける Knowing His voice
羊にとっては主人の声を聞くことは生死にかかわることである。
視力が弱いので、羊飼いの声を聞き逃すと、迷いやすく一人で帰ってこれない羊は、命取りになる。
★声の種類 Hearing different voices
①神の声 God …神の声はあなたを養います。聖書は「人はバンだけで生きるのではなく、神の口からでる一つ一つの言葉によって生きる」とある通りです。私たちを、悔い改めに導き、私たちが方向転換できるようにされる。すなわち、神の導く正しい道しるべを与える。
従う時に、良い実をならせる。霊的な実がなる。従えば従うほど、神への信頼が強くなる。
●祈り Prayer
1ヨハネJohn4:18
全き愛は恐れを締め出すThere is no fear in love. But perfect love drives out fear,――― 神の腕の中に飛び込む。イメージでもいい。祈りでもいい。
ピリピPhilippians4:6-7
何も思い煩わないで、あらゆる場合に、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。Do not be anxious about anything, but in every situation, by prayer and petition, with thanksgiving, present your requests to God. 7 And the peace of God, which transcends all understanding, will guard your hearts and your minds in Christ Jesus.
マタイMatthew10:1 – 4
イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。10:2 さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、10:3 ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、10:4 熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。Jesus called his twelve disciples to him and gave them authority to drive out impure spirits and to heal every disease and sickness. 2 These are the names of the twelve apostles: first, Simon (who is called Peter) and his brother Andrew; James son of Zebedee, and his brother John; 3 Philip and Bartholomew; Thomas and Matthew the tax collector; James son of Alphaeus, and Thaddaeus; 4 Simon the Zealot and Judas Iscariot, who betrayed him.
★送り出される弟子たち Disciples is about being sent, empowered
権威を与えられた弟子たち。
弟子たちの多くは、無学な者たち、様々な人たちからなっていた。取税人など人から後ろ指指される人もいた。私達と同じような人たちであり、人より恵まれているような人は一人もいませんでした。ただ、イエス様と共に時間を過ごし、イエス様から習い、またイエス様と親しくなっていった人たちでした。イエス様は、十字架にかかる前に友よと呼んでいます。
1コリントCorinthians1:27
27 しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。But God chose the foolish things of the world to shame the wise; God chose the weak things of the world to shame the strong.
★神の働きの本質と必要 True nature of God’s work
マタイMatthew10:7 – 10
行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。10:8 病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。10:9 胴巻きに金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。10:10 旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。As you go, proclaim this message: ‘The kingdom of heaven has come near.’ 8 Heal the sick, raise the dead, cleanse those who have leprosy, drive out demons. Freely you have received; freely give. 9 “Do not get any gold or silver or copper to take with you in your belts— 10 no bag for the journey or extra shirt or sandals or a staff, for the worker is worth his keep.
Future ----- Fear = Anxiety ----- uncertainty in visible world and in heart
------Faith = Hope ------ certainty in heart Hebrews11:1
信仰は、神ご自身の言葉に信頼し、心に確信を持つことです。信仰と希望は瞬時に相互作用します。
マタイMatthew10:16
いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい。“I am sending you out like sheep among wolves. Therefore be as shrewd as snakes and as innocent as doves.
★一羽の雀さえ Even a Sparrow
マタイMatthew10:28 -31
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。10:29 二羽の雀は一アサリオンで売っているでしょう。しかし、そんな雀の一羽でも、あなたがたの父のお許しなしには地に落ちることはありません。10:30 また、あなたがたの頭の毛さえも、みな数えられています。10:31 だから恐れることはありません。あなたがたは、たくさんの雀よりもすぐれた者です。Do not be afraid of those who kill the body but cannot kill the soul. Rather, be afraid of the One who can destroy both soul and body in hell. 29 Are not two sparrows sold for a penny? Yet not one of them will fall to the ground outside your Father’s care. 30 And even the very hairs of your head are all numbered. 31 So don’t be afraid; you are worth more than many sparrows.
今週は、信仰についていろいろと考えさせられる週でした。
私の仕えているシェルターで、ロックダウンの中で教会に行けないけれども、イエス様を信じて救われた人がいます。その人は、神を心に信じるようになり、みるみる変わっていきました。中毒からのリカバリーも、心の癒しも同時に良い経過を見せています。つくづく神に根差して人生を見るとは、こうも力強いのかと思わされました。
また、今週は、私たちの家族に悲劇が起きました。目の前にある状況は悲惨なものです。しかし、私の腹の奥底には平安があり、神を強く信じる信仰で、考えが守られています。
信仰とは、エペソでは、大盾と表現され、いろいろな攻撃から身を守るものになぞらえられてしますが、本当に、霊の戦いの大原則であると痛感しています。
先週は、アブラハムについて話しました。アブラハムは、信じて義とされた信仰の父です。
ロマ4:3
聖書は何と言っていますか。「それでアブラハムは神を信じた。それが彼の義とみなされた」とあります。What does Scripture say? “Abraham believed God, and it was credited to him as righteousness.”
