今年の高校野球もたくさんの感動を与えてくれました。しかも、スター選手のいない全員野球が力を発揮した大会になりました。優勝チーム監督のコメントが印象的です。
「この子達のどこにこんなパワーがあったのでしょうか。毎試合ごとにいろいろなことを教えられた。いつも監督自身がビクビクしていたのにも関わらず、子ども達は堂々と一生懸命にプレーをしてくれた。他のチームに自慢できることは、底知れぬ体力と甲子園で重ねてきた試合数。」
子ども達が持っている底力を痛感した大会だったと思います。実力が均衡するチームが多かった中で、確実に勝利を勝ち取ったチームは堅実なプレーと絶え間なく続けた走り込みだったようです。たくさんのことを教えてくれた大会でした。
最近、旅館や温泉あるいは飲食店に「囲炉裏」が復活してきています。昔は田舎の家では土間を上がったところに広い「囲炉裏」があったものでした。そこにはやかんかお鍋がかけられ、お湯が沸いているかあるいはお味噌汁が温められていました。また、夜になると魚を串焼きにしたり、正月にはお餅をあぶったりと、今思えばとても便利な場所でした。
しかも、寒い冬でも暖かく、なかなかそこを離れられませんでした。ある意味、キッチンでありリビングルームでありと家の中心になっていた空間でもありました。家の長は必ずと言ってよいほど一番奥に堂々と座っていたものです。そしていつも家族が集い、客人もそこでもてなしを受ける理想的なコミュニケーションの場でもありました。
また、「囲炉裏」はよく考えられていて、常に温かな空気を家中に充満させることで家屋の木の腐食を防いだり、薪から出るエタノールが防虫の役目を果たしていたそうです。小さいながらよく火事にならないなと心配したものでした。そして、ある時、野口英雄の伝記を読んでから、少し近づくのが怖くなったこともありました。
日本の伝統には深い味わいがあります。
6月の末に父の葬式がありました。その日の夜9時すぎ、車で帰る親せきを庭に出て見送っていたときのことです。庭の隅に立てられた電柱に1匹のホタルが止まっており、電柱のまわりをとび回ったりもしていましたがそこをはなれなかったのです。それを見た父の孫達が、
「あれはきっと、おじいちゃんが見送りに来てくれたんだ。」
「おじいちゃんが見送りに来てくれた!」
などと言って、大さわぎになったのです。
以前この辺りでは、小川のある所ならどこでもホタルは当たり前のようにたくさん見ることができました。窓を開けて寝ると、迷い込んだホタルが“かや”に止まって光っていたことも度々ありました。ですからそのころは、夏休みの夕食の後、近所の子ども達と待ち合わせをし、竹ぼうきを持ってホタル狩りに出かけたものです。ホタル狩りと言っても、近所の家の庭や、歩き慣れた道でする程度でした。わが家の横にはホタルのたくさんいる竹やぶがあったのですが、5〜6人いてもそこには恐くて近づけませんでした。近づくと、そこに吸い込まれてしまい、二度ともどれないような気がするほど暗闇だったからなのです。
ホタル狩りの思い出は、年上の者に連れられて行った記憶しかありません。本来高学年になったら、私達が年下の子を連れていくのが当たり前のはずです。いつからホタル狩りが中止になってしまったのか。テレビの普及もその理由の1つかも知れません。でも1番の理由は、ほとんどの電柱に街灯が設置されたことにあると思います。ホタル狩りは、やはり真っ暗闇でないと面白くなく、本物ではないのです。
十数年前の夏休み、まだ小中学生だった父の孫達がこの家に集まったときに、夜の9時近くにもなってから“きも試し”をしていました。どこでやっているのかと聞くと、家からかなり離れた山のふもとにある周りを畑で囲まれた神社まで行っていたのです。やはり、今の子ども達にとってもきも試しは真っ暗闇でないと本物ではないようです。
