ようやく、 ユーハイム・バウムクーヘンと巡り合いました。
15日に買いに行くつもりが、1週間かかってしまいました。
1886年12月25日生まれのカール・ユーハイム氏は、ビール職人の父の10番目の子どもで、父親譲りの頑固な職人気質を持ち合わせていました。
クリスマス生まれでしたので、毎年お誕生日の4週間前からお菓子がつきもののお祝いが始まります。「まるで私のために祝ってくれいるよう・・・」と幼い頃から感じて、自然にお菓子職人の道へと歩み始めます。
バウムクーヘンは「これが上手に焼けるようになれば一人前」と言われるほど、卵・バター・砂糖・小麦粉だけで作るシンプルだからこそ厳しく難しいお菓子でした。
「バウムクーヘン職人は長生きしない」と言い伝えられるほどでした。
第一次世界大戦に参加し、捕虜となって日本へ。この時、5年間妻エリーゼと離れて暮らします。
釈放されたカールは、大正8年に広島県物産陳列館(原爆ドーム)で、日本初のバウムクーヘンを披露します。
ドイツには帰らずに、横浜でお菓子職人として働き、36歳の時に山下町で店を開店しますが、関東大震災でお店が全壊。
外国人被災者の救援地・神戸へと渡り、ドイツの銀行から借入れをして、再起をかけます。
そこへ第二次世界大戦が起こり、神戸大空襲で、また店が焼失してしまいます。
1945年8月14日避難先の六甲山ホテルで死去。
エリーゼは、ドイツに強制送還されます。
◇のっぺらとしたバームクーヘンは、ただのくじら。角のある、山と谷があるバウムクーヘンが本物の証し。
◇生地の出来が悪いと「どうしてできない」と涙を流して、容赦なく生地を捨てるほどの拘り。
◇お菓子をたくさん作っても、買って食べる人は、一切れである。一切れ、一切れに魂を籠めて作るのが、マイスターの仕事である。
美味いものは誰にでも美味い。神さまがそう決めただろうな。俺にとって、菓子は神さま。
1953年エリーゼは、日本の弟子たちに社長として迎えられて、再び日本へ。
店の経営は、正直と誠実。口癖は「アナタ カイマスカ」
子どもの頃、親戚の家で育ったエリーゼは、小さいお客さまを可愛がり、いつも愛情と人を喜ばせる気持ちを絶やさなかった。
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買いに行って感じたことは・・・
お客さまが絶えないこと・・・接客は、他の方がたくさん購入されていて、かなり待たされました。待っている間に「お待たせしております」の一言があっても良かったように思いました。
今回は、バウムクーヘンを買う目的だけで行ったので待ちました。
もし、他のお菓子でもよかったのなら、待たなかったかもしれません。
お味は、また【おちゃのじかん】を持ってから、ゆっくり記したいと思います。
これを買ってから、100周年記念バウムクーヘンが出ていることに気が付きました・・・また、次回のお楽しみにしておきます。
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Posted at 2010-01-22 03:07
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