Search Bloguru posts

国鉄があった時代、日本国有鉄道史

https://en.bloguru.com/jnrerablackcat

freespace

Link

URL http://jnrera.starfree.jp/ 国鉄があった時代

URL https://ameblo.jp/blackcat-kat/ 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)blog

URL http://blog.goo.ne.jp/blackcat_kat/ 国鉄があった時代blog

URL http://whitecat-kat.hatenablog.com/ 日本国有鉄道 労働運動史

URL https://blackcat-kat.hateblo.jp/ 日本国有鉄道労働運動史【鉄労視点】

URL https://jnrera-kat.hateblo.jp/ 日本国有鉄道 労働運動史(別館)

URL https://plaza.rakuten.co.jp/blackcatkat/ 鉄道ジャーナリスト加藤好啓のblog国会審議集

URL http://whitecat1960.blog85.fc2.com/ 鉄道ジャーナリスト加藤好啓 国鉄時代のお話

URL https://local-line.at.webry.info/ 鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 地方鉄道研究blog

URL http://blackcat-kat.seesaa.net/ 鉄道ジャーナリスト加藤好啓(blackcat)の備忘録(法令編)

URL http://blackcat-kat.jugem.jp/ 鉄道ジャーナリスト 加藤好啓(blackcat)の国鉄という名の備忘録

URL http://blackcat-kat.blog.jp/ blackcatこと鉄道ジャーナリスト 加藤好啓 国鉄夜話

URL http://black.ap.teacup.com/blackcat_kat/ 日本国有鉄道の民営化を改めて検証するblog

URL http://blackcatk.exblog.jp/ 鉄道ジャーナリスト blackcatの鉄道技術昔話

URL http://blackcat.blog.shinobi.jp/ blackcatの鉄道ニュース解説

URL https://novel-railway.muragon.com/ novel-railwayのブログ

URL https://blackcat-kat.muragon.com/ 政治家を目指す加藤好啓のblog

URL https://ameblo.jp/blackcat-kat-06/ 鉄道ジャーナリスト、加藤好啓の鉄じゃない話

URL http://blackcat-photo.blogspot.jp/ blackcat写真館

URL http://whitecat.ikora.tv/ blackcat_つれもていこら

URL http://d.hatena.ne.jp/whitecat_kat/ blackcat_katの日記

新幹線建設と国鉄 第1話 十河信二総裁と阿川弘之

thread
鉄道ファンでもあった阿川弘之が... 鉄道ファンでもあった阿川弘之が書いた童話、「きかんしゃやえもん」
阿川氏は、新幹線建設には批判的であったと言われていますが、新幹線開業後の成功を見て不明を詫びたと言われています。
今回から、何回かに分けて新幹線開業までのお話をさせていただこうと思います。

新幹線に関しては、戦前の弾丸列車計画まで遡ることができます。

実際に、丹那トンネルなど一部の区間は建設に着手していましたし、日本坂トンネルのように戦前には完成し、一時期は在来東海道線で利用された区間もあったと言われています。

昭和30年代の輸送力はひっ迫しており、東海道線の全線複々線化も視野に入れて検討されましたが、鉄道技術研究所が新幹線による東京~大阪3時間運転の可能性を示したことを受け、鉄道が斜陽産業と思われていた中に光明を見出したと言えます。

最終的には、十河信二の決断が大きかったと言えましょう。
世間は鉄道斜陽論が一般的であり、鉄道は時代遅れであり今後は飛行機や高速道路による自動車輸送が増大するものであり、高速鉄道などは妄想の産物でしかないと言われていました。

このように、新幹線建設に関しては並々ならぬ情熱を持っていた十河総裁でしたが、当時の国鉄は運輸省から分離したとはいえ、国鉄自身も、そして政府も国鉄は国の機関という意識が双方にあって、運輸省は国鉄を監督する立場にあるとはいえ、その立ち位置は現在の国交省とJR各社という位置づけとはかなり異なっていました。

また、作家の阿川弘之(元海軍士官で、絵本・「きかんしゃやえもん」の作者)が、世界の三バカと呼ばれた(ピラミッド・万里の長城・戦艦大和)と同じく、新幹線も同じ道を辿るのではないかと、新聞で発表し、国鉄に再検討を促したと言った話もありました。

それでも、十河信二としては高速輸送としての新幹線が国鉄が生き残るべき道であると信じて建設に邁進することになります。
新幹線建設の計画には、桜木町事故で引責辞任していた島秀雄を口説いて副総裁格の技師長として迎え入れ、島技師長とのコンビで新幹線計画は進められました。

