OBON捜索班手記/北海道札幌市で戦没者遺霊品を返還(Returning the remains of the war dead in HOKKAIDO)
Aug
12
OBON捜索班の工藤です。8月11日に北海道岩見沢市栗沢町美流渡(ミルト)から出征し、硫黄島で散華された海軍兵士「名須川水藤」命の葉書を兵士のお孫さんにあたる「名須川雄比古」様(札幌在住)に返還して参りました。
葉書は兵士名須川水藤命が郷里の友人「中川長作」様へ宛てたものでした。お二人にしか分からない理解できないものですが、きっと戦地にいる自身の無事と友人の無事を願いながら交わした言葉なのだと感じます。
水藤命が命を散らされた昭和20年3月17日は所属する硫黄島警備隊ほか硫黄島の日本軍が玉砕された日とされており、水藤命もこの戦闘に参戦されていたものと思われます。硫黄島の戦いは苛烈を極め、日本軍19900名のうち生還者の1000名を残し皆戦死されました。
そのような過酷な戦場で故郷の家族や友人との手紙のやり取りはどれだけ兵士を勇気づけ、鼓舞した事かを想うと、きっとこの葉書を兵士や宛先の方へと届けて差し上げたいと思わずにはいられませんでした。
ご遺族と葉書の宛先人の捜索は北海道空知郡栗沢村美流渡(現岩見沢市栗沢町)へOBONスタッフが赴き行われました。美流渡地区はかつては炭鉱の町として栄え、町の神社も炭鉱夫の慰霊碑などそれを思わせる昭和が今でも存在する町でした。ここ数年で道外からの移住者も多く当時を知る人はごく少数になっているそうで、捜索は難航を極めました。役場やコミュニティーセンターの方、酒屋の店主にお話を聞き、やっとの思いで中川長作さんのお孫さんにたどり着く事ができました。長作さんは昭和53年に他界されており、残念ながら兵士水藤命について分かる事はありませんでした。そこで町にある「正滝寺」を訪れ、昔からの事を知る方はいないか聞きましたところこのお寺の住職さんが「そう言えばうちの先代(住職)が昭和21年に3人の兵士の葬式を同時に執り行ったことがある」と話してくださり、古い資料を探し出してくださりました。そこには【海薫院釋大安・名須川水藤・行年43】とありました。ご住職いわく「きっと海軍なので海薫ると戒名ををつけたんでしょうね。」とその由来を教えてくださいました。その後も多くの方のご協力を得て水藤命のお孫さんを探す事が出来ました。
水藤命にはお子さんが6名おり、そのうちの3名が近郊にご存命との事。このお盆に親族で集まって葉書をお披露目する予定だったそうなのですが、猛威を奮うコロナ状況を鑑みてお披露目は改めて。という事になるとの事です。その際には皆で葉書を手に取り、水藤命に思いを馳せたく思いますとお孫さんは仰っておられました。
この度の返還、誠におめでとうございます。