今これを思うと、子ども達の遊びが昔と変わってきてしまったのは、新しい遊びができたことばかりではなく、昔ながらの遊びをする環境がなくなってしまい、同じことをしても面白くないのです。遊びも、心底ハラハラ、ドキドキするものでないと生き残れないようです。
田舎ではめっきり少なくなってしまったホタルですが、逆に都内では見られる場所が増えてきていることは意外です。実は、私の家の近くにある百草園のある山から湧き出している小川の周辺では、何匹もホタルが見られるのですから。
将来自分も近づきたいと思う憧れの人。
そんな存在が昔はたくさんいたように思います。
年に二回手入れに来てくれた庭師の親方、
見事な仕事ぶりに半日傍で見ていたことがあります。
本屋のおじさんも置いてある本を全部読んだ事があるように
色々な本を紹介してくれました。
一つのことにこだわりを持ち
誇りを持って仕事をしている人に
憧れいた小さい時の自分を時々思います。
コーチングではロールモデル、
手本となる人を具体的にイメージすることを取り入れます。
子ども達のロールモデル、
お父様、お母様、そして見守る大人たち。
私は未だに悪戦苦闘中です。
福井
花火見物や夏祭りに出かけるのでしょうか、
浴衣姿を電車の中で見かけます。
昨日座っている私の前に立ったグループの一人、
藍色の地に白と紅色の白粉花の柄の浴衣が
とても似合っていました。
和服は日本独自の大切に伝えたいものです。
学生仲間と会った先日、
国語の先生の話題になりました。
何十年前のことですが、
時々和服で授業をされていました。
手入れなどさぞ大変だったことと思います。
そして私達位の年齢になり、普段に着物を着ることが
和服のよさを伝えることかも知れないと話し、
今度皆で和服で食事にいきましょうと盛り上がりました。
いつか和服で授業をするのもいいかも知れませんね。
子ども達のびっくりした顔が目にうかびます。
福井
夏といえばキャンプ、キャンプと言えばテント、テントと言えば【飯盒炊爨】です。テントをきちんと張るのも子どもには難しいのですが、それ以上に難しいのが【飯盒炊爨】です。
しかし、電子ジャーのようなものでしかご飯を食べたことのない頃には、妙に新鮮でした。ご飯がこげるというのを見るのもまた何とも言えず風情がありました。
それではワンポイントアドバイスを・・・
飯盒の蓋に棒切れをあてて耳につけるとグズグズと言う音が消えるころ、ようやく炊き上がりです。そして、その後、飯盒を逆さまにするとうまく蒸らせたりします。キャンプの定番と言われるカレーやトン汁、あるいは缶詰ぐらいしかなくてもこの【飯盒炊爨】だけでも十分ですね!
※昨日の答えです・・・ 同じ頃、校舎の反対側からも実は別の6年生が僕達を脅かすために3Fに上がって一斉に廊下の電気を点けたのでした!本当に驚きました。
夏休みの前半、小学校6年生は学校に1泊します。教室にマットを敷き、持参した寝袋に入って寝ます。小学校4年生と5年生はクラス委員だけが代表して6年生と一緒に行動します。
寝るフロアは1Fですが、真夜中にこっそりと探検が始まります。実はこれが肝試しで、毎年6年生が4年、5年のクラス委員を脅かすこともまた代々のしきたりになっていました。そしてある年、まんまとひっかかってしまいました。真夜中に6年生に起こされ、2F、3Fの教室に探検に行こうと誘われたのです。しかも、音楽室にはお化けが出るという言い伝えもあり、それを確かめるためというのが口実でした。
何人かの先輩に連れられ、足音も立てず、真っ暗な廊下を端まで進み、さらに真っ暗な階段を手すりだけを頼りに目的地の3Fまで上ったときのことです!!! パッ!!と3Fの廊下の電気が一斉に点いたのです! 絶対にありえないことが目の前で起きてしまったのです!これには、自分だけでなく、側にいた6年生までもが僕をおいて一目散に1Fまで逃げ惑うのでした。
これまででベスト5に入るサプライズでした!
