燃えよ剣からの考察
Oct
16
緊急事態宣言が解除され、久しぶりに映画館で司馬遼太郎原作の「燃えよ剣」を観てきました。
司馬作品は、「花神」、「峠」、「竜馬がゆく」と高校生時代の出会いが始まりでした。一挙に幕末に興味が沸いたのは、長州、三田尻(現防府市)出身で幕末を身近に感じたこともあったのは確かです。2冊目に手にした「峠」を読み始めた時に思わず、背筋が伸びて正座して上下二巻を高二の真夏に読んだ記憶が鮮明に残っています。
大学受験の在り方に疑問を持ち始め、勉強に身が入らず、人の一生とは? 自分の生き方とは何だろう?と多感な時代であったことが、幕末の志士の生き方に憧れを重ねみていたのかもしれません。この年になって冷静に考えると司馬遼太郎の世界といったほうが正しいのかもしれませんが。
続いて封切られる司馬遼太郎作品。
来年に封切られる「峠」が、今から待ち遠しい限りです。
今回「燃えよ剣」を観てずっと氷解していない心の棘をまた思い出しました。
江戸城無血開城、上野寛永寺で恭順を示した徳川慶喜。
なぜ官軍は、上野から会津若松を経て、函館まで攻めたのか?
武士の情けという日本人の感覚としては、江戸城明け渡しで終わり。
敵ながら最後まで徳川に忠誠を示した松平容保など敵ながら見事ということで会津攻めは不要だったはず。なぜ函館まで攻めたのか?得をしたのは武器を売りつけていた英仏だけだったのでは?
会津の「什の掟」は、薩摩の郷中の教育方と似ていますね。
掟の中には現代の世の中には合わないものがありますが、
「ならぬことはならぬものです」
が好きです。歴史は勝者が残したものですが、敗者の立場からの歴史史観も大事だと思います。そういう意味では、大東亜戦争で負けた日本は、勝者の米国昭和史より、日本の立場からの歴史史観をきちんと見直す必要があると思います。
話は飛びましたが、新撰組が人気なのは、筋を通す、損得で判断しない美学を垣間みれるのが理由のひとつではないでしょうか?
一生は一度しかない。時代という大衆の波に流されるのではなく、自分自身の生き方を貫いて息を引き取るときに「面白いのう」といえる人生にしたいなと思います。