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- 受難週の始まり~ホサナ~ “Hosanna” In the beginning of passion week
今週は、過ぎ越しの祭、すなわちイースターの一週間前で、しゅろの日曜日といいます。英語では、パームサンディです。なぜそういうのかは、下記ご参照ください。
2021年3月28日日曜日バイリンガル礼拝メッセージ
ヨハネJohn 12:12-16
12 その翌日、祭りに来ていた大ぜいの人の群れは、イエスがエルサレムに来ようとしておられると聞いて、13 しゅろの木の枝を取って、出迎えのために出て行った。そして大声で叫んだ。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」14 イエスは、ろばの子を見つけて、それに乗られた。それは次のように書かれているとおりであった。15 「恐れるな。シオンの娘。見よ。あなたの王が来られる。ろばの子に乗って。」16 初め、弟子たちにはこれらのことがわからなかった。しかし、イエスが栄光を受けられてから、これらのことがイエスについて書かれたことであって、人々がそのとおりにイエスに対して行なったことを、彼らは思い出した。
ヨハネ黙示録Rev. 7:9-10
9 その後、私は見た。見よ。あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、御座と小羊との前に立っていた。10 彼らは、大声で叫んで言った。「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある。」
★聖書の預言としるしはレイヤーになっている
先の二つのみ言葉は両方似ていますね。しゅろの枝とイエス様をお迎えするところ。黙示録では、イエス様の再臨と天での礼拝が記されています。
聖書のメッセージは不思議なものです。時間を超えて、時代を超えて人種を超えて伝わります。聖書内で暗示されているストーリー、預言なども時間を何層にして成就されています。ですから、今日のこの話も、あなたの今の人生に当てはめ事が出来るのです。これが預言と生きいてる神の霊の働きです。
★過ぎ越しの祭の六日前の出来事
イエス様は、ラザロをよみがえらせ、またマリアに油を注がれ埋葬の用意をされた上で、エルサレムに向かいます。過ぎ越しのためでした。過ぎ越しの祭は、出エジプトの出来事から来ており、パロが全ての初子を殺すと命じましたが、家のかもいに動物の血を塗った者たちは助かりました。血による贖い、血によって人の命が救われる、奴隷の生活から解放された、ということを覚える、救いと贖いの祭です。まさに、イエス様は、ご自分を人類の救いのための血、生け贄としてその場所、エルサレムに入られたのです。
イエス様はどんな気持ちでエルサレムに入城されたのでしょうか。これからやってくる苦しみや裏切りを知りながら、人々に王として迎えられ盛大に歓迎された。
イエス様はボランティアリーに、自ら苦しむことを選ばれた上で、過ぎ越しのために町にやってきたのでした。
★大歓迎をする群衆
イエス様は、エルサレムに大歓迎されながら入っていきました。
◎しゅろの枝
しゅろの木の枝をもって、他の福音書では自分たちの上着を脱いでそれを道に引いてイエス様が通られる花道を作っています。
しゅろの枝は、勝利の象徴とされていました。圧倒的な勝利者であるイエス様を迎え、祝うのにふさわしかったのです。
◎上着
マタイに書かれている上着を敷いたのは、イエス様に対する服従、submission を表しています。
◎ホサナと叫んだ
「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。イスラエルの王に。」と、聖書を引用して叫んでいます。
ホサナとは、
救ってください。という意味ですが、民は、どんな救いを願っていたのかは分かりません。政治的な意味が願った人が多かったのと思います。ローマから救ってくださいと。しかし、聖書に預言されているように、人々は、ホサナ、主のみなによって来られる方にと叫んでいます。
◎ロバの子
またイエス様はロバの子の背にのって入られました。普段は歩いて旅をして来たイエス様が、ここではわざわざロバの子を調達して乗られました。これも、旧約聖書ゼカリヤ書に書かれている預言の言葉の一部でした。
ゼカリヤZechariah 9:9
シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。
イエス様は、世界最大の暗闇との霊的戦い、人類を罪の奴隷と束縛から解放するという大事業のために、馬でなく、ロバにのってこられました。馬は、戦いの象徴ですが、ロバは平和の象徴であり、柔和さの象徴です。イエス様は、この戦に平和と柔和を持ち込まれたのです。
これも預言の通りのことが起きました。
★欠けだられの人間性のために
大変皮肉なことですが、このように、受難週の初めに盛大に、「私たちを救ってください!」と叫んだ群衆は、金曜日には、「バラバを釈放しろ!イエスを十字架につけろ!」と叫ぶようになったのです。また、イエス様の友人であった弟子たちも裏切ります。銀貨で売られ、イエス様の弟子であることを否定されます。
私達は、これを見る時に、人というのは本当に欠けだらけだと思うのです。また、その姿に自分を見ざるを得ません。私も、欠けの多い人間です。また、私達が日ごろの周りを見渡しても、ニュースを見ても、人というものは欠けが多いと思わざるを得ません。
しかし、そんな、私達罪人、broken な人々のようにイエス様はなられました。
イエス様はご自身がbroken な方になられました。肉体的にも一人で歩けないほどに痛めつけられ、肉は酷いむち打ちではがれ、心はずたずたに傷つけられました。また、最後のたのみであり、使命をいただいた父なる神にも顔を背けられるという霊的な”欠け”brokenness も受けられました。
それは、私たちの救いのためでした。私達が真の意味でこの永遠の欠け、brokenness から解放されるためでした。肉体的にも、精神的にも、霊的にも。
もう一度いいます、それは、肉体、精神、霊を含みます。
私達には、肉体のむつかしさ、精神のむつかしさ、霊のむつかしさを乗り越えられる、奇跡的な救いが必要です。欠けの無い人は一人もいません。
この、昔から預言されていたイエス様によってのみ、私達は解放されるのです。ですから、私達は、今日もホサナ、ホサナ、救ってくださいっと神に叫ぶのです。
★ホサナ
後に来られるイエスを待ち望んでいますか。イエス様はもう一度この地に来られると聖書で何度も預言されています。私達に見える形で。Jesus’ second coming. 私たちは、救いを得た今も、完全な永遠に入るまで、イエス様にまみえるまで、ホサナと主に叫ぶのです。
黙示録Revelation1:7
見よ。彼が、雲に乗って来られる。すべての目、ことに彼を突き刺した者たちが、彼を見る。地上の諸族はみな、彼のゆえに嘆く。しかり。アーメン。
★預言としるし
今日は、預言の言葉が複数出てきましたね。
預言とは神の言葉であり、神の言葉がそれを預かった人から語られたものです。
この箇所で、複数の過去に語られた言葉が、そのように起きていることを見ることが出来ます。これが、私達へのしるしです。神様から来ているということです。預言は今でも語られていますが、過去に語られたものも、このようにして今私たちがしるしとして認めることが出来ます。今の時代のわたしたは、このようにしるしを見るように召されているのかも知れませんね。
聖書を心に蓄え、また最近語られた預言にも心をとめ、周りで何が起きているのか祈り深く観察し、しるしを見つけていく。
というのも、イエス様が来られる日が近いからです。
●今の時を見極めながら、しるしを探し、ホサナと主に叫び続け、とりなして行きましょう。
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