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終戦祈念日

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終戦祈念日
お盆の最終日であると同時に終戦記念日。敗戦の日本ですが、インドのように今日が独立記念日になっている国もありますね。「記念日」と言うと独立のように目出度く祝う感じも入るので、終戦日の今日は「祈念日」の方がしっくりくると思います。

平和をどう祈念するか?人それぞれあると思います。

昭和30年代生まれですが、祖父母は明治生まれ。父母の兄弟もそれぞれ7名ずついて戦地に赴いた叔父も何人もいれば、満州で若干18歳で戦死された叔父もいます。この年代の私でさえ正しい戦前、戦中、戦後史を知りません。この年になって改めて勉強中での温故知新。自虐史観を教育やマスメデイアの操作で植え付けられてきた戦後だったのではないでしょうか?戦中小学生だった方でも既に80歳過ぎ。正しい史実を確認する最後の節目になっているのが今だと思います。

戦争に関しての話題になると直ぐに右翼的と結びつける。そして、多くの日本人の右翼のイメージが宣伝カーで街頭を騒がせる戦闘服集団を思い浮かべるのではないでしょうか?幼少の頃の私の右翼のイメージ=怖い、煩いおっさん集団でした。でもそれは違いますね。

自国のことを堂々と愛すると言うことには右も左もない。国旗や国歌に敬意や誇り以外に、海外に長く居ると望郷の念にも駆られることがあります。歌詞が平和を望む日本国歌は、素晴らしいと思います。国によっては戦争そのものを称える国歌を持つ国がいくつかあります。米国の国歌もそうですね。それを野球試合の前には観客全員で立ち上がり、帽子を脱いで歌います。一方、国歌斉唱が学校の入学、卒業式でない学校が増えているのが日本。何かおかしくなりつつあるのではないかと危惧します。

長い年月をかけて少しずつ日本人が日本を誇りに思えないような国になってきているのでは?社会人になって半分近くの20年を米国で過ごしてきましたが、海外から見る日本は、自虐史観に覆われた自国に対して誇りや自信を持たない日本人に見えました。

75年経つ、終戦祈念日の今日、これからの日本はどうあるべきか正しい温故知新で考える大切な日ですね。

合掌......

「君が代は千代に八千代にさざれ石の巌(いはほ)となりて苔のむすまで」は、10世紀に編纂された勅撰和歌集『古今和歌集』巻七「賀歌」巻頭に「読人知らず」として「我君は千代に八千代にさざれ石の巌となりて苔のむすまで」とある短歌を初出としている[1][3][6]。これが私撰(紀貫之撰集)の『新撰和歌』や朗詠のために藤原公任が撰した『和漢朗詠集』(11世紀成立)などにも収められ、祝賀の歌とされ、朗詠にも供され、酒宴の際に歌われる歌ともされたものである[1][3][7]。9世紀にあって光孝天皇が僧正遍昭の長寿を祝って「君が八千代」としているように、「君」は広く用いる言葉であって天皇を指すとは限らなかった[1][8]。すなわち、「我が君」とは祝賀を受ける人を指しており、「君が代」は天皇にあっては「天皇の治世」を意味しているが、一般にあってはこの歌を受ける者の長寿を祝う意味であった。
(ウイキペディアより引用)

#終戦 #国歌 #君が代 #自虐史観 #祈念 #戦後 #お盆

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