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共に集まる Gathering together

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共に集まる Gathering...
2021年2月7日日曜日礼拝



クリスチャンほど、共に集まることを大切にする人たちはいないと思います。今日は、教会の交わりについてお話ししたいと思います。
私がクリスチャンになりたてのころ、とにかく、教会に来たくて仕方がありませんでした。ほぼ毎日のように教会に来ていたと思います。周りにクリスチャンがいなかったということもあって、教会というのは特別の場所であり、いこいと養いの場でありました。
初めて宣教旅行に参加し、海外でクリスチャンに出会った時、心が躍りました。喜びでいっぱいになりました。教会では、教会員同士、神の子ども同士ということで、兄弟姉妹と互いに呼びあいますが、初めてあう人種の違う相手を心から自分の姉妹、兄弟と呼べる妙な感覚で包まれました。
また、初めて大きな聖会、クルセードのようなものに言った時、圧巻でした。何千人もの人と同時に声を合わせて神を賛美し礼拝する時に、喜びが爆発的に沸きあがりました。まるで、天国の前味のようでした。

●共同体を重んずる神
私達の神は、私達一人一人に目をとめられる神ですが、また共同体の上に恵みを注ぐ神でもあられます。それは、ご自身が、三位一体の共同体であり、私たちは対人関係でのみ、愛を体験し、また愛を実践することが出来るように造られているからです。
聖書の中に、次のような言葉があります。
マタイ18:20 ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」20 For where two or three are gathered together in My name, I am there in the midst of them.”

キリスト者の集まるところに、それがたとえ二人、三人のような少ない人数でも、そこにイエス・キリストの臨在があふれるのです。そこに、神が共におられるという喜びがあるのです。
コロナ禍でネット配信で礼拝することが普通になっています。もう一年です。しかし、ズームなどでお顔を見ながら互いに話しが出来ることの恵みを大いに感じました。
私のシェルターでは、大勢集まるときはズームですが、最近毎朝スタッフがひとところに集まってお祈りをすることを始めました。ズームで祈るのと変わらないのではないかとはじめは思っていましたが。違うのです。神様の臨在が溢れてい、霊が励まされ、謙遜にさせられます。誰かの内に働いているイエス様が私にも働いて下さるのを感じます。

★なぜ集まるのか
ヘブル10:25
ある人々のように、いっしょに集まることをやめたりしないで、かえって励まし合い、かの日が近づいているのを見て、ますますそうしようではありませんか。 not forsaking the assembling of ourselves together, as is the manner of some, but exhorting one another, and so much the more as you see the Day approaching.

では、私たちが集まって交わりを持つことは、どのような意味があり、大切さがあるのでしょうか。

●愛するため
パウロは世が暗くなるにつれ、人は愛さなくなるとテモテへの手紙で警告をしています。私たちはこれを注意深く聞きたいと思います。自分にのみ関心を置かざるを得ないパンデミックということを通ったあと、これが癖になってはいけないと思います。
私達は愛していないなら、その人に会いたくないのです。どうしているか知りたくないのです。愛が冷えると、家庭の中でさえ一緒に過ごす時間が減ってしまうのではないでしょうか。
私は、極端に引っ込み思案の人や、人に傷つけられている人で人の集まるところには出かけたくないという人にもよく会います。しかし、私たちは人を通して癒しを受けるのです。またコミュニティにいることから傷の癒しの完成を体験します。今日、これを聞いている人で、自分なんかが教会に行かなくても誰も寂しくないと思っている方、また人に躓いて教会に行くのが怖いと思っている方、どうか神様の助けが与えれますように。どうぞ教会に足を運んでみてください。神様の豊かな守りと導きがありますように。お祈りします。

●あなたの幸せのため
私達、人間にとって、コミュニティに属するということと、その共同体に貢献するということは健康上に大きな意味があります。私は家族の一員であり、私が何が出来るからではなく、私が私であるから属しているという感覚は、人の心にはなくてはならない感覚です。私たちは、キリストが代価を払って買い取られた者たちであり、天の父に養子縁組された者です。あなたはキリストによって、神の家族の一員です。あなたでいいのです。あなたがいいのです。また、人は社会、共同体に貢献しているときに脳内から幸せを感じるホルモンが出ます。またお祈りをしたり、神様に繋がっている時にも出ます。教会に集まりあなたでいること、それから神やコミュニティのために奉仕することはあなたの幸福感と癒しに繋がります。

●励ましのため
かえって励まし合いとありますが、励ますという言葉は、parakaleō バラクレイオーが使われています。すなわち、聖霊様をあらわす、バラクレートスから来ている言葉です。パラ共に、寄り添う形で、共に誰かといる、支える、助けるということです。私達にはそのような助けが必要です。聖霊様ももちろん助けてくださいますが、教会に属している私たちは、一人一人誰かを励ますように召されているのではないでしようか。
みなさん、順境の時は、私たちは一人でも楽しく信仰を保つことが出来ます。けれども、試練の時、逆境の時、私たちは、励ましが無くては、太刀打ちできません。私たちは、一人よりも複数でいた方が困難に立ち向かえるのです。
その励ましは、教えと矯正も含まれています。私たちは教会の集まりを通して知恵を得ることも多いのです。
次の聖書の箇所を読みましょう。

1テサロニケ5:14
14兄弟たち。あなたがたに勧告します。気ままな者を戒め、小心な者を励まし、弱い者を助け、すべての人に対して寛容でありなさい。14 Now we exhort you, brethren, warn those who are unruly, comfort the fainthearted, uphold the weak, be patient with all.

●祈りの奉仕のため
マタイ18:18-19
まことに、あなたがたに告げます。何でもあなたがたが地上でつなぐなら、それは天においてもつながれており、あなたがたが地上で解くなら、それは天においても解かれているのです。まことに、あなたがたにもう一度告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。 “Assuredly, I say to you, whatever you bind on earth will be bound in heaven, and whatever you loose on earth will be loosed in heaven. 19 “Again I say to you that if two of you agree on earth concerning anything that they ask, it will be done for them by My Father in heaven.

私たちが集って共に集まり祈ることは、天においても地においても非常に力があるのです。天の父なる神様はそれをかなえてくださいます。とあります。私たちは、集まって祈ることをやめてはいけません。これが、私たちの大切な奉仕です。木曜日の祈りは本当によく神様に聞かれます。木曜日のみなさんの祈りでとても励まされています。
私たちが肉体において共に集まり、交わりを持ち、互いに励ましあい、訓戒しあい成長を助け、たましいにおいても一つとなり、そして、共に祈り、天を地上に解き放ち、霊的にも一つになること、このように、霊、肉、たましい、どの分野においても私たちは、教会として一つになっていくことをめざしましょう。

教会にまだつながっていない人は、教会につながりましょう。教会につながっている人は、聖書の学び、祈り会などに参加しましょう。



#礼拝 #集う

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