〜私たち夫婦には生まれてこられなかった
5人のあかちゃんがお空にいる〜
そして、半年後、5回目の妊娠、3回目の入院。
「 だめ元できました。 」
そう看護師さんに笑顔で言ってみたけど、
内心は真剣そのもの。
でも、軽く考えているフリでもしなくちゃ、
この緊張状態に耐えられない。
でも・・・またしても、経過がおもわしくない。
あまり成長していなかった。
辛い・・・誰ともしゃべりたくない。
Dr青木のコメント:
( 精神的ストレスがマグマのように顔を出ていました。
この時点で、
精神的な安定剤の助けを借りて、
もっともっと自分にやさしく、
自分と向き合って、
自分の弱さを認め、
がんばらずに、
すべてを許し、
一度、
心身のリセット をして、
できるだけ、
生まれ変わったようにしてみましょう。
と、お話しました。 )
心も体も、もう限界。
少し休もう!
あきらめるか、病院を変えるか、
再度、青木先生の元で挑戦してみるか、
どっちにしろ1年間は子供のこと、流産の事、
何も考えずに暮らしてみよう。
毎朝計る体温も、毎月排卵日を気にするのも、
不妊の本を読みあさるのもやめよう。
全てから開放されたかった。
度重なる処置と心労で体調も悪かった。
生理周期の乱れや生理の血量が減ったり、
注射を打たないと排卵しなかったり。
通院が辛かった。
お腹の大きい妊婦さんがすごく誇らしげで、
女性として完全に負けた気分になる。
待合室の隅に座り、
下を向いている自分がひどく惨めで、
涙が溢れた。
あの人たちと私の何が違うんだろう?
欲しくて 欲しくて たまらないもの、
でも、
どうしても手に入らないものを持っている人たちに対して、
とても意地悪な気持ちになった。
人を恨んだり、妬んだり・・・
ちっともやさしい気持ちになれない自分が嫌で、
不妊専門のカウンセリングを受けてみたりした。
誰にも言えない、理解されにくい気持ちを
ひたすら聞いてもらうだけで、
閉じて、ささくれたっていた心が少し楽になった。
入院中にお友達になった子に勧められて鍼灸へも通った。
ウォーキングに励んだり、
食生活を見直し、
体の冷えの改善をしたり、
バイトして毎日忙しくして
赤ちゃんのことをあきらめ切れないながらも
考えない様に努めていた。
最後の流産から1年程たって、
また、挑戦したい気持ちにもなりつつあったけれど、
怖い・・・怖くてたまらない。
内診の日が怖い。
台に上がって、
先生の言葉を待つ時間が怖い( ほんの2〜3秒だけど )
入院生活に心が耐えられるのか、自信がなかった。
前へ進みたいけど、
1歩が踏み出せなくて先送りにしていた。
そんな頃、3度目の入院の時に出会った友達が
“ひろはまかずとし”の詩集をプレゼントしてくれた。
愛知県蒲郡郡出身の詩人で、
その人の詩と絵が私がとても好きだといったのを覚えててくれて、
贈ってくれたのだ。
その詩集のタイトルは、
“きっと大丈夫”。
その言葉が、心の深い所へ染みていき、
勇気に変わった。
前へ進もう!
〜私たち夫婦には生まれてこられなかった
5人のあかちゃんがお空にいる〜
自宅へ帰ってからも、とにかく無気力で泣いてばかりいた。
今のこの状況、辛い日々から抜け出すには、
とにかく次の妊娠しかない。
私の頭の中は、赤ちゃんの事しかなく、
とにかく一直線になってしまっていた。
そして、4人目の赤ちゃんがやって来た。
今度は不育の人が集まる部屋は嫌だった。
どうしても経過を比べてしまう。
成長の1ミリの大小でも不安になり、
尿の数値の多少も気になる。
つわりの有無も不安材料の1つ。
幸い今回は、他に不育症の人がいない部屋だったので、
落ちついていられたと思う。
Dr青木のコメント:
( 前回と同じ身体的治療以外に、
追加治療として、
できるだけ、精神的安静が得られるように、
薬物療法以外はすべて行いました。
しかし、
超音波検査で胎のうの発育さえ見られず、
「稽留流産」の可能性が高い
ことをお話しました。 )
まさか!?なんで!?台の上で足が震え、涙がこぼれた。
時が止まった、
冷たい時間が流れる。
「これから大きくなるかもしれないよ。」
先生が、ポツリと言ったけど、わかっている。
気休めだって事くらい。
それから、最悪の精神状態。
トイレの個室にこもり、声を殺して泣きたいだけ泣く。
目がポンポンになった。
でもまだ、最後通告をされた訳じゃない!と、
自分を励まし、部屋へ戻った。
布団を頭からガバッとかぶった。
考えない、考えない。
成るようにしかならないんだから。
そう言い聞かせる。
私の前のベッドの人が3人目の出産間近の妊婦さんで、
赤ちゃんの心音を聞いているらしく、ドクドクと音が聞こえる。
すごく羨ましい。
お見舞いに来ているご主人と子供達と楽しそうに話をしていた。
なんて惨めなんだろう。
涙と鼻水が出てきた。
泣くな、泣くな。でも、もう駄目。
声を殺しても、漏れてしまう。
ついに、部屋中に響きわたる声で泣いてしまった。
かっこ悪い。
皆、びっくりして心配してくれる。
看護師さんが来てくれて背中をずっと擦ってくれた。
私の心が落ち着くまで、ずっと。
優しくしてもらって、また涙が出た。
足浴もしてもらって何とか落ち着いた。
でも、夜になると、悪い方へ悪い方へ思考がいき、
眠れなくなる。
真夜中の病院をフラフラさまよったり、
主人に電話して泣いたりしていた。
限りなく低い可能性を信じることって難しい。
強くならなきゃ!
