ある状況下のなかで、
麻酔をしないで緊急に流産手術を受けたことはありませんか。
たとえば、妊娠中に出血があり、
あわてて救急病院を受診したとき、
流産しかかっている、あるいは流産が進行していると診断され、
「数分、我慢してください。」
と言われた後、
麻酔をしないで緊急手術を受けたことはありませんか。
あるいは、
意識がある状態で痛みだけ和らげる処置を受けた後、
流産手術あるいは、子宮内容除去術を
受けたことはありませんか。
このような場合、
「何か起こっているのか」
その状況を説明されても、
精神的にパニック状態になっていれば、
ほとんど理解できないため、
恐怖心
のみが残ってしまいます。
実際、不育症の患者さんは、
まず早く妊娠することを希望されますが、
いざ、妊娠されると、
少なからず、
怖いという感情を覚えるようです。
その怖いという感情のなかには、
流産手術への極度の恐怖心も含まれていると思います。
「病院が怖い。」
「内診台が怖い。」
などの感情です。
ある患者さんは、
来院されるごとに、血圧が200ぐらいまで上がり、
自宅へ帰ると120ぐらいになっていました。
「白衣性高血圧症」
といって、
精神的な過剰な緊張が血圧の上昇までもたらしている一例です。
このような
流産手術などに起因する
PTSD(心的外傷後ストレス障害)の患者さんは、
自分自身、気がつかない例も含めて、
かなり多くいらっしゃるのではないでしょうか。
元気な赤ちゃんを出産するための治療とは別に、
必要ならば、
今、病んでいるこころの状態を治すことも大切だと思います。
こころの治療が不育症の治療に直結するからです。
大学病院に勤務して不育症患者さんを診ていた当初は、
患者さんのこころの状態に大きな関心はなく、
検査データがすべてでした。
医学研究者として、
EBM(証拠に基づいた医療)を不育症の検査と治療に
実践できるようにするため、
まずは、できるだけ多くの検査(客観的な検査)をしました。
しかし、その中には、
複雑で数値化し難い精神的分析は含まれていません。
極論すれば、不育症患者さんを診るのではなく、
その検査データを見ていました。
今は、身体的な状態以外に、
こころの状態も、同時に診させていただいています。
精神的な原因の存在はもちろんのこと、
こころのアンバランス由来とも考えられる
身体的な異常検査項目が、
少なからず存在していることが判明してきているからです。
流産するということが、どれほど、
その人にトラウマ(心的外傷)になっているのか。
流産した。お産が流れた。妊娠が中断した。
何か物がうまく成長できなかった。
このような感覚は、
流産を経験したことのない人の感覚と思います。
流産手術時のもうろうとした半覚醒の時に、
びっくりするようなこころの深層心理を
無意識に表現される患者さんがいらっしゃいます。
たとえば、実例ですが、
「あかちゃ〜ん、私の命あげるのに〜。」
「一番つらかったのは、あかちゃんだよね〜。」
流産した子宮内の胎児は、
生まれて亡くなった新生児となんら変わらない
人(ヒト)であると、
私は思っています。
ただ、触れることはできない、
声を聞くことはできない、
画面を通してしか見ることができないだけなのです。
人社会が法律で定義する「人間」と、
生物としての「人」は、往々にして違っています。
この違いが、
周囲の人とご本人の感覚のズレを生んでいるのかもしれません。
ほとんどの手術は、手術前の状態より良くなるために行われます。
ですから、大きな希望があります。
対極的に、流産手術は悲しい手術です。
流産 (子宮内での赤ちゃんの死亡) を宣告され、
絶望と悲しみのまっただ中に行われる手術です。
10年以上も前のひとりの患者さんのことをよく思い出します。
非常に難治性の不育症患者さんでした。
10年間以上も私を信じて、
流産しても、流産しても、
私のいろいろな治療を受けてくださいました。
しかし、
10回以上も、流産手術を行うことになってしまいました。
あまりにも過酷で悲しくて、
無言のまま、流産宣告をし続け、
最後の数回は、ご本人の希望により、
流産手術を麻酔なしで行いました。
ご本人は、感情が凍りついており、
痛みさえ感じないようでした。
いや、
身体的な痛み以上に、
こころの痛みが極まっていたのかもしれません。
たぶん、自分の命より大切な命だったのではないでしょうか。
反省 と 後悔、 不満、
わかったことと、おぼろげながら見えてきたこと、
まったく見当もつかないこと、など、
いろいろな感情と情報が交差してくる時期があります。
流産した赤ちゃんは、決して忘れられません。
時間をかけても、その記憶は鮮明に残っていると思います。
絶対に、無理に忘れようとしてはいけません。
いろいろな感情のうずのなかで、
流産した赤ちゃんを
こころの中に受け入れようと思い始めたとき、
「立ち直り」
の状態になりつつあると思います。
自分の人生、自分を信じて、
自分が信じることをするしかないのです。
自分の分身として、
赤ちゃんは来てくれるのですから。
Let it be.
