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無明残日抄

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78回目の原爆記念日が来ます

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長崎大学核兵器廃絶研究センター... 長崎大学核兵器廃絶研究センター発表の最新情報です。
長崎大学核兵器廃絶研究センター発表の最新情報です。ウクライナで核兵器が使われる危険が高くなっています。北朝鮮も、がむしゃらに核兵器に自国の存続をかけています。
#ブログ #原子力 #天災人災 #歴史

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今年も原爆記念日が来ます。

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世界の核弾頭データ 世界の核弾頭データ
今年も原爆記念日が来ます。
ロシアのウクライナ侵略戦で原爆の使用可能性が取り沙汰されてきました。核抑止の意味も変わってきています。日本の防衛も本気で考えないとならない時です。
#ブログ #原子力 #天災人災 #文化

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戦後75年…世界の核弾頭 データ

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「長崎大学核兵器廃絶研究センタ... 「長崎大学核兵器廃絶研究センター」が毎年発表するデータポスター
 また暑い夏がやってきました。1960年に締結された「日米安全保障条約」が60年を迎え、マスコミでも騒がれることなく10年ごとの自動更改がされました。日本はこの60年「安保」による「核の傘」と米軍駐屯によって守られて?きました。
 この「核の傘」の大きな部分を担っているのがシアトル近郊であることをワシントン州シアトル地区の住民はご存知でしょうか? 昨年8月7日付の当ブログを見て頂くと解りますので是非再読してください。全体数は下がっていますが時代遅れのものが解体されているので現役で配置されているものは減っていません。トランプ政権とロシアは再び核装備を増やしつつあります。広島、長崎に原爆が落とされてから75年、平和維持の代償について新ためて考えてみてはどうでしょう?



 

#ブログ #原子力 #文化 #歴史

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全米で一番危険?で一番安全?な町。

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このポスターは毎年6月に長崎大... このポスターは毎年6月に長崎大学核兵器廃絶研究センターが発表しているものです。
中央の時計は世界が絶滅する危険への時間を示し、残り2分となっています。
爆弾マークの一つが5基を表しています。グレイ色のものは退役解体待ちです。赤色は空爆用、グリーンはサイロに待機する大陸弾道弾ですが、戦略的主体はブルー色の「潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)」に移っています。

バンゴール原潜基地は現在、ブレ... バンゴール原潜基地は現在、ブレマトン、シルバーデールも含めてのキットサップ海軍基地の一部です。聞きなれない名前かもしれませんが、シアトルから直線距離なら32キロ、イサコアまでと同じくらいです。ここに上記ポスターの赤線で囲んだ部分(SLBMの半数)が配置されています。
 また原爆記念日がやってきました。74年に及ぶ核兵器廃絶の声も、日本人でも若い人には無関心な人が多くなったようです。さて59年前(1960)、日米安全保障条約を巡って揺れに揺れた日本、安倍晋三総理の祖父、岸信介総理は暴漢に襲われ重傷、社会党の浅沼稲次郎委員長は17才の右翼青年に刺殺されました。10年後(1970)の更新時には学生の抗議デモ中に樺 美智子さんが死亡。これらの犠牲者を出してまで日本が頼り今も頼っているアメリカの「核の傘」、その主力がニューメキシコ州のカークランド空軍基地。そして大西洋艦隊のジョージア州キングズベイ原潜基地と大平洋艦隊のワシントン州バンゴール原潜基地です。

 バンゴール原潜基地には8隻のオハイオ級原潜が配置されています。一隻のオハイオ級はトライデントD5ミサイルの発射管24本を装備、1基のトライデントD5には8発〜14発の核弾頭が収容されており、核弾頭1発の破壊力は平均100キロトン(広島原爆15キロトン 長崎21キロトン)。

