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中日新聞/日章旗、80年ぶり帰郷 ガダルカナルで戦死した土岐出身木村さん遺品(Japanese Newspaper featured Flag return in GIFU Prefecture )

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中日新聞/日章旗、80年ぶり帰... 中日新聞/日章旗、80年ぶり帰...
 太平洋戦争の激戦地・ガダルカナル島に土岐市妻木町から出征した日本兵の日章旗が、同町の遺族の元に戻ってきた。持ち主は木村保さん=当時(22)。約八十年ぶりの遺品の“帰還”に、遺族は「これだけ時間がたっても戻ってきたということは、本人もそれだけ帰ってきたかったんかな」。遠く離れた地で命を散らせた親族に思いをはせた。 

 日章旗は、戦争中に連合軍兵士が持ち帰った日本兵の遺品の返還活動を行うNPO「OBONソサエティ」(米オレゴン州)を通じて日本遺族会に託された。書かれた内容から木村保さんの持ち物と分かり、県や土岐市の遺族会を通じて遺族を捜索したところ、おいとめいでいずれも妻木町在住の木村義典さん(74)、中嶋克子さん(74)、木村雅英さん(71)が見つかった。

 旗は日の丸の上に「祈 武運長久」と書かれ、保さんの無事を祈る四百六十八人分の名前が隙間を埋め尽くす。地元住民だけでなく、当時遠くに住んでいた親族の名前もあった。
 市遺族連合会の吉川時行会長によると、召集令状が届いてから出兵までは一週間ほど。吉川会長は「短い期間にこれだけの署名を集めたということは、息子の無事を願う両親が署名の依頼に奔走したのでは」と推察する。

 ガダルカナル島では一九四二(昭和十七)年八月、連合軍の猛攻により、日本軍は物資の輸送が滞り、多くの兵士が飢えや感染症で命を失った。日本遺族会の記録によると、保さんは島からの撤退が決まった二週間後の四三年一月十三日、命を落とした。死因は分かっていない。

 保さんは七人きょうだいの三男だったが、両親、きょうだいともすでに亡くなっている。日章旗は今月十六日、妻木町の義典さんの自宅で義典さんらおいとめいが集まる中、市遺族連合会を通じて返還された。

 「会ったことはないので顔は知らない。でも保さんという人が戦死したというのは伝え聞いていた」と義典さん。旗を一目見てその傷みの少ない保存状態に驚いたという。「(保さんにとって)一つ区切りがついたのでは。改めて『ご苦労さまでした』と言いたい」と語った。

 返還された日章旗は、一月一日から妻木公民館で展示される。

https://www.chunichi.co.jp/article/610454?rct=gifu&fbclid=IwAR0kGlnrXk5cKHVqMThAcPrm6zS6PPsVLUtyTF2PKxd0Wljy_jZS3m7ioaY
#flagreturn #japanesflag #obonsociety #obonソサエティ #ww2 #ガダルカナル島 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #岐阜 #戦没者 #日本遺族会 #日章旗返還 #英霊

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オボン・ソサエティ(OBON SOCIETY)による山田外務副大臣表敬(OBON SOCIETY pays a courtesy call to Mr. Yamada, Vice Minister for Foreign Affairs of Japan)

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オボン・ソサエティ(OBON ...
12月23日、午後2時から約40分間、山田賢司外務副大臣は、旧日本兵の「寄せ書き日の丸」を始めとする戦時遺留品の返還活動を行っている、レックス・ジーク及び敬子・ジーク・オボン・ソサエティ共同代表(Rex and Keiko Ziak, co-founders of OBON SOCIETY)一行の表敬を受けたところ、概要は以下のとおりです。

