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川崎での宣教活動に戻って

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「人生は80歳から始まる」 「人生は80歳から始まる」 山形の田園に落ちる夕日 山形の田園に落ちる夕日







日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。

卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。

そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。

教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。

本の題名は「人生は80歳から始まる」。

確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。

私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。

今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。

まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。

皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。


第24回目は、田舎での1時的な伝道活動を終えて川崎に戻り、学生への英語クラスを始め、本格的な宣教活動に従事するようになります。








本田川崎クルセード


その直後に 、川崎での本田クルセードの多忙な準備期間が待っていました。

私の家族が日本に滞在したことでもし私が働きから幾分かでも逃れてしまうことがあったとしたなら、私はその分を埋め合わせるだけの機会を確かに得たと言っていいと思っています。

私は奏楽者として、また食事係のマルタ役として、二人分のお仕事を仰せつかったのです。
ときにはこの二つの仕事が同時に来る事もあり、私は文字通り双子である必要がありました。

本田クルセードのためには、電車の中でも数千枚のトラクトが配られて行きました。
ある朝、バス停にいた時のことです。バス停から降りたある方が、その手にいっぱいのトラクトを私に渡してくれました。彼は後の日に与えられるであろう報酬を自ら放棄している事に気づいていないのでしょうか。

全市に広がったこの労務の結果は神様だけがご存知です。
神様がやがて与えて下さる報酬には正しいものしかありません。



ミッションフォーム



1962年の秋、主は私たちに祈っていたミッションホームを与えてくださいました。
主が経済的な必要を満たしてくださいましたが、私たちはその内装を自分たちでやり遂げました。

主は私たちが掃除をし、ペイントをし、修繕するエネルギーを与えてくださり、11月には開所式ができる所にまでこぎつけたのです。

私がそれまで住んでいた古くて小さなアパートメントが、ミッションホームに移った今、まるでニューヨークのグランド・セントラルステーションになったかのようで、常に若い方々で溢れるようになりました。同時に、彼らは続けてやって来てくれるだろうか、と訝しんだものです。けれども彼らは確かに継続して来会し、さらに多くの人たちが来られるようにもなりました。



川崎南部キリスト教会の誕生



ミッションホームは川崎南部キリスト教会の誕生につながり、限界のない可能性へと開かれて行きました。11月第一日曜となった開所式兼最初の礼拝は、私たちの期待以上に素晴らしいものとなりました。

その辺一帯にトラクトがまんべんなく配られ、私のアコーディオンも含んだマーチングバンドが行進して、スピーカーから大きな声でのアナウンスがなされました。多くの方々が心を砕いて証しをされ、また働きました。その教会は多くの人たちで満たされたのです。

人生とは挑戦の連続です。
私はその頃、放課後の時間帯を多摩高等学校や川崎高等学校での英語クラス担当をしたり、ミッションホームでの英語バイブルクラスもあり、さらには中学生のための英語クラスもしていました。

これらに加えて南部教会のすべての集会にも参加するよう求められていたのです。
その上、家庭集会や川崎教会での婦人会、ヤング婦人会、ベタニア女子会、さらにはひっきりなしに出入りして来る英語クラスの生徒さん達。

たとえ私たちが引越したとしても、彼らは必ずや私たちと行動を共にしてくれる人たちでした。



「ミッショナリー・チャレンジャー」の誕生



1963年の二月、私たちは日本で「ミッショナリー・チャレンジャー」を刊行するようにと求められました。それは私の日本での宣教活動を米国の教会のサポーターたちに紹介すると言う目的を持ったニュースレターです。

ところが、ニュース記事をタイプするというのは私にとって全くの新しい経験でした。
チャレンジャー自身にとり、大きなチャレンジとなったのでした。

そんな多忙な私たちにも、時には外出の時間が与えられたのは不思議なことです。
コンサート、美術館訪問、山へのハイキング、大学の文化祭や雪国での楽しさなどです。
これらは、私たちは大人が子供時代に帰ることが出来た大変貴重な機会でした。



コーラおばさん



多種多様な機会は、人生のスパイスであると言われています。
主は大変特別なことを、サプライズしてくださいました。

コーラおばさんのことです。
彼女は、主が日本に宣教師として召していると感じていました。そのことをすでに私には何度も伝えてくれていたのです。

しかし深夜に到着したときには、彼女を空港に迎えてくれる人は誰もいませんでした。
親切なタクシー・ドライバーが川崎の日本人牧師と連絡を取ってくれて、彼女をその教会まで送ってくれました。

その牧師はもっともな理由もあって、彼女を留め置くことができなかったものですから、ある日曜の早朝、彼女は私どものところにやって来てそのまま新しい家族の一人となりました。

この年配の黒人淑女は数ヶ月間、私たち皆と楽しく生活を共にしました。英語クラスにも参加してくれて新しい息吹を与えてくれたのです。
コーラおばさんは特別集会のためのポスター貼りやトラクト配布など、彼女にできることなら何でもお手伝いしてくれました。

