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難しいタイトルになってしまいましたが、
簡単にいうと相手に自分の考えを順序だって説明し、
わかってもらう文を書くことが出来る力のことです。
最近の子ども達の文をよんでいると
単語だけ、話し口調、助詞の乱用が目立ちます。
たとえば
「〜で、〜で、〜だから。」
「〜というか〜かもと思う。」
普段からきちんとした文にして会話するこが
大事だと思います。
福井
よく、死などの危機に直面したときに、過去の記憶が走馬燈のようにめぐりめぐって思い出されることがあると言いますが、実は私も同じような経験を何回かしたことがあります。一番良く覚えているものは30代半ばのときに経験したものです。
深夜になってしまった仕事帰りに、最寄駅からは自転車に乗って帰ったときのことです。交通量の少なくなった車道を自転車で横断しました。反対側の歩道は10cmほどの段差があって高くなっていました。いつもは、それくらいの段差は走りながら前輪を持ち上げて簡単に乗り越えていたのです。この日もそのつもりで歩道に向かって進んでいました。しかしこの日は、段差に向かって少しななめに進んでいたことと、ジャンプするタイミングが少しズレてしまったことで、前輪が段差に引っかかってしまい、ハンドルが大きく曲げられてしまったのです。当然自転車はそこにたおれ、乗っていた私は歩道の上にいきおい良く放り出されてしまいました。そのときです。
『かなりのスピードがあるな。このまま体が転がらないように手で支えると、手にかなりの負担がかかり、すりきず程度じゃすまないかも知れない。だったらむしろ柔道の受身のように左肩から入って一回転した方が安全だ。多少スーツはよごれるけれど仕方がない。』
といった内容のことを一瞬に頭の中で考えていたのです。内容はもっと断片的だったのかも知れませんが、後でもこれだけの内容があったことをはっきりと覚えていたのです。そして結果はそのときの予想通りにうまく一回転して止まったのです。たいしたすりきずもなく、スーツもそれほどよごれなかったのです。
すぐにどこからともなく一台のタクシーがやってきて止まりました。
運転手「お父さん、大丈夫ですか。何か手伝いましょうか。」
私「すみません。たぶん大丈夫です。」
運転手「あぶないですよ、気をつけてくださいね。それでは。」
と言って走り去っていきました。実はこのときの私は、転んだことよりも「お父さん」と呼ばれたことの方にショックを感じていたのです。自分ではまだまだ若いと思っていたのですが、回りから見ればしっかり「お父さん」といった感じなのでしょう。それに加え、やはり体力のおとろえも感じ、その後あまり無茶をしなくなるきっかけにもなる事件でした。
長く生きていると本当にいろいろな経験をするものです。
カーネル笠井
柏餅を食べられましたか。
今日は端午の節句、そして立夏でもあります。
俳句の季語はこの旧暦に即しているので
こいのぼり・吹流しなどこどもの日に関する言葉は
夏の季語になります。
昔はお祭りやこれらの行事が大きな楽しみで
季節の移り変わりを大事にしてきたのだと思います。
今はたくさんのレジャーや楽しみがありますが、
次の世代にも廃れることなく繋げていきたいものです。
我家は息子も成人していますから鯉のぼりはかざりませんが、
ベランダのプランターにミニ鯉のぼりのスティックをさしています。
福井
気候もよくなり遠足シーズンの到来です。
東急沿線には「こどもの国」もあり、午後から夕方の電車には、突如として遠足列車と様変わりすることもあります。
そしてやはり・・・。
車内に午後の静寂と平和が漂っていたのは長津田駅まででした。そして駅に到着しようかという時に目の前に見えるのは子ども達の大群、大群、大群。来たぞ〜とばかりにあっと言う間に子どもずくしとなってしまった車内。
先生もあまり注意しないようで、子ども達はやりたい放題。幸か不幸か車内を走り回れるほどの空間はなかったので、人をかき分けかき分けようやく移動できるほど。最悪の事態は避けられそうでした。
少し落ち着くと、子ども達もいくつかのグループに分かれました。ちょうど3年生ぐらいでしょうか、まだあまり男女の仲も悪くないらしく、仲良くじゃれあっていました。
でも、そんな片隅にやはり何人かの子が一人ぼっちでたたずんでいるのです。