各原潜は70日から90日の任務に就きますが、交替で整備点検の為、2隻がいつも基地にいるとすると、約400発の弾頭が常時整備点検中であり、これは広島原爆2,700個分に相当します。これが全米一危険?な理由。
この基地を守るためにピュージット湾圏は24時間、陸海空米軍最強の防御に守られています。彼らはSilent Service(静かなる任務)と呼んでいます。これが最も安全?な理由。

 誰もが核兵器など無い方が良いと思っています。反対するのは良い。しかしその「核の傘」に守られて74年間、世界大戦も核戦争も避けてこられたのも事実です。
 どうしたら廃絶の一歩が進められるか? 今、危ない人達が世界の指導者に増えています。

 ブルーエンジェルスの勇姿の向こうから、なぜかワルチングマチルダの調べが…

追記:記載した内容は全て検索可能な公開されている資料からです。
#ブログ #原子力 #文化

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イチローと宮本武蔵「目付の事」

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左は武蔵が「五輪の書」の四年前... 左は武蔵が「五輪の書」の四年前(1641)に著述した「兵法三十五箇條」より抜粋。右の「五輪の書」(1645)からのは、これを下敷きに推敲したものと思われる。推敲の過程が極意を汲む手掛かりとなりそう。(出典:武術叢書 大正4年 国書刊行会復刻版)
 「五輪の書」、宮本武蔵の残した二天一流の皆伝書。近年は剣術だけでなく企業の経営理念にも当てはまるとして外国語にも訳され広く読まれるようになった。他の武術書の解説なども読んで思うのだが、解説を試みる以上、其々の道で名人と呼ばれるような方が書いておられるのだが、訳者の解釈の違いで原書が伝えようとする所とは違っているように思えるものもある。
 ここでは武術としての技術的な皆伝である「水の巻」より「目付け」の事という部分を抜粋し原文を掲載したので参照されたい。

 武蔵は「目付け」目の付け方には「見の眼」と「観の眼」があり、大事なのは「観の眼」ではあり日常的にも「観の眼」で見るようにと言っています。普通に私達がモノを見るという行為では、目標に焦点を合わせるという事が無意識に行われます。これが「見の眼」です。これは最新カメラの何十倍もの速度で行われています。問題はこの焦点の合わされた部分外の視界が認識されないという事です。 “遠くを近く見、近くを遠く見ろ”とは、周囲も含めて全てを見ろと言う事でしょう。白内障などで水晶体を摘出して挿入されるのは固定焦点レンズですから焦点合わせの機能は無くなり、近くから遠くまで焦点が合っていますが、物理的には全てに焦点が合っていても「見の眼」の目で見ようとする意思が働いていますから「観の眼」にはなりません。「観の眼」とは見る眼ではなく観える眼なのです。
 この「観の眼」だが、速読法の「フォトリーディング」が使うソフトアイと呼ぶ技法に近い。普通に言う視力、静止したモノを識別する解像力の「静止視力」や、動いているモノを 識別する「動体視力」(左右の動き、前後の動き)とは違うものです。
 いわゆる「無念無想」(思考を止めて自我を消す)になれると「目付け」は自ずと「観の眼」になります。これは全てに対応できる自然体になることでもあります。同時に自分から攻撃に出る(先をとる)という事も出来ません。攻撃には「見の眼」とならざるを得ないですから。武道の本旨とは、「死を覚悟し相打ちを本懐とする」ことに尽きるのかも知れません。

 ここでやっと表題の「イチロー選手」ですが、私は、彼は今でも“4割”を打てると思っています。絶頂期の同選手の「動体視力」は抜群のものだったのでしょうが、戦列を離れる前に三振などが増えたのは、他の身体能力が若い選手に劣らず、技術的には神技と言われるまでに鍛練されていますから視力(見方)だけが課題でしょう。ボールが投手の手を離れてホームプレートに届くには約0.4秒かかります。短いと言えば短いが、好調の時には充分に長く感じられた筈です。メジャーリーガーでもボールが投手の手を離れた瞬間からスイングを開始するようですが、ボールのよく見える時は充分に引き込んで(後半の0.2秒で)調節できるようです。イチロー選手の場合、最後の0.1秒での調節も出来ていたように思えます。武蔵なら、今のイチロー選手に“ボールを見るのを止めろ!「観の眼」で観ろ”と言うのではないでしょうか。「観の眼」で0.2秒に球質とコースを、次ぎの0.2秒を「見の眼」で変化を。「観の眼」から「見の眼」への切り替えは瞬時です。名選手は好調時にはボールが止まったように縫い目まで見えたと言っていますが、本当でしょう。イチロー選手には彼の言葉のように、“50歳で4割を打って引退”して欲しいですね。
#ブログ #文化 #歴史