彼女は日本語をお話しすることはできませんでしたが、彼女の笑顔はどんなハンデをも補って余りあるものでした。

時にいくつかの特別集会では私たちが期待したほどの結果は得られなかったのですが、コーラおばさんはいつもと変わらずに、明るい楽しさを分かち合ってくれました。

夏の修養会で彼女と同室できたことは私の喜びです。
静かで落ち着いた時が与えられました。

説教の間中は、私が話のポイントを彼女のために書いて差し上げました。
それによって彼女もまたいくらかの祝福を得ることができた様です。
また彼女は大したコックさんでもあり、そのレモン・パイは決して忘れることができません。


#ドロシー師

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日本一公園での祈り

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文中にある早朝の祈り会に行った... 文中にある早朝の祈り会に行った町全体を見下ろす公園からの眺めです。「日本一公園」と呼ばれています。 日本一公園での祈り 日本一公園での祈り 日本一公園での祈り 日本一公園での祈り



日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。

卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。

そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。

教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。

本の題名は「人生は80歳から始まる」。

確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。

私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。

今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。

まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。

皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。


第23回目は長野県や山形県へ伝道旅行を繰り返され、やがて田舎伝道が生涯の中心に据える働きとして確信するように至った経緯です。











繰り返されるクリスマス集会



クリスマスと新年期は、実に栄光に富んだ時期です。

私たちはクリスマス祝会を何度も多くこなしました。教会だけではなくて各日曜学校支部や家庭集会などです。

ホームシックにかかる暇なんてありません。もっとも聖書学院の神学生たちといった拡大家族も与えられている私が、どうしてそんなことを感じる余裕があるしょうか。
そこには七面鳥とそれに付随する米国流定番料理こそありませんでしたが、私たちには溢れるばかりのご馳走と多くの喜びとがありました。

お正月のご馳走には、一つを除いて何も問題はありません。
その一つとは、お餅のことです。私はその餅つきの現場にお招きいただいたことがあります。

ツキタテの熱くて柔らかいお餅は、醤油やきなこをまぶして食べると大変良く合います。
私は五つもお餅をいただいたのですが、一つの切り餅サイズがお茶碗いっぱい分のご飯量に相当するだなんてその時なまだ知らなかったのです。

お餅は体全体を温めてくれるし、その後は何食も要らないと感じるほど腹持ちが良いものです。


私は多くの男子生徒を多摩高等学校で教えました。
そして長い期間を経て、ついに英語を熱心に学ぼうとしているとても将来が楽しみな幾人かの女子学生にも会うことになりました。彼女らには英語を聖書から、そして音楽を賛美歌から教えました。

私はその頃、私と共に働いてくれる助手となるような女子生徒を探していました。でもそれは叶えられない高望みだったようです。それでも、私がこれらの若い生徒さん方と過ごした多くの時間は決して無駄とはならないことでしょう。

日本に来るずっと前から、私は田舎で働くことを望んでいました。
私の最初の“宣教旅行”は、ただ私が無能であることを思い知らされただけだったことは、先にお話しした通りです。
やがて将来のいつの日かに、主のために働くため再び長野県に帰ることは私には許されるのでしょうか?



福音を携えて九州へ



美智子先生のお母様を伴った九州への旅は、私にとって願ってもないことでした。
それは短い期間だったのですが、聖書物語を紹介したり、本やトラクトをお渡ししたりして、私は熱心に務めました。

そのような中でのある日曜日朝のことでした。子供さん方はなんと朝食前にやって来て、そしてお昼ごろまで帰らないのです。再び彼らは午後になって来ると、今度は夕方まで居座ります。

豆腐屋さんは、私が彼にたくさん渡したトラクトをその販売ルートで会うすべての人に配ってくれました。「ここには素晴らしいことが書いてあるよ」と、彼のお客さんたちに話して廻ったのです。

私はその場所に帰って、私の残りの人生をそこで過ごしたかった程でした。
しかしその願いが叶えられることはありませんでした。




福音を携えて山形へ


三人の若くて有能な献身した神学生たちが聖書学院を卒業して各地で働きを始めた時に、シェルホン先生の夢は実現したと言えましょう。

小出先生は、ご自身の故郷に帰ることが御旨であると示されました。そこが山形県左沢です。シェルホン先生はその可能性を探りに視察に行かれました。小出先生は開拓伝道に着手して、勇敢にも数々の困難に立ち向かっていったのです。

ある時の日曜学校では、多くの若い人々の出席を得て賑わいを見せました。何軒かの家々でも家庭集会が始まりました。彼はまた結核療養所にいる病の方々や、学校で問題を抱えている子供たちの為にも働く機会を得て行ったのでした。

そんな多忙の中にあっても、ある時の日曜礼拝にはだれも出席者がいない、と言う時もありました。
それでも勇敢な彼は、誰もいない座布団だけに向かって説教したのです。
働きは祝されて多くの実が結ばれるように見えましたが、やがてしばらくすると、誰もいない座布団状態に戻るのです。そんな時に彼ができた事は涙を流すことだけでした。

主は私たちの将来の働きのために、女性を備えて下さる時もありました。二名の献身した女性が聖書学院に入学して、その授業のない休日や長期休暇、また週末は私の助手として働いてくれました。

