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もの言う牧師のエッセー 再投稿

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第308「 正岡子規 」
 
  「柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺 」などで知られる俳人・正岡子規が生誕150年を向かえた今年、死の前年の正月に詠んだ未発表の5句などが載った冊子が見つかった。
 
調査を行った国文学者で神奈川大名誉教授の復本一郎氏は、発見された5句の中で最も印象的な句に「暗きより元朝(がんちょう)を騒く子供哉(かな)」を挙げ、「お正月にワクワクする子供たちの姿を詠んだ句。かつてあった日本の正月の風景が浮かぶようだ」と話すように、子規の最大の功績は、現在の俳句・短歌には難解なものが多いのに対し 、「分かりやすく、読者に語りかけるような作品 」であること。そして、事物を見たままに写しとる「写生」の重要性を訴えたことで、今回見つかった5句も明治期の正月の情景を見事に描写している。また、それは明治という近代主義とも重なった主張でもあり、現代の日本語散文の成立に大きな影響を及ぼした。
 
とは言うものの、この頃の子規は、翌年に34歳の若さで死去していることからも分かるように、脊椎カリエスに侵され、 臀部や背中に穴があき膿が流れ出るようになり、歩行不能どころか座ることさえ困難になり、ほぼ寝たきりで寝返りも打てないほどの激痛と闘っていた。にもかかわらず、彼と周囲はとことん温かく生き生きしている。
私個人は「鶏頭の十四五本もありぬべし」が大好きだ。彼の住んでいた東京台東区の「子規庵」の庭には、洋画家の中村不折から贈られた鶏頭が十数本植えられていたが、病に臥せていた彼が病床から庭先の鶏頭を喜び愛でるディーテールが明滅し、子規の豊かな感受性と表現力に圧倒される。
 
「主をほめたたえよ。主をおそれて、
 そのもろもろの戒めを、大いに喜ぶ人はさいわいである。」
   詩篇112篇1節:口語訳、
 
と聖書にあるが、言うまでもなく“喜び”は”幸せ“とは異なる。喜ぶは能動的な努力が必要な動詞であり、幸せは受動的で形容詞的な”運“と言える。もろもろの苦悩が錯綜する21世紀の現代、ブツブツ不平を鳴らし不幸に埋もれる御仁が多い。だが覚えよう。キリストを心から信じる者は、喜べる者となれることを。子規のような感受性を持たなくても、神の力で誰でも出来る。
2017-11-10

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