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「これがアメリカの人種差別」

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©1956 GORDON PA... ©1956 GORDON PARKS, source VOGUE Dec 2017
この写真は1956年、アラバマ州百貨店の店頭です。服装から黒人母娘と思われる二人 が貧困家庭でないことは明らかです。ここで「COLORED ENTRANCE」というサインに注目して下さい。「有色人種 入り口」という意味ですが、此の頃は「黒人」をさしています。奇麗なネオンサインです。これを揚げた経営者はお金のある買い物客は「黒人」でも大歓迎、但し白人の御客様とは別の入り口からということです。勿論、日本人は有色人種ですよ。日本が経済力をつけて「preferred colored」 と呼ばれた事もありました。「優遇有色人種」です。今の米政権は「再び偉大なアメリカを」標榜していますが、これは一部の白人にとってであり、高齢の黒人や日系人、少数人種にとっては過去に「偉大なアメリカ」など無かったのです。安倍首相やソフトバンクの孫社長の頭の上にも此のネオンサインがちらついて見えませんか?
自分では人種差別者ではないと思っている人は多いです。この内在した差別が大きな波になり正当化されることが一番恐いのです。日本の政治家でも、そういう人いますねえ。
#ブログ #文化 #歴史

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日系人とは?

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日系人とは?
2017年3月 北米報知掲載

「日系人社会」とは?

“「日系人」は何人位いますか?” 観光にしろ仕事にしろ、日本から訪れた人から必ず出るのが、この質問。以前は「日本人」は何人位いますか?だった。移民130年にして、やっと日本の人にも、アメリカには日本人を祖先とするアメリカ人もいるのだという事が理解されてきたのだが、海外在留邦人、日系人社会などと呼ばれる,その中身は複雑である。 その所謂「日系人社会」の中にあっても個々の背景は文化的社会的に異なり大きな差がある。日本のように北から南まで共通した価値観によるのとは大きく違う。初期の一世時代のように、まず日本人であること、次に同郷人であることで互いを拠り所にしたのと違い、最近の移住者はアメリカ社会に受入れられる事を当然とし、最初から独立起業など同胞(今の人には死語 ?)を頼らぬ自信も有り、仕事を除けば、接触が無いか少ない傾向にありますが、ここにきて少数民族や宗教に対し、あからさまに差別危害を加える輩が出て来るなど、被差別対象マイノリティーであるという、日本にいては想像も出来なかった事実に直面する危険が起き始めています。
 御自分や子供達、友人、知人が、どのブロックに属するかを知り、夫々の社会観や価値観の背景を理解する事は、「日系人」として、この国で暮らして行くには仕事の上でも、個人としての付き合いでも、不可欠であると思います。

そこで「日系人社会」という国勢調査の数字だけでは判らないものを、俯瞰的に大きな波として目に見える形にすることを試みてみました。但し、これは学術的に正確なものではないことは予め御断りしておきます。各年代のブロックは80才を平均寿命とし、出生年には20年の巾を持たせましたが、ブロックのサイズは人口に比例したものではありません。あくまでも大きな波を掴んだものであって、高低はありますが途切れてはいません。例えば遅く生まれた2世であって世代的には同級生が3世に属する方もおられますし、「新1世」でも数は少ないですが、50年代初めには留学目的で渡米された方もおられます。