その一人であった小野寺美江(ヨシエ)先生と私は、大江町での初期の開拓伝道を担うこととなったのです。私たちはあらゆる準備を完了しました。

町にはポスターが至るところに貼られました。伝道伝道集会の直前には私どもは町中を練り歩きます。私がアコーディオンを弾いて、男性たちが集会のアナウンスをするのです。三つの小さな部屋しかなかったその家には、入り切れないほどの人たちで溢れました。

初日には82名の来会者です。日曜朝の早天祈祷会の時には、近くの山の頂まで行きました。そこからは広大な景色が開かれていて、美しい村の全体風景、実った稲が見渡されました。

美江先生と私は、このところで何年間かを共に過ごせないだろうか、と夢見たのです。この伝道旅行以前にも私たちは共に賛美し、神の言葉を分かち合い、共に祈り合う祝された時を持って来ました。私は続けてそのまま共に助け合いながら働くことを心から望むようになっていたのです。

次の夏も、私は大江町での夏季特別伝道集会をお手伝いすることが許されました。
今回の私の助け手は青木先生です。今回の旅を通じてもまた、私は田舎で働くことを強く願う結果となりました。

私の心は二つの願いで引き裂かれました。しばしば主のために二つの体が欲しいと思った程です。都会には大学受験を控え、熱心に勉強する高等学校の生徒さんたちがいます。

でも、感謝なことに私の道を選んでくださるのは、神様ご自身です。その結果についての責任も、その過去でも現在であっても、主がとってくださり私ではありません。

長い年月の葛藤や失望があり、遅いスタートの後でしたが(時に私は43歳)、私は神様の御心の真ん中にあることを確信できて、心満たされるのを真に体得出来たように思います。

私には故郷や家族を慕って失望するようなことはありませんでした。
同じ太陽がすべての私たちを照らしているわけですから、私はそんなにも遠いところにいるわけではないはずです。
#ドロシー師

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ケインズ経済学を日本は導入すべし

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ケインズ経済学を日本は導入すべ...

20年間のデフレが続いた国はどの国のどの歴史にも今だかつてなかったと言われていて、これは国会答弁で安倍首相も認めていることです。

ここで私の展開している財政政策はMMT理論を土台としているものでして(その全てを認めているわけではございませんが)、それは自由放任ではなく管理的な社会主義的経済政策です。

このような財政政策をとった例はいくつかあります。
代表的なのが1929年の世界大恐慌に対するルーズベルトのニューディール政策です。

それまでの主流派経済政策ではアダムスミスの著した「富国論」が正しいとなっておりまして、「神の見えざる手」が市場を動かしているのだから、その自由に任せ政府は介入しなくて良いと言う立場を取りました。

すると失業率はなんと25%、都心部では50%にも上ってしまった。このままでは国が壊滅してしまうとして、ルーズベルトが大規模公共事業を行い、大幅な財政出動、雇用確保に動き出して米国を持ち直したのです。


人種差別主義者であり日本に戦争をけしかけ、原爆投下の準備をした悪の大統領の行った唯一の良いところです。

彼はそれまでの方針からケインズの唱える統制経済へと舵を切ったのでした。その後、第二次世界大戦で膨大な需要が喚起され雇用は完全雇用、デフレは吹っ飛びました。戦争が終わった頃は空前の好景気です。


なおこの主流派経済学とケインズ経済学はあらゆる点で対極をなす考え方であり、常に論争をしているものです。時の国々やその時代によって変転しながら採用されてきたと言えると思います。
#社会

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「わたしに来る者を」

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「わたしに来る者を」



ホサナ・キリスト教会日曜礼拝のメッセージ・アウトラインです。



「わたしに来る者を」



ヨハネの福音書 6章34~44節



"そこで、彼らはイエスに言った。「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」
イエスは言われた。「わたしがいのちのパンです。わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者はどんなときにも、決して渇くことがありません。
しかし、あなたがたに言ったように、あなたがたはわたしを見たのに信じません。
父がわたしに与えてくださる者はみな、わたしのもとに来ます。そして、わたしのもとに来る者を、わたしは決して外に追い出したりはしません。
わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。
わたしを遣わされた方のみこころは、わたしに与えてくださったすべての者を、わたしが一人も失うことなく、終わりの日によみがえらせることです。
わたしの父のみこころは、子を見て信じる者がみな永遠のいのちを持ち、わたしがその人を終わりの日によみがえらせることなのです。」
ユダヤ人たちは、イエスが「わたしは天から下って来たパンです」と言われたので、イエスについて小声で文句を言い始めた。
彼らは言った。「あれは、ヨセフの子イエスではないか。私たちは父親と母親を知っている。どうして今、『わたしは天から下って来た』と言ったりするのか。」
イエスは彼らに答えられた。「自分たちの間で小声で文句を言うのはやめなさい。
わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、だれもわたしのもとに来ることはできません。わたしはその人を終わりの日によみがえらせます。"



⑴「来る」-その困難さ


①主がチャレンジされている中心点、キリスト教信仰の全てであると言っていい。
主のもとに来ることについて何度も語られている(35、37、44、45、65)。

②信仰の世界でこれほど難しいこともない。
群衆は小舟で湖を渡りイエスを探し出したが。
物理的な距離を縮めたとしてもそれは来たことにはならない。
24-26節。教会堂に来ても、牧師に相談できても、洗礼を受けたとしても、、、、



