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21.不育症の医学的定義

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21.不育症の医学的定義
不育症の医学的定義をご存知ですか?


関連する医学用語のなかで、はっきりしている定義は、
日本産科婦人科学会の統一見解として、1981年に発表された、
「連続3回以上の自然流産を繰り返した場合を習慣流産という。」
というものだけです。

医学界の付随した定義として、
「連続2回の自然流産を繰り返した場合は、反復流産という。」
とされています。


「不育症」という医学用語は、
私の知るかぎりでは、
1990年ごろより、徐々に使われてきていると思います。
「不妊症」と対比して考えたとき、
一般の人から見ても、
「不育症」として大きくまとめたほうが
わかりやすい
と考えるようになってきたからだと思います。

実際に、私も1983年より、
流産、習慣流産、反復流産についての論文を書いてきていますが、
「不育症」という医学用語についての論文は、
1990年が最初です。

その最初の論文では、

「不育症とは、流産あるいは死産をくり返すために、
生児を得られぬ病態のことであるが、
妊娠24週未満の分娩にかぎられる反復流産あるいは
習慣流産の病態と多くの部分で重複している。」

と記載されています。


1993年の論文では、

「不育症とは一般的に、妊娠は成立するが流産・死産を
くり返すことにより、生児の得られない病態を意味し、
反復流産・習慣流産と同義語として使用されている。」

と記載されています。


わかりやすく解説すると、

「不育症とは、反復流産と習慣流産を含んでいて、
それ以外に、
妊娠24週以降の(反復する)死産も含んでいる。」

と定義されると考えられます。
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20.ある不育症患者さんの手記(2−7)

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20.ある不育症患者さんの手記...
〜3人の我が子にありがとう〜


35週6日、少量の出血があり、
子宮口は2〜3cm開いている。
いよいよかな?

しかし、1週間くらい、おしるしが続く人もいるらしいから、
すぐに陣痛が来るわけでもなさそうだ。


36週0日、
生理痛のような痛みとお腹の張り、
前駆陣痛かもしれないと言われていたが、
夜になり、痛みが増してきた為、
これは陣痛なのでは?と思い始め、
機械でお腹の張りの間隔を見てもらおうと、
ナースコールをする。

念の為に、夫に電話をいれる。
「 陣痛かどうか分からないけど、病院にきてくれる? 」

陣痛室に入り、子宮口を見てもらうと、
なんと7cmも開いている。
自分でもびっくり。
やっぱり陣痛だったんだ。

その後は、あっという間に痛みが増して、分娩室へ。

後に、喜びが待っている痛みなのだから、
「 痛い 」
という言葉は口に出さないようにしたいと思っていたが、
ちょっと無理だった。

助産師さんが、
「 そうだね。痛いよね。 」
なんて言ってくれるから、余計と甘えて出てしまう。

「 痛い! 」

「 オギャー! 」 

大きな声が、分娩室に響き渡った。

初めて聞く我が子の声。

白い脂で包まれた生まれたばかりの赤ちゃんを
胸に乗せてもらう。

これこれ、赤ちゃんの臭い。

病室に戻り、一睡もしていなかったのに、
頭が冴えて眠れない。


亡くなった2人の子供のことばかり思い出され、
声がもれないように
必死に抑えて 泣 い た。


元気に生まれた赤ちゃんを見て、
亡 く し た 命 の 大 き さ に、
改めて気付かされた。


「 苦節何年、この赤ちゃんは宝物だね。 」、
「 今まで色々あったから可愛いでしょ。 」

というような事をよく言われるが、
私にとっては、

3 人 と も  同 じ く ら い 可 愛 く て、
宝 物 だ と 思 っ て い る。

流産、死産は悲しい出来事だし、
もう2度と経験したくないが、

だからと言って、
自分は不幸だとは思っていない。

今の自分があるのは、
子供達のおかげだと思っている。


2人の子供に教えてもらった大切な事を、
生まれてきた新しい命に伝えていきたい。


終わり。
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19.ある不育症患者さんの手記(2−6)

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19.ある不育症患者さんの手記...
〜3人の我が子にありがとう〜


