まず文字通り主の道を備えに来たバプテスマのヨハネを見てみましょう
★バプテスマのヨハネのメッセージJohn the Baptist’s message
マルコMark1:1-4
神の子イエス・キリストの福音のはじめ。2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ。わたしは使いをあなたの前に遣わし、あなたの道を整えさせよう。3 荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ。』」そのとおりに、4 バプテスマのヨハネが荒野に現れて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた。the beginning of the gospel of Jesus Christ, the Son of God. 2 As it is written in the Prophets: “Behold, I send My messenger before Your face, Who will prepare Your way before You.” 3 “The voice of one crying in the wilderness: ‘Prepare the way of the Lord; Make His paths straight.’” John came baptizing in the wilderness and preaching a baptism of repentance for the remission of sins.
〇悔い改めRepent
メタノイアMetanoia ギリシャ語 a change of mind, as it appears to one who repents, of a purpose he has formed or of something he has done 考えが変わること。悔い改めた人は、その人の行動の目的が変わるので、行動の変化が見れる。
罪から180度方向転換し、反対方向に歩み始めること。
カルロス・アナコンディア南米のリバイバルも悔い改めから
ハイチのリバイバルも悔い改めから
★ヨナJonah
◎主に従う葛藤を通して従順を学んだ
最終的に遣わされてメッセージをし、国の 王さえ悔い改めた
結果リバイバルが起きた
ヨナJonah3:5-6
そこで、ニネベの人々は神を信じ、断食を呼びかけ、身分の高い者から低い者まで荒布を着た。6 このことがニネベの王の耳に入ると、彼は王座から立って、王服を脱ぎ、荒布をまとい、灰の中にすわった。
The Ninevites believed God. A fast was proclaimed, and all of them, from the greatest to the least, put on sackcloth.6 When Jonah’s warning reached the king of Nineveh, he rose from his throne, took off his royal robes, covered himself with sackcloth and sat down in the dust.
V10 神は、彼らが悪の道から立ち返るために努力していることをご覧になった。それで、神は彼らを下すと言っておられたわざわいを思い直し、そうされなかった。
When God saw what they did and how they turned from their evil ways, he relented and did not bring on them the destruction he had threatened.
ヨハネJohn 4:39-41
さて、その町のサマリヤ人のうち多くの者が、「あの方は、私がしたこと全部を私に言った」と証言したその女のことばによってイエスを信じた。40 そこで、サマリヤ人たちはイエスのところに来たとき、自分たちのところに滞在してくださるように願った。そこでイエスは二日間そこに滞在された。41 そして、さらに多くの人々が、イエスのことばによって信じた。
Many of the Samaritans from that town believed in him because of the woman’s testimony, “He told me everything I ever did.” 40 So when the Samaritans came to him, they urged him to stay with them, and he stayed two days. 41 And because of his words many more became believers.
★聖霊降臨時at the Pentecost
新約の大リバイバルと言えば、やはりペンテコステです。この始まりは、イエス様の言葉に従って、みなが一つの場所に集まって祈っていたときに起こりました。
共に集まるということと、約束があるうえでさらに祈ると言うことが肝です。
◎ともに集るなかでハーモニー調和が無ければ祈りは続きません。おのずと、人々と集まり中で悔い改め、神の前に共に謙遜になったことでしょう。
リバイバル 一日で3000人が主に立ちかえった
使徒Acts2:1-2
五旬節の日になって、みなが一つの所に集まっていた。2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るゆな響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。v38 そこでペテロは彼らに答えた。「悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。
When the day of Pentecost came, they were all together in one place. 2 Suddenly a sound like the blowing of a violent wind came from heaven and filled the whole house where they were sitting.
v41 そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた、その日、三千人ほどが弟子に加えられた。
Those who accepted his message were baptized, and about three thousand were added to their number that day.
ロマRomans 7:2
2 夫のある女は、夫が生きている間は、律法によって夫に結ばれています。しかし、夫が死ねば、夫に関する律法から解放されます。For the woman who has a husband is bound by the law to her husband as long as he lives. But if the husband dies, she is released from the law of her husband.
ロマRomans 7:5-6
5 私たちが肉にあったときは、律法による数々の罪の欲情が私たちのからだの中に働いていて、死のために実を結びました。6 しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです。For when we were in the flesh, the sinful passions which were aroused by the law were at work in our members to bear fruit to death. 6 But now we have been delivered from the law, having died to what we were held by, so that we should serve in the newness of the Spirit and not in the oldness of the letter.
ロマRomans 7:24
24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。O wretched man that I am! Who will deliver me from this body of death?
