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79年前の昨日は、時のルーズベルト大統領による大統領令が発令された日でした。
これによって米国西海岸に住む全ての日本人、日本人を先祖に持つ日系人は、数週間のうちにすべての財産を処分した後、収容キャンプに強制移住させられたのでした。
時に世界大戦の最中。
日本軍によるパールハーバー攻撃はその数ヶ月前の事でした。
所有している家も、車も、土地も、畑も、あらゆる財産を処分して、手に持てるものだけを所持することが許されての強制収容です。120,000人の日本・日系人が突然、それまでの生活を放棄せざるを得なくなりました。
それは米国に滞在する交戦国のドイツ人やイタリア人になかった扱いであり、明らかに人種差別からの偏見によるものです。
ルーズベルト大統領自身は明らかな人種差別主義者であり、日本と自国を欺いて開戦へと策を練った策士であることには間違いありませんが、ときの大多数の米国民も同調したことを忘れてはなりません。
「自由」「平等」「博愛」といった高尚な普遍的価値観も、戦時下の非常事態にあっては影を潜めてしまい、人々からの公正な判断力を奪ってしまうもののようです。
1988年にレーガン大統領による収容された日本人日系人に対する補償が実現し、1993年にはクリントン大統領が公式に米国として謝罪しました。
「二度とないように」
自由と人権擁護を最大の遺産としている米国が、この日に思い出さなくてはならないスローガンです。
Seventy-nine years ago yesterday was the day that President Roosevelt issued his Executive Order.
In a matter of weeks, all Japanese and people of Japanese ancestry living on the West Coast of the United States were forced to dispose of all their property and move to internment camps.
It was the middle of a world war.
The Japanese attack on Pearl Harbor was just months away.
120,000 Japanese and Nikkei were suddenly forced to abandon their former lives.
They were forced to give up their lives, a treatment that did not exist for belligerent Germans and Italians living in the U.S., and was clearly the result of racist prejudice.
President Roosevelt himself was clearly a racist and a scheming man who deceived Japan and his own country into starting the war, but we must not forget that the majority of the American people at the time agreed with him.
It seems that even lofty universal values such as "freedom," "equality," and "benevolence" are overshadowed in wartime emergencies and deprive people of fair judgment.
In 1988, President Reagan compensated the Japanese Americans who were incarcerated, and in 1993, President Clinton officially apologized to the Japanese.
“May it never happen again.”
It is a slogan that the United States, whose greatest legacy is the protection of freedom and human rights, needs to be reminded of on this day.
「年に1ギルダー(70円)ほどです。借地料として政府に納めています」
司馬遼太郎が1989年にオランダ•ライデンを訪問し、そこにある日本人小学校の校舎使用料について聞いたときの返答。