不育症の検査も終わり、治療方針も決まった。
そして、3人目の赤ちゃんが
私のお腹の中にやって来てくれた。

妊娠が判明し即入院。

フラグミンの24時間点滴が始まった。
週2回ある内診の日は、いつも緊張と不安で一杯だった。
内診台にあがり、
エコー画面を見る先生の表情をちらりと伺う。

「 なんだかいつもと様子が違う? 」
「 難しそうな顔をしている? 」

妄想が広がって、
「 今回は残念だったね。 」
そんなフレーズが頭を過ぎる。

私の不安を察するかのように、
先生は、画面をみて第一声、


「 赤ちゃん元気だよ。 」
と言ってくれた。

よかったー。
安心して小さな手足を動かす赤ちゃんを見ることが出来た。

入院中は、他の不育症患者の方とも親しくなれた。
不安な気持ちを言い合うだけで、
自分だけじゃないんだと気持ちも楽になった。


妊娠後期になり、お腹が頻繁に張るようになった。
切迫早産で、再び入院となった。

2人目の子をウテメリン内服して2日目で死産した為、
ウテメリンに対してとても恐怖心を抱いていた。

点滴が刺され、
お腹に機械をつけて張りと赤ちゃんの心拍数を計っていく。

ふと、心拍が途切れた。
サーッと血の気がひいて、
急いでナースコールを押す。

「 赤ちゃんが動いて、機械から外れてしまったんだよ。 」

そう聞いて、ホッとした。

ウテメリンが直接死産につながった訳ではないと、
先生に説明してもらったが、
それでも不安は消えなかった。


朝夕のドップラーも、私には恐怖だった。
お腹の上で何度も位置を変えながら、
心音を探していたあの時の様子が、
トラウマになって思い出される。

毎朝、胎動を確かめる。
うん、動いてる大丈夫。
次の朝、今日も元気だ、
よかった。
絶対無事に生まれてくる。


そんな未来が分かっていたら、
もっと楽しく
お腹の赤ちゃんと毎日を過ごすことができるのに、
お母さんは 
いつも、いつも、心配ばかりしていてごめんね。


私の中に赤ちゃんを入れておくことが、
赤ちゃんの命取りになるような気がして、
切迫早産で入院しておきながら、
1日でも早くお腹から出てきて欲しいと願っていた。

私は、赤ちゃんのことを第一に優先して
元気なうちに取り出してほしいと、帝王切開を希望した。

先生と話し合って、ウテメリンをはずして、
38週0日までに自然に陣痛がつかなければ、
帝王切開をすることになった。

今までは、
陣痛促進剤を使っての分娩しかしたことがなかったので、
自分の体の力でおこる陣痛はどんなものなのだろうかと、
興味もあった。

「 オギャー。 」
なんて産声を聞いたら、感動するんだろうな。
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18.ある不育症患者さんの手記(2−5)

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18.ある不育症患者さんの手記...
〜3人の我が子にありがとう〜


毎朝、基礎体温を測るのが日課となった。
昔から酷い生理不順だったのが、
1人目を流産した後から、
だんだん定期的に生理が来るようになり、
2人目を死産した後は
基礎体温のグラフも高低きれいに描けるようになり、
決まって生理も来るようになった。

それを先生に話した所、

「 それは、赤ちゃんのおかげだよ。
赤ちゃんがお腹にいたから、
子宮内の環境がよくなったんだよ。 」

というような説明をしてもらった。

「 子供達は笑うことも泣くこともなく、
短い一生を終えてしまったのに、
私は、また、新しい命を望み、幸せになっても良いのだろうか 」
と、
亡くなった子供達に対して、
なんだか申し訳ないような気がしていた。

しかし、先生の話を聞いて、

「 いつの日か私が、
赤ちゃんを抱くことが出来るように、
体を整えてくれていたんだ 」

と思えるようになり、
子供たちに対して、また一つ、

「 ありがとう 」 が増えた。
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17.ある不育症患者さんの手記(2−4)

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17.ある不育症患者さんの手記...
〜3人の我が子にありがとう〜


そんな時、
「 不育症 」 という言葉を知り、
青木先生を知る事となった。

妊娠初期での流産を繰り返すという人は多くいても、
私のように中期、後期で・・・
という人にはなかなか出会えず、
原因はあるのか治療は出来るものなのかと
不安になっていた。

そして、私の疑問や不安を青木先生にメールで送ってみた。
翌日、まさかこんなに早く返事を頂けるとは思っていなかった。


「 死産された胎児は男の子でしたか?
女の子でしたか?
名前は付けられましたか?
今は十分に供養してあげることが何よりです。
自分を責めてはいけません。
誰に対しても責めないで下さい。
あなたの赤ちゃんは、
あなたの子宮の中で精一杯生きたのですから。 」


「 まだ、若いから。 」
今まで死産をした病院では、
そんな言葉くらいしかかけてもらえなかった。

若いなら、赤ちゃんが死んでしまっても大丈夫なの?
死んだら、また、次に産めばいいというものなの?


