【京都】田原村(いまの宇治田原町)の堀口秋夫さんは太平洋戦争中の1944年12月8日、フィリピン・レイテ島で亡くなった。米兵が戦利品として米国に持ちさった堀口さんの「寄せ書き日の丸」が、返還活動をしている米国の団体から遺族のもとに80年ぶりに帰ってきた。
秋夫さんのめい堀口あや子さん(76)と、あや子さんのいとこ松本健治さん(74)が宇治田原町役場で24日にあった返還式に出席し、秋夫さんが田原村から持っていった日の丸を受けとった。
遺族の2人によると、日の丸には近所の69人の名前があるものの、当時を知る人は亡くなっているため、秋夫さんのことでわかっていることは少ない。それでも、あや子さんの父が弟の早世を生涯悔やんでいたことや、もしものことがあれば家族が不幸になると考えて秋夫さんは独身のままだったといった記憶が親戚のあいだに残っている。
松本さんは式典で「不幸な歴史の教訓をけっして忘れず、平和の尊さを訴えたい」と話した。取材には「80年たって初めて秋夫さんが家に帰ってきました。言いようのない思いがあります」と答えた。
遺留品の返還活動を2009年にはじめた米国オレゴン州の非営利団体OBON(オボン)ソサエティ(レックス・ジークさんと敬子・ジークさん夫婦が代表)から頼まれて、府遺族会が宇治田原町の遺族を突きとめた。