 「1世」「新1世」「新・新1世」における「点線」は渡米時期(各世代の日本文化を持ち込んだ時期)を示します。「新1世」という呼称は当初一世からは、苦労も知らずに「一世」という言葉を気軽に使うなとのお叱りを受けた事もあったのですが、国際結婚した女性を中心に広がりました。「新・新1世」は筆者の造語です。「帰米2世」についてはあらためて説明しませんが、特に日本文化の影響を考え独立のブロックとしました。

 特筆したいのは「新1世」の男子の場合、ベトナム戦争中は日本国籍であれ,学生、駐在員であっても徴兵対象となり、実際に徴兵され従軍された方もいた事です。この時期の渡米者は筆者も含め、米国に対し違った感情を持っています。「新・新1世」男子が徴兵の対象にならなかったのは幸運でしたが、徴兵制は大統領の一言で復活します。その場合は在留外国人にも容赦なく適用されるでしょう。

 「新2世」の特徴は「新1世」の母を持つ初代の「ハパ HAPA」が多くを占める事です。初期の「混血」「ハーフ」などという呼称が侮蔑的であるとして、ハワイ語を語源とするのが日本人だけでなく他の人種間の血をひく場合もの一般呼称となりました。「新・新2世」世代も多くの「新HAPA」を含みます。
「ハパ」でない「新2世」は両親が戦後移住者で、日本文化を避ける示唆や影響を受けていない事が、同世代の「3世」と異なります。


What is a Nikkei Community ?
“How many Nikkei live here?” Either as businessman or as tourist, this is a question always asked. Question used to be, “How many Japanese live in this area ?” After 130 years of Japanese immigration in this area, the visitors finally understood the fact that there are generations of Americans who are descendants of Japanese settlers. However, “Nikkei community” or “Japanese community” is very complicated.
Even within the so called “Nikkei community,” backgrounds are varied socially and culturally. Early Issei immigrants relied on being Japanese and if one was from the same local area in Japan (doukyo) became comrades and helped each other. In contrary, recent immigrants are more confident and independent and even start new businesses right away and take it for granted they would be accepted into American society and not look for community help.
However, the tide is changing with undesirable movements of racists and white supremacists noticeable now. Thoughts of becoming a victim of such racially or religiously motivated discriminations are unthinkable in Japan, but what happened some seventy years ago here is starting up again.
It is important to know and understand where you, your children, friends or acquaintances stand in this society.
On this chart, I am trying to catch the major wave or trend of Nikkei immigration that one is unable to see from the Census numbers. This is not an academic study. Each block or group shows average life expectancy of 80 years old and a span of 20 years of birth date. The size of block is not proportioned to the population of the group. It is my intention to show the major trend or characteristic of the group. For example: if you are late born Nisei, it is possible, generation-wise, most of your friends are Sansei.
The dotted lines of Issei, Shin Issei, Shin-Shin Issei show the period of immigration (Time of each generation bringing in Japanese culture). When the word “Shin Issei” was used for the first time, some Issei objected because it seemed to disrespect their generation, not having experienced the hardship they went through. However, the usage was spread by international marriage groups. “Shin-Shin Issei” is a word made up by the author. I will skip the explanation of “Kibei Nisei” but feel they were a significant influence on carrying on Japanese culture, so a separate block is made from general Nisei.
One important note is a case of “Shin -Issei” men. During the Vietnam war period, regardless of nationalities, students, visitors or workers for foreign company, all were subject to U.S. military service draft (until 1973). They were even some who served in the infantry and returned wounded. Anyone who immigrated during this period including myself has uneasy feelings toward this country. “Shin-Shin Issei” are very lucky not to have experienced that.
One characteristic of “Shin Nisei” is many first “HAPA” generation who were born between Japanese and American parents are in this group. Words like “Konketsu” and “Ha-fu” were once considered inappropriate, Hawaiian word “Hapa” became common and now even refers to mix of different races other than Japanese. Near perfect bilinguality (bi-cultural) comes out from this group.
Wartime experiences made many Nisei generation reluctant to endorse traditional culture to Sanseis. Yonsei became more assimilated resulting in having the highest inter-racial marriages among all Asian populations. The last Census reported that some over 100 thousand in this area were registered as part Japanese. However how many of them are familiar with Japanese heritage or customs and even think they are members of the Nikkei community?

