Hokkaido News Paper/米兵らが持ち帰った日章旗の返還を仲介・工藤公督(くどう・こうすけ)さん /OBON Japan Stuff KOSUKE KUDO was interviewed by News paper
Oct
23
札幌出身。1990年に札幌の高校に進学したが「肌に合わず」、同年末に単身渡米。米在住の父親の友人の世話でアイダホ州の高校に入った。戦争を意識するきっかけはアメリカンフットボールだった。果敢に走る姿を仲間が「カミカゼ」と呼んだ。当時は深く考えなかったが、21歳で帰国した後、太平洋戦争の戦史を読むようになった。
2013年、フェイスブックで旗の返還活動を知り、衝撃を受けた。日本兵は出征前、地域の人から日の丸に寄せ書きをもらい戦場へ持参。連合国軍兵士は、倒れた日本兵から戦利品として旗を奪っていた。「英語と日本語、歴史が分かる自分がやらねば」と天命に従った。
返還は困難を極める。旗の約7~8割は地名も書かれていない。文字を判読し、書かれた名字が多い地域を絞り、当時の公文書から遺族を割り出す。いざ遺族に連絡しても「詐欺じゃないのか」と言われたことも。しかし、徐々に活動も周知され、現在は厚生労働省、日本遺族会と連携している。
米国の元兵士は、多くを語りたがらないという。「当時は白兵戦。相手の息づかいが分かる距離で殺し合う。生きて帰っても同じ人間には戻れない」
11月6日には北見市常呂町で遺族への日章旗返還を予定している。47歳。(斎藤雅史)