⑵「来る」-それは「信じる」「食べる」と同義語



①「信じる」ヘブル的並列表記法(35)
食糧経済問題解決のためのメシアを探していた人々にとって「しるし」を見ても見ていない(26)

②「食べる」ヘブル的物理比喩的表記法(50、53、56、57、58)
主の言葉は霊でありいのちである(63)。この言葉に信頼を置くのもには命を支える食物となる。


⑶「来る」-そのカラクリ

父なる神がイエスに与えられたものである
父が引き寄せ(44)、父から聞いて学んだもの(45)、父によらない限り誰もイエスのところには来れない(65)。


②来るものを決して捨てないとのイエスによる永久保存(39)
「ひとりも失うことなく」と強調され、蘇りの日までの保護が保証されている。



(結論)
「来る」とは、簡単でありながら最も難しい信仰の行為である。対面や格式にこだわる者には不可能である。自分自身に確信を置かない者だけ許される特権であり、謙遜な行為である。
#メッセージ

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消費税を10%に増税したらアカン

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消費税を10%に増税したらアカ... 消費税を10%に増税したらアカ...

現行消費税8%の税収は約20兆円です。令和新選組は今回の選挙で8%全額を廃止する公約としていますが、一般国民にはあまりにも強力なカンフル剤となるかもしれません。私は5%減税でも大きな前進であると考えています。
減収の20兆円分をどうやって補填するかは、他からの税収を計るか新規国債発行となります。
この2つの方法はそれぞれ十分な財源となり得る方策であるとの十分な根拠があります。
他のあてにできる税収とは、所得税と法人税です。
現行の所得税法では金融資産からの収入と給与等からの一般収入とを分離して課税していますが、これを一つの所得に統合した総合課税方式にすれば良いのです。これにより高額の金融資産保持者・高所得者に対しての課税を強化することができます。株の配当等の金融資産からの収益に対する税率は、どれだけ儲けても一律の20%です。これを一般収入並みの最高税率45%、地方税率含めたら55%までの課税とすれば良いではないですか。
法人税については零細企業から大企業までの税率が現在はフラットです。これも税率一律の消費税と並んで金持ち優遇の不公平税制ではないですか!ここに累進性を導入するべきです。利益を大きく上げている企業にはそれだけ多くの負担をしていただく。当然のことです。それだけではありません。大企業に対してのみ適用される80を超える税の優遇措置(割引システム)があって大きな課税逃れとなっている現状も是正するべきでしょう。
これらの法人税と所得税を見直すだけで29兆円の税収を見込むことができると試算されています。
日本は20年間デフレが続き実質賃金が下がり続けている唯一の先進国です。このまま消費税を増税したならばもはや先進国とは言えなくなるほどの貧困化が進むのです。今や貧困ラインを超えている人が子供の7人に1人、高齢者の5人に1人、そして20歳から64歳までの女性の3人に1人の割合です。
これらの社会の底辺に住む人からではなく高額所得者からより多くの負担をしていただくのが公平な税制です。
2017年の統計ですが企業がため込んでいる内部留保は446兆円です。金融保険業を加えたベースとなると507兆円を超えて、それは日本の1年分のGDPに匹敵しています。6年間連続で前年度を超える内部留保となり、この年だけで10%の増額、すなわち約50兆円の儲けを企業が貯め込んでいるのです。50兆円とは日本の全税収の金額にも匹敵しています。20兆円の消費税分の代わりに、この50兆円を利用したら良いと言うことです。

それには呼び水が必要です。
国が新規国債を発行して教育や社会保障など、あらゆる伸びしろのある分野に積極的な財政投資を行うのです。それによってデフレが改善したならば企業はこの巨大な内部留保を設備投資や人材確保・開発に投資ようになるでしょう。

#社会

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神様にとって不治の病はない

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1992年、夏季実習伝道として... 1992年、夏季実習伝道として伊東献仁神学生がおいでになられました。松井宅での家庭集会です。 神様にとって不治の病はない



日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。

卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。

そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。

教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。

本の題名は「人生は80歳から始まる」。

確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。

私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。

今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。

まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。

皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。


第25回目は、川崎での多忙な伝道生活がドロシー先生の健康問題を引き起こしたことについてです。米国に帰国中、肺気腫との診断を受けたのです。当時の川崎の空は、酷い公害スモッグで覆われていました。









健康問題に直面して
〜暗い疑いと疑問〜




1963年頃までに私の健康はひどくなって行きました。
高熱と咳が続き、ときには呼吸さえ困難となったのです。

そして遂に働きをそれ以上続けることが困難となったのでした。
医者に診ていただいたのですが、それはただ私をがっかりさせるものとしかならなかったのです。レントゲン写真を撮った後で彼は、「どんな種類のタバコを吸っているのですか」と聞いてきたのです。

横浜の病院へ行った時には、喘息であるとの診断を受けました。そして三週間の安静治療を受けたなら肺は綺麗になると言われましたが、何の効き目もありませんでした。私の症状はさらに悪化していったのでした。

やがて私は、しばらく長期休暇を取るようにとの要請を受け入れざるを得ないところまで来ました。その知らせは米国へも送られたのですが、それが先方に届く前にベイデン教会からファローのために一時帰国するようにとの連絡が届けられました。そこでこれが神様の御旨であると確信したのです。

それでも私の内には多くの疑問が残っていました。

どうして? どうして? どうして?