にぎやかな車内にあって、そのところだけが対照的に空気が止まったままでした。
見てる方が心配になってきます。
ところがです。やっぱり子どもの世界ですね。世話好きな男の子が声をかけようと近づいてきました。
こんな世話好きな子こそ、希少価値ではないでしょうか。
ラッコ横山
3〜4才の頃の記憶は全くないのに、1〜2才の頃の記憶でまだ覚えていることが3つあります。その1つはこんなことです。
『真っ暗な押入れの座布団の中でうとうとしていると、ふいにふすまが開けられて明るくなり、誰かが手を差しのべてくれたのでそこから出て行く。』というものです。
中・高生の頃にはその他にもまだ沢山の記憶があり、その中にまぎれてあまりこの意味など気にもしませんでした。ところが、年を重ねるにしたがって多くの記憶が忘れ去られ、一番古いはずの3つの記憶だけが残ったのです。その記憶の意味が最近になってようやくわかった気がしたのです。
それはきっと、まだよちより歩きだった私がたまたま開いていた押入れの中に入って、そこにしまわれていた座布団につつまれて眠ってしまったのでしょう。それに気が付かずに誰かが押入れのふすまを閉めてしまったのです。しばらくして、大人たちは私のいなくなったことに気がつき、ありとあらゆる所を探し回ります。姉達もかり出され、近所の人達も集まってきていたのだと思います。このころはまだ5人組というものが残っており、何かがあると必ず力を合わせてやる習慣が残っていたからです。そんな中で誰かが押入れを開けて、そこで寝ていた私を発見したのでしょう。そのときの周囲の大騒ぎが子供心に、“今の状況は何か重大なことを意味するんだ。”と感じ、そのことが頭の中に焼き付けられて残されたのだと思います。
残りの2つは、『庭のすみで裸のまま自分のしたうんちをビンにつめているもの。』と『病院の屋根瓦の上にしいた布団に寝かせられていて、すぐ近くにおきた火事の火と煙が見えた。』というものです。3つ目のものは2才のときに盲腸の手術で入院したときのものですが、この入院に関してもこの火事のこと以外は全く覚えていないのです。病院の屋根はきっと、屋根に干した布団の良く見える場所に寝かせられていたのでそうなったのだと思いますが、もしかするともっと深い意味があるのかも知れません。いずれにしても、周りが大騒ぎになっていて、子供心に事の重大さを感じて記憶に焼き付けられて残されたものだと思います。
今頃になってこんな理由がわかるなんて思いもしませんでした。みなさんもこのころのことを何か覚えていますか。
カーネル笠井
国語を教えていて感じることがあります。
この登場人物はどんな気持ちかしらという問いかけに
うれしい・悲しいの2種類のこたえがとても多いのです。
どんな風にうれしいの?と聞いてもそれ以上の言葉がでてきません。
自分の気持ちを色々な言葉で表現できたら
きっと文中の気持ちもあらわせるのに。
子どもが小さい時に空に浮かぶ雲が何に見えるか話してもらう。
お花がしゃべったら何ていうかなと考えさせてみる。
感じる心を言葉であらわすことが
語彙力を高めるもとになってくるとおもいます。
福井
昨日、いつもとは違う曲を聴こうと思ってCDラックを探っていると、昔のグループサウンズのCDが見つかりました。いつ買ったのかも良く覚えていないものでした。さっそくヘッドホンをつけて聴いてみました。たしかになつかしく思う曲ばかりでしたが、ボーカルもストリングスも最近の曲に比べてはるかに劣ると感じてしまいました。きっとこれを買ったときにも1度聴いて、もう聴く気にはなれずにそのままになっていたのだと思います。
そんなとき、ちょっと前に聞いた元オリンピック選手の言った言葉を思い出しました。オリンピックでは、同じ実力を持っているとしたら、若い選手と年配の選手とではどちらが有利なのですか?という質問に答えるものでした。短期戦ではだんぜん若者の方が有利なのだそうです。年配者はいろいろと失敗経験があるので、それが頭によぎりなかなか思い切ったプレーができないのだそうです。それに比べてまだ成功経験しかない若者は思い切ったプレーができるのだそうです。そして長期戦になると年配者の経験が生きて、こちらの方が有利になるというのです。