Tomorrow is another day.
人生いろいろ。
ケイセラ〜セラ〜、なるよう〜になる。
川の流れに身をまかせ。
実際、現実的には、こころの安定は非常に困難です。
何かのきっかけで、繰り返し、
「悲しみ」
「抑うつ」「無気力」
の状態に、すぐに舞い落ちてしまうことでしょう。
しかし、めげずに、何度も何度も、繰り返して、
気分を前向きに方向づけ、
ゆったりと、まったりと、過ごしましょう。
人生、何とかなるものです。
「抑うつ」「無気力」な状態から、
少しこころが活動し始めると、
「なぜ?」
赤ちゃんは亡くなったのか、
何がいけなかったのか、
流産を繰り返すとはどういうことなのか、
無性にこの現実を知りたくなると思います。
10年ぐらい前でしたら、その情報を知るすべは
ほとんどなかったと思います。
たぶん、それまでの先生から、
「私の知っている大学病院に紹介します。」
と言われ、大学病院なら権威の象徴だから、
たぶん大丈夫と、
自分を納得させていたのではないでしょうか。
大学病院というブランドが治療してくれるのではないのです。
大学病院の教授がすべてに優れているのではないのです。
大学病院のそれぞれの先生が、
どの分野に優れているかが問題なのです。
現在では、インターネットがあります。
ブログには、患者さんの生きた言葉があふれています。
洪水のような情報量ですが、
その中から、自分の現在の状況が
少しずつ見えてくると思います。
「抑うつ」「無気力」状態から、抜け出すひとつの方法は、
流産する前の、元気だった自分を思い出してみることです。
何かに一生懸命だったと思います。
自分がすきだった事があるはずです。
それを擬似体験でもいいから、やってみてください。
少しでも感動するという感情が大きな助けになりますから。
どこか、大声をだせる場所をみつけて、
こころから叫んでみてください。
こころが一瞬でも反応しますから。
以前すきだった陽気な歌を口ずさんでみてください。
たとえば、
ケイセラ〜、セラ〜、なるよう〜になる〜。
また、天気のいい日に、のんびりと散歩してみてください。
気持ちのいい風と、
気持ちのいい太陽の光が、
あなたのこころに届くと思います。
体を動かすことは非常にいいのです。
ストレッチするのもいいですし、
また、マッサージを受けるのもいいと思います。
さらには、甘党の方ならば、
カロリーを忘れて、いろいろな甘いものに挑戦してみてください。
こころがとろけるように。
どうしてもうまくいかないときは、
大きな目標は一時保留にしておいて、
当面、あしたできたらいいなと思うことを決めて、
少し前進してみてください。
小さな達成感でも意外と助けになりますから。
なんでもいいから、こじつけでもいいから、
周りのおかしいこと、こっけいなことを見つけてください。
そして、無理してでも、笑ってみてください。
それも難しそうならば、
かがみの前で、自分の顔をまじまじと眺め、
作り笑いをしてみてください。
少し、こころが動くと思います。
少しずつ、ゆっくりと、
前進したり、後退したり。
でも、きっと何とかいい方向へ
向かっていくと思います。
あなたは孤立してはいません。
同じような悩みを抱えた仲間が、
インターネットの向こう側で待っていますよ。
悲しい気分から、
すべてにゆううつ、何か空虚、むなしい感じ、
何も楽しめない、いつも疲れている感じに
なっていきませんでしたか。
このような「抑うつ」「無気力」な状態は、
この先ずっと続く人もみえますし、
何かのきっかけで繰り返し襲ってくる人もみえます。
こころの張り、あるいは、こころの気が、
自分の体から逃げている状態です。