私は当時三つの高等学校で英語を教えており、そこからの生徒さん達が川崎南部キリスト教会のバイブルクラスに出席してくれていました。ときにはそのクラスが20名以上にもなる時がありました。

そこにはインドやアメリカからもゲストが来られては、ともに楽しんでいたのです。ターバンを頭にかぶったインド人がクラスに来たときには、生徒さんたちは大変喜んでいました。働きが進められ成長しているのを見て、私の心は喜びで溢れていたのです。

どうして私は撤退しなくてはならないのですか?
主は私にその理由を示されませんでしたが、聖書のお言葉をくださいました。

「私のしていることはあなたには今は分からないが、後にはわかるようになる」

お別れとは、大変辛いものです。
しかし三回あったお別れ会の中で、主はそれぞれ異なった三人の人物を通して、この主ご自身のお言葉を私に与えて確信を下さいました。

ヤコブが最も暗黒の中にいた時に、主は彼にお語りになられました。

"「見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」"(創世記 28章15節)

9月4日に出国する予約が取られました。もはや後悔したり心配したりする時間は残されていません。ミッショナリー・チャレンジャーの原稿をもう一本書かねばならないし、ファローのためのペーパーも準備しなくてはなりませんし、不在となる英語クラスのための備えもまた必要でした。

会計や荷造りもせねばなりませんでしたので、残された限られた時間の中でしなくてはならないことが無尽蔵にあるように感じました。

その夏の修養会は、一年間の帰国報告の仕事のためには心を備える特別な時間となりました。
多くの妨げが起こったし、まさに現在は逆風の吹く状態でしたが、神様の御心は誤りなく鮮明です。

五年間不在の後に家族と再会できたことは、言葉にならないほどの真の喜びとなりました。
子供たちの成長のなんと早いことでしょう。

日本へと旅立ったとき、彼らはまだよちよち歩きだったのです。その彼らが一度に私に話しかけて来るのです。私の父のトレーラーハウスに教会や親族たちが集まって盛大な宴会となりました。それはまさに親密な”コミューニオン(聖餐式)”となったのです。


カルチャーショック


突然、私は自国の米国にいながらカルチャーショックに直面しました。

銀行口座の開設方法がわからない。駅改札口での自動販売切符の取り扱いがわからないのです。
運転免許証を得るときには大変な緊張を強いられました。

そんな中で親切にも手助けをしてくれるたくさんの人々に接しました。毎回助けをいただく度に、私が言ったことの定型句はこんなものです。
「五年間も日本にいて最近戻ってきたばかりなんです。アメリカでのあらゆるノーハウについてはすっかり抜け落ちてしまった者ですから」

休んでいる時間はありませんでした。9月19日までのファロー(宣教報告)のスケジュールがきっちりと組まれていて、アメリカ中の西や東へ行ったり来たりすることになっているのです。

家族であるベイデン教会の方々は、セントルイスの駅でまだ眠気まなこだった私を迎えてくれました。そのユニオン・ステイションは今やセントルイスの観光名所となっていて、あらゆるお店やエンターテイメントの集積地となっています。それでも当時電車が通っていた事を忍ばせる面掛けは残されていますが。

ナザレン教団をリタイヤされたコンウエイ牧師とその奥様は、私を彼らの家に迎え入れてくださいました。その家は私の米国滞在期間、第二の実家となりました。
彼はまたキャシューナッツとブラックウオナッツアイスクリームの販売にも長けている才能の持ち主です。彼がどこに行くにしても販売を成功させてしまうのです。

コンウエイ夫人とおしゃべりした地下室に至る階段での時間を決して忘れることはないでしょう。
その対話は何回にも及び、そしてめったなことで邪魔が入らなかったのです。どうして地下室での階段ですかって?

彼女が洗濯の度に階段を降りてくると、私は何か理由を見つけては会いに行き、話に誘い込んだからです。

長い結婚生活の後になってからこの二人は深い相思相愛の仲となったようです。
セントルイス市内を運転するときにも彼らは手をつないでいるのです。言うまでもなくそれは危険な行為のはずですが、主はそれを認めて彼らをお守りくださいました。

チャーチオブゴッド教団はサイズとしては小さくなりつつあり、メンバーも少なくなっているようでしたが、暖かい雰囲気とスイートな交友は私がどこに行っても保たれていました。
激しい嵐に見舞われ去って行かれた方々の中には、私と親しくしていた幾人かもおられます。それにも関わらず残された彼らは忍耐を保持して教会を守り続けています。



神様にとって癒されない病はない



熱心なクリスチャンの友人らは、私が家にいても海外にいてもこの12月までに私が癒されるようにと熱心に祈り続けてくれたのですが、どうも私の体はこれ以上働きを続けられそうにはなかったのです。