青木先生から、亡くなった赤ちゃんに対する言葉をもらい、
すごく嬉しくて、涙が出て仕方なかった。
真っ暗闇の中に、光が差した様だった。
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16.ある不育症患者さんの手記(2−3)

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16.ある不育症患者さんの手記...
〜3人の我が子にありがとう〜


退院後、
私は自分の気持ちを分かってくれる人はいないかと、
救いを求めるようにインターネットで
同じ境遇にあった方を探した。

そして、死産を経験された方が
辛い気持ちになった時に思い出す、
あるお坊さんの言葉として
紹介されていた文章に私も救われた。


「 人間は、この世に生を受ける時、
神様からこう問われるそうです。
あなたは、この両親の子として
生まれても○○才までしか生きられないが、
それでもいいですか?
この問いに、 イエス と答えた命が
この世に誕生します・・・ 」 

そんな内容だった。


「 子供たちは、
少 し の 間 で も い い か ら、
私達のもとへ来たかったんだ。 」

そう思えた瞬間、ふと気持ちが楽になった。

「 あの時こうしていたら、ああしていたら、
死なずに済んだんじゃないか 」

そんな思いでいてはいけない。

自分達の命と引き換えに、
子供達は、
大切なことを色々教えてくれた。

それまでは、
妊娠=出産 だと当たり前のように思っていたが、
命はすごく尊いもので、
そんな当たり前のものではないのだと分かった。

辛い日々の中で、
本当の人の優しさに気付くことができた。
たくさんの事を私に残してくれた。


お母さんの所へ来てくれて本当にありがとう。


そう感謝し、
子供達の運命を素直に受け止めることが
一番の供養になるんじゃないか、
そう思えるようになった。
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15.ある不育症患者さんの手記(2−2)

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15.ある不育症患者さんの手記...
〜3人の我が子にありがとう〜


1年後、
子供が欲しいとずっと願っていたのに、
いざ高温層が続くととても複雑な気持ちになった。

妊娠しているのか早く知りたい。
でも、それを知ってしまったら、
また、赤ちゃんが死んでしまうのではないか
という 恐 怖 心 と毎日戦っていかなくてはならない。

そんな気持ちが交錯していた。
複雑な思いを胸に検査薬の判定は 「 陽性 」。
手が震えた。


ある日、
妊娠した事を友人に伝えた。

「 うわぁー、よかったね。 」
「 でも、また前みたいな事になるんじゃないかって不安で・・・。 」
「 えー!そんな事思っていちゃ駄目だよ。 」

ひどい言葉を言われた訳でもないのに、
涙が溢れそうになった。
私の不安な気持ちは、認めてもらえないんだ。

昔からの友人であっても同じ経験をした人でないと、
気持ちは理解してもらえないのだろうか?

それからは他人の言葉で傷つくのを恐れ、
夫と自分の両親以外には妊娠を報告することができなかった。


今回は、大きな総合病院を受診する事にした。

健診の前日から、緊張と不安で一杯になり、
病院に着いて血圧を測るといつもより高く、
心拍数も100を超え、
まるで運動した後のように心臓がドキドキしていた。

それでも、なんとか無事に週数を重ねていった。


妊娠30週。

前日、寝る前には、お腹を力強く蹴っていた胎動が
朝になってみると全く感じられない。

昼頃になり、病院へ電話を入れた。
日曜だったが、ちょうど主治医が当直で、すぐに病院に駆けつけた。

エコーで様子を確認する先生の肩がガクッと落ちた。

「 どうして。心臓が止まっている。えー、なんで、どうして。 」

私も、あれだけ毎日元気に動いていた子が、
今日はピクリともしないという事が異常なことだと分かっていたが、
現実を受け入れたくなくて、

「 本当ですか?本当なんですか? 」と、
何度も聞き返した。

あまりにも悲しい事実を突きつけられ、涙も出なかった。


これ以上、
お腹に赤ちゃんを入れておくことも出来ない為、
子宮口を広げる処置がとられ、
翌日、陣痛促進剤を投与された。


「 産 み の 苦 し み 」というけれど、
後に喜びが待っていない苦しみは、
どう乗り越えたらいいのだろうか。


私は、1人目の子をこの目でみてあげられなかった事を
後悔していた。
だから、今回は、
この手で赤ちゃんを抱きたいと思っていた。

分娩台にタオルで包まれた赤ちゃんが連れてこられた。
私にそっくり。
まるで眠っているかのようだった。

お腹にいた時のように話しかけ、
決して忘れないように瞼に焼き付けた。

夫が涙を流していた。
初めてみる涙だった。


子供が死んでしまったと知った時、
自分も一緒に
死にたかった。


けれど、子供の姿を見て、

「 命を無駄にしてはいけない。
この子が経験できなかった喜びも、苦しみも、
全て、私が引き受けて生きていかなければならない 」。

そんな風に思え、夫にも話し、また2人で涙を流した。
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14.ある不育症患者さんの手記(2−1)