レックス・ジーク氏及び敬子・ジーク氏から、戦後の和解の重要性を強調しつつ、OBON SOCIETYの最近の取組や今後のビジョンについて説明がありました。

これに対し、山田副大臣から、日本兵の遺留品の返還は、日米の友情と絆を強固にする大変貴重な活動であり、引き続きの御活躍を期待したい旨述べました。

(参考)オボン・ソサエティ(OBON SOCIETY)
 米国オレゴン州を中心に活動する非営利団体。主に第二次世界大戦時に連合軍兵士が戦場から持ち帰った「寄せ書き日の丸(日章旗)」を始めとする日本兵の遺留品を日本の遺族の元へ返還する活動を行っており、日本遺族会からも委託を受けている。平成27年外務大臣表彰を受賞。 https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_009573.html?fbclid=IwAR36uP1uruJzGqsFVL4e4axIOKLQRJOqUD9qe3pvDTzF47EFjYiB2FHUx4Q
#flagreturn #japanesflag #obonsociety #obonソサエティ #pacificwar #veteran #ww2 #外務省 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #戦没者 #日章旗返還 #英霊

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SALT LAKE CITY (KUTV)/Salt Lake County father, son who helped solve World War II mystery returns home

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SALT LAKE CITY ... The return ceremony was hel... The return ceremony was held at Hiroshima Gokoku Shrine. Dick(Richard) Johnson Dick(Richard) Johnson Chris Johnson Chris Johnson
SALT LAKE CITY (KUTV) — A father and son from Salt Lake County have recently returned from Japan after helping to solve a World War II mystery.

It was a life changing moment in the lives of a family in Hiroshima, Japan; Dick Johnson and his son Chris traveled from Utah to provide them with closure after 78 years.

"It was a very tender and sweet experience," Dick Johnson said.

"There was a very special feeling. It was intense. It was an honor to return the flag," Chris Johnson said.

The flag marked the homecoming for 21-year-old Japanese solider, Norito Myochin who was killed during the 1994 World War II battle.

"They consider that to be his spirit and it's coming home to them," Chris Johnson said.
Japanese soldiers kept these "good luck" flags folded under their shirts. They were signed by friends and family but if they were killed, the flags were often taken from soldiers' bodies as war souvenirs.

"The family and everyone associated with them, were so thankful to see this flag," Dick Johnson said.

Dick's father, a World War II Marine, brought the flag home after the way but just recently the OBON Society used the signatures and writing on the flag to trace it back to the long lost soldier.

"They consider it to be his non biological remains," Dick Johnson said.
Dick and Chris are now back in Salt Lake. 2News retraced their trip with an exclusive video from the OBON Society, which worked tirelessly to return soldier flags to their families.

A rare look inside the Shinto Shrine in Hiroshima, where the flag was blessed, then presented to the soldiers nephew and 83-year-old sister, Keiko Hirota.
"She seemed very touched by seeing this flag that had belonged to her brother," Dick Johnson said.

It was a very big event that brought local leaders and a lot of press. The families exchanged photos, gifts, a handmade quilt and took time to reflect at the Hiroshima National Peace Memorial, the site of the atomic bomb blast.

"Back then we were on opposite sides of the war. Now 79 years later, we're connected as friends," Chris Johnson said.

Dick and Chris Johnson said they visited the Myochin's family farm and home where the soldier grew up.

"It was a very personal connection between our family and their family," Chris Johnson said.

Now, a moment that almost never came, thanks to a father and son who followed their hearts across the world. Keiko could finally lay her brother to rest.

https://kjzz.com/news/local/salt-lake-county-father-son-who-helped-solve-world-war-ii-mystery-returns-home-hiroshima-japan-japanese-flag-returned-closure-78-years?fbclid=IwAR0bL5aJtzTikQP8QAB-tU2hDxQqMXUnzN36jPGZxasm3oOoXYLgr6gx4xk
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デイリー新潮/81年ぶりに祖国に帰ってきた「日の丸」 米海兵隊員の子と孫が自費で来日、遺族に手渡す(Daily-SHINCHO featured Flag return in Hiroshima Prefecture )

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左からリチャードさん、クリスさ... 左からリチャードさん、クリスさん、明鎮俊成さん、広田系子さん デイリー新潮/81年ぶりに祖国...
多くのアメリカ兵が戦利品として持ち帰った “寄せ書き日の丸”