次の日、恐れていた出血が始まり、塊も出てしまう。
99%流産だと宣告された。
100%と言わない所が先生の思いやりなんだろうか?
でも、なぜだろう。
正直、ホッとした。
心が疲れていた。
これで少し楽になれる。
早く手術を終わらせて、ゆっくり眠りたい。
春が来るまで熊みたいに冬眠したい。
手術の麻酔が効いてくる。
直前は、このまま私も赤ちゃんと一緒に死んでしまいたい。
もう目覚めなければいいのに・・・、
そんなことばかり考えていた。
今回は、染色体の検査をお願いしたかったけど、
出血が多すぎたので、できなかった。
私は、妊娠前は正常なプロラクチンの数値が、
妊娠後の極端に上がってしまう体質らしく、
次は、そこをしっかり治療しようと言われ、
まだ可能性はあるのだとホッとした。
この頃から、少しづつ、
赤ちゃんをあきらめる、
子供のいない人生とはどんなものなのかと考えたりした。
おいしい物を食べて、沢山旅行をして、
自分の為だけにたっぷりと時間を使う。
そんな人生も豊かだと思えた。
けど、そう思えた次の日には、
赤ちゃんが欲しくて、欲しくて気が狂いそうになる。
有り余る私の母性が、行き場を失ってしまう。
赤ちゃんの匂い、
仕草すべてがいとおしい。
自分と主人の子供は、一体どんな顔なの?
会いたい、
抱いてみたい。
生理があるうちは、絶対にあきらめきれない。
信じて祈って待とう。
〜私たち夫婦には生まれてこられなかった
5人のあかちゃんがお空にいる〜
青木先生との出会いは、2度目の流産直後、
失意のどん底にいる時だった。
どの子を失った時も同じ様に辛かったけど、
思い返すと2度目の後が、一番辛かった様に思う。
こんなに辛いことが2度も続くなんて、
私は赤ちゃんを生めない体なんだろうか?
何がどうなっちゃってるの?
これからどうしたらいい?
次もまた、流産するのではないかという恐怖心が渦を巻く。
毎日泣いて、頭痛がする程、色んな事を考えて絶望した。
とにかく何もしないままでの、次の妊娠は怖い。
原因があるかもしれない。
でも、一体どんな病院にいったらいいんだろう?
Dr青木のコメント:
( この後、インターネットで、
当時の城西病院での私の不育症外来を受診されました。
身体的検査では、主にストレス由来とも考えられる
高プロラクチン血症と
高ナチュラルキラー(NK)細胞活性、
さらに、抗リン脂質抗体陽性が
次回妊娠における流産危険因子と考えられました。
これらの危険因子は最初の妊娠以前からあったのか、
偶然の流産により、
後から発生したものなのかは不明です。
しかし、
次回妊娠には悪影響を及ぼすと判断されます。
また、精神的には、相当に自分を追いつめている
感じでした。
治療法として、まず、
身体的危険因子の予防治療を行いました。 )
解禁になってすぐに、3人目の赤ちゃんがお腹にやって来た!
高温15〜16日目で調べる様、指示されていたけど、
毎日ドキドキして、落ち着かなくて、10日目でこっそり(?)調べる。
うっすら陽性。
緊張とドキドキがピークに。もう待てない。
妊娠が分かってしまったからには、平常心ではいられない。
早速入院準備。
とにかく、青木先生の側で絶対安静にしていたい。
赤ちゃんは先生がきっと守ってくれる。
やっと会える。
一度目の入院は不安より、期待で胸がいっぱいだった。
Dr青木のコメント:
( 入院して数週間後の超音波検査で、
胎のう(あかちゃんの入る袋)は見えましたが、
卵黄のう(あかちゃんの栄養タンク、仮腹)が見えてこず、
「枯死卵」 と診断しました。
それは、
偶然的な胎児の染色体異常による
流産の可能性が高いと考えられます
と、お話しました。 )
たまたま…だったとすれば
なんてついてないんだろう。
思い切り泣きたくて、直ぐに個室に移動させてもらう。
大声で泣いた。
多分、廊下にも聞こえていたと思う。
悔しくて 悔しくて、 どこにぶつければいいんだろう?
