★神の使いの一行ががアブラハムところに良い知らせを告げに来たMessengers from God brought good news
神は、この信仰の父とのちに呼ばれるアブラハムのところに約束の子が与えられるということを告げに来られました。そして、その後、アブラハムは、主が罪深いソドムとゴモラの町を滅ぼそうと思っていることをアブラハムに告げます。
神は、アブラハムを友と呼んでおられました。そんな親しい友に大切なことを隠して折れないと思われたのです。イエス様もあなた方を友と呼ぶと言われました。(わたしがあなたがたに命じることをあなたがたが行なうなら、あなたがたはわたしの友です。ヨハネ15:14 You are my friends if you do what I command. John15:14)イエス様もまた私たちに必要なことをシェアしてくれています。
★アブラハムはまだ、主の前に立っていたbut Abraham remained standing before the LORD
●とりなしの祈りは間隙を埋めることFilling the gap
執り成しの祈りとは、神と人との隔たりをつなげることであり、その間隙を埋めることであります。
アブラハムは、神と親しく、神の心を知るものでありながら、滅びに向かう人の友、また、ロトがいましたから、その血を分けた親戚でもありました。
両方を理解できるアブラハムであるから、その間隙に立ち、とりなすことができたのです。
完全な人であり、完全な神である、正にキリストの働きと同じである。
★とりなしの祈りに裁きの思いがあってはならない Judgmental heart in prayers
アブラハムは、ロトのことをもちろん念頭に置いて祈っていたでしょう。
私達の中に完璧な人間はいません。しかし、私たちは、誰かがトラブルの中にいる時に、憐れみよりも先に裁くことがあります。「あの人には、ああいう性質があるから」とか、「あの人は、自分で選んであそこに住んだのだから、そのつけが回ったのだ」とか、言います。もちろんアブラハムは、ロトについて、貪欲にいいとこどりをしたからだ、ということもできたと思います。
しかし、アブラハムは、それを一切しませんでした。
★とりなしの祈りには忍耐が必要 Be perseverant
アブラハムは、主に何度も食い下がって祈りました。
みなさんも、誰かのために祈る時に、本当に疲れてくるくらい、繰り返し、何度も、心おれそうになりながらも祈るのではないでしょうか。
エペソEphesians 6:18
すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。
And pray in the Spirit on all occasions with all kinds of prayers and requests. With this in mind, be alert and always keep on praying for all the Lord’s people.
★祈りの法則 Principle of Prayer
1ヨハネJohn5:14
14 何事でも神のみこころにかなう願いをするなら、神はその願いを聞いてくださるということ、これこそ神に対する私たちの確信です。
This is the confidence we have in approaching God: that if we ask anything according to his will, he hears us.
2ペテロPeter 3:9
主は、ある人たちがおそいと思っているように、その約束のことを遅らせておられるのではありません。かえって、あなたがたに対して忍耐深くあられるのであって、ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。The Lord is not slow in keeping his promise, as some understand slowness. Instead he is patient with you, not wanting anyone to perish, but everyone to come to repentance.