あの時、あっしは京都にいた。 何故か寝付けなくて、朝方まで起きていた。 そして、ものすごく揺れた。 でも多分、阪神辺りとは比にならなかったんだと思う。 近郊でありながら、随分温度差があった。 「地震の大きさ」という意味だけでなく、被害の認識についても。 オンタイムで放送していたTVの情報でさえも相当錯綜していた。 時間が経ち、東日本で教訓として役立っていただろうか、と考えてしまう。 結局、未曾有の被害の前では、どれほど時代が進もうと人間は非力であり、脆弱だ。 ヒトがあてにならない、として備えなければ。 生き残るために、何が出来るか。