 1941年12月8日、日本海軍による真珠湾攻撃で戦争に突入した日米両国。開戦から81年の時を経て、象徴的な和解の場が訪れた。太平洋戦争時に米海兵隊員が持ち帰った寄せ書き入りの日章旗が、遺族に返還されたのだ。

 ***

「2年前、父から“寄せ書き日の丸”を受け継ぎました。その時はまだ、この旗に込められた意味を理解していなかった」

 そう語るのは、米ユタ州に暮らすクリス・ジョンソンさん(54)。海兵隊員だった彼の祖父は、太平洋戦争に従軍して生還。その時に持ち帰ったのが、漢字の書き込みだらけの日章旗だった。

「ある時、母が僕に『OBONソサエティ』の記事を見せてくれた。それを読んだ時に、自分たちがするべき“正しいこと”が何なのか分かったんだ」

 出征兵士の無事を願って故郷の親族や友人が寄せ書きした日章旗を、多くのアメリカ兵が戦利品として持ち帰った。それらを日本の遺族へ返す米NPO法人が、レックス&敬子・ジーク夫妻が立ち上げた〈OBONソサエティ〉だ。

遺族は「伯父も喜んでいるはず」

 彼らは広島に住む遺族を探し出すことに成功。12月4日、広島護國神社にて返還式が行われたのである。旗の持主は、南洋の激戦地ペリリュー島で戦死した明鎮憲登(みょうちんのりと)さん。遺族を代表して、妹の広田系子さん(84)と甥の明鎮俊成さん(56)が旗を受け取った。

「感無量です。これが日米の友好と平和の礎になってほしい。伯父も喜んでいるはず」(俊成さん)

 クリスさんと父のリチャードさん(79)は返還のため自費で来日。二人ともクリスチャンだが、神社での返還式に備えて前日から神道の正式な参拝作法を練習した。

「キリスト教では、すべての人は神の創造物。だから私たちの考えでは、米国人も日本人もみんな兄弟なのです」(リチャードさん)

 OBONソサエティはこれまでに400枚超を返還。なおも約2400枚の日の丸が、帰郷の日を待っているという。https://www.dailyshincho.jp/article/2022/12190600/?all=1
#flagreturn #japanesflag #obonsociety #obonソサエティ #pacificwar #veteran #ww2 #大東亜戦争 #太平洋戦争 #寄せ書き日の丸 #広島県 #広島護国神社 #戦没者 #日章旗返還 #英霊 #護国神社 #軍事博物館

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毎日新聞/開戦81年、戻ってきた「物言わぬ」証人 問いかける「戦争とは」(Japanese Newspaper featured Flag return in Hiroshima Prefecture )

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毎日新聞/開戦81年、戻ってき...
太平洋戦争の激戦地、パラオ諸島ぺリリュー島で戦死した三原市出身の海軍兵、明鎮(みょうちん)憲登さんが所持していた日章旗が4日、旗を保管していた米国人から明鎮さんの親族のもとに戻った。https://mainichi.jp/articles/20221208/ddl/k34/040/157000c
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OBONスタッフ手記/明鎮憲登命日章旗返還式(OBON staff's Note. Returning the remains of the war dead in Hiroshima)

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OBONスタッフ手記/明鎮憲登... OBONスタッフ手記/明鎮憲登... 昇殿参拝 昇殿参拝 OBONスタッフ手記/明鎮憲登...
捜索班の工藤です。令和4年12月4日、広島県三原市出身の海軍兵士【明鎮憲登】命の日章旗を返還すべく米国から旗の提供者であるジョンソン親子「クリス(元米兵孫)」さんと「リチャード(元米兵息子。自身もベトナム戦争帰還兵)さん」を迎え、広島護国神社で日章旗返還式が執り行われました。

兵士の出身地である広島県三原市(大和町)といのは実は私自身多少の所縁があるところのようで、母方の6代前の祖先は三原市豊田の本郷の出であります。そんな個人的な事を胸に秘めこの返還式に記憶にない懐かしさのようなものを感じながら準備をさせて頂いておりました。