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14.ある不育症患者さんの手記...
手記の2回目として、
妊娠中期と後期に2回も死産を経験された
患者さんの手記を、
編集して、ご紹介させていただきます。

この患者さんからも、
「 医学的根拠を 実 践 す る 医療 」 とは別の、
人間として、
多くの大切なことを教えていただきました。



〜3人の我が子にありがとう〜


「 死産された胎児は男の子でしたか?女の子でしたか?
名前はつけられましたか?
今、あなたが成すべき事は、2人の死産した胎児を
心から供養してあげることです。 」
私が、当時の城西病院でお世話になろうと決めた青木先生の言葉。

ある日、初めての妊娠が分かった。
まだ、人間への進化をたどっているような小さな小さな体にも、
ちゃんと心臓がついていて、しっかりと鼓動している様子に、
胸が熱くなった。


妊娠5ヵ月の健診。

胎児の心音を確認する為に機械をお腹にあてるが、
いつものあの元気な「ドクドク」という音が聞こえない。
嫌な予感がした。
先生は、色々角度をかえて心音を探している。

「 あれ?おかいしなー 」とつぶやきながらエコーをお腹にあてる。
「 これは、いかん。赤ちゃん死んでるよ。 」

悪い予感が当たってしまった。
血の気が引くというのは、こういう事を言うんだろう。
頭が真っ白になった。


会計を待つ間、
自分の置かれている立場がまるで他人事のような気がしていた。

病院を出て、夫の車に乗り込み、初めて涙が流れた。

「 ご め ん ね、赤ちゃん。
ずっと一緒にいてあげられなくてごめんね。 」


産む・出産・・・そんな言葉は
生きている子供にしか使えないのだろうか?
陣痛促進剤を使って、
分娩の処置がとられた。

お腹の痛みが徐々に増していく。
まさか、こんなに早くお産を経験するなどと思っていなかった。
分娩台に上がり、
いつどのタイミングでいきめばいいのか分からない。
助産師さんが、私のお腹を痛いほど、グイグイと押す。

ここで「いきむ」というのをやってみたらいいのかな?
たった1回でスルっと赤ちゃんが出てきた。
「 上手に出来たね。 」 助産師さんが言った。

私は、赤ちゃんを見るのが怖くて、
ぎゅっと目を閉じていた。
5ヵ月の赤ちゃんはどんな姿をしているのだろう?
怖かった。

しかし、
それ以上に赤ちゃんの姿が目に焼きついて
後から悲しみがもっともっと大きく膨らんで
ずっと後をひきそうな気がして怖かった。

その後、子宮内容除去術という手術を受けた。
腕に麻酔を打たれ、
13まで数えたがそれからの記憶はない。


わたしは、真っ白な世界にいた。
一生懸命、目を開いても何も見えない。
死ぬ瞬間って、こんな感じなのかな。
手をつねっても痛くない。
顔をさすってみるが、あまり感覚がない。

気持ちが悪い。
吐こうとするが、のどがカラカラで吐けない。
麻酔から覚める時は、
朝目覚めるのと同じように起きられると思っていた。
こんなに苦しいものだとは思わなかった。

急に、自分がすごい罪を犯したことに気が付いた。
私は、赤ちゃんを死なせてしまった。
この苦しみはきっと罰なんだ。


白木の箱にいれられた赤ちゃんが
夫の手に渡された。
夫に頼んで、その箱を抱かせてもらう。
顔を見てあげることは出来なかったけれど、
赤ちゃんの重みを感じたかった。
今も、手の中に残るフワっとした感じ。


流産を経験してから、
子供が欲しいという気持ちが一層強くなった。

お腹の大きな妊婦さん、ベビーカーに乗った赤ちゃん、
TVで流れるオムツのCMですら、
私にはすごく眩しくて、目をそらしてしまった。


ドラマの中でヒロインが妊娠する。
次の回ではもう出産・・・そんなに簡単なものではない。
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13.医療者側からも受けるストレス