几帳面で、正義感が強く、何事にも熱心な人。
悪い結果を、他人のせいだと思うより、
まず、自分のせいだと思ってしまう人。
このような執着気質で、こころ優しい人は、
一般的に、
「抑うつ状態」が長く続く傾向があると思っています。
「パニック」状態から、時間とともに、
少しずつ感情が解けてきます。
たぶん、一人になったとき、
あるいは、
信頼できる人から優しい言葉をかけられたとき。
すぐには、そのつらい現実が受け入れられなかったと思います。
何か、無性に怒れてきませんでしたか。
その相手は、医療関係者であったり、
ごく親しい人であったり、
あるいは、自分自身であったり、
自分の運命であったり。
次第に、現実を受け入れざるをえなくなったとき、
「悲しみ」
が津波のように襲ってきたと思います。
この「悲しみ」のプロセスは、非常に大切です。
十分に時間をかけて、
亡くなった赤ちゃんを悲しんであげてください。
その悲しみの感情が赤ちゃんに届き、
天国の赤ちゃんが
あなたを癒してくれますから。
自分を、責めないでください。
安心しきった状態のときに「流産です」と言われたとき、
予想外にも、また繰り返して「流産です」と言われたとき、
「パニック」
になりませんでしたか。
たぶん、そのときは、瞬間的に頭の中が真っ白
になっていたと思います。
すぐには感情表現すらできなかったのではないでしょうか。
感情が一時的に麻痺してしまったのです。
実際、ほとんどの場合、超音波検査で、
赤ちゃんの生死、あるいは正常妊娠の有無が、
まるでロシアン・ルーレットのように、
残酷なぐらいはっきりと、突きつけられます。
流産を宣告されたとき、
すぐに泣き崩れる心理状態ならば、まだいいのです。
本当にきつい場合は、ショックのあまり、
一見、冷静で淡々と、第三者的に対処されます。
たぶん、自分自身の人格までも壊れないように、
感情麻痺、現実逃避
が一時的に起こっているのではないかと思われます。
この感情のプロセスは、無理に変えることなく、
ある程度の時間と、
周囲の深い理解がぜひとも必要です。
日本の妊娠の定義は、
「妊娠とは受精卵の着床に始まり、
胎芽または胎児および付属物の排出をもって終わる」となっています。
排卵した卵子は1日以内に卵管で受精して、
その6日後ぐらいに胚盤胞として子宮内膜へ着床を開始します。
着床過程としては
胚盤胞のなかの絨毛細胞が子宮内膜間質に侵入し、
その後、
胚盤胞全体が完全に子宮内膜のなかに包まれるように埋没します。
この過程には、6日間ぐらいが必要とされています。
つまり、受精後12日目、予定生理日2日前頃が
着床完了の時期となります。
着床完了時期ならば、高感度の妊娠検査で陽性と判断できます。
この着床過程での障害があるかどうかは、
自然妊娠の場合ならばわかりませんが、
体外受精・胚移植の場合では、
着床判定、妊娠判定までも維持できないことが
繰り返して起こったならば、
何らかの着床障害が存在している可能性があると考えられます。
着床完了後については、
妊娠反応陽性後、超音波検査で子宮内に胎嚢が見えるまでの
約1週間以内に流産した場合を、
化学的流産と定義しています。
それ以後の臨床的流産率が約10〜15%であるのに対して、
化学的流産率は、約20〜30%と推定されています。
着床障害も生物学的には、ある意味では流産と考えられますが、
その発生率はもちろん不明です。
しかし、化学的流産率と臨床的流産率の合計だけでも、
約30〜45%ですから、
ヒトの生命体の約50%弱が、
受胎直後に失われているのです。
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