どう処理していけばいいんだろう?
心臓をかきむしりたい程、 苦しい。
頑張ったのに…どうして私ばかり…私の赤ちゃんばかり…。
病院に居るのが嫌で、主人と一旦自宅へ戻る。
辛いけど、次もまた、染色体異常の可能性は低いので、
悲観するのはやめよう。
そう話し合い、大嫌いなあの手術を受ける為、再び病院へ。
覚悟を決めて処置室の台へ上がる。
ナースステーションから、赤ちゃんの声が聞こえる。
また、
守り切れなかった私の赤ちゃん。
せっかく私のお腹を選んで、お空から降りてきてくれたのにごめんね。
こんな所で泣くのは恥ずかしい。
そう思い涙を止めようとしたけど、止まってくれない。
どんどんどんどん溢れ、嗚咽が漏れる。
我慢しようとすればするほど、涙がでて、号泣してしまった。
号泣しながら、麻酔がかけられ、意識が遠のいた。
やがて、手術が終わり、
台の上でてきぱきと動く先生や看護師さんをぼんやりと眺めながら、
かき出された赤ちゃんはどこへ行くんだろう?
誰か赤ちゃんに手を合わせてくれたのかな?
そんな事を考えていた。
その日の夜は眠れなかった。
担当だった看護師さんが足浴をしてくれて、
色々話を聞いてくれて、大分落ち着く。
あの時は、ありがとう。
お腹は空っぽになった。悲しい退院。
約30年間、
本当に多くの不育症患者さんを診させていただきました。
最初の頃は、患者さんのこころの状態には無関心で、
ひたすら、身体的、客観的な検査データのみを分析していました。
しかし、それはほんの半分であり、
「こころの苦痛」
が、
原因 と 治療 の 根本 に横たわっていることを、
多くの患者さんから、教えていただきました。
今では、不育症を治すというより、
「 こころ の 苦痛 からの 開放 」
を、少しでも手助けできればと、それが最終目標となっています。
私から見て、多くの印象深い患者さんの中から、
まずは、ひとりの患者さんの手記を、
編集して、ご紹介させていただきます。
この患者さんは、過去に、
妊娠初期に2回連続して流産されていました。
そこで、私の不育症外来を受診され、
不育症として、
まずは主な身体的検査をして、治療方針を立てて、
3回目の妊娠をされましたが、
治療の甲斐もなく流産されました。
4回目も、
5回目も、くりかえして流産されてしまいました。
6回目に、
やっと成功して、元気なあかちゃんを出産できたのです。
その間の、
こころの動きや葛藤が正直に記録されています。
タイトルは、
〜私たち夫婦には生まれてこられなかった
5人のあかちゃんがお空にいる〜
です。
(内容は次回より、ご紹介します。)
エリザホール系のメスマウスは、
同系のオスとの交配では流産しませんが、
異系のオスとの交配では流産するそうです。
異系かどうかはフェロモンで識別できるようです。
流産するメカニズムとして、
自分のプロラクチンをゼロにしてしまうそうです。
貞操観念(?)、純血主義(?)の強いマウスとも考えられますが、
プロラクチンをゼロにして流産させてしまうところが
非常に興味深いと思います。
人間の場合は、反対に、プロラクチンが高すぎて
流産してしまうからです。
プロラクチンは日本語で
「乳汁分泌ホルモン」 といいますが、
別名、愛情ホルモン、またはストレスホルモンとも言われています。
人間の場合は、
流産したくないのに、
愛情が強すぎて(!?)、
流産したくない気持ちが強すぎて(!?)、
そのために、プロラクチンが高くなりすぎて、
流産していると考えられます。
「認知行動療法」 とは、
ものの考え方とか受け取り方、あるいは行動パターンを
チェンジ、 CHANGE、 変化
させることによって、不安や抑うつといった不快な気分を
是正しようとする
心理療法のことです。
その基本は、
まず、
現実に目を向ける。現実直視です。
そのために、情報収集してください。
インターネット情報は大きな助けになっていると思います。
不育症治療の経験者からのブログも大いに参考になると思います。
次に、
だれかに話を聞いてもらってください。
それだけで、少しは気持ちが落ち着きます。
こちらに相談されてもいいですよ。
次には、
悪いことばかりではなく、良い面も探してください。
旦那さんはあなたを心配していませんか。
子供を生むためにだけに結婚したわけではなく、
愛し合って結婚したのですよね。
今、お二人とも元気ですよね。
焦らなければ、きっとうまくいきますよ。
ご夫婦で、散歩をしたり、おいしい食事を楽しんだり、
たまには旅行してみたり、何か気晴らしは絶対に必要です。