これを頭に入れて聴くと、確かにほとんどの曲のあちこちにいろいろな工夫が見えかくれしているのでした。それが逆効果になっているものも多くありましたが、失敗することなどは全く念頭にないといった思い切ったアイデアにあふれるものばかりでした。そして、グループサウンズのブームが終わるとフォークソングのブームがやって来ます。これも始めは素人ばかりのグループが活躍していましが、やがてその中に素人のふりして実力的には完全なプロのグループがデビューしていたのです。それが「フォーククルセイダーズ」や「赤い鳥」、フォークの女王と呼ばれた「森山良子」などです。彼らの歌声、楽曲の完成度はやはり他の素人のグループに比べて軽く2ランク位は上位のものがありました。そして彼らは今でも日本の音楽界に君臨しているのです。これが長期戦ということになるのかななどと考えながら久し振りの曲を楽しみました。
では、中学受験は短期戦なのか、それとも長期戦なのでしょうか。第一志望に合格していった多くの子供達を見ると、やはり短期戦のような気がします。苦手などあまり気にせずに自分の得意なことをどんどんやって一気に突っ走っていったような気がします。どうやら夏休み頃まではどんな子でも好きな教科をどんどんやらせることでいいのではないでしょうか。そして苦手な部分は併走する大人の知恵でカバーしてやるのが理想的な受験勉強のような気がします。
カーネル笠井
情操教育、今はもっと違う言い方をするのかもしれませんが。
子どもの時、母に連れて行ったもらった歌舞伎座。
何がおもしろいのかが分からず、踊り以外は
半分寝ながら観ていました。
そんな歌舞伎に、はまっています。
今は芸の粋なこともわかります。
母が種を蒔いてくれたのは、この日を見越していたのでしょうか。
小さい時に触れておくことで、思い出してふと足を運んでみる。
音楽会や観劇も楽しむ大人の姿をみせておくのが
母の教育だったのかもしれません。
無駄のようでも本物を見せておくこと。
長い年月を経て、感謝の念を強くしています。
福井
種まきの季節がやってきました。毎年この時期になると、今年は何を育てようかとあれこれと考えます。ホームセンター等の折り込みも、さかんに苗木や種子の情報を伝えるようになってきました。
昨年種まきをしたラベンダーは無事に冬をこし、今年の夏には香りが楽しめそうです。サクランボの苗木も若葉を出し、来年には収穫ができそうです。若い頃に比べ、夏や来年がさほど先のことではなく、間近なものとして感じられるようです。
これに対して子供達にはこれが無理なようです。この時期に夏休みと言っても、それはまだまだ先のことで、大人の感覚だと1年も先のことのように感じているのです。それだけ今を一生懸命に生きているということでしょうか。毎日何か新しい発見もあるのでしょう。せめてそんな発見の手助けができればなあと願う立場になってしまったことをひしひしと感じてしまします。
子供達の感覚で面白いものにこんなことがあります。たとえば、「受験までもうあと3ヶ月だよ。」と言ってもピンとこないのに、「受験まであと100日だよ。」と言うと急に現実味を覚えて真剣になるのです。100日は1日、2日、3日、‥‥の延長上にあるのですが、1ヵ月は何かその間に区切りがあって、それを越えないと実感がわかないようなのです。
大人と子供の感覚のズレって面白いですね。
カーネル笠井
先日は収録のため終日 学習院に滞在しました。そこで見つけたものは、都心にありながらたくさんの自然に囲まれている学校の環境です。
豊島区の何十分の一を占めるといわれている木々の緑、「血洗いの池」は昔、赤穂浪士の一人、堀部安兵衛が「高田馬場の決闘」で叔父の仇を討った後、この池で血刀を洗ったことからきているそうです。
湧き水であふれている池の周りにはベンチや遊歩道まであって、憩いの場所として学生だけに留めておくにはもったいないスポットです。
静かに流れる噴水がまた趣があります。
馬場では十頭の馬が学生達によって育てられています。クラブの過半数以上が女子学生だそうです。「馬と付き合うのはかなりきついので女子しか残らないようです」と厩舎の先生が話していました。
都会の真ん中で馬に乗れるなんてどんな気分なのでしょう。しかも学校です。
生涯忘れることのできない貴重な経験になるでしょう。
こうしてみても、まだまだ都会の自然も捨てたものではありません。
ラッコ横山
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