教養とちょっぴり思いやり
ある本に「教養とは最も高価だけど、最も安く手に入る高級のブランド品」と書いてありました。面白い定義だと気に入りました。
知識・技術を身につけていても「他人に対する思いやりの心がなければ教養のある人は言わないのだと思いました。
そういう意味で、先回述べた「ちょっぴり思いやり運動」を皆が一日一つでも実践していけば、凄く良い結果が出てくるのではないでしょうか!
今、この世の中で一番欠けていることは「他人に対する思いやり」ではないかと思います。「今さえ、自分さえ良ければ良い」と言う考えでは世の中は良くなりません。
面白いことに、「他人に対する思いやり」も「今さえ、自分さえ良ければ良い」と言う発想もアメリカが発祥ということです。
良い方を真似ましょう!
ちょっぴり思いやり運動
ただ、物や金銭だけでなく、行為でも何でも他人が喜んでくれることをするだけのことです。形式的な会則とか会にすることなく、趣旨に賛同し、個人で行えばよいことなので結構、この運動は盛んになっていくだろうと思っています。
愛読している致知と言う雑誌の今年の1月号に私の運勢は社会的な活動をすることで良い年に導かれるとありました。
「ちょっぴり思いやり運動」は昨年の初めごろから友人の誘いで始めましたが、そのこともあり、今年は本格的に取り組もうと考えています。
以前から、アメリカ人は他人が喜ぶことを積極的に行っていると感心していました。「なぜ?」と尋ねたところ、「キリスト教の教会で教わるからだ」と言われました。
自分が他人に施したという優越感をもつのでなく、施すことが出来たことを神に感謝することが大切だと言われました。まさにそれが一番大切だと思いました。
理想的なシニア村
現在、日本には65歳以上のシニアが3700万人くらいいるようですが、その70%は引退生活をしているのではないかと思います。
その人たちが安心して老後を楽しく暮らせる、楽しく安住できるところがあれば、多くの人が利用すると思いませんか?
以前のブログで書きました地方創生は、シニアを中心としたタウンづくりから始めるのが得策ではないかと考えます。医療、介護の問題などは、あちらこちらに散らばって住むより効率的にできる利点があります。
日本において健康寿命と平均寿命との差が10歳程度であることを考えると、シニアの健康管理をきちんとできるシニアタウンは創る価値があると思うのです。
いわゆる3k(キツイ、臭い、汚い)と敬遠されるシニアの介護は、今は手厚くケアされていますが、今後同じようにできるとは思いません。
そこで、実験的に3万人くらいのシニアタウンを作ってみてはどうでしょう。
温泉、ゴルフ場、テニスコート、ゲートボール、釣り堀、陶芸教室、料理教室、将棋、舞踊、等々、そして、図書館、小劇場などの施設を作り、住居も、明るくて広い部屋。
資金は政府からの全面援助でなくとも、そこに住む人の貯蓄や年金で賄えるようにすることも可能と考えます。そんな、シニアタウンがあればいいなぁとつくづく思うこの頃です。
都会から田舎へ
ここ数十年、住むのは都会が何かと便利であると思っていました。
ですから、東京では、銀座に歩いて15分程で行ける場所に住んでいました。
しかし、定年退職後、東京から八ヶ岳南嶺に移り住んで20年以上になる友人から田舎生活の良さを教わって以来、すっかり田舎住まい礼賛者になってしまいました。
田舎の良さは、
①空気も水も美味しい
②野菜・果物が新鮮
③体を動かす機会多いなど健康的な生活が出来ることでしょうか。
同時に経済的に都会より安価であることが挙げられます。政府は、地方創生を政策の大きな柱にしています。今、コロナ禍で在宅勤務が多くなってきて、若い夫婦が田舎に移住する人が多いと聞きます。
多分、生活費(特に住居費)が安く済むからでしょう。
都会から地方に若い人たちが目を向けて移住することは地方創生に役立つと思いますが、敢えて、シニアの人が地方に移住したくなるような思い切った施策を創ってくれないかと期待しています。
地方創生の議論
それはともかくとして、これから超少子高齢化社会になっていきます。思いきった施策を即とらないと取り返しのつかないことになるでしょう。
まず、三人に一人に近づいていく高齢者の医療をどうするかです。特に、高齢者の介護をする人材を津々浦々まで送ることができるだろうかということ。
高齢者でも、引き続き事業をやっている人はともかくとして、引退した人たちには、日本各地にシニア王国を作り、そこで共同生活をすれば娯楽・医療も手厚くできるようになるのではないでしょうか?