ロマ4:5
何の働きもない者が、不敬虔な者を義と認めてくださる方を信じるなら、その信仰が義とみなされるのです。However, to the one who does not work but trusts God who justifies the ungodly, their faith is credited as righteousness.
私達は、往々にして何かを欲しいから信じると言いやすいものです。義とされるために信じる。とか。しかし、アブラハムは、信じたから、義とされたのです。義は、信仰の報酬ではないのです。私たちは、信じるとき、どう、何を信じているのでしょうか。Faith is not a work!!! 信仰は自分の働きではない。
今日は、信仰について考えてみたいと思います。聖書を開きましょう。へブル11章です。
★信仰とは。。。Faith is…
ヘブル11:1
信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。Now faith is the substance of things hoped for, the evidence of things not seen.
ヘブル11:2 昔の人々はこの信仰によって称賛されました。2 For by it the elders obtained a good testimony.
ヘブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.
ヘブル11:39,40
この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。And all these, having obtained a good testimony through faith, did not receive the promise, 40 God having provided something better for us, that they should not be made perfect apart from us.
●信仰 Faith
ギリシャ語 ピスティス=believe, trust, trust in, put faith in, rely upon / 信じる、信頼する、~に信仰を置く、~に頼る) と言う意味。ただし、人間が自分の信念を信じとおすという意味ではなく、神との関係において信じるということ。神を信じるという意味が前提にある。
1) A firm conviction 強い確信
2) a personal surrender to Him 神様への降伏/完全に身をゆだねること
3) a conduct inspired by such surrender 神に完全に身をゆだねることによって霊感された行為
「保証し」は、英語では、substance 実体。望んでいるそのものの実体とえる。そして、ギリシャ語では、hupostasis/hypostasis from hupo/hypo = under + histemi = stand 「下に 立つ」ですから、建物の土台というような意味。決して揺るがない確信とも言える。
「目に見えないものを確信させる」まだ、目に見えないものの証拠である。と英語ではいう。私たちは、肉の目で見るものによって左右される。恐れが入ったりする。しかし、信仰というのは、いわば、霊の目である。肉の目で見えないものを見ることである。そして、それを見ながら行動することである。
●賞賛された-素晴らしいと証明された Obtained a good testimony
ヘブル11:2
昔の人々はこの信仰によって称賛されました。2 For by it the elders obtained a good testimony.
とあります。日本語では。私たちは、賞賛を受けるなら、何か大きな歴史をこの世に残した。とかより大きな成功を収める人は賞賛される。より多くの金額をチャリティーに捧げるなら賞賛されるなどと思いがちですが、聖書には、「昔の人は、この信仰によって賞賛された。」とあるのです。そして、英語の聖書では、2 For by it the elders obtained a good testimony. 良い証しを得たとあります。証しとは、自分のストーリーではなく、神様がどんなに私に良くしてくださったかを話すこと。また、神様がどんなに働いて私を変えてくださったかを話す。神様の栄光、神様の素晴らしさを話すことです。聖書の昔の人々は、神様を信じて、信仰による行動によって、神様の栄光のストーリーを世に残したのです。
ですから、ポイントは、私が何をした、何を得た、何を達成したかよりも、私の人生の中に、神がどう働かれたのか、が注目点となります。
★リスクTaking a risk
私達は、神を信じる時には、リスクが伴います。それは、み言葉が、彼に信頼するものは失望させられることはない。とあるにも関わらず、失望を恐れることです。すなわち、神に裏切られるのではないか、という気持ちを乗り越えなければならないことです。
ヘブル11:6
信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。 But without faith it is impossible to please Him, for he who comes to God must believe that He is, and that He is a rewarder of those who diligently seek Him.
私たちの、世界には、さまざまな出来事や環境があり、それらを通して、この世に神がいないのではないか。と神を疑るようになる。また将来を恐れる。恐れと、疑いは、信仰の反対。否定的なことを信じることです。しかし、恐れは、神様の世界にはありません。全き愛は、恐れを締め出すPerfect love cast out fear。なぜなら、恐れには刑罰がともなう。とあります。私たちは、罰せらることがないのですから、There is no condemnation in Christ!!! キリストにあっては罪に定められるとはない。恐れる必要はないのです。また、神様の完全な愛の中にいて、ものごとを信じて行っているのなら、恐れる必要はないのです。神様は、愛です。しかし、私たちをゆすぶるような試練がやってきます。その時、自分がどなたを信じているか挑戦されているのです。
信じるものに必ず報いてくださる方を私たちは、信じているのです。このお方を信じて、信頼して、辛いことがあっても、神様は必ず、おられ、わたしたちを助けてくださると信じましょう。
◎ある献身者の証し:アメリカに留学に行くためのお金が無かった。しかし、アメリカに行くのは神の御心であると信じていた。口座には二万円。それを全部、聖会にお金が無くて行けないという、神学生の友達に上げた。彼は、祈り続けていた。結局、兄の結婚資金を泣く泣く借りて旅立とうとした、が、しかし、出発当日、アメリカでの生活費が全部与えられた。Because he believed God.