また、旗の提供者でいらっしゃるジョンソン親子はアメリカはユタ州のリーハイ(レヒ)という町からお出でになられました。ユタ州は私が大学時代を過ごした同州のローガンから150kmほどの距離。米国西部での150kmというのはまぁご近所さんなわけです。なのでジョンソン親子がどのような背景から来られた家族であるか、割と親近感を持って知る事ができました。

そんな2つの家族の橋渡しをすることが出来て本当に嬉しく、名誉に思います。
式は4日の午前9時から広島護国神社にて昇殿参拝から始まりました。ご遺族側からは明鎮家の本家、各分家を代表する方々が14名も集まり、最年少は11歳の明里さん、最年長は御年84歳になられる「憲登」命の実の妹の系子さんでした。4世代の親族が参列される返還式は私自身初の事でした。世代を超えた縁を憲登命が結んでおられると実感します。

ジョンソン親子は前日に靖国神社を訪れ、参拝の作法などご自身で学ばれ、どのように振舞う事が日本の英霊そして日本の文化に最大限敬意を払う事が出来るのか真剣に考えられておられました。彼らの故郷のユタ州は宗教的にキリスト教を信仰する方が多く、彼ら自身も毎週日曜日には教会へ行き礼拝を行い、その身と心を常に清く正しくいられるよう心がける事に重きを置き人を敬い愛する事を知っておられました。

そんな両家は顔を合わせた瞬間からお別れになるまで数えきれないほどの「ありがとう」と「Thank you」を交わされました。

既に式の様子は各メディアが紙面、映像で報道されていますので是非そちらをご覧頂ければと思います。メディアでは伝えられていない式の後に行われた昼食会と兵士「明鎮憲登」命や今回参列された系子さんのご実家と明鎮家のお墓に訪問について少し触れさせて頂きます。

広島護国神社での式が終わり、両家を関係者30名での昼食会が催されました。場所は原爆ドームを望む「広島平和記念公園」の中にある建物。この建物自体も戦争の証人であり今なおその凄惨な出来事を我々に語り掛ける遺物でした。

30名が対面に着席しお弁当を頂きました。参議院議員の有村治子先生の発案で「いただきます」の発声は明鎮家の最年少世代の女の子2名が立ち上がり「合掌・いただきます!」と。こんなに未来を感じる光景はなかなか見る機会がありませんでしたので私も思わず大きな声で呼応してしまいました。

昼食を頂きながら30名がめいめい自己紹介と今回の返還式についての感想を述べました。明鎮家の皆様は旗をはるばるアメリカから持ってきて頂いたお礼を、そしてあらためて思う平和の尊さを口にし、地元遺族会の会長は旗に署名された110名もの懐かしい地元住民の名前に「みんな亡くなってしまった。直接にこの旗を見られたらどんなに喜ばれただろう。。」と言葉を詰まらせました。そしてジョンソンさんからは米国から来た自分たちを快く迎えてくださったお礼を述べられました。

参加者の中から「人種、宗教、世代を超えてこのようにご飯を囲む事が本当の平和の姿」だとお話がありました。本当にその通りだと思い一同大きく頷き、今目の前に広がる光景がそのものであると実感し胸に刻もうと誓いました。

会食を終えジョンソン家からはユタ州の観光地「ブライスキャニオン」のお土産や式を記念し作成された盾など多くのギフトが贈られました。会場には憲登命の海軍時代の写真、元海兵隊だった「リチャード・ジョンソン」さんや米国で暮らすジョンソンファミリーの写真が並べられました。外では「平和の鐘」が鳴り響いていました。