#ブログ #文化 #歴史

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…ゲリラ宣伝策?…

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…ゲリラ宣伝策?…
2005年6月北米報知掲載

 コーヒーアディクトなら一度は経験ありませんか? 手がふさがっていて車のドアーを開ける間、ルーフに置いたカップを忘れて走りだしたこと。半分位残っていると重心が下なので案外すぐには落ちないですね。こんな間の抜けた行為に人は気が付くか?気が付いたらどんな反応をするでしょうか? 
 駐車から出たらすぐ道路工事作業の人達が大きく手を振って教えてくれました。最初の交差点の信号待ちでは前後左右の車からはもちろん、交差点の向こうからも大声でどなられました。このままだと事故の原因にでもなったら大変なので実験は早々中止。長年広告の仕事をしていますが、小さなことでも少し日常から外れたことが強く人の関心をひくことを再確認しました。でもシアトルの人は優しいですね。信号待ちでわざわざ車からおりてきて教えてくれた女性をはじめ、間の抜けた行為と注意してくださった方々、御騒がせして申し訳ありませんでした。
 でもあの日は、皆さんコーヒー飲みながらの話題にはなったはず。さすればちょっとシュルツさんの売り上げに貢献したかもなあ。(写真のカップは吸盤で固定されていましたが公道では真似しないで下さい。交通安全の妨げで罰金を課せられるかもしれませんから、本当に冗談でなく!)
#コーヒー #ブログ

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…語り継がれる民話が人命を救った…

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2005年1月北米報知掲載

 多数の犠牲者を出したインド洋における大津波のニュースがメデアを占め、命拾いをした人達の体験談が聴かれるが、難を免れた人達全てが必ずしも幸運だっただけではない。共同通信によると、インドネシア・アチェ州のシムル島(人口6万9700人)では震源地から僅か25マイルに有り、家や建物の大半が津波に破壊されたにも拘らず犠牲者は8人にとどまった。アチェ州全域での犠牲者は9万人を越えるとされている中でである。
 シムル島の一教師によると、同島では多くの犠牲者をだした1907年の大津波での経験が住民から子供達に語り継がれていると言う。「強い地震を感じたら、海を見なさい。海水が水平線に向かって引けば、津波となってかえってくる。高い所に避難しなさい」。
 ある程度年配の日本人なら、この話にすぐに聴いた事のある話と気付かれる筈である。教科書などで「稲むらの火」として知られる自分の稲田を焼いて村人を津波から救った浜口五平衛の物語である。「生き神様」と祀られた五平衛の話は帰化人、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン 1850〜1904))によって著書「仏の畑の落ち穂」(1897)の中で世界中に紹介された。
 シアトル市内ビーコンヒルの第13消防分署の前庭には美術家エレン・ジーグラー氏による彫刻石にこの物語の要約が地区のアジア系住民への敬意として刻まれている。エレン・ジーグラー氏は1995年、阪神淡路大震災に際して鎮魂碑を製作された事でも知られる。
 八雲の著書の中では明記されていないが浜口五平衛の物語が起きたのは現在の和歌山県広川町、安政元年(1854)に紀伊半島を襲った大津波での事。
文化や伝統の伝承は歴史保存の為だけではない。時として多くの人命を救う事もある。
#ブログ #天災人災 #文化 #歴史

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原子力大国「日本」の役割:新年に思う

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原子力大国「日本」の役割:新年... 原子力大国「日本」の役割:新年...
2011年1月北米報知掲載
(この拙文は2010年12月に執筆。2011年の新年に掲載されたもので、東北大震災の起きる以前です。)