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13.医療者側からも受けるスト...
流産や死産を繰り返して経験すると、
思いがけない人からも、
予想外のストレスを受ける場合がよくあります。

そのストレスは、たとえば、
医療者側からもあるのです。
良かれと思って言われた言葉、
また、
かたよった考えによる助言
などによるものです。


城西病院で不育症患者さんを診させていただいた当時、
その看護に従事していた助産師さん(Sさんら)、看護師さんを中心に、
医療者から受けたストレスについて調査しました。
その主な結果では、

「たまたま、2度 流産したのです。」
「5〜6回妊娠すれば1回くらいうまくいきます。」
「流産の経験なんて、ほとんどみんなあります。」
「化学的流産はよくあることだから、なかったことにしましょう。」

また、検査や治療について、
「2度の流産では検査はしません。」
「不育症には原因がないことが多いのです。」
「流産には治療はありません。」
「バファリンを飲んでだめなら何をしてもだめです。」
「ヘパリン?まったく必要ありません。」
「そんなに遠い所まで治療に行ってお金の無駄です。」
「あなたはもう手に負えません。」

などを、
な げ や り な 態 度 で言われたこが
ストレスになっていました。


最近では、医療者からではないですが、
親友から、
「あなたみたいになりたくないから、
早く妊娠したんだよ。」
と明るく言われて、
人間不信、抑うつ状態なってしまった患者さんもみえました。


以前にも書いていますが、
「3回流産すると、人格が変わる。」
と考えるまで、追い込まれてしまう場合があるのです。

ストレスと向かい合うしかないのです。
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12.ある不育症患者さんの手記(1−5)

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12.ある不育症患者さんの手記...
〜私たち夫婦には生まれてこられなかった
5人のあかちゃんがお空にいる〜


そして、次の月に6回目の妊娠。
娘がお腹に宿った。

4度目の入院で初めてフラグミンではなく、
朝晩のヘパリン注射になる。
正直、フラグミンは窮屈だったので、
ヘパリンになり開放感があった。
外出も容易になったので思い切って、
朝のヘパリンを打って外出し、
病院へ戻るのは、
夜のヘパリンの時間という生活をずっと続けた。


暇を持て余して病院にいるより、精神的にとてもよかった。


今まで、赤ちゃんへの影響を心配し、
飲むのをためらっていた
精神安定剤 も 毎日飲む。


先のことより、
とにかく 今 を 大 切 に、
今 こ の 時 を
乗り切りたいと思っていた。


今 ま で と は 違 う 何 か をしたかった。


心拍を見たのは初めてだった。
それは、力 強 く 鼓 動 していた。


内診台の上で、しばらく涙ぐむ。
この台の上でこんな涙が流せるなんて・・・胸が熱くなった。

この子を絶対に失いたくない!
お母さんも頑張るから、
赤ちゃん、
あなたもしっかりとお母さんのお腹につかまってるんだよ。
そう、語りかけた。

だんだん2頭身になり、人間らしい形になっていく。
へその緒が見えたり、動いたり・・・まだ少し怖いけど、
大嫌いだった内診の日が待ち遠しくもなる。


そして、迎えた無事退院の日、


今度は空っぽのお腹じゃなくて12週の赤ちゃんと一緒。
帰り道、すれ違う人たち皆に、聞いて!
私のお腹に赤ちゃんがいます!
元気に育ってます!
そう言って歩きたい程、うれしかった。


自分が女性として、
欠陥品の様に思えてどんどん卑屈になって、
暗い顔で泣いてばかりだったあの頃、
ずっと側で支えてくれた主人にも
本当にありがとう。


夜中に、突然、絶望感が襲ってきて、
吐く程泣き続けてしまったことがあったけど、
あの時は、落ち着くまで、

ただ 抱 き し め て くれてありがとう。



Dr青木のコメント:

( この患者さんのこころの変化が、
あかちゃんに通じたのではないでしょうか。

私とスタッフでできることは、
それほど大きなものではありません。

今回、
患者さんとの相談の上で、
従来の身体的予防治療以外に、
心身のリセットを助ける目的で、

ステロイド療法と
カウンセリング、
精神薬物療法を

追加して治療しました。 )



私が経験した幾度かの悲しい出来事は、

きっと私の人生にとって意味のあることだったはず。

乗り越えなければならない試練だったと。


〜私たち夫婦には生まれてこられなかった
5人のあかちゃんがお空にいる〜

終わり。
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