私たちは昼食を終え、明鎮さんのお招きで明鎮家の地元、憲登命や系子さんが育ったお宅と一族の眠るお墓のある大和町上徳良へ向かいました。

広島市内を抜け山陽自動車道を北上し約一時間の運転でしたが、都会から徐々に日本の原風景に様変わりする風景は私たちを八〇年前へタイムスリップさせてくるに十分なものでした。収穫を終えた田んぼに、野焼きの煙。落ち損ねてしわしわになった柿や少し色あせた竹林。かつて憲登命が見た風景の中に私たちは身を置いたのです。この山深い集落からお国の為と下山し海軍へ入隊され、遠く南国のペリリュー島へ向かわれたのだと思うと頭の中で唱歌「ふるさと」が流れてきました。

まず向かったのは明鎮家のお墓です。細い農道の横に一本の細い道が山腹に続いておりました。くるぶしまで積もった枯れ葉を鳴らしながら皆が手を取り合って五分ほど山に入ったところに墓地はありました。眼下に茅葺屋根の古民家を望む見晴らしのよい場所でした。江戸の昔からこの地で暮らされた明鎮一族とその家に仕えた使用人さんたちのお墓だとの事です。古いものはもう名前も分からぬほどに朽ちかけておりました。蝋燭を灯し、お線香を焚き皆で手を合わせ、憲登命の日章旗が故郷に帰還した事をご報告申し上げました。ジョンソン親子は初めての日本のお墓参りに「これは二礼二拍手。。??お線香?神道?」ってなってましたが、八万の神々を敬い、仏様に手を合わせる日本の風習にも理解を示され皆と同じように手を合わせておられました。

日没も迫る時間帯になり、私たちはいよいよ明鎮さんのお宅へ。明治の時代に建てられたこの家は140年近くこの場所で憲登さん含め多くの子供たちを育んできたそうです。系子さんやご親族の方々が代わる代わるにこの家での思い出を語ってくださいました。「ほら見えますでしょう?築山にある大きな木の、ほらそこに。あれは憲登さんの一番下の弟の保(タモツ)が小さいとき悪ガキどもといたずらをして木に彫ったんです。ほらここにも。昔はよくここであそんだわ。。」

お宅へあがると真っ先に目に入ってきたのは高い床。土間からゆうに1mはあがったところに床がありました。なぜこのような高床なのか誰も分かりませんでしたが、昭和の頃にはこの床下で鶏を飼っていたそうで、鶏の世話は子等の仕事だったと仰ってました。ご主人が奥のへと招き入れてくれたので中へ入るとそこにはびっくりするほどに大きく立派なお仏壇があり、職人の手業が光る逸品でした。欄間の透かし彫りは西本願寺の壁のしつらいを模して彫られたもので7人の職人がそれぞれの工程を担当し作り上げたお仏壇だとのお話でした。まずは帰還した日章旗をお仏壇に供え、お線香をあげさせて頂きました。皆が順にお線香をあげるものだから部屋はいつの間にか雲の中に入ったかのような煙にまかれてしまいました。これがリチャードさんには堪えたらしく、せき込み、涙を流しながら紅葉まんじゅうを食べていらっしゃいました。

笑いが絶えないとても貴重な時間をすごさせて頂きました。明鎮家からはジョンソン親子にそして恐縮にも私たちOBONにもお土産を頂きました。私は早速に自身の母親と日頃お世話になっている方へのお土産にと渡してしまい不覚にも写真を撮るのを忘れてしまいましたがそれはそれはとても心のこもった贈り物でした。

お部屋に飾れていた憲登命の父母様のお写真が朗らかにこの団欒を見守っていらっしゃいました。きっと今は憲登命も他の9人の兄妹(憲登命は12人兄妹の長男、内 系子さん含む2名がご存命)も同じようにこの集まりを見守っておられる事だと思いました。

私たちは持ちきれないほどのお土産とたくさんのありがとうを頂き帰路につきました。街灯もない集落は曲がり角さえ分からぬほどの暗闇に包まれていましたが、帰りの車内は皆興奮冷めやらぬ思いを言葉にしながらキラキラの笑顔を湛えて広島市内に戻っていきました。