★イエス様にあっては失望はない
ヘブル11:39,40
この人々はみな、その信仰によってあかしされましたが、約束されたものは得ませんでした。40 神は私たちのために、さらにすぐれたものをあらかじめ用意しておられたので、彼らが私たちと別に全うされるということはなかったのです。And all these, having obtained a good testimony through faith, did not receive the promise, 40 God having provided something better for us, that they should not be made perfect apart from us.
ヘブル12:2
信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないでいなさい。イエスは、ご自分の前に置かれた喜びのゆえに、はずかしめをものともせずに十字架を忍び、神の御座の右に着座されました。 looking unto Jesus, the author and finisher of our faith, who for the joy that was set before Him endured the cross, despising the shame, and has sat down at the right hand of the throne of God.
私達にとって、信仰とは、イエス・キリストを見据えて生きることです。また、自分の悟りに頼らないで、イエス様に従っていくことです。
★神の使いの一行ががアブラハムところに良い知らせを告げに来たMessengers from God brought good news
神は、この信仰の父とのちに呼ばれるアブラハムのところに約束の子が与えられるということを告げに来られました。そして、その後、アブラハムは、主が罪深いソドムとゴモラの町を滅ぼそうと思っていることをアブラハムに告げます。
神は、アブラハムを友と呼んでおられました。そんな親しい友に大切なことを隠して折れないと思われたのです。イエス様もあなた方を友と呼ぶと言われました。(わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。ヨハネ15:14 You are my friends if you do what I command. John15:14)イエス様もまた私たちに必要なことをシェアしてくれています。
★アブラハムはまだ、主の前に立っていたbut Abraham remained standing before the LORD
●とりなしの祈りは間隙を埋めることFilling the gap
執り成しの祈りとは、神と人との隔たりをつなげることであり、その間隙を埋めることであります。
アブラハムは、神と親しく、神の心を知るものでありながら、滅びに向かう人の友、また、ロトがいましたから、その血を分けた親戚でもありました。
両方を理解できるアブラハムであるから、その間隙に立ち、とりなすことができたのです。
完全な人であり、完全な神である、正にキリストの働きと同じである。
★とりなしの祈りに裁きの思いがあってはならない Judgmental heart in prayers
アブラハムは、ロトのことをもちろん念頭に置いて祈っていたでしょう。
私達の中に完璧な人間はいません。しかし、私たちは、誰かがトラブルの中にいる時に、憐れみよりも先に裁くことがあります。「あの人には、ああいう性質があるから」とか、「あの人は、自分で選んであそこに住んだのだから、そのつけが回ったのだ」とか、言います。もちろんアブラハムは、ロトについて、貪欲にいいとこどりをしたからだ、ということもできたと思います。
しかし、アブラハムは、それを一切しませんでした。
★とりなしの祈りには忍耐が必要 Be perseverant
アブラハムは、主に何度も食い下がって祈りました。
みなさんも、誰かのために祈る時に、本当に疲れてくるくらい、繰り返し、何度も、心おれそうになりながらも祈るのではないでしょうか。
エペソEphesians 6:18
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
And pray in the Spirit on all occasions with all kinds of prayers and requests. With this in mind, be alert and always keep on praying for all the Lord’s people.
★祈りの法則 Principle of Prayer
1ヨハネJohn5:14
14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
This is the confidence we have in approaching God: that if we ask anything according to his will, he hears us.
2ペテロPeter 3:9
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。The Lord is not slow in keeping his promise, as some understand slowness. Instead he is patient with you, not wanting anyone to perish, but everyone to come to repentance.
★生きた供え物
ロマRomans12:1-2
そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。I beseech you therefore, brethren, by the mercies of God, that you present your bodies a living sacrifice, holy, acceptable to God, which is your reasonable service. 2 And do not be conformed to this world, but be transformed by the renewing of your mind, that you may prove what is that good and acceptable and perfect will of God.
★聖書は、心の一新によって自分の行動を変えなさいとある。
Renewing your mind と英語ではある。
★私たちの考え/マインドは聖なる場所であり、戦いの場である。
私たちのマインドは、神様にあって神聖に造られたところです。 マインド/頭は、ユダヤの世界では聖なるところとみなされていた。 また、マインド/ 頭は神に似せられて造られたところ。言葉がイメージとなり、イメージが現実となる信仰の実践の場。
ヘブルHebrews11:1
信仰は望んでいる事がらを保障し、目に見えないものを確信させるものです。
Now faith is confidence in what we hope for and assurance about what we do not see.