仕事に集中してみたり、動物を飼ってみたり、
少しでも多くの関心事を見つけてください。
人生は短いですから。
たとえ、たとえ、子供に恵まれなくても、
それはお二人で乗り越えて、
意味のある人生を、いっしょに最後まで送ってください。
「人生は何を成し遂げたというのではなく、
どのように真剣に過ごしたか」
ではないでしょうか。
尊敬するある精神科の先生が
「簡素で心豊かな生活」
をしたいと言っていました。
私も同感です。人生は競争でもありません。
そんなに急いでも、最後はいっしょですから。
不育症の治療に役立つ言葉があります。
それは、
「人生いろいろ」
「能天気」
「Let it be」
「Tomorrow is another day」
です。
「また、流産を繰り返すのではないか」
「もう妊娠すらできないのではないか」
と、どうしようもなく悲観的な思いにさいなまれていませんか。
そのような場合、
「全般性不安障害(いわゆる不安神経症)」
あるいは
「抑うつ状態」
の可能性があります。
患者さんのなかでは、このような自分の心の問題にふたをして、
それははずかしいことのように感じている人がいます。
自分で何とか解決しようとするあまり、
その心理的ストレスが原因で流産を繰り返していたのではないか、
と考えられる患者さんがよくいらっしゃいます。
当院では、このような患者さんに対して、
「認知行動療法」 あるいは 「薬物療法」
を行っています。
最近、世界的にも高い技術を持つ体外受精・不妊クリニックにおいて、
胚移植(人工的に受精卵を子宮内膜に移植する)
を何回行っても妊娠反応すらでない患者さんが
時々受診されています。
このような場合、受精卵の問題ではなく、
子宮内膜環境の問題であるケースがあるからです。
医学的には、 「着床障害」 と言っています。
受精卵は酵素を出して子宮内膜の細胞間の結合組織を溶かし、
子宮内膜内に侵入してきます。
この過程で、 「TGF-beta」 という物質が多すぎると、
その結合組織がケロイド的に硬くなって侵入を妨害してしまいます。
また、
侵入してきた胎児細胞は爆発的に分裂増殖する必要がありますが、
その分裂を調節する 「M-CSF」 という物質が少なすぎると、
十分に増殖できなくなってしまいます。
さらに、
胚移植後に過剰な緊張状態の中で日々、妊娠判定を待っていると、
アドレナリンの分泌過多により、
「NK(ナチュラルキラー)細胞」 が異常に活性化して、
胎児細胞を攻撃してしまいます。また、
その心理的ストレスが子宮内の 「らせん動脈」 を収縮させて,
胎児細胞への栄養補給を細くしてしまいます。
このように 「着床障害」 を不育症のひとつの形と考えれば、
それに適応した予防治療により、
有意な治療効果があると感じています。
「くりかえし流産を経験して、人格が変わりました」
「お盆やお正月にみんなで集まることが恐怖です」
と涙ながらに訴えていた患者さんがみえました。
それほど精神的に追いつめられていたのです。
一刻も早く妊娠したい、過去の流産を忘れたい、
早く普通の結婚女性に追いつきたい、
しかし妊娠することが怖い。
妊娠反応が陽性になった直後は喜びを感じますが、
その直後から、お腹が張るように重い、チクチク痛い、
などの軽い症状を感じていませんでしたか。
妊娠のごく初期の場合、子宮の収縮はほとんどないと思います。
違和感の原因は交感神経系の過剰な緊張によるものかもしれません。
これは危険なサインです。
過剰なアドレナリン分泌により、
子宮内の 「らせん動脈」 が収縮してしまうと考えられるからです。
子宮内の 「らせん動脈」 は、
胎児にとって正に 「ライフライン」 「生命線」 なのですから。
春先に妊娠した場合、初夏の妊娠に比べて、
流産する女性がやや多いように感じています。
流産発生率に季節差があり、
秋あるいは冬に妊娠した場合、統計的に有意に多く流産している
という研究論文が複数ありますが、
私見としては特に春先が関係しているように思います。
春先はアレルギーの季節でもありますので、
アレルギーにより免疫異常が誘発されます。
それにより、
拒絶の免疫異常であるナチュラルキラー細胞活性亢進による流産、
あるいは、
自己に対する免疫異常(自己抗体)の抗リン脂質抗体陽性による流産
が、より多く発生しているのではないかと感じています。
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