また思い出す事があれば追記で書きたいと思います。
この度の返還、誠におめでとうございました。

返還式は三原市遺族会とOBONのジョイント共催で行われ、本当に多くの方々にご協力頂きました。この場を借りて三原市遺族会の岡本会長、広島護国神社の藤本宮司はじめ松下、佐伯禰宜、またお忙しい中、広島まで足を運び式でご挨拶を頂きました、有村治子参議院議員、日本遺族会市來副会長に御礼を申し上げます。他にも広島県内支部遺族会の会長さんたちも多く参列して頂き、そしてご寄付を頂き感謝してもしきれないほどです。本当にありがとうございました。

※多くの写真を撮影しませんがブログに載せきれませんでした。
こちらからどうぞ → https://www.facebook.com/OBONSOCIETY/posts/pfbid0bDXCKucVWRZBCbbgKeQ6XABUSmTXznbj9dcVXzuNoaoNXZgUZys6AS1KjyNg6e98l
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【動画】RCC中国放送/旧日本兵の日章旗がアメリカから遺族のもとへ「遺骨の代わりに帰ってきた」 77年ぶりの帰国…(Former Japanese Soldier's Japanese Flag Returns from U.S. to Family "in …)

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https://newsdig.tbs.co.jp/article... https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/222299?display=1 遺骨さえ故郷に戻らなかった兵士... 遺骨さえ故郷に戻らなかった兵士の遺品です。太平洋戦争で戦死した広島県三原市出身の男性の遺品となる「日章旗」が、アメリカから遺族の元に戻りました。 返還されたのは、三原市出身で、... 返還されたのは、三原市出身で、旧海軍の兵士としてパラオのペリリュー島で戦死した明鎮憲登さんの日章旗です。

日章旗は、アメリカ軍の元海兵隊員、リチャード・ジョンソンさんの家族が保管していました。受け取ったのは、憲登さんの妹・広田系子さんと、甥の明鎮俊成さんです。
日章旗は、およそ縦70センチ・... 日章旗は、およそ縦70センチ・横80センチ。「武運長久」など勝利と無事を祈る言葉とともに、家族や地域の人々の名前が記されています。多くの日本兵は、寄せ書きの日の丸をお守りとして身につけていたとされます。

一方、アメリカ軍などにとって日章旗は、敵軍のシンボル。当時は戦利品としての人気が高く、戦地から持ち帰ったものが今も世界中に残されたままだといいます。
リチャードジョンソンさん 「父... リチャードジョンソンさん
「父から日章旗のことを聞いたことはありませんでした。他のものと一緒に自宅に保管されていて、戦争体験について多くを語らない人でした」
日章旗の存在に気づいたのは、孫... 日章旗の存在に気づいたのは、孫のクリスさんでした。日章旗など遺留品の返還に取り組むアメリカのNPO「OBONソサエティ」に連絡を取り、憲登さんの遺族とコンタクトがとれたのです。

明鎮俊成さん
「(初めて連絡が来たときは)びっくりした」

激戦地・ペリリュー島で戦死した憲登さんは、遺骨すら日本に帰ることはありませんでした。

明鎮俊成さん「遺骨の代わりに形あるものが帰ってきた」
年の離れた妹の系子さんは、国を... 年の離れた妹の系子さんは、国を離れて戦地に向かった兄の記憶はほとんどないそうです。

広田系子さん
「6歳の時です、わたしが。一日、帰ってきたことがあるんです。あれだけ覚えている」

― 77年ぶりにお兄さんの遺品が帰ってきましたが、お兄さんは帰ってきたかったと思いますか?
「ええ、そう思います」
リチャードジョンソンさん 「遺... リチャードジョンソンさん
「遺族に日章旗を返還することができて幸せです。日章旗は御霊の象徴だとも聞きました。故郷に返すことができて感激しています」
「OBONソサエティ」によりま... 「OBONソサエティ」によりますと、これまでに日本兵の遺族などに返還できた日章旗はおよそ500枚…。団体は、今も故郷への帰還を待つ日章旗およそ2400枚を保管しているということです。
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STARS & STRIPES/Families of former WWII foes meet in Hiroshima for ‘good luck flag’ return