●信念と行動の関係
Belief System 信仰の構造
If you accept a Belief, you reap a Thought.
あることを信じると、それに基づいた考えが生まれてくる。
If you sow a Thought, you reap an Attitude. その考えを続けると、やがて態度に現れてくる。
If you sow an Attitude, you reap an Action. その態度が続くと、それが行動になる。
If you sow an Action, you reap a Habit. その行動が続き、それは、あなたの習慣となる。
If you reap a Habit, you reap a Character. その習慣は、あなたの人格となり、
If you sow a Character, you reap a Destiny. その人格が、あなたの宿命となる。 Anonymous 匿名著者
ヨハネJohn 20:23
あなたがたがだれかの罪を赦すなら、その人の罪は赦され、あなたがたがだれかの罪をそのまま残すなら、それはそのまま残ります。」If you forgive anyone’s sins, their sins are forgiven; if you do not forgive them, they are not forgiven.”
と、あるからです。これは、重大な働きを私たちは任されたものです。
●虐待の場合Case of Abuse …継続的ないじめの場合は、いつも言うことですが、すぐにその人から逃げてください。赦すことと、相手の元に帰り従順することとは違います。
人間関係は、相手の有ることですから、相手が引き続き、あなたをいじめるならば、距離を置かなければなりません。心で赦して、距離を取ることは、赦していないことにはなりません。人間関係は、双方の合意が必要になりますから。
★神の前に謙遜な心が焦点 Humility before God is your focus
自分の罪の重みが分からないと
自分の赦しのありがたさ、イエス様のすばらしさが分からないと
赦しができない。
高慢になってしまう。
謙遜であることが無ければ、赦しが分からない。
焦点は、ここ、あなたの心にあるのです。
〇足の下にUnder your feet
詩篇Psalms110:1-2
主は、私の主に仰せられる。「わたしがあなたの敵をあなたの足台とするまでは、わたしの右の座に着いていよ。」2 主は、あなたの力強い杖をシオンから伸ばされる。「あなたの敵の真ん中で治めよ。」The Lord says to my Lord: “Sit at my right hand until I make your enemies a footstool for your feet.” 2 The Lord will extend your mighty scepter from Zion, saying, “Rule in the midst of your enemies!”
〇ヨシュア記の例 Example of Joshua
今、聖書の学びでヨシュア記を学んでいます。実に勇気と戦いの連続です。
ヨシュアJoshua1:3
あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。I will give you every place where you set your foot, as I promised Moses.
1列王記1Kings 17:1
ギルアデのティシュベの出のティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私の仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによらなければ、ここ二、三年の間は露も雨も降らないであろう。」Now Elijah the Tishbite, from Tishbe[a] in Gilead, said to Ahab, “As the Lord, the God of Israel, lives, whom I serve, there will be neither dew nor rain in the next few years except at my word.”
ヤコブJames5:17-18
エリヤは、私たちと同じような人でしたが、雨が降らないように祈ると、三年六か月の間、地に雨が降りませんでした。 5:18 そして、再び祈ると、天は雨を降らせ、地はその実を実らせました。Elijah was a human being, even as we are. He prayed earnestly that it would not rain, and it did not rain on the land for three and a half years. Again he prayed, and the heavens gave rain, and the earth produced its crops.
地にひざまずいて自分の顔をひざの間にうずめた。-- Birthing position
主の手がエリヤの上に下った --- God’s spirit was there ministering together with Elijah
〇期待と苦しみ Anticipation and Pain
イエス様は、産みの苦しみを通して、この世に来られました。彼は、成人として天から急に下ってきたのではなく、マリヤのお腹の中に宿り、マリヤの期待と痛みを通して、この世に来られたのでした。
イエス様もカルバリで産みの苦しみの祈りをされました。
★あなたは勇士です。You are a warrior
多くの人に大きなインパクトを与えることを産み出す
大きな変化をもたらすことを産み出す
人々の救いのために
は、時に苦しみもがきながら長く祈る
私も家族のためには断食や徹夜をして祈ったことでした
教会は、主の勇士である。
エペソEphesians1:22
また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ、いっさいのものの上に立つかしらであるキリストを、教会にお与えになりました。And God placed all things under his feet and appointed him to be head over everything for the church,
ロマRomans16:20
平和の神は、すみやかに、あなたがたの足でサタンを踏み砕いてくださいます。どうか、私たちの主イエスの恵みが、あなたがたとともにありますように。The God of peace will soon crush Satan under your feet. The grace of our Lord Jesus be with you.