時に日本はバブルの真っ只中で、土地ころがしの狂騒が日本中に沸いていた頃。
当時65歳だった司馬さんは、その旅でヨーロッパ観が修正されたと言う。さらに、
「文明とは人が心地よく日々を生活でき、社会から受ける害が少ないほどに生活できるシステムのこと。そういう意味で日本は未だ未だだと思う」と書いている。
江戸の200年間を通じ長崎の出島でオランダから世界の文明を学んだ我々であるが、今なお学ぶべきことがありそう。
シルクロードを通って 中国に入ったキリスト教は景教と呼ばれています。
イスラエルで産まれた福音は西へ回るとギリシア語ラテン語圏の東方教会と西方(ローマカトリック)教会を形成します。
東方のシリア語圏にも宣教師は活躍しています。
それがペルシアを通じて唐へと入り、その長安には638年大秦会堂が建立、781年景教碑が建立しました。
日本では奈良の都が長安に似せて造営され天平文化が花開いていた頃です。日本初の本格的な都・平城京造営に景教信徒と目されている渡来人の秦氏が貢献しています。
また秦氏は養蚕を大陸から紹介して日本に根付かせた絹織物業の元祖とも目されています。
.......こういった史実は試験や知識蓄積目的でなく、何とは無しにロマンを感じ、そのロマンにつき動かせれるようにして研究したいと衝動を受けるのは私だけではないと思います。
島国の住民として大陸からどうやって普遍的な文明を受容して消化していくかは、その住民の本領に迫る営みに思うのです。
大東亜戦争後70年以上経過しているのに未だにその影響下から抜け出せないでいる東アジアに位置している祖国の日本。
1000年たっても隣国のその恨みは消えることがないそうです。
そして私たち日本人もどれだけひどいことをアジア諸国の方々にしてきたのかを学校教育で教えられて来ました。
A新聞をはじめいわゆる自虐史観を私たちに植え付ける報道機関も健在してます。
それは国民の大多数がそのような報道や情報をすんなりと受け入れてしまう素地があるからといえます。
戦後GHQよるWAR FALT INFORMATIONのせいだとか,
その理由を多くあげることもできるでしょう。
最近あるところからの情報番組で深く納得する理由を得ました。
我々日本人が自虐史観から抜け出せない最大理由は、
初めて負けた戦争であったからと言うもの。
太古から国のピンチに陥ったことが数度ありますが、その都度切り抜けてきた私たち。
先の大戦では完膚なきまでに叩きのめされた。
その時に降伏するとはどういうことか。
敵の占領を受け入れるとはどういうことか。
そこから復興するとはどういうことか。
確固たるものがわからなかったんです。
GHQのするまま委ねるほかなかったのです。
この点ドイツは近隣諸国との戦いで勝ち負けを繰り返し負け方にも慣れていた。
やばいことをすべてナチスのせいにした上で新たな国民国家を再建することは容易かったのです。
冒頭で戦後70年以上も経ったと書きましたがまだ70数年しか経っていない。
私たちが負け方を咀嚼して立ち上がるにはまだ年月が必要のようで
聖徳太子による17条憲法
関心がある条項を勝手ながら拾い上げて説明を試みました。
第一条 「以和為貴」〜和をもって貴しと為す
これは大変に有名な条項で17条憲法の代名詞とも言われるもの。
しかし付和雷同を勧めているものではなく各人が己の見識を持った上で議論しあいその上で調和を見出せとの趣旨であることが以後の条項からわかること。
第四条「以禮為本」〜敬うことを根本とせよ
「禮」は今日では略式に「礼」の字が使われている。
儒教からの格式を示せと言うのではなく「相互尊重の精神を保て」という大和言葉の「敬う」がこの漢字に当てられた訓読みからわかる。
第九条 「信是義本」〜まことはことわりのもと
大和言葉で「信」はまこと。「義」はことわり。
自らにウソ偽りなく誠実な姿勢(まこと)が物事を理解し運営する(ことわり)の基本となる。
第一七条 「不可独断」〜独断独裁があってはならない。
「逮論大事 若疑有失」〜大事な論に及びては過ちあることを疑え
人は先入観や偏見で意見を持ちやすいため他人の考えも取り入れて独断を排さなくてはならない。その昔ユダヤの最高議会・サンヘドリンでは全会一致決議はその背後に陰謀結託があったはずとして無効となる決まりがあった。ときに主イエスの十字架死刑判決は全会一致であり無効裁判とされねばならないものだった。
こうしてみると17条憲法は現在にも充分通じるものであり、日本は古代から品格の高い国作りを心がけていたと言えるようです。
制度疲労を起こし現実とはかけ離れている現日本国憲法よりも実際的でわかりやすい。
大河史上初の試み。
先週日曜の大河ドラマ西郷どんは通常のドラマでなくスペシャルとして俳優2人の対談番組となりました。
これまでのドラマの流れがぷっつり切れてしまうようで多くのファンにとってはむしろ興ざめだったのではないかと訝ってしまいます。
NHKがそんな賭けに出たのは低迷する視聴率を盛り返したいとの意図があったとか。