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A U.S. Marine’s... A U.S. Marine’s family returns a “good luck flag” to the family of a Japanese sailor during a ceremony Sunday, Dec. 4, 2022, at Gokoku-jinja, a shrine dedicated to the spirits of Hiroshima’s war dead. Akari Terahara, 11, holds a ph... Akari Terahara, 11, holds a photo of her relative, Norito Myochin, during a flag-return ceremony at Gokoku Shrine in Hiroshima, Japan, Sunday, Dec. 4, 2022. (Jonathan Snyder/Stars and Stripes) Chris Johnson returns Norito ... Chris Johnson returns Norito Myochin's "good luck flag" to the late Japanese sailor's relatives, nephew Toshinari Myochin and sister Keiko Hirota, during a ceremony at Gokoku Shrine in Hiroshima, Japa
Families of former WWII foes meet in Hiroshima for ‘good luck flag’ return

HIROSHIMA, Japan – A U.S. Marine’s family returned a “good luck flag” Sunday to the family of a Japanese sailor who carried it with him in battle during World War II.

Richard Johnson, 79, and Chris Johnson, 54, the son and grandson, respectively, of the late Richard Wanlass Johnson, a Marine veteran of World War II, returned the flag, or yosegaki hinomaru, to the family of Norito Myochin. The return took place at the Gokoku-jinja, a Shinto shrine dedicated to the spirits of Hiroshima’s war dead.

The Obon Society, an Oregon-based nonprofit that helps U.S. veterans and their families return old war trophies like flags and swords, organized the ceremony.

Japanese troops often carried with them a small national flag signed in ink by their friends and family as a token of good luck. The flag was folded and carried securely beneath their clothing onto the battlefield, according to the society.

Myochin died at the Battle of Peleliu, fought from September through November 1944 and marked by savage combat, according to the U.S. Naval History and Heritage Command. Nearly 11,000 Japanese troops were killed. U.S. casualties numbered 1,544 killed in action and 6,843 wounded in a fight many later considered unnecessary.

“Norito Myochin died when he was 22 years old in Peleliu,” Haruko Arimura, a member of the upper house of the National Diet, Japan’s parliament, said during the ceremony. “He was born on Sept. 21, 1923, and would have been 99 years old if he were still alive.”

Richard W. Johnson, of Lehi, Utah, served in the Marine Corps for 20 years and retired as a sergeant major. He joined the war in early 1943 and fought in New Guinea, Okinawa and Peleliu.

“When he came back from the war, I was about 2, 2 ½, and then he resumed his life and he never spoke of this flag,” the Marine’s son told Stars and Stripes on Friday. “Only once that I ever got him to talk about his wartime experiences was about a year before he was killed in an airplane crash.”

Richard W. Johnson died at age 60 in 1978, his son said.

“When my father died, I inherited this flag and, frankly, another one,” he said.

He said the flag was kept in a drawer and taken out periodically by the Marine’s curious grandson, Chris Johnson.

“About two years ago Christopher asked if he could have the flag, which I was happy to give to him,” Richard Johnson said.

At the time Chris Johnson didn’t know how meaningful the flag is to the Myochin family.

“I found it fascinating, and I knew it was historically significant,” he told Stars and Stripes on Friday. “I didn’t know what to do with it, but I just asked if I could have it and I just had it in the storage until I found out about Obon Society.”

Chris Johnson sent photos of the flag to the society and in April it discovered the flag belonged to Myochin and contacted his family.

“I’m very happy” that the flag was returned, Myochin’s sister, Keiko Hirota, 84, said at Sunday’s ceremony.

Myochin volunteered to join the Japanese Imperial Navy, according to his nephew, Toshinari Myochin.

His family is happy to have something that stands in their memory for the missing sailor himself, his nephew said at the ceremony.

He said the family will offer it at a Buddhist altar.