改めて、こうして十河信二という人を振り返ってみますと、改めて胆力のある総裁であったことが伺えます。

特に、国鉄は、輸送量の増大もあったとはいえ、十河総裁在任中の国鉄は黒字決算を続けていましたし、動力近代化による運輸の合理化や、支社制度の導入による本社機能のスリム化等、機構改革にも着手して政治力を発揮しています。
また、新幹線建設に関しても政治力を発揮し、当時の大蔵大臣、佐藤栄作の助言により世界銀行からのの借り入れなどを実現させたことも特筆されます。
ただ、当初から新幹線の建設費を過少に見積もっていたこと、さらに新幹線建設のために地方交通線(ローカル線)の建設を渋ったことなどから、新幹線開業前に昭和38年には再任されることは無かったのですが、これは上記のような理由で政治家に嫌われて詰め腹を切らされた形でした。その後は国鉄監査委員を務めていた、石田禮介氏に総裁の任が回ってくることになるのですが本題から外れますので、今日はこの辺で止めておくこととしましょう。

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へ
にほんブログ村

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************
#JNR #世界三大バカ #十河信二 #国鉄 #新幹線 #歴史 #社会史 #近代史 #鉄道 #鉄道省 #阿川弘之

People Who Wowed This Post

新性能電車の幕開け第5話 特急電車151系の発展

thread
交通技術1960年2月号から引... 交通技術1960年2月号から引用
昨日は、151系電車は大人気で、急きょ増備することになったと言うお話をさせていただきましたが、実は昭和33年10月の、「こだま」運転開始前から検討はされていたそうです、そこで問題になったのは、「こだま」は、2・3等車のみの編成でありながら冷暖房完備であるのに対し、「つばめ・はと」は1等展望車並びに食堂車以外は非冷房では差が付き過ぎることから、検討されたのですが、その時は、「こだま」号が運転開始前であり、当時は客車にするか電車にするか決めかねていたのでした。

昭和31年には、EH1015が歯数比を変更して高速試験が行われたのも、当時としては長距離列車は、客車列車というイメージがあったからでした。
結果的には、昭和34年7月に高速試験で151系が163km/h記録するに及んで、「特急つばめ・はと」も電車化して共通運用を図る方針が決めらたと言います。

そこで、計画では、電車の編成は12両編成で、モーターは6両までに抑えられることになりました。
これは沼津以西の電力事情があったからと言われています。(昭和35年2月、交通技術2月号)
なお、1等展望車に代わる特別2等車の設計は時間がかかるため、比較的設計のまとまりやすい2等電動車4両(モロ151・150各2両)と3等付随車(サハ150 4両)を使って昭和34年12月から、「特急こだま」は12両編成化されました。
その後、第2次増備車として、サシ151、クロ151が落成して、順次こだまの編成も置き換えられて最終的に、「特急こだま」と「つばめ・はと」は共通運用されることになりました。

特にクロ151は展望車に代わる車両として非常に特徴的で、4人区分室と一人掛座席14脚を備えた開放室からなり、中央部に設けられた出入り口があり、車端にはサービスコーナーが設けられていました。
設計当初は、進行方向に向かって27度斜め外向きが定位として設計され、オットマン(足置き台)が使用できるようになっていました。
改良型では、椅子と一体型になり、任意の位置で使用できるようになっていました。
また、壁は吸音効果を期待して織物貼りになっていたそうで、車両における織物を貼った例は、国鉄では100系新幹線にも見ることが出来ました。
座席の上には厚さ8㎜の強化ガラスによる幅80㎝の荷棚が設けられていたそうです。
なお、区分室は車体幅いっぱいを使ったもので、乗務員通路部分とは床に設置したマガジンラックでかろうじて区分される程度であり、ひかり天井方式、荷棚はハットラック式となっていました。
ちなみに、国鉄で光天井方式を採用したのは、クロ151区分室以外では、クロ157貴賓室も光天井方式を採用していました。
JR東日本が253系で区分室付のグリーン車を連結していた時期がありますが、この区分室では、完全に通路とは仕切られる形となっており、クロ151と比較すると狭苦しく感じられたものでした。

にほんブログ村 鉄道ブログ 国鉄へ
にほんブログ村

にほんブログ村 政治ブログ 政治・社会問題へ
にほんブログ村

にほんブログ村 歴史ブログ 日本史へ
にほんブログ村
PVアクセスランキング にほんブログ村

********************************************************
取材・記事の執筆等、お問い合わせはお気軽に
blackcat.kat@gmail.comにメール
またはメッセージ、コメントにて
お待ちしております。

国鉄があった時代 JNR-era
********************************************************
#151系 #JNR #クロ151 #パーラーカー #国鉄 #歴史 #社会史 #近代史 #鉄道 #鉄道省

People Who Wowed This Post

  • If you are a bloguru member, please login.
    Login
  • If you are not a bloguru member, you may request a free account here:
    Request Account
Happy
Sad
Surprise