※この理由は次回発表します。それまでに早く3Fまで上りましょう・・・・
暦の上では立秋をむかえましたが
今日は35度をこえる猛暑日でした。
鳴く蝉の声も暑さ負けしているようです。
明日からご家族揃っての夏休みを過ごされるご家庭も
多いのではないでしょうか。
今日、JRや東急の電車の中で
スタンプラリーをしている親子連れを
何組か見ました。
疲れてぐったりしていている子を
一生懸命励ましているお父様。
もうやめようと
わが子を説得しているお母様。
十数年前の自分をみるようで
大変さが伝わってきました。
何か夏の思い出を作ろうと
色々試みた時間を思い出します。
最初で最後のスタンプラリーでしたが
娘はまだスタンプ帳をとってあります。
どんな思い出と共にあるのかはわかりませんが。
熱中症に気をつけて
この夏の思い出をいっぱい作ってください。
福井
田舎の盆踊りは3日間に渡って行われます。初日は運営関係者の大人の人たち、議員さん、先生、名主など、よくわからない人たちが次々にやぐらに上がって長い挨拶を始めます。そのため、初日に踊る人たちはそれほど多くはありません。
2日目はただただ踊るばかりの夜です。太鼓を叩く人も何人も何人も交代していきます。当時はテープではなく歌も生です。太鼓と同様にどこでどのように決まっていたのか、いろいろな人がマイクを受け継いで歌っていきます。3時間も踊るとそれはそれはもう汗だくです。休み休み踊る人もいれば、ずっと何周も何周もやぐらの周りを回り続けるタフな人もいました。
そして最終日。1年の中で最も楽しみでそれはそれはもう待ち遠しい仮装大会の盆踊りが行われます。しかし、審査員の評価も考慮し、早い時間から踊りに混じる人は少なく、メインは8時〜9時の1時間が勝負です。この時間になるとこれは1年かけて仕込んできたなと思われる優秀作品ばかり。どう見ても素人が作ったとは思えない作品もあります。でも、その格好で長時間踊らなければなりません。途中で足下がぐらつき倒れてしまうロボット、だんだん包帯がほどけていき、近所のおじさんであることがわかってしまうフランケンシュタイン、汗で強面のメイクが取れていき、実は小学校の先生だったドラキュラなど、それもまた愉快なものでした。最終日は踊る参加者の数倍の人々が観客として囲みます。その中で最も価値あるグランプリの栄冠に輝いた者は、1年間語り継がれていきます。
・・・とある年。いよいよ参加するチャンスがめぐってきました。当時流行っていたキャラクターにふん装し有志数名で繰り出した時です。持っていたトレードマークのかぼちゃを落としてしまいました。それがコロコロと転がり、道の端にある堀の中に吸い込まれてしまい、多くの民衆の笑いを誘ったことを今でも恥ずかしく思っています。しかも、それもまた未だに語り継がれていることも知っています。
「盆踊り」は盂蘭盆(うらぼん)の7月13日から16日にかけて、精霊を迎え慰めるために音頭または歌謡に合わせてする踊りのことでしたが、室町末期より民衆娯楽として発達し円舞式と行進式の二種があるそうです。
昔の家には「土間」と呼ばれるスペースがありました。家によってはそこに炊事場があったり、あるいは農作業の工具が置いてあったり、さらにはそこに涼を求めベタッとくっついたままの犬がいたところもありました。
家に入ってまず足で踏む感触が今でも忘れられません。土でも結構固められてはいたものの、でも土のやわらかさが足の裏から足全体に心地よかったことも覚えています。そして何より夏でもひんやりとして涼しかったことが小さな子どもたちには好感をもたれていました。そんな自分も夏にはあのひんやり感が好きでよく寝転がったものでした。でも、汚れないということもまたお気に入りの理由でもありました。
家に入ってすぐに居間に上がらず、この空間でしばしの立ち話もいいものでした。まあ、それはコース料理の前菜のようなものでしょうか。最近では都会の居酒屋やバーなどでもこのようなスペースを構えているお店が増えています。もちろん、土の「土間」ではなく石や木を用いたり、あるいはちょっとしたオブジェを置いてみたり、なにか訪れる人の心を和ませる空間に改めて気付かされています。日本家屋の素晴らしさはそのやさしさです。それはまるで自然の物に心があるかのようです。
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