“Hopefully this brings some closure to the family,” Chris Johnson said.


By JONATHAN SNYDER AND HANA KUSUMOTO
STARS AND STRIPES • December 5, 2022

https://www.stripes.com/theaters/asia_pacific/2022-12-05/hiroshima-good-luck-flag-obon-society-8305992.html?fbclid=IwAR0jIDSBoZlMdNyDXlNI18hGyXS9S98yRiiSioJ3wVV2fxF9eyqflSpGvjw
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中国新聞/「武運長久」110人が寄せ書きの日の丸返還 遺骨は戻らずとも涙の妹・広島(The Japanese flag signed by 110 people.Even though her brother's remains were never returned, her sister …

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中国新聞/「武運長久」110人... 中国新聞/「武運長久」110人... 中国新聞/「武運長久」110人...
 太平洋戦争の戦地に赴き、21歳で戦死した三原市出身の旧海軍兵、明鎮(みょうちん)憲登(のりと)さんの日章旗の寄せ書きが4日、遺族の元に返された。米NPO「OBON(オボン)ソサエティ」の仲介で、旗を保管していた米兵の遺族が来日。この日、広島市中区であった返還式で手渡した。

 縦約70センチ、横約80センチ。明鎮さんの名前と「祈 武運長久」などの言葉が大きく記され、古里の親族、住民たち約110人の寄せ書きがある。明鎮さんは海軍に志願し、1944年に南太平洋パラオのペリリュー島で亡くなった。遺骨は戻っていない。

 広島護国神社であった返還式には、約30人が出席。米兵の息子リチャード・ジョンソンさん(79)、クリスさん(54)の父子が、明鎮さんのおいの俊成さん(56)=南区=に旗を手渡した。同席した明鎮さんの妹広田系子さん(84)=東区=は「兄は幼い私と遊んでくれた」と涙を流して喜んだ。

 クリスさんが、他の日章旗の返還に関する記事を読み、NPOに協力を求めたという。リチャードさんは「米海兵隊員だった父も、返還を喜んでいるはず」と話していた。https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/245580
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読売新聞/戦地の日章旗 遺族に返還 明鎮憲登さん 米から パラオ出征男性の遺品 (Japanese Newspaper featured Flag return in Hiroshima Prefecture )

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読売新聞/戦地の日章旗 遺族に...
米から パラオ出征男性の遺品

太平洋戦争中、パラオ諸島で戦死した旧神田村(現三原市)出身の 明鎮憲登みょうちんのりと さん(当時21歳)が戦地に持参した日章旗が4日、米国側から遺族に返還された。

旗は縦約70センチ、横約80センチ。「祈武運長久 明鎮憲登様」の文字とともに、親族ら110人の名前が寄せ書きされている。明鎮さんは、日本軍の航空基地があった同諸島南部のペリリュー島で死亡したとされるが、遺骨は戻ってこなかった。旗は元米軍海兵のリチャード・ジョンソンさん(1978年に60歳で死去)が米国に持ち帰り、保管していた。遺品を返す活動を行う米オレゴン州のNPO法人「OBONソサエティ」が調べたところ、今年4月に明鎮さんの所持品とわかった。


この日、広島市中区の護国神社で返還式が開かれ、明鎮さんのおいの俊成さん(56)(広島市南区)や妹の広田系子さん(84)(東区)ら親族14人が出席。来日した元米兵の長男、リチャードさん(79)と孫のクリスさん(54)から直接、旗が手渡された。

旗を受け取った系子さんは「兄の日章旗が返ってきて本当にうれしい」と涙を浮かべ、俊成さんは「伯父が肌身離さずお守りのように持ち歩いていた寄せ書き日の丸は遺骨と同じ。実家の仏壇に供えて供養したい」と話した。https://www.yomiuri.co.jp/local/hiroshima/news/20221204-OYTNT50191/?fbclid=IwAR1gXXIcPm00qaosL-PNOFINb_aC4LXkc07cB-BmS1KaQukv7bedJXDVyGA
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