初回放映だったかなぁ、史上2番目の最低視聴率を記録したとか。。。。
雄大な薩摩の自然と迫りくる欧米植民地化の時代の波、、
そんな中、下級武士の家に育った西郷が自らの特質だけを武器に泳ぎ出すドラマは見応えがあって毎回見入ってしまうんです。
その特質は斉彬との出会いによってさらに育まれ、
やがて座右の銘として言語化するものと理解しています。
「敬天愛人」
長崎に来た米国人宣教師フルベッキを通じて聖書の教えに触れ
やがて自らも聖書を教える程に親しんだ記録はあまり知られていません。
斉彬と西郷の師弟関係もさることながら、
渡辺さんと鈴木さんの2人の友情と信頼関係もまたドラマを生き生きと作っていることが窺われました。
さて今晩も見ちゃおう。
秀吉の帝王学
秀吉が甥の秀次に関白職を譲る際、
支配者の心がけについてじゅんじゅんとその理を解いている。
新関白となる秀次に与えた教訓は
次のようなものであった
⑴ 家臣に対しては柔和、愛情、憐憫を持って臨むよう心がけよ。
⑵人を遇するにあたっては、
真実と誠意をもってし、
己に対しては実直、精錬、潔白を目指すべき。
⑶職務の重大さと権威に鑑み
円熟さと威厳を保つべき身の面目を損なうような
軽率を戒むべきこと。
⑷武芸に励み、かる精通し
一旦緩急あれば勇猛果敢な大将として臨み
勇気あり大胆な戦士として畏敬されるように心がけよ。
秀吉さん、
まさに第一級の帝王学を甥っ子に伝授しているといえます。
このような立派な教訓を甥っ子に与えて後
次のような忠告を付け加えています。
予には汝が真似てはならぬことがある。
予にははいくつかの悪癖があり、
その1つは一種の軽率さであり
予自らそれを感じている。
その二は予が遊楽のために多数の女たちを囲っていることである。
これは関白と言う高い位にあるものとしてはふさわしくないことである」
あーら、秀吉さん
この時には自らのことを正確に把握していたようです。
己自身を知るという事はなかなか人にはできないのです。
王様は裸になりやすい。
ところがこの時の秀吉はそのような軽率で
しかも女性には良いことなどの自らの弱点を冷静に分析し
後継者に見本とするのと忠告しているんです。
このときの秀吉は賢かった。
この後すぐに、老人性痴呆症が進んだためか
その自らを失うことになる。
つまり自らが考えている事
してることが何が何だか分からなくなってきている。
朝鮮出兵などはその最たるもの。
どれほど日本人が、朝鮮人、中国人が辛苦を舐めて来たか。
朝鮮に出兵した約15万の武士の内、
生きて日本の土を踏むことなく
彼の地に死んだ兵士達は5万人とされる。
一己の老人の妄想が行き着いた出費にしては大きすぎる。
マルチンルターがヴッテンベルク城教会に95箇条の質問状を掲示してから500年。
ローマカトリック教会のヨーロッパ支配に楔を打ち込む事となりました。
ただしルター自身にはそのようなつもりは全くなく、新しく台頭してきた時代勢力が彼をして革命の旗手に仕立て上げたのでしたが。
それから17年、イエズス会が誕生しました。
いわばローマカトリックのプロテスタントに対する反宗教改革と言う流れの中での結成です。
ローマ教皇権力を世界に広めるために世界宣教が行われたとの解釈があります。
同時代に日本にやってきたフランシスコザビエルの働きも、日本を政治的に支配しようとするヨーロッパ勢力の先兵となったという見方です。
私は当時のポルトガルやスペインの宣教師たちをそのような野望と営利目的でやってきた輩とは見ていません。
十人十色ですので中にはそのような特徴を持った宣教師もいたでしょうが。
どんな情報も鵜呑みにせず、1つの情報・見解・解釈として学んでいきましょう。
シアトルダウンタウンにあるJackson通りへ行ってきました。
ここは戦前、日本人街のあった場所で今でも当時のホテルや銭湯の名残が残っています。
もっとも名残だけであって、現在は日本人は住んでいません。
それでもジャクソン通の名前を日本語にして表示しているあたり、なかなか米国は親切ですね。
少々小さくて見にくいのですが写真にある電柱の標識名を見るとジャクソン通りに交差している通り道が中国名だったりしてるのも面白いです。
現在ではほとんど中国の波に飲まれてしまった街と言えます。
そして最も開発から取り残された界隈とも言えます。
写真に見られるような老朽化した古い建物があちこちに見られ、
治安も良いとは言えません。
それでもこの通りに私の友人が店を出して、これから街の再開発に貢献しようと言う意気込みでビジネスを立ち上げました。
勢いに乗っている30代の3人組。
人種も白人やアジア人またそのミックスと、いろいろなのですが1つとなって協力しあっている姿にはとても感銘を受けました。
この辺のセンスはシアトルならではというものでしょうね。
いや〜西海岸ならではというところかな。
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