セントルイスにあるバーネス病院での専門医との面接では、私がとても深刻な状態にあることが伝えられました。公害の煙や灰、その化学物質を吸い込んだことからくる肺のダメージが深く、おそらくそれが恒久的に残るとのことです。

もし日本に戻るとすると、長生きできたとしても55歳になる頃には車椅子生活を余儀なくされるとまで告げられました。私は当時、不治の病であった肺気腫であると診断されたのです。

当時はまだその病のためのどんな治療方法も薬もありませんでした。
その専門医は私に再び日本へは戻らないようにとアドバイスをしてくれた上で、肺に積もっているゴミを除去するための薬や、ひどい症状を和らげるためにと睡眠剤を処方してくれました。

やがてその全ての薬を完済した後、再びそれが投薬される事はありませんでした。
「なぜそんなものに頼っているのか」と私は考えたのです。

創世記28章15節の神のお約束がなかったならば、私は暗い失意の中に沈み込んでいたことでしょう。翌朝早く私は起き出して、その件について主に祈りを捧げました。

しかし神様にとって、思い出さねばならない事はないと示されたのです。
神様は私を忘れてしまっているわけではありません。

そのお約束のお言葉は私に働いて、今一度、私は自分自身を神に捧げ、たとい人生が短くなったとしても日本で仕える決心に至ったのでした。

"見よ。わたしはあなたとともにいて、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ帰る。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」"
(創世記 28章15節)

#ドロシー師

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消費税を撤廃し法人税を上げるべき日本

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消費税を撤廃し法人税を上げるべ... 消費税を撤廃し法人税を上げるべ... 消費税を撤廃し法人税を上げるべ...


日本の消費税と法人税

消費税が1989年に導入されて以来、法人税は下がり続けています。

89年に法人税収入は19兆円でしたが、現在では10兆円ほどで、9兆円もダウンしています。
現在の法人税税率は23.2%ですが、これは名目に過ぎず実質はその半分ほどに抑えられています。なぜなら抜け道があるからです。
その抜け道は大企業ほどに有利で、なんと数%しか負担していない大企業もあるのです。例えば研究開発費とか、子会社への支払いとか言う項目があると税負担に圧倒的に有利となります。
このためトヨタでは2008年から5年間、法人税負担がゼロでした。

年ごとに実質の法人税率が下がっています。

13年の実質法人税率 14.4%
15年の実質法人税率 13.3%
17年の実質法人税率 12.5%

このように大企業に甘い税制となっているため、バブル期以上の空前の大儲けをしています。でもそれが人件費や設備投資に回らずに内部留保に勤しみ、今や年間50兆円の「どうしたら良いか分からずにとりあえずため込んでおく」金額。
消費税収入分の20兆円分はここからひねり出せるでしょう。

累進性のない一律税率の消費税は、お金持ちに優しく一般大衆には厳しいものです。お金持ちは買い物する際、3%だろうが10%だろうが消費税分は気になりません。我々一般庶民には大打撃です。
ある試算によると、消費税が10%となった場合、一般家庭の家計のまるまる1ヵ月分の収入がその消費税分として差し引かれることになるのです。

消費税を撤廃して日本を再生させよう。
#社会

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それでも走った

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それでも走った それでも走った それでも走った


今回はオークランド空港で「走れメロス」を演じてしまった。

保安検査場を通りぬけて電子掲示板を見るとシアトル行きのフライトが遅延。14番搭乗口とある。

余裕で夕食を済ませて搭乗を待っていると、やはりいつもと様子が違う。

そもそもこれまで14番搭乗口と言う低番号へは行ったことがない。
しかもサウスウェストの特徴である30番ごとに列を作る搭乗用モニターがない。そこにはアラスカエアラインのサインがドーンとある。

きっと共同運行なのだろう、なんて考えていた。
遅延ゆえに乗り場もフライトも特別か?

念の為近くを通りかかったパイロットに聞いてみると
「ここはアラスカの乗り場」だと言い張る。

この時からパニックとなり、電子掲示板を覗き込んでみると、同じ7時台に二つのシアトル行きフライトがあったのだった!

サウスウエストは30番搭乗口。

搭乗開始が7時0分、離陸が7時30分。時に7時18分となっていた。
そこから猛ダッシュ。

「もしかすると間に合うかもしれない」

“間に合わなければ近所のホテルに一泊し、朝イチのフライトで帰ったとして午前中の礼拝時間に間に合うのか?”

“明日はシアトルのある日本人教会に呼ばれている。
もしフライトが間に合わないなら、ウーバーでこれからシアトルまで帰るか?料金は千ドルを超えるか?”

“レンタカーで帰れば安上がりだけど、13時間の走行時間以外に睡眠時間は数時間しか採れず、体調管理に自信が持てない。
こんなことで説教をキャンセルするわけには行かないしー”

こんなことが頭に通いながらとにかく走り続けた。

14番から30番への搭乗口は、ターミナルの最奥地から反対側の最奥地まで。ゆうに1キロはあったと思う。途中、息が切れてきた。

それでも走り続けた。数秒差で搭乗口ゲートが閉まってしまうこともある。

日頃ののジョギングやウォーキングはこの時のための準備だったんだ!
30番ゲートに着いてみると、まだ先頭の行列が待機していて搭乗が始まっていない。ここでも遅延となっていた。

助かった!