(善をしたいけどできない自分、もがいても励んでも、自分の肉の性質を一掃できない)
ロマRomans 8:1-4
1 こういうわけで、今は、キリスト・イエスにある者が罪に定められることは決してありません。2 なぜなら、キリスト・イエスにある、いのちの御霊の原理が、罪と死の原理から、あなたを解放したからです。3 肉によって無力になったため、律法にはできなくなっていることを、神はしてくださいました。神はご自分の御子を、罪のために、罪深い肉と同じような形でお遣わしになり、肉において罪を処罰されたのです。4 それは、肉に従って歩まず、御霊に従って歩む私たちの中に、律法の要求が全うされるためなのです。There is therefore now no condemnation to those who are in Christ Jesus, who[a] do not walk according to the flesh, but according to the Spirit. 2 For the law of the Spirit of life in Christ Jesus has made me free from the law of sin and death. 3 For what the law could not do in that it was weak through the flesh, God did by sending His own Son in the likeness of sinful flesh, on account of sin: He condemned sin in the flesh, 4 that the righteous requirement of the law might be fulfilled in us who do not walk according to the flesh but according to the Spirit.
★私たちの目指すところ。Our Goal
ロマRomans 8:14-17
14 神の御霊に導かれる人は、だれでも神の子どもです。15 あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。16 私たちが神の子どもであることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。17 もし子どもであるなら、相続人でもあります。私たちがキリストと、栄光とをともに受けるために苦難をともにしているなら、私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。14 For as many as are led by the Spirit of God, these are sons of God. 15 For you did not receive the spirit of bondage again to fear, but you received the Spirit of adoption by whom we cry out, “Abba, Father.” 16 The Spirit Himself bears witness with our spirit that we are children of God, 17 and if children, then heirs—heirs of God and joint heirs with Christ, if indeed we suffer with Him, that we may also be glorified together.
ピリピPhilippians 2:6-8
キリストは神の御姿である方なのに、神のあり方を捨てられないとは考えず、7 ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、
8 自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われました。
Who, being in very nature God, did not consider equality with God something to be used to his own advantage; 7 rather, he made himself nothing by taking the very nature of a servant, being made in human likeness. 8 And being found in appearance as a man, he humbled himself by becoming obedient to death— even death on a cross!
最近、Disabled God という本を読んでいるのですが、障害をどのように神学的に理解していくかということですが、このものの見方は全ての人に力を与えます。
ここに書かれてあるように、キリストは、神です。神で有られるのに、神の有り方を捨てられました。すなわち、全能、全知、遍在、である方が、非常に限りのある肉体に生まれられたのです。全能の神にしたら人間というのは、何もできないに等しいのです。
その何もできないような姿で、その同じ姿の人間たちに仕えるられたのです。
イエス様の生き方は、人間界の文化にあり、それを理解し寄り添いながら、天の文化やり方に合わせて生きておられました。
キリストは、いつも天、いつも父を見据え、そして聖霊様に共に働かれました。
「私は父の業を行っている」ヨハネ14とイエス様は言われた。
また、イエス様はいつも寂しいところに行かれてみ父に祈っていた。
★救いSalvation -- 私たちの基本、希望 Our Foundation and hope
まず、キリストが私たちと同一化してくださったことで、今度は私たちがイエス様に同一化することで恵みを受けるようになりました。
ガラテヤGalatians 2:20
私はキリストとともに十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
I have been crucified with Christ and I no longer live, but Christ lives in me. The life I now live in the body, I live by faith in the Son of God, who loved me and gave himself for me.
★ 癒し Healing
イザヤIsaiah 53:3-5
彼はさげすまれ、人々からのけ者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。4 まことに、彼は私たちの病を負い、私たちの痛みをになった。だが、私たちは思った。彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。
5 しかし、彼は、私たちのそむきの罪のために刺し通され、私たちの咎のために砕かれた。彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。
He was despised and rejected by mankind, a man of suffering, and familiar with pain.
Like one from whom people hide their faces he was despised, and we held him in low esteem. 4 Surely he took up our pain and bore our suffering, yet we considered him punished by God, stricken by him, and afflicted. 5 But he was pierced for our transgressions, he was crushed for our iniquities; the punishment that brought us peace was on him, and by his wounds we are healed.
へブルHebrews 4:15-16
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。16 ですから、私たちは、あわれみを受け、また恵みをいただいて、おりにかなった助けを受けるために、大胆に恵みの御座に近づこうではありませんか。
For we do not have a high priest who is unable to empathize with our weaknesses, but we have one who has been tempted in every way, just as we are—yet he did not sin. 16 Let us then approach God’s throne of grace with confidence, so that we may receive mercy and find grace to help us in our time of need.