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「しっかりとした希望を」

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「しっかりとした希望を」
 

ホサナキリスト教会・日曜礼拝のメッセージアウトラインです。
 
 

「しっかりとした希望を」
 
 
ヘブル人への手紙 10章10~23節
 
 
"このみこころにしたがって、イエス・キリストのからだが、ただ一度だけ献げられたことにより、私たちは聖なるものとされています。
さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、同じいけにえを繰り返し献げても、それらは決して罪を除き去ることができませんが、
キリストは、罪のために一つのいけにえを献げた後、永遠に神の右の座に着き、
あとは、敵がご自分の足台とされるのを待っておられます。
なぜなら、キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。
聖霊もまた、私たちに証ししておられます。というのも、
「これらの日の後に、わたしが彼らと結ぶ契約はこうである。──主のことば──わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、彼らの思いにこれを書き記す」と言った後で、
「わたしは、もはや彼らの罪と不法を思い起こさない」と言われるからです。
罪と不法が赦されるところでは、もう罪のきよめのささげ物はいりません。
こういうわけで、兄弟たち。私たちはイエスの血によって大胆に聖所に入ることができます。
イエスはご自分の肉体という垂れ幕を通して、私たちのために、この新しい生ける道を開いてくださいました。
また私たちには、神の家を治める、この偉大な祭司がおられるのですから、
心に血が振りかけられて、邪悪な良心をきよめられ、からだをきよい水で洗われ、全き信仰をもって真心から神に近づこうではありませんか。
約束してくださった方は真実な方ですから、私たちは動揺しないで、しっかりと希望を告白し続け
ようではありませんか。"
 
 
 
(1) 良心があるゆえの痛み
 
 
① 過去の過失や無作為の咎めに苦しんだり、真実に人を愛せない自分に悩む私たち
 「神のかたち」に造られた存在ゆえに。動物にはない特質。
 
②罪のためのいけにえも繰り返されてきた 
 毎日、それに年毎に。それでもなお、罪を取り除くことはできない
 

 
(2)  一度だけ捧げられたもの
 
 
①神が用意された捧げものは主イエスの肉体だった
 毎回繰り返される捧げものに対して、歴史上一度だけで完結する
 
②これがどれほど完全な捧げものであるか
 「私たちは聖なるものとされています」(10) :  完了形
 「永遠に完成されたからです」(14) : 完了形
 「キリストは聖なるものとされる人々を」(14) : 現在分詞形
 
 
(3)  まことの聖所に入って
 
 
① 主イエスの裂かれた肉体故に、真の至聖所に導き入れられる
 「しかし、イエスは再び大声で叫んで霊を渡された。
 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真っ二つに裂けた。地が揺れ動き、岩が裂けた」
  (マタイの福音書 27章50~51節)
 
②この心にも、主イエスはご自身の血潮を注いでくださる
 ゆるしを、いやしを、きよめを戴こう
 
   
(結論)  
 
 
「見よや十字架、ハレルヤ、ハレルヤ
常に 立てりハレルヤ ハレルヤ
よみの風は 吹きあるれど
揺るぎもせで 十字架は立てり 」
 
悪夢にうなされる暗い夜があったなら、そこにも立つ十字架を見上げよう。
力ある主イエスの血を受けよう
#メッセージ

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