「日本には、いくつの原子力発電所があるのか、御存知ですか?」という質問に、おおまかでも答えられる方は案外に少ない。あなたも即答できなかったら、日本と米国の原子力発電所の所在地図を見て下さい。この小さな国に米国の半分以上のプラントがあるのを、日本人の多くも自覚していません。
 核の話をすると、すぐに日本人の「核アレルギー」が持ち出されるが、核の廃絶を願う気持ちは判りますが、六十数年前、人類は神の領域を侵してしまったのです。たとえ良心ある人々が核兵器を放棄しても、悪意ある輩がほくそ笑むだけでしょう。今は、人智を尽くして安全な核の管理運用に貢献する事が、日本の選択肢ではないかと思います。

「世界2番目の原子力大国」
 まずは、日本国民が、日本が世界のトップ3の「原子力大国」であるという認識をしっかり持つ事です。そして世界の人にも知ってもらわなくてはなりません。別表に示したように、計画中のものも含めると遠からず日本はフランスを抜いて世界2番目の原子力大国になります。現在、世界中で約五百三十の原子力発電所がありますが、上位四カ国の米国、日本、フランス、ロシアで総数の半分以上を占めます。日本は名実共に「核」技術最先進国です。アメリカもオバマ政権がエネルギー対策として原子力発電を見直そうとしていますが、アメリカが最後に原子力発電所を作ってから、30年以上経っています。つまり大半の経験ある技術者が引退してしまっているので、アメリカはフランスや日本の技術を輸入しなければならない所に来ています。

「イラン、北朝鮮の核武装懸念」
 アフガニスタン戦争を除けば、今、国際社会最大の課題は、イラン、北朝鮮の核武装懸念でしょう。イランも北朝鮮も、いくら世界中が反対しても、核の開発を止める筈がないのは誰の眼にも明らかです。ただ表向きは国連などの非難に、自分達の核開発は平和利用だと主張していますが、これは、彼等を野放しにしない絶好の機会とも思えます。本当に平和利用ならば、国連の定める規則に従い、きっちりとした「保障措置」をとる事を約束させれば良い。自らのアクトを公正と主張するなら、国際社会の前で「保障措置」順守を拒む事は出来ないでしょう。国際法の定める核に対する「保障措置」とは施設を検察官が視察する程度の生易しいものではありません。施設の設計施工段階から施設の運用を監視する機構を組み込まなければならないものです。この「保障措置」を厳密に遵守して運営されているのは、実は日本しかないのです。アメリカを始めとして核武装している国々では「保障措置」といってもお手盛りであり、徹底されているとは言い難いのが実情です。「保障措置」の施行において日本の技術は最先端です。既に他国への「保障措置」の運営の大きな部分を日本は負担しています。

「ドラ猫共に首輪と鈴をつける」
 もしイラン、北朝鮮に平和利用を名目に核開発を認めるということになれば、このドラ猫共に「保障措置」という首輪と鈴をつける絶好の機会です。そして、それが出来るのは日本なのです。「保障措置」の施行になれば、黙っていても大半の費用の負担が日本に押し付けられだろう事は眼に見えています。ならば日本はこの役割を積極的に買って出て、国際社会の前で手を上げるべきだと思います。ここで徹底した「保障措置」の施行を世界に示し、唯一の被爆国として「核」に歯止めをかけ、国際世論を背景に、翻ってアメリカを含む核武装国にも「保障措置」の徹底した順守を義務付ける事が出来れば、核兵器の脅威を世界から無くす事に、一歩近づけるのではないでしょうか。日本が国際社会の前で凛とした態度を見せる事ができれば、その時は、大戦以後、連合国支配の続く国連常任理事国に、望まずとも世界が押し上げてくれるでしょう。
人の夢と書いて、はかない(儚い)と読みますが、これも初夢で終わるかなあ。
#ブログ #原子力 #天災人災

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