あと、30年もしないうちに日本の人口は1億を切ると言われています。思いきった日本改造論を考えてほしいですね。そして実行です。総論賛成、各論反対であってはならないと思います。85歳以上の高齢者の半分以上は何らかの形で介護を受けて居る現状を今解決しないといけません。
私がみた60年前のアメリカ(2)
体重63キロから72キロ、身長176センチから174センチ、ウェスト32インチから35インチ、靴のサイズ8.5から9.5、首回り31インチから33インチと変貌しました。
これは食べ過ぎ・運動不足の結果です。
車社会のアメリカでは特別に運動をしない限り、一日1000歩も歩かないなんてことがあります。
何はともあれ、生活習慣を正すことで、人生100年時代を生き抜けるのではと思います。他人の助けを借りて長生きするより、自分のことは自分でできるに越したことはありません。今日からでも遅くなんかありません。生活習慣を見直し、悪い点は改善していきましょう。
私がみた60年前のアメリカ(1)
実際、アメリカの土地に足を踏み込んだ時、大きさ、豊かさが身に沁みました。リカーストアーでアイスクリームを買った時、食べても食べてもまだ一杯残っていて食べきれなかった記憶があります。
また、三食付きの下宿では、朝は定番のトーストに卵焼、ソウセイジベーコンなどで、昼はサンドイッチと果物の弁当まで持たせてくれました。夕食には、お皿からはみ出すほどのステーキもでました。
タバコは10箱(20本入り)が2ドル、コカ・コーラは10セント、ビールは25セントでした。 コーヒーはお代わり自由で15~20セント。
BARに行っても、ウイスキーが65セントで20ドルを先にカウンターに置くとバーテンダーがその都度支払いを済ませるのですが、20ドル分を飲みつくすことは不可能でした。当時のチップは10%が標準、今は、20%が標準です。
因みに、私の給与は350ドル(手取りは280ドル)。夜学に通うアシスタントの給与と同額でした。車は横浜港から送られてきたブルーバードです。その当時の日本車は本当にお粗末で、国土の広いアメリカにそぐわない代物でした。こんな状況であっても、やりがいが優先して毎日がエキサイティングでした。
貧しい国から来た敗戦国民とみたのか、アメリカ人(白人)は日本人のわたしに親切でした。 しかし、黒人は今でこそ社会進出を果たしていますが、当時はひどい差別を受けていて、とても貧しかったです。
この60年でアメリカは本当に変わりました。
合法、非合法に関係なく移民が増え、白人支配のアメリカ社会が崩れてきていると言ってよいと思います。
それがトランプ氏登場の一因となっているのではないでしょうか。
謹賀新年
米国の私の住まいである南カリフォルニア州は年間を通して温暖で生活するのに快適なところです。日本食も豊富で、隣人もフランクな方が多く、大変楽です。27歳から60年間、この地で思う存分働かせてもらいました。人種、年齢、性別を問わず自由に活動できる雰囲気がありました。誰もが、アメリカンドリームを目指して頑張り、そして、アメリカンドリームを達成すると、人々は心から喝采してくれます。
しかし、私の住む、比較的治安が良い所にもホームレスがあちこちらに住み着くようになりました。今は、貧富の差がどんどん広がりつつあります。1960年代の栄光を知る者には、今後、アメリカはどんな方向に進んでゆくのか危惧しています。
物質至上主義が行きつく先が、貧富の差を極端につくるだけでは、あまりにも情けないですね。
今年は、この事態から脱するとしであるよう願っています。
シニアのための居住区
昨年、日本の田舎にしばらく滞在して感じたことは、まだ日本は素晴らしいものが残っているという事です。①人情、②新鮮な食材、③良い空気と美味しい水。
最近、田舎に住む人が増えてきていると聞きます。地元の不動産屋に聞くと、コロナ禍より仕事もリモートで出来るようになり、田舎に移住する若者が増えているそうです。この人たちに是非、地方創生に励んで欲しいと思います。地方創生は急務ですが、全ての地方を住みやすいところにするには無理があり、また無駄も多いと思います。3000万人を超える70歳以上の高齢者が安心して、楽しく住める地域の創生がなされれば、都会から田舎に住む人が増えると思うのですが如何でしょう?
アメリカのアリゾナ州にサンシテイ―という町があります。高齢層が集まる居住区、リタイアメント・コミュニティが民間でおこなわれていて、ゴルフ場、コミュニティセンター、病院などが充実しています。生活に必要なものが徒歩と自転車で行ける範囲内にあり、まさに老人王国です。日本にもそのような町が出来ると良いと思います。
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