#旅行

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「小さな侍」との出会い

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「小さな侍」ことSamel S... 「小さな侍」ことSamel Shelhorn サムエル君と一緒のシェルホン先... サムエル君と一緒のシェルホン先生 結婚当初のサムエルご夫妻 結婚当初のサムエルご夫妻 お孫さんと一緒(もしかしたら子... お孫さんと一緒(もしかしたら子供さん?) 「小さな侍」との出会い





日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。

卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。

そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。

教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。

本の題名は「人生は80歳から始まる」。

確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。

私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。

今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。

まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。

皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。


第22回目は「小さな侍」であるShelhorn先生のご子息、Samel Shelhornくんと仲良しになった甘美な日々についてです。







小さな侍と共に成長して



サムエル・シェルホン君は可愛らしい赤ちゃんですが、彼の誕生は両親だけでなく私の毎日も明るいものにしてくれました。みんな彼のことが好きになりましたが、彼もまた大きくなるにつれて愛することや、私たちの中の若きからお年寄りまで、全ての人と付き合うことを学んで行きました。

私もまたこの社会では初心者でしたので、私たちはともに成長したと言って良いと思います。
一緒に皿洗いをしたり、遊んだり、彼が大きくなるまでレスリングもしました。

彼は私が壊れたおもちゃを直せるはずだと信じて疑わなかったのです。ある時彼が壊れたおもちゃを持ってきて言いました。「ドロシーおばさん、これを直してくれる?」
彼は私がメカニックでないことを私の表情からたちまちにして悟り、それを直ぐに引っ込めたのです。

彼のお父さんが説教をし、お母さんが通訳をしているとき、私たちは共に座ったものです。ある時、私たちはささやきあってしまったのでしたが、その後、最前列のベンチに座るようにと言われてしまいました。そのささやきとは、とっても短い時間だったのです。

ただSamちゃんはおかしな顔を作って、「ドロシーおばさん、これできる?」と私に聞いただけの事なのでしたが。
「もちろんできませんよ。特に教会の中では」と私は答えていました。

葉山修養会での彼とのボール遊びでは、窓ガラスを割ってしまいました。私たちは修理代を分担し合ったのでした。

また、Samちゃんの哲学はたいしたものでした。
彼が出席していた幼稚園は横浜にありました。時々私はそこまで行って彼と会い、一緒に横浜の本町を通って帰ってきたものです。その本町にはホットドッグとアイスクリーム売店がありました。

夏になると彼はホットドッグを注文し、冬ではアイスクリームを注文していました。それはほんとに納得出来るものです。彼は長蛇の列には並びたくはなかったからです。

子供の国での一日は忘れられないものとなりました。そこでは「してはならない」ことから全く自由となれた日だったのです。乗り物は乗り放題、芝生の上を歩いても許され、プールでも遊び 、木にも登ったり、そして丘を駆けて登ったり降りたりもしました。
それはとても楽しい一日となったのです。自由に遊んだその日、すべてのエネルギーを出し切った彼は疲れ切っていました。

私たちが外食するのはめったにないことです。
私自身は公の場所で何か注目を浴びてしまうかのような取り柄のない人間です。

あるレストランでのことですが、私は自分の氷水の入ったグラスをこぼしてしまい、サムちゃんを大変喜ばせることとなったのです。
彼は「ドロシーおばさんが、氷水をこぼしたよ!」と、とってもはっきりと大きな声でアナウンスしてくれたものですから、ウェイターさんだけでなくそこにいた全てのお客さんの注意を引きつけてくれました。

そのウエイターは特に面白がって、「普通は小さな子供の方がこんなことするんだけどねぇ」なんて言ってくれたりしたものです。

Samちゃんは大きくなった時、家から離れることになりました。高校を卒業した後、彼にあるアメリカ人としての資質が彼をアメリカに行くようにと呼んだのでしょう。そこで彼は落ち着き、結婚して子供も与えられ、堅固なクリスチャン・ホームを築いて行きました。




繰り返されるクリスマス集会




クリスマスと新年期は、実に栄光に富んだ時期です。

私たちはクリスマス祝会を何度も多くこなしました。教会だけではなくて各日曜学校支部や家庭集会などです。

ホームシックにかかる暇なんてありません。もっとも聖書学院の神学生たちといった拡大された家族も与えられている私が、どうしてそんなことを感じるでしょうか。
そこには七面鳥とそれに付随する料理はありませんでしたが、私たちには溢れるばかりのご馳走と多くの楽しみとがありました。

お正月のご馳走には一つを除いて何も問題はありませんでした。
その一つとは、お餅のことです。私はその餅つきの現場にお招きいただいたことがありました。

ツキタテの熱くて柔らかいお餅は、醤油やきなこをまぶして食べるのが大変良く合います。
私は五つもお餅をいただいたのですが、一つの切り餅サイズがお茶碗いっぱい分のご飯の量に相当するだなんてその時知らなかったのです。
お餅は体全体を温めてくれるし、その後は何食も要らないぐらいに感じるほど腹持ちが良いものです。

私は多くの男子生徒を多摩高等学校で教えました。
そして長い期間を経てついに、英語を熱心に学ぼうとしているとても将来が楽しみな幾人かの女子学生が与えられました。彼女らには英語を聖書から、そして音楽を賛美歌から教えました。

私はそれまでに私と共に働いてくれる助手となる女子生徒を探していました。でもそれは叶えられない高望みだったようです。それにもかかわらず、私がこれらの若い生徒さん方と過ごした多くの時間は決して無駄とはならないでしょう。

日本に来るずっと前から、私は田舎で働くことを望んでいました。
私の最初の“宣教旅行”は、ただ私が無能であることを思い知らされたものとなったことは、先にお話しした通りです。
やがて将来のいつか、主のために働くため再び長野県に帰ることが私には許されるのでしょうか?


#ドロシー師

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盛んであった日曜学校の働き

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川崎での任命式。 錦教会へドロ... 川崎での任命式。
錦教会へドロシー先生と共に任命を頂いた瞬間でした。



日本で40年間以上宣教師として尊い御用をされたドロシー・ラバツウ先生の回想録です。

私が聖書学院を卒業したのが23歳の時。

卒業と同時に遣わされた最初の任命地が三重県大台町にある錦キリスト教会でした。

そこで一人で伝道されていらっしゃっるのが教団最高齢の73歳になっていらっしゃったドロシー先生でした。

教団最若輩だった私はそこで7年間働きましたので、ドロシー先生が80歳になるまで共に生活し伝道したことになります。

本の題名は「人生は80歳から始まる」。

確かに年齢を感じさせないバイタリティー溢れる体力と気力とに満ちておられた先生でした。

私との共同牧会伝道期間は助走期間に過ぎず、その後から先生の本格的な宣教師人生が始まったのですね。

今回初めてこの回想録を手にすることが出来て、ドロシー先生という稀有な宣教師を生み出したその背景を垣間見ることが出来たのは実に祝福となりました。

まるで宝物を探し当てたように興奮しながら原書のページをめくっています。

皆様にもその全てでは無いですが、ハイライトと思えるところを紹介します。


第21回目は川崎から近隣へ広がっていった日曜学校の働きの様子です。





「人の歩みは主によって確かにものとされる」


八ヶ月の集中した語学学習の後、私の忠実な教師であり友人でもあるその方は、彼自身の夢を果たすために米国での勉学へと旅立っていきました。おそらく私が彼に負うところは大きすぎたようです。彼が残した大きな穴は、私のスケジュールに空いた空白だけでなかった事は確かです。

しかし主は、私の時間と私の生活に他の多くの若い方々を満たしてくださいました。
私は多摩高等学校の英会話クラブで教えてくれないか、とのお招きをいただきました。生徒達が私から学ぶようになると、彼らは私のアパートにも来るようになりました。

最初の土曜日には10人の学生がやってきました。私は今後の可能性に喜びと、将来どこまで発展していくかとの高い希望にあふれたものです。古津波伴也(ともや)さんと最初にお会いしたのもそのところでした。

その後、伴也さんとは私たちだけでしばしば会うこととなりました。
東三輪での新しい日曜学校が始められたのもその頃のことでした。

最初の日曜日には80名ほどの子供さん達がやってこられました。二回目の日曜日には100名を超えたのです。その後人数は少しずつ減っていったようですが、私はどこであったとしても、またどんな方法であったとしてもお手伝いできることが光栄でなりませんでした。

私たちの働きは無駄にはなりません。その働きから人生のすべてをフルタイムで主に捧げる女性が与えられました。やがて彼女は私と共に日本において共に働くこととなったのです。

確かに神様の道は、私たちのそれよりも高いものです。




コーマンさんの献身の詩



“刈り取り機が一斉に進んで行くかのような大収穫を私に期待しないでください。
そこには刈り取られた黄金の麦の太い束が転がっていることでしょう。
しかし私ができることは、私の最も愛する主の損なわれたお顔を見ながら、
収穫の主の側にあって付き従うことです。
私の歩くその所には熟れた実が用意され、私はただそれを喜びつつ、かがんで集めるのです。
私には主がその実をどこに用意されていらっしゃるのか、知ることは出来ません。
ただ主は、私に両手いっぱいの実を残していて下さっています”
(Harvest Secrets<収穫の秘密>. by Mrs. C.E. Cowman



貧しい者は幸いです。


貧しい者は金庫に鍵をかけて保管しておく良いものを持ってはいません。
市場のインフレによって影響される株式や債券もなければ、身代金のために誘拐されるような危険にさらされる現金も持ち合わせてはいません。

貧しい者は幸いです。
特に神様に信頼を置いて、宝を天に投資しているものは幸いです。

私は自分の日本語の上達に少しも満足できませんでしたし、主を証しして来た努力にも満足していませんし、さらに私が召されている働きの結果についても決して満足は出来ませんでした。
私はとても忙しくしていたのですが、私の達成したどんなものにも満